ああそうだな!地味な人生からの脱却は外見からでいい!!
とある美容室でのお話。
店を1人で切り盛りしているのは43歳の中山 潤という独身で個人事業主。
決して口が達者なわけではないけど、お客さんを綺麗にしたい、満足させたいという気持ちは人一倍強く、人情に熱い男である。
この道20年以上のベテランで手先が器用で仕事はそれなりに順調。今日もお客さんの笑顔を作るため全力を尽くすのだった。
ある晴れた日の午前11時。
とある美容室の扉が開く。
開けたのはまだ若干幼さが残る20歳の女性であった。
「いらっしゃいませ、こんにちは。」
とびっきりの笑顔で潤が声をかけた。
「はは、は、はいよ、よろしくお願いします。」
ずいぶん緊張しているのか、女性はすんなりと言葉がでない様子。
今日が初来店となるこの女性は西野 円さんで大学生。
案内して椅子に座るまで、歩き方までガチガチに身体が固くなっているようで、全身から緊張感が漂ってくる。
予約された時の要望にはカットとカラー、ショートボブの派手な金髪でと備考欄に書かれてあった。
(え、この子が派手な金髪なの…)
椅子に座る彼女の髪は、絵に書いた如く清純であった。鏡越しに見える彼女からは派手さは全くない。
それと同時におとなしそうで一度もカラーをしたことがないという混じり気のない黒髪が印象的で、肩の下まであるお行儀のいいストレートであった。
カットクロスに埋もれたような不安そうで表情のかたい彼女に潤が声をかけた。
「それではよろしくお願いしますね。派手な金髪でってことですが、思い切りましたね。」
ニコッと微笑んで続ける。
「おそらく印象をガラッと変えたいんですよね。うんうん、いいと思いますよ。今までカラーをしたことはありますか。」
「い、いえ。あの、カラーは全く初めてでして…え、えっと私でも大丈夫でしょうか」
自身のなさそうな小さなボソボソ声で彼女は答えた。
自分の人生の半分も生きていない自信のない返事をする女の子にプロのポーカーフェースで潤が答える。
「大丈夫ですよ、髪質もしっかりしてるし綺麗に色は抜けると思います。ショートボブの金髪でってことでブリーチを使って時間はかかりますが、シルキーやプラチナ感が出るような綺麗な金髪にすることはできると思います。何かイメージされているようなモデルさんとかいらっしゃいますか。」
「わ、わたし、TIAっていうガールズバンドが大好きでして、えっとその、ボーカルの人が大好きで…あの人みたいに…な、なりたいんです。」
イメージがピンときた。
知っているバンドだし、結構見た目が派手な4人組のロックバンドだ。10代や20代に男女問わず人気がある。そのボーカルはショートボブで派手ではあるけど綺麗な金髪をしている。
なりたいイメージがちゃんとあるわけだ。
「オッケーオッケー。なるほど、僕はおじさんやけどちゃんと知ってますよ、そのバンド。カッコイイですよね。」
笑顔を絶やさない潤は同時にカットの準備を進めていく。イメージはもう出来上がっている。
「それじゃあカットしていきますね」
胸元まであった長い黒髪に、迷いなくハサミを入れた。
サク、サク、サク。
心地よい音が店内に響く。床にバサバサと落ちていく黒い髪は、彼女がこれまで、周囲の期待に応えて真面目に存在していた時間のようにも見えた。
彼女は鏡越しに自分自身を凝視している。
潤は微笑んで言う。
「髪を切ると、頭だけじゃなくて心も軽くなりますよね」
肩上のボブまで切り進めると、彼女の綺麗な輪郭がくっきりと現れた。これだけでも十分似合っているのであったが、本番はこれからである。
彼女はカットクロスの下で小さな拳を握りしめて鏡に映る潤を真っ直ぐ見つめてきた。その表情には悲壮感が漂よっていたが、何かを決意したような眼差しとなり潤に語りかける。
「わ、わたしTIAの影響も大きいんですけど、じ、じぶんの人生をかえるつもりで今日来たんです、はい」
真剣な顔つきに潤の顔つきも自然と真剣な表情に変わった。
「わたしって、その、これまでの20年間は真面目だけが取り柄で生きてきたんです。人見知りが激しくて、友達はいるんですけど、なんかコンプレックスを感じているんです。うだつが上がらないっていう人生みたいな…今日から変えたいんです。」
20歳にしてうだつが上がらないっていうワードがでるとは…重い言葉だ…
「親の言うことを忠実に守って、学校の提出物は必ず期日を守って提出して、校則も当然守って。服はいつも地味なベージュかネイビーばっかりでした。」
さっきまでの彼女とは違い緊張がとけてきたのか、いつの間にか流暢に話していた。
「大学では結構みんなキラキラしてる人が男女問わずいっぱいいてるんですけど、えっとそ、そのこないだゼミで私の事を地味で暗いって周りで言われてるのが聞こえてしまって‥、そ、そりゃそう思われてるだろうなって思ってましたけど‥」
彼女からしたらあまり言いたくないことであったと思うが、話を聞いて欲しそうな気持ちも滲んで漂っていた。潤はまだ手を止めて彼女に耳を傾けている。
少し間が空いてから続けて彼女は話した。
「それで地味から脱却したいって思いまして‥
うじうじして行動できない自分が嫌だったんですけど、最近になって大好きなTIAのLIVEに思い切って行ってみたんです。1人で‥
LIVEとかはじめてで怖かったんですけど‥、勇気振り絞ったんです。で、えっと最初はLIVEの音の大きさにびっくりしてたんですけど、TIAのメンバーを見てるとものすごくオーラがあって…人生を謳歌してるって輝いて見えたんです…。
歌もパフォーマンスも見た目のカッコ良さや綺麗さも‥私の魂全てが引き込まれた感じでした。本当にLIVEに行ってよかったです。
大学生の周りのみんなは、髪を染めたり、お洒落をしたり、自由を謳歌しながら楽しそうに自分の人生を生きているのに、私は傷つくのが怖くて、ずっと安全なレールの上の真面目な引きこもりをやってきました。
でも、もう20歳になったんで…。このまま、誰の記憶にも残らないベージュ色の人生で終わりたくないんです。だから……憧れのTIAみたいに一番派手な金髪にして、形から無理やりにでも自分を変えたいんです」
鏡の中の彼女の瞳から、一粒の涙がぽろりとこぼれ落ちた。
そしてこの思いがけない告白が自分を変えたいという強い意志として垣間見えた。
張り詰めていた緊張の糸が切れたのだろうか。20年間、真面目という名の檻の中で、ずっともがいていた彼女の心が、その涙に透けて見えた気がした。
潤の胸に、熱いものが込み上げてくる。
(俺だって、最初から器用に生きられたわけやない。
若い頃から失敗の連続やったて。
仕事や恋愛に順調が続いたわけやないし、うだつが上がらない日々を何年も過ごした。
そもそも形から入るのが何が悪いっちゅうねん。外見を変えることは、中身を変えるための立派な一歩やないか。
俺の心がなかなか燃えてくるやないか、俺のパッションがまさにここにあるってな!)
「……よし、分かりました」
潤は、彼女の涙をそっとティッシュで拭い、セット面に両手を突いて彼女と目を合わせた。
「辛かった事をよく話してくれましたね、ありがとうございます。西野さん、今日、あなたの20年間の『ベージュ色の歴史』を、僕がここで終わらせますよ。誰もが振り返るような、最高にカッコよくて、最高に垢抜けた金髪にします。僕を信じて、身を委ねてくださいね」
彼女は驚いたように目を見張った後、涙を流したまま、今度は小さくコクリと頷いた。
ここから、長い戦いが始まった。
まずは一回目のブリーチ。髪に薬剤を塗布していく。
潤にも彼女にも気持ち込められている。塗っている間にもニコニコしながら潤は語りかける。声かけはきめ細かなサービスで重要だ。
初体験のブリーチは頭皮が熱く感じたり、ヒリヒリすることもある。不安を消すためにもベテランの美容師の表情や声かけはお客さんのメンタルにも影響を与える。
そして、静かに時はながれ、シャンプー台で薬を洗い流し、鏡の前に戻ってきた彼女の髪は、鮮やかなオレンジ色になっていた。
「わ、私、ヤンキー漫画の雑魚キャラみたいになってません……!?」
引き攣った顔が垣間見える。
「大丈夫、これはまだプロセスの途中。ここからもう一回ブリーチして、黄色みを抜いてから、ミルクティーっぽい柔らかいブロンドを乗せますからね」
二回目のブリーチ。
彼女の未来がかかっていると思うと、不思議と薬剤を塗る手にも、いつも以上のキレが出た。
二回目のブリーチが終わり、ついにオンカラー。
プラチナブロンドの薬剤を塗り込んでいく。
「さあ、これで最後です。流しますね」
シャンプー台から戻り、濡れた髪にドライヤーの風を当てる。
ブォーッという音とともに、水分が飛び、彼女の新しい「色」が姿を現し始めた。
圧倒的な透明感。
それは、ただ派手なだけのヤンキー風の金髪ではない。
彼女の本来持っている色白の肌の美しさをこれでもかと引き立てる、洗練されたシルキーブロンドだった。
ドライヤーを止め、ブラシで毛流れを整える。
仕上げに、ほんの少しオイルを馴染ませて、束感を出した。
「……できましたよ、西野さん」
彼女は、ゆっくりと目を開けた。
そして、鏡に映る自分を見た瞬間、目が見開いた状態でフリーズした。
「……これ、えっ、わたし」
鏡の中にいたのは、彼女の言う「地味で真面目、そしてうだつが上がらない女の子」ではなかった。
短くなったショートボブと共に透明感溢れるプラチナブロンドの髪が、彼女の瞳をキラキラと輝かせている。
着ているベージュ色の服さえも、あえて「ハズし」として着こなしているお洒落上級者のように見えた。
「いやー西野さん、めちゃくちゃ可愛い。いや、カッコいいです」
潤がそう言うと、彼女の目から、また涙が溢れ出してきた。
けれど、さっきの悔し涙とは違う。それは、自分の殻を破った勝利の喜びの涙だった。
「私……変われた。本当に、私なんですか、これ。……すごく、すごく綺麗……」
彼女は、自分の髪を両手でそっと触りながら、何度も何度も鏡の中の自分に微笑みかけていた。
お会計を済ませ、扉を開けて街へ踏み出していく彼女の背中を見送る。
来店した時とは比べ物にならないぐらい自信と笑顔に溢れていた顔だった。
彼女の人生はこれからまた一歩づつ変わっていくだろう。
誰かの人生の「一歩」に伴走できる。
だから、美容師はやめられない。
ああ、そうやな。
潤の人生にまた前進、成長という1ページが刻まれた。
潤は床に散らばった彼女の過去という歯がゆい切なさを、感謝を込めて丁寧に掃き集めたのであった。
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