第1話:怪力少年
数ある作品の中からヘラクリスに目を留めていただき、ありがとうございます!
まずは第一話を気楽に読んでいただければと思います。
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「おいクリス! 頼む、そっちの丸太も運んでくれねえか!?」
朝の澄んだ空気を震わせるように、開墾地に男たちの太い声が響きわたる。
ここは大陸の最北端に位置する小さな開拓村。周囲を立ち枯れた巨木と荒々しい岩山に囲まれたこの地では、一歩外へ出れば過酷な大自然が牙を剥く。日々土地を切り拓く開墾作業は、村人たちにとって生き残るための何より重要な仕事だった。
「はいっ、すぐ行きます!」
元気よく応じたのは、まだ幼さの残る顔立ちをした少年——ヘラクリス。通称クリスだ。
クリスは作業場の隅に転がっていた巨木の前へと歩み寄る。大人が三人がかりでロープをかけ、汗だくになりながら引っ張るような、湿気を吸って重くなった大丸太だ。
彼は腰を低く落とすと、まるで落ち葉でも拾い上げるような軽やかさで丸太の底に手を回した。
ふんっ、と軽く息を吐き、膝を伸ばす。
次の瞬間、めりめりと音を立てて巨木が宙に浮き上がった。
クリスはそれを肩に乗せると、足取りも軽やかに、引きつった顔でこちらを見つめている職人たちの元へと歩いていく。
「おいおい……マジかよ。あのサイズの杉を一人で担いでやがる……」
「相変わらず恐ろしい馬鹿力だな、クリス。この前なんか、薪割り中に斧を振り下ろしたら、薪どころか下に置いてあった鉄の叩き台まで叩き割りやがったろ?」
「あの時は鍛冶屋のオヤジが泡吹いて倒れたもんなあ」
男たちが呆れと畏怖、そして親愛の混ざった苦笑いを浮かべる。クリスは丸太を狙い通りの場所にドカンと下ろすと、頭をかきながら照れくさそうに笑った。
「あはは……すいません。自分では普通に振ってるつもりなんですけど、力加減がなかなか難しくて……」
昔からそうだった。生まれつき、彼には常人離れした規格外の腕力があった。
そのパワーゆえに子供の頃は加減が分からず、木製の玩具を握り潰してしまったり、家の柱を傾かせたりと周りを困らせることもあった。だが、根が真っ直ぐで力自慢を一切鼻にかけない優しいクリスは、今や村中から頼りにされ、愛される存在となっていた。
汗を軽く拭い、午後の作業に戻ろうとしたその時——どこからともなく、鈴を転がすような甘ったるい声が降ってきた。
「ん〜〜っ! 今日もいい匂い! うっとりしちゃうくらい、最高に美味しそうな匂いが溢れてるよ、クリス〜〜っ!」
「うおっ!?」
空から急降下してきた小さな影が、クリスの頭の上にすっぽりと着地した。ふわりと揺れる黒髪に、ちょこんと乗っかる小さな重み。
背中に蝙蝠のような小さな羽を生やし、身の丈は人間の掌にすっぽり収まるほど。愛くるしい瞳と小さなツノを持った精霊——あるいは小悪魔と呼ばれる存在、トトだった。
「トト、急に頭に飛びついてくるなって。髪の毛引っ張られると痛いんだよ」
「だってさあ! 今日のクリスは一段と甘くて『うまそうな匂い』が溢れ出してるんだもん! くんくん……あー、やっぱりこの匂い、最高に大すき!」
トトはクリスの頭上でジタバタと身をよじらせ、髪の毛に顔を埋めてはすりすりと頬を寄せている。
数年前、村外れの深い森で迷子になり、魔物に囲まれていたトトをクリスが助けて以来の縁だ。なぜかこの小悪魔はクリスに懐き、こうして四六時中まとわりつくようになっていた。
「美味しそうって言われても、俺は料理じゃないんだから食べられないぞ?」
「ちぇーっ、ケチ! 一口くらい齧らせてくれたっていいのに! 絶対とろけるみたいに甘いよ!」
「ダメに決まってるだろ。ペロペロ舐めるのもナシ!」
文句を言いながらも、クリスの表情はどこまでも柔らかい。
自分を気味悪がらず、無邪気に寄り添ってくれるトトの存在は、クリスにとってもかけがえのない日常の一部だった。
やがて日暮れどきとなり、作業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
クリスはトトを右肩に乗せ、夕道に長く伸びる影を踏みながら自宅への道を歩く。山あいの村に紫色の夕闇が迫り、途切れ途切れに立つ家々の煙突からは、温かな夕飯の煙が立ち上っていた。
「ただいま、母さん!」
木目の美しい、手入れの行き届いた木の扉を開けると、香ばしいハーブと肉を煮込む芳醇な香りが一気に鼻をくすぐった。
「おえりなさい、クリス。今日も村のお仕事、ご苦労様でした」
奥の台所から顔を出したのは、母のアラだった。
かつては山を縦横無尽に駆け回る優秀な狩人だったという彼女は、凛とした芯の強さを感じさせる美しさと、全てを包み込むような深い温かさを併せ持っていた。
「トトもお帰りなさい。今日もクリスから離れなかったのね?」
「アラのご飯〜! 僕、アラの作るお肉と野菜のスープも大すき! クリスの匂いの次にすき!」
「ふふ、ありがとう。トトの分もちゃんとあるわよ」
アラは優しく目を細めると、大きな木鍋から湯気の立つシチューを木皿に盛り、テーブルへ運んでくれた。
「さあ、温かいうちに召し上がれ。たくさん体を動かしたでしょう?」
「いただきます!」
クリスはスプーンを握り締めると、豪快にスープを口へ運んだ。
ホロホロに煮込まれた肉と野菜の旨味が口いっぱいに広がり、冷えた体の芯までじんわりと温まっていく。
「うまい……やっぱり母さんのスープが世界で一番美味いよ」
「もう、大袈裟ね。でも、残さず食べてね」
笑顔で見守る母。隣で自分の体ほどもある小さなスプーンを振り回し、顔中にスープをつけながら夢中で食らいつくトト。今日あった出来事を報告し合い、他愛もないことで笑い転げる。
何の変哲もない、けれど言葉にはできないほど愛おしく、掛け替えのない時間。
この穏やかな幸せが、明日も、明後日も、ずっと続いていくのだと——クリスは疑っていなかった。
しかし。
クリスの身体の奥底から静かに漏れ出し、トトを魅了してやまない「甘い神気の匂い」。
それに引き寄せられるように、運命の無慈悲な歯車は、すでに逃れられぬ精度で狂い始めていたのだった。
本日は3話連続投稿します。
毎日18時に投稿予定ではありますので、よろしくお願いします。




