cuz 'twas lost...
これは夢だ――
目が覚めれば現実の色彩に塗りつぶされて消えてしまう、淡く儚い夢。
確立する自己認識。感覚情報に意味を見出す。
無秩序な濃淡の波に覆われた世界は、自分が世界の外にいると自覚したことで、ようやく鮮やかな色を取り戻した。
ああ明晰夢というやつか、と機械的に把握する。
夢というものは往々にして覚める直前に夢だと気付くものだ。夢から浮上するという表現に則るならば、それまでいた場所を俯瞰した時に初めて泡沫の一つに過ぎなかったことを知るのである。
ならば、夢に在りて夢と識るとはどういう絡繰りか。
それはきっと、この眼に映るものはもう戻ることのない過去の出来事であると、とうの昔に心骨から理解せしめられていたことに起因するものなのであろう。
主観的とも客観的とも取れる視界が像を結ぶと、そこは懐かしき王城の廊下の只中であり
「近頃どこからとも知れぬ流民がわんさと増えたなどと耳に入ってはいたが――なるほど、そのみすぼらしき様はまさしく流民のそれよな。誰の断りを得て王宮に潜り込んでおるのか知らんが、ここは貴様ら流民の居てよい場所ではないぞ」
夢の中で現の耳が、もう聞くことのない声を聞いた。
目の前に現れた、この男と初めて遭遇した時に受けた印象は、「損得勘定ではともかく感情的にはお近づきになりたくないタイプ」という、おおむね他のプレイヤー達の噂通りのものであった。
これ見よがしな金襴緞子を着こなし、何憚ることなく竜驤虎視を体現する姿はまさしく王族然としたものであり、つまるところマクスと正対するこの傲岸不遜の権化は、どうしようもないほどに王子様で――
ゲームをゲームとして見たくなかった青い少年時分の俺にとっては、悲しいかな友であったと断言できる存在なのだった。
――懐かしい夢を見た。
もう会うことのない、友の夢を。
さわさわと優しい風が頭を撫でる。夢と現の境を海月のごとく漂って、流れるままに流される。
波間の海月が夢ならば、砂上の海月が現実か。いくらなんでも世知辛いが、夢に生きるとはそういうことなのかもしれない。
少しずつ意識は覚醒していく。波打ち際は目前で、干からびたくなければ脚の一つも生やして見せろと野次ってくる。
うねうねと正体を取り戻してみれば、風にも輪郭があったらしい。
「……起きた? おはよう」
頭を撫でる手と、意識を掬う優しい声。
覚束ない意識を尻目に、口が勝手に言葉を紡ぐ。
「んん……おはよ。みーちゃん」
「…………ふぅん」
ぎちぎちと、曖昧だった意識が締め固められる。
――もとい、脳天が握り潰されてあ痛い!
「おはよう。そーちゃん?」
「――オハヨウゴザイマス。珠鳳サマ」
痛みでバッチリ覚醒した俺の目に映ったのは、満面の笑みを浮かべてアイアンクローをかます物騒な方の幼馴染の姿であった。
ダイニングで所在なくぼんやりしている間に、朝食ができていた。
当初エプロン姿で髪を結わえた幼馴染が調理する姿でも眺めていようと目論んでいたのだが、「気になるからあっち向いてて」とにべもなく切り捨てられ、俺は何を言うでもない情報番組の隅に表示された、一分おきに増える数字を意味もなく睨んでいた。お前が俺を気にしてるから気になるんだろう、なんていちゃもんをつけてやろうと思いはしたものの、生憎うちはペニンシュラキッチンだ。向かいで見つめられたらそりゃ気にならないわけもないな、と俺は静かに顔を背けたのだった。
「いただきます」
ほこほこと居並ぶ和朝食に手を合わせ、感謝を露す。昨夜のエスニックに満ちた食事からすると拍子抜けするほどに普通だが、これこそが普段通りだ。普段というほど頻繁にあるイベントではないと思いたいけれども。
銀シャリ、焼き鮭、お味噌汁。一汁一菜そして一膳の必要十分加減。香の物に山芋の梅おかかが添えてあるのも寝起きに箸が進んでよろしい。おや、この山芋ごま油も入ってるのかな。自分一人だと朝なんておにぎりだけとか、一応栄養を気にしてシリアルとか、味気ないものになりがちだから――
「こういう朝食も、まあ」
ぽつりと言葉がまろび出て、思わずと食事にかぶりつきの顔を上げてみれば、対面の珠鳳がじっとこちらを見つめていた。続く言葉を待っている風の珠鳳だが、こちらとしては特に意図して口にしたわけではなく、当然続きなんて頭にはない。腹の中にはあるかもしれないが、割って取り出す度胸はない。
俺はどこか射竦められているような据わりの悪い心地になって、椅子の背にもたれかかりながらテレビの画面に視線を逸らした。
画面の中では毒にも薬にもならない占いコーナーが仰々しくも進行している。八位のふたご座は、「考えすぎると空回りする一日。とにかく行動してみるのが吉。ラッキースパイスはローリエ」だそうだ。ラッキースパイスってなんだ、番組名の「inspice」と絡めてるのか。局のお上の嘆きが込められたような名だな。
考える前に動けという行動指針を得てしまい、いろいろ釈然としないがその通りにしてみることにする。
「……朝食って感じだよな」
「それは、朝食だもの」
毒にも薬にもならないとはつまりこういうことだ。俺の返答で珠鳳は興味を失ったのか、圧を感じる視線はなくなったものの、いい結果に終わったという感じは全くしない。運気の起伏を地均しされたような気分だ。
いっそ空気が悪くなったような気さえする。寝起きに人違いかました時よりも機嫌が悪いということはないが、この居心地の悪さは解消しておきたい。
そんな身勝手な思いの元、天気の話でもしようかと血迷いかけた俺に救いの手が差し伸べられた。
「ね、夢でも見たの?」
「見た、は見たけど……なんで?」
珠鳳の質問は唐突で、つい、後ろ髪を引かれるように、その手を取ることを躊躇った。
「寝顔がちょっと険しかったから、嫌な夢でも見たのかなと思って」
「あいつの、王子様の夢を、な」
「……そっか」
珠鳳は気遣わしげにこちらを見つめている。アイアンクローですっかり頭から絞り落ちていたが、寝ている時に頭を撫でられていたのだったか。珠鳳が普段しないようなことをしてしまうくらいには険しい顔で寝ていたんだろうけど、ああいうことをするのはいつも穏やかな方の幼馴染であるから間違えても仕方がないと思う。
嫌な夢というわけではなかった。楽しい夢と、言ってしまってもいいくらいだった。ただ、夢でしかないことに胸が締め付けられる想いがあっただけだ。
そんなことまで伝えたところで気分が上がることはないだろう、とそれっぽい言い訳を用意して、夢の話は切り上げることにする。
「ちなみに初対面の頃のだ」
「あー……」
珠鳳は同情と面倒さがない交ぜになったような、何とも言えない表情になる。
後の方ではともかく、最初の頃のフレデリック様は手の付けられないワガママプリンスで――それはもう、夢で見た日には魘されたっておかしくはないほどのものだったのである。
「すっきりするためにも、外に出て太陽浴びた方がいいんじゃない?」
食後のお茶を啜りながら、珠鳳がそんな提案をする。日光浴びれば悩みもどっか行くだろうという乱暴な考えが透けて見えるようだ。
もっとも、俺もそう考える類の雑な人間であるのだが。
「そうだなあ。生真でも誘って歩いてくるか」
「生真は用事あるからダメだと思うよ」
「――そーなん」
間髪入れず返ってきた言葉に面食らう。
素知らぬ顔で、徐に携帯端末をいじってみる。
「うん。そう言ってた」
「ならまあ、しゃーないか」
身内のグループチャットに何か書き込まれているわけではなかった。多分個人的に聞いてたんだろう。
ちなみに何故寝ている俺の枕元に珠鳳が立っていたのか。いつの間に玄関の鍵を開けたのかと思えば、夢心地の時間に珠鳳との通話履歴と、玄関の電子ロックの解除履歴があった。全くこれっぽっちも覚えてない。
「ところでさ、今朝はなんで来たの」
「そーちゃんが昨夜はこっそり夜更かしでもしたんじゃないかと思って。何となく起こしに来ただけ」
夜更かししてても容赦なく叩き起こされてたのか、おそろしい。そして呼び方に棘がある。
「そうか、じゃあ早めにインするか?」
端末を置いて、聞いてみた。
珠鳳は言いづらいことでもあるのか、しばし逡巡などしている。
「午前中は、用事があって、お昼は過ぎちゃうかなって」
「――へえ、そうなん」
「ごめんね。今日中に終わらせておきたくて」
なるほどなるほど、幼馴染たちは二人とも用事ですか。仲のよろしいことで何よりだ。
湯呑をぐいと傾けお茶を飲み干し、視線だけを珠鳳に流す。珠鳳は僅かに視線を交わすと、一瞬逃げるように視線を切って、ちびちびとお茶を飲み始めた。
「やっぱ走ってこようかな。運動不足気味だし」
それがいいよと薄く微笑む珠鳳から目を逸らし、空の湯呑をもう一度だけ傾けた。
珠鳳が帰ってしばらくの午前八時半、上り框から腰をあげて玄関ドアを押し開ける。
朝の光がくらくらするほど強烈で、つい踵を返しそうになったが、お隣さんからの爽やかな挨拶で踏みとどまる。
「あ、そーちゃんおはよう! 朝ごはんはどうする? 一緒に食べる?」
「おはよ。朝はもう食ったから大丈夫」
「そっかあ。今からランニングかな、気を付けてね? いってらっしゃい」
にこやかに手を振るみーちゃんに手を振り返して、俺は一キロほど先の運動公園へと小走りで向かった。
――あくまで余談だが。
公園で運悪く華鳳に遭遇し、五キロのウォーミングアップ(ランニング)に付き合わされた俺は
「も、むり――」
何とか走り切ったものの見事に精魂尽き果てへたり込んだ。
「これくらいでへばんないでよー。ほらドリンク、私のでいいなら飲む?」
「……飲む」
妹的存在に憐憫のまなざしを向けられながら、ちうちうとドリンクを貪ることのなんと情けないことか。
心と体にダメージを負った俺は、まだ走るつもりらしい華鳳と別れて家路に就く。
陽を浴びたおかげか、行きより足取りは重くとも、気分はそれなりに晴れがましかった。




