#16 Negotiation to Ms. 前編
「ふむ、リリアネス・フォン・アルベストールさんアルネー。ええ、理事長からお話は聞いてるネー。少々待つヨロシー」
そう、間延びするような甘ったるい声で言ったのは、針川聖学習院事務の、松葉ミーナである。
褐色の肌と、よくわからないが中国っぽい言葉遣いが特徴の、本人曰く「永遠の18歳」。確かに美人であるが、実年齢は三十路直前だと知れ渡っているので、いまさらそんなキャラ作りは無用である。その変な口調を辞めて黙ってさえいれば結婚相手なぞすぐ見つかるだろうと思うのは武藤銀次だけではない。言わないのは、彼がいろいろなところで世話になっているからだ。
理事長である守威礼威に会うには、まず彼女を通さなければならない。
「……ミーナさん、お久しぶりです」
「おおムトウ少年。久しぶりアルネー。昨日もやんちゃしたってみんな嘆いてたアルヨ」
「……別に本意じゃないですよ。それより一応、紹介をと思って」
「紹介?そのオナゴかネ?」
「ええ、まあ」
ほら、と武藤銀次は、自分の背中に隠れている少女に声をかけた。
この少女は存外、人見知りの激しい性格であるらしい。
「リリィ、事務員のミーナさん。軽く挨拶とかさ」
「………う、うむ…………………………………………リリィだ」
言うと、リリィはまた引っ込んでしまう。
「…………え? それだけ?」
「……………うむ」
「アッハッハッハ。ムトウ少年も罪なオトコアルネー。あんなにオンナノコだらけでまだ手を出すなんて」
「人聞きの悪いこと言わないで下さいよミーナさん。手を出した覚えはないです。
ほれリリィ、もうちょっといろいろさ」
「………………良い。ギンジと話せれば、他の人間と話す必要はない」
「…………なんか、引きこもりみてーだな、それ」
「見せつけてくれるアルネー? ムトウ少年ー。おネーサン浴場しちゃうアルヨ」
「それは風呂場だ」
………なんとなくこの人は麻理鐘に似ているな、と武藤銀次は思った。
そうこうしているうちに、面会の時間はやって来た。
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ふう、と銀次は一つ息をついた。そのまま少し目をつむり、恐る恐る拳を扉の前に掲げる。ノック。
「失礼します。近代武器学科第一学年部隊長、武藤銀次です」
緊張……と言って良いのだろうか。守威理事長は、滅多に人前にでないことで有名だ。
針川聖学習院の生徒でも、彼女を見たことのある人間は少ない。坂町太郎が言うには、学習院ランク10位までになると一度は見ることができるらしい。香月も一度あるというが、そのことはあまり話たがらない。蒼白な顔で、ただ一言、鬼、と言ったことだけは鮮明に覚えている。
どんな人物なのか想像もつかない。
そんな人に呼び出されている自分も自分だが、果たしてこれは良いことなのか、悪いことなのか。
昨晩の櫂渚梁が犯罪者とかだったら話にも合点がいくのだが。
思わず、握る手に力が入る。
「どうぞ、お入りなさい」
扉の向こうから聞こえたのは、凛とした声。
わずかな殺気と、好奇心が交じっている。知らない人間を相手にする子どものようである。
銀次はランクの順位がそこまで優秀なわけではないので、やはり情報を知らないのだろう。今の御時世、紙に書き知れることなどたかが知れている。それはお互いに言えることであるが、目を付けられることの意味が、少しイメージしにくかった。
鍵となるのは、俺か、リリィか、櫂渚梁か。
扉を開き、足を踏み入れる。
「失礼します」
予想を裏切って質素な景観。広くはあるものの、デスクやソファなど最低限の物だけしかない。やはりというか、基本的に針川聖学習院の中には、あまり物がない。ごちゃごちゃしていると、爆弾やら盗聴器やらを発見しにくいため、違反すると割と厳しく言われる。無論、火薬等の扱いには細心の注意がはらわれ、新入生はよくこれで注意される。理事長室も例外ではないようだ。
部屋の壁の材質は重量、硬度に優れた対衝撃金属が使用されている。
だが、
(………これは、金属だけじゃないな)
一通り部屋の様子を伺った銀次は、その部屋の装甲が気休め程度の物であると、迅速に理解した。
薄い。薄過ぎる。
銃弾を紙で防ぐようなものだ、これでは。
護るべき学習院の長が、こんな緩い警戒のなかで生活してて良い物かーーーーと。
それが武藤銀次の、よく言えばーーー針川聖学習院理事長を見るまでのーーー感想であった。
あるいは勘違い、であろうか。
ごちゃごちゃと浮かんだ思考に対し、解答は単純なものだ。
武藤銀次がそれを見た瞬間、また、リリィの視界が彼によって塞がれたのは、同時のことだった。
ーーーー鬼、とはまさに。
「ーーーーーー!!!」
ーーーー彼女の存在そのものであると、武藤銀次は理解した。
千の銃口を向けられたかのような圧倒的殺意。だが敵意は無い。
ただ邪魔な虫を払うよりも更に下らない悪意。
部屋の中央に構える守威礼威は、何をしたわけでも無い。
その妖艶な女性は、いつも通りに、人を見つめているに過ぎない。
なのに、なのに、
(この、底知れない悪意と、恐怖はっ…………!)
武藤銀次は、不死である。
だが、仮にこの場でその特性を使用したとしても、意味はない。
恐怖。
武藤銀次は、動くことができない。
恐ろしくて、怖くて。
「ーーーーーあら武藤君。そんなに怖がらなくても良いのに」
その言葉にも信憑性はない。
この場において、武藤銀次は弱者だ。
リリアネス・フォン・アルベストールだけが、銀次の背中をみながら、力関係を理解できていなかった。
怖い怖い恐ろしい恐ろしい壊れ怖怖恐恐怖恐ーーーーー
震えも止まるほどの恐怖を植え付けられた銀次に対して、リリィは無邪気な子どもの様に、あるいは縋るように、武藤銀次を信じ続けていた。
「ふふっ、人口浮島を沈めたって言うから、どんなゴリラみたいな生徒かと思ったのだけど…………まだ、全然オコサマなのね」
にぃ、と笑って、彼女は告げた。
「さて…………武藤銀次君。はじめましょうか。貴方の処罰についての、裁判を」