第1話 婚約破棄?どうぞご自由に
王立学園の卒業式。
本来ならば、未来ある貴族子女たちの門出を祝う、華やかな舞台であるはずだった。
磨き上げられた大理石の床。
燦然と輝くシャンデリア。
そして壇上には、この国の未来を担う第一王子――王太子レオルド・アルヴェイン。
……ただし、その未来はどうやら、今日ここで大きく狂うらしい。
「アリアベル・フォン・エーヴェルハルト!」
名を呼ばれ、私は静かに顔を上げた。
予想はしていた。
ここ数週間の彼の軽薄な振る舞いと、妙に浮かれた様子。
そして、彼の隣に寄り添う一人の女生徒。
――ああ、そういうことですのね。
「お前との婚約は、ここに破棄する!」
やはり、そう来ましたか。
会場がざわめく。
視線が一斉にこちらへ集まるのを感じながら、私はほんの少しだけ考えた。
これで、王太子妃教育は終了。
王宮行事への出席も不要。
あの方の機嫌を取る必要も、もうない。
……随分と、身軽になりますわね。
「理由は明白だ! お前は学園内で他の生徒を威圧し、さらには私の真実の愛であるミレイユを陰湿にいじめ抜いた!」
まあ。
随分と、都合の良いお話ですこと。
私は数秒だけ沈黙した。
周囲には、傷ついて言葉を失ったように見えたかもしれない。
けれど実際には、ただ予定を組み直していただけである。
来月以降のスケジュールは白紙。
それなら――。
「何か言うことはないのか、アリアベル!」
苛立ったように声を荒げる王太子。
どうやら、泣き崩れるか、必死に弁明する姿を期待していたらしい。
ですけれど。
「そうですの」
「……は?」
「婚約を破棄なさるのでしょう? でしたら、どうぞご自由に」
しん、と会場が静まり返る。
あら、そんなに驚くことかしら。
「なっ……貴様、自分が断罪されている立場だと理解しているのか!」
「ええ。ですが、その“断罪”とやらに根拠がありませんもの」
私は一歩、前へ出る。
静かな足音が、妙に大きく響いた。
「まず、ミレイユ様をいじめたという件ですが。具体的に、いつ、どこで、何をしたのか。証人はどなたですの?」
「そ、それは……!」
「それに、先週の図書塔南回廊での件。あなたが自ら転び、そこにいなかった私の名を出して騒いだこと――目撃者が三名いらっしゃいますわね」
ミレイユの顔色が、一瞬で変わる。
王太子の表情も、同様に崩れた。
「さらに申し上げるなら」
私は淡々と続ける。
「王太子殿下。あなたが今読み上げた“告発状”、王宮書記官の筆跡と酷似しておりましたわ。少なくとも、学園の生徒が書いた文章ではありませんでした」
――完全に、詰みですわね。
ざわめきが広がる。
王太子は何か言おうとしたが、言葉にならない。
「レオルド殿下」
低く、よく通る声が響いた。
振り返るまでもない。
そこにいたのは、エーヴェルハルト公爵――私の父。
「卒業式という公の場で、我が娘に虚偽の罪を着せ、婚約破棄を宣言なさるとは。なるほど、これが次代の国王たる方のなさることですか」
「こ、公爵……これは、その……!」
「言い訳は結構」
父の声は静かだった。
だが、その一言で空気が凍りつく。
「我がエーヴェルハルト公爵家は、西方防衛の要であり、王国軍の兵站、交易、穀倉を担ってきた家門。その嫡女に対して、この扱い」
貴族たちの顔色が変わる。
ようやく理解したのだろう。
これは単なる婚約破棄ではないと。
「これはもはや、婚約の問題ではない。王家が我が家を軽んじたという、明確な意思表示と判断する」
「ま、待て! それは違う――」
「違いませんな」
父は一切、引かなかった。
そして。
「よって、本公爵家は王家との信義が失われたものと判断する」
静かに、だが決定的に言い切る。
「エーヴェルハルトは王国を離れる」
――空気が、止まった。
一拍遅れて、会場が爆発する。
「ど、独立だと!?」
「公爵家が!?」
「そんな馬鹿な……!」
当然だ。
我が家はただの貴族ではない。
軍事、経済、物流――すべての中枢に関わる存在。
そこが抜ければ、この国は成り立たない。
「ふざけるな! そんなことが許されると思っているのか!」
「許されるかではなく、するのです」
父は冷ややかに告げる。
「無能と軽薄で国家を揺るがす王家に、これ以上従う理由はない」
……まあ、お父様。
本当にお怒りですのね。
「アリアベル」
「はい、お父様」
「異存はあるか」
問われ、私はほんの少しだけ考えた。
けれど答えは、最初から決まっている。
「ございませんわ」
会場が再び静まり返る。
これで、完全に決定だ。
「ただ、お父様」
「何だ」
「独立準備でお忙しくなられますわよね」
「そうなるな」
「でしたら――」
私は、少しだけ微笑んだ。
「わたくしは、旅に出ようかと思いますの」
沈黙。
完全な沈黙。
「……旅?」
「ええ。せっかく自由になりましたもの。王都にいる理由もありませんし、諸国でも見て回ろうかと」
父は一瞬だけ驚いたように目を細め、やがて深く頷いた。
「好きにするといい」
「ありがとうございます」
王太子が、理解できないという顔で叫ぶ。
「き、貴様……何故そんなに平然としていられる!」
私は首を傾げた。
「むしろ、平然としていてはいけませんの?」
いらない婚約はなくなった。
煩わしい義務も消えた。
そして、自由が手に入った。
「婚約破棄されて、自由になって、新しい国の始まりに立ち会えるのですもの」
私は静かに礼を取る。
「とても良い日ではなくて?」
卒業式の日。
無実の罪で婚約破棄された公爵令嬢――アリアベル・フォン・エーヴェルハルトは。
その日をもって、すべてを手に入れた。
そして同時に。
ひとつの王国は、自らの愚かさによって崩壊への一歩を踏み出したのである。




