3-9
(ここは夕日が綺麗なのだな)
「ああ。ここは私のとっておきの場所だ。何かあった時、ここへ来ると苦しみが
緩和されるような気がしてな」
(お主、よく悩んでいたな。でもまぁ、それがあったから今があるんじゃ)
「まぁ……そうだな」
少し肌寒いと感じるまでに季節は移ろっていた。最初に来た時はとても爽やかな風を感じていたというのに。時が経つのは早いものだと後ろの竜は言う。
(そろそろ戻った方がいいかもしれん。儂にはこの寒さは応える)
ぶるりと体を震わせた竜がシエ・スーミンに懇願する。両脇の竜は寒さのあまりに包まって熱を逃がさないようにしていた。
「わかった。では、自室へ行こう」
出入口のドアノブに手をかけた時、自分が開ける前に誰かが扉を開けてきた。扉の先にはさっきまで王の間を飾り付けていたニクスだった。
「ニクス……どうした。そんなに息を切らせて」
「す、スーミン様。ここにいましたか。準備ができたので王の間にいらしてくだ
さい」
「あ、ああ。わかった」
王の間の飾り付けが完了したことを教えにきてくれたらしい。それも息が切れる程必死に城内を探していたのだろう。額には玉のような汗が浮かんでいた。
「さっき、自室に行くと言伝をしておいたのだが……」
「それが、自室に行ったら誰もいなかったのですよ……もしかしたらと思ってこ
こに来てみたら……正解でした」
「あ……。そうか。すまない。私としたことが」
「でもまぁ、見つけられたので良かったです。さぁ、行きましょう」
ニクスに手を引かれながら王の間へ向かう。この時、シエ・スーミンは胸に不思議な高鳴りを感じていた。
(な……なんだ。私は緊張しているのか)
(違うな。多分、お主はこ……)
(それ以上言うな。叩き切るぞ)
「ん? どうしたんすか? スーミン様」
「い、いや。なんんでもない」
不思議そうに首を傾げるニクス。なんとかやり過ごすことができたのだが、不意をついての竜の発言に言葉が漏れてしまいそうになる。怪しまれないよう必死に隠しながら王の間へ辿り着く。
「……なんか。この感じ久しぶりですね。覚えてます? 俺が初めて皇帝と話を
する時のこと」
「ああ。ガッチガチに緊張していたな。今はもう緊張しないのか」
「ええ。おかげ様で」
えっへんと胸を張るニクスに裏拳で軽く小突く。それをえへへと笑いながら受けるニクス。さてと小さく声を発したニクスは、王の間の取っ手を指さす。
「スーミン様。ささ、大きく開いちゃってください」
「わかった。では、開けるぞ」
両手で取っ手をしっかりと握り、押し込むようにして扉を開けた。
「「「スーミン様! おめでとうございます!」」」
まるで大合唱のような祝福の声にシエ・スーミンは度肝を抜かれた。中にはクラッカーで迎え入れる者もいれば、指笛を吹いて盛り上げる者もいた。ニクスに手を引かれながら向かったのは、綺麗に整えられた玉座だった。そこには侍女が薄い笑いを浮かべながら浅いお辞儀をした。
「新皇帝シエ・スーミン様。何なりとお申し付けください」
「そんな……堅苦しいのはよしてくれ」
「……では、徐々に砕けてもよろしいでしょうか」
「ああ。それで構わん。これからよろしく頼む」
「畏まりました」
ニクスに促されて、シエ・スーミンはゆっくりと玉座に腰を下ろした。その瞬間、兵士達は歓喜のレベルが一段階あがり、更に熱狂しだした。
「これは……騒ぎすぎではないか」
「気にすることはありません。今日は特別な日ですから」
それに盛り上がる事は悪くありませんと付け加え、二人は盛り上がっている兵士達を見ていた。そこへ、あの錬金術師の末裔が小走りでやってきた。
「オルロ!」
「スーミン様! おめでと……ふぎゅっ! ま、またこけましたぁ……」
「大丈夫か」
シエ・スーミンは玉座から離れ、転んだオルロの介助に向かった。オルロはぶつけた鼻をさすりながらえへへと笑った。
「また転んじゃいましたぁ」
「相変わらずおっちょこちょいだな。ゆっくりで構わないのに」
「なんか、私も嬉しくなって急がなきゃって気持ちが勝ってしまたら……こうな
りました」
「次からはゆっくり歩いて来い」
「はいっ! え、次……?」
何かに驚いた様子のオルロにシエ・スーミンはどうしたと尋ねる。すると、オルロは急に目が泳ぎだし慌て始めた。
「わ、私……ここにいていいのですか?」
「? 何を言っているのだ。いいに決まっているだろ」
「ほ……本当ですか! それが心配だったので……ほっとしましたぁ」
もしかしたら追い出されてしまうのではないかと思っていたらしく、そんなことはしないと改めてオルロにこの城にいて欲しい事を伝えた。
「あ……ありがとうございますぅ……こんな未熟な錬金術師ではありますが、今
後ともよろしくお願いいたします」
「ああ。こちらこそよろしく頼む」
「……あのー。スーミン様。ちょっといいですか」
ニクスが二人の間に割って入る。今度はなんだとシエ・スーミンは少し不機嫌気味に反応した。すると、なにやら液体の入ったグラスを渡され、小さな声で「どうぞ」と聞こえた。状況を把握できていないシエ・スーミンにニクスはぼそりと呟いた。
「スーミン様。挨拶をお願いします」
「あ……挨拶だと? 何の挨拶なのだ」
「……では、少し代わりましょう。えー、お集りの皆さま。大変長らくお待たせ
致しました。これより、新皇帝誕生パーティーを始めたいと思います」
ニクスは慣れた様子で会場を盛り上げている。それにどうしたらいいか戸惑っているシエ・スーミンにニクスは優しくもやや無茶にバトンを渡してきた。
「これより、新皇帝であるシエ・スーミン様より、お言葉を頂戴したいと思いま
す」
「え……わ、私が……?」
「ええ。一言でいいです」
「そ……そんな急に言われても……」
バトンを渡されたシエ・スーミンは、皆の注目の的となり更に狼狽える。背後の竜からも落ち着けと言われ、シエ・スーミンは深呼吸をして気持ちを落ち着かせた後に口を開いた。
「……この度、新皇帝となったシエ・スーミンだ。もうわかっていると思う
が……私はこの国に伝わる掟を乗り越えた。乗り越えたからこそ、終わりにしたい。親族を殺してまで力を行使したいとは思わない。だからみんなには、この国で幸せになってもらいたい。その幸せの為には避けられない戦いがあるかもしれない。だが、一人じゃないことを感じて欲しい。迷ったときや困ったときはみんなで支え合って欲しい。私はそんなみんなの力になるのなら……この力を惜しまず使うことを誓おう。これからは、みんなでこの国を作っていくのだ。まだ至らないところばかりの私だが、みんな……力を貸してはくれないか」
しばらくの沈黙のあと、城全体が揺れているのではないかと思うくらいの声量で歓声があがった。歓声に混じり拍手、指笛や口笛など様々な形で新皇帝の誕生を祝うみんなに、シエ・スーミンは胸が熱くなった。
「皆の者、これからはみんなの為に力を振るうのだ! 今日は楽しんでくれ。乾
杯っ」
「「「乾杯っ」」」
各々が好きな飲み物が入ったグラスを傾け、幸せの吐息を漏らす。シエ・スーミンも少し遅れグラスに口をつける。アルコール度数の低い白ワインの味を楽しんでいると、王の間の扉が少し乱暴に開いた。現れたのは大勢のシェフ達だった。
「皆さん、お待たせしました。たっくさん作りましたのでお腹一杯食べてくださ
いね」
シェフ総出でテーブルに料理が並べられていく。手軽につまめるものから、がっつりしたもの。はたまたデザートまでと一気にテーブルを埋め尽くしていく。兵士達はずらりと並んだ料理に思わず喉を鳴らす。
「足りなかったらすぐに補充しますので、お近くの調理班までお知らせくださ
い」
白いコック帽を被った人物が手を上に挙げてアピールをする。料理がなくなったら、その人物に伝えればいいとのことらしい。
「いただきまーっす」
兵士の一人が我慢できず、料理を口にする。かぶりついたお肉からこれでもかと肉汁が溢れ、兵士の口の中をあっという間に幸せにした。
「う……うんまぁー……幸せだわぁ……」
その顔を見た兵士達も手近にあった料理を頬張り、次々と幸せに包まれていった。中でも人気なのが、白身魚をふんだんに使ったクリームパイ。カリカリに焼いたパイの中から出てくるぷりぷりの白身魚が濃厚なクリームに絡まり、心もお腹も満たしていく。シエ・スーミンも程なくして料理を取りに行こうとした時、すっと侍女がそれを制した。
「スーミン様。それは私の仕事です。何なりと」
「む……そ、そうだな。適当にお願いしていいか」
「畏まりました」
そういって侍女は料理が並べられているテーブルに紛れていく。こういったことに慣れていないシエ・スーミンはこれからかと小さく呟いた。やがて料理を手にした侍女が戻ってくる。皿に盛られていたのは少量ずつではあるがどれも盛り付けが美しかった。
「まずは軽いものからと思いまして、こちらを用意させていただきました」
皿には三種類の料理が盛り付けられていて、どれもがどの料理に触れていない完璧な盛り付けだった。
「こちらから、野菜のジュレ、スナックパイ、フルーツサラダでございます」
シエ・スーミンは目移りをしながら、最初に選んだのは野菜のジュレだった。フォークからでも伝わる優しい弾力が心までも弾ませてくれる。
「……おぉ……これは面白い。野菜とジュレとはまた素敵な組み合わせだな。そ
れに……」
「……どうかされましたか?」
「なんだか……初めて食べる料理なのに懐かしさを感じるのだ」
「左様でございますか」
侍女もそれは思っていた。これは確か、シエ・スーミンの誕生パーティーで料理長のとっておきだった事を記憶している。シエ・スーミンは口にしていないのだが懐かしさを感じるというのは……。
「侍女も楽しんでくるといい」
「私が……ですか」
「ああ。私の事ばかり気にかけていても疲れるだけだ。私にできることは私でや
るから」
「……宜しいのですか?」
「ああ。もちろんだ」
侍女は既視感を感じていた。これではまるで、あの時と全く同じではないかと。でも、その気遣いは皇妃と同じでとても心地よかった。だから、仕えようと思えるのだ。
「では、しばらく失礼します」
「ああ。折角なのだから楽しまないと」
侍女は深々と頭を下げ、テーブルへと向かった。振り向き様に見た侍女の顔はどこか嬉しそうだった。
「スーミン様も楽しまないと……ですよ」
「ニクス。お前はもう少し抑えた方がいいのでは?」
「そんなこと言わないでくださいよ。こういう時でないと楽しめないですから
ね」
「……まぁ、それもあるな。それにしても、ここまでよく一緒にいてくれた。本
当に感謝しかない」
「いえいえ。こちらこそ。スーミン様には感謝しかありません」
「さっきも言ったが……力不足の私に就いてきてくれるか……」
「言わなきゃダメっすか? 俺の答えはずっと変わりませんから」
「……その様子だと、無理やりでも就いてきそうだな」
「へへっ。わかってらっしゃる」
ニクスとのやり取りを見ていた龍麗が、おーいと元気に手を振る。それに気づいたシエ・スーミンは小さく手を振り返す。
「スーミン様。改めておめでとうございます」
「龍麗。ありがとう」
恥ずかしそうに頭をかく龍麗の後ろから活発な声が聞こえた。それに驚く龍麗を見てニクスは小さく笑った。
「れ……レイファ。びっくりしたぁ……」
「うふふ。ごめんなさいね。シエ・スーミン様。この度はおめでとうございま
す」
「レイファか。ありがとう。あの時の言葉、とても参考になった。おかげで力を
解放することができた。こちらからも礼を言わせてくれ」
「いえいえ。お力になれたのなら光栄です。それと、一つ質問があるのです
が……」
「ああ。なんだ」
「私って……ここにいていいのでしょうか」
「? いてはいけな理由があるのか?」
「そ……そういうわけでは……」
「なら、ここにいて構わん。色々世話になったしな」
レイファの顔がぱっと明るくなり、嬉しさのあまり龍麗の背中を思い切り叩く。いきなりの衝撃に驚いた龍麗は飲みかけていた水を噴き出しそうになる。そのやりとりを見たシエ・スーミンはなんだか嬉しい気持ちになった。
「では、シエ・スーミン様。これからはなんなりとお申し付けください」
「では早速……フルネームで呼ばれるのはあまり好きではないのだ。できたら、
下の名前で呼んでもらえると嬉しい」
「はい! スーミン様」
ふと、シエ・スーミンは思った。縁とは不思議なものだと。あの時、皇帝からの依頼に龍麗がいなければ、ここににこっと笑うレイファはいなかったかもしれない……そもそも依頼をされなかったら……色々と可能性の枝を伝って考えてみると、今のこの状況は奇跡といっても過言ではない。オルロとの出会いもそうだ。あの時、オルロの研究施設に行かなかったら……と思うとこの状況は生まれていなかったのかもしれない。
「あ……あの。スーミン様」
きょろきょろと見渡しながらオルロがシエ・スーミンに尋ねる。
「私……戦えないんですけど……いてもいいのですか?」
どうやら戦闘員ではないことを気にしていたようだ。邪竜封印の時の魔力は相当なものだったのが、本人がそういうのならば無理に戦わせる理由もない。少し考えた後、シエ・スーミンはこう言った。
「お前は他にもできることがあるのではないか?」
「戦う以外に……ですか?」
「そうだ。よく思い出してみろ。邪竜を封印しに向かう時にお前は何をしてくれ
た?」
そんなに難しい質問をしたつもりはないのだが、オルロは頭を抱えて考え出した。考えている姿を見てシエ・スーミンは不安になったが、あっと大きな声を出した後にオルロは目をキラキラさせた。
「そうでした……私、薬を作りました」
「そうだ。今後、薬が必要な場合が出てくるかもしれない。戦場に持って行かな
いといけない場合や、オルロが作った薬を必要としている人がいるかもしれな
い。そういった時に備えて欲しいのだ。もちろん、今まで通り地下の研究所は
そのまま使ってくれて構わないし、必要な材料があった遠慮なく依頼をしてく
れ」
「そ……そんな……」
首を横に振るシエ・スーミンに更に強く首を横に振るオルロ。何故か理由を聞くと、薬を調合する時に必要な素材は一目見ただけでは中々に難しいとのことだった。それには及ばないと即答するシエ・スーミンに目を丸くするオルロ。
「ある程度の薬学の知識がある者も同行させてもらう。その者は薬学知識のある
戦いが得意な者だ。それならば問題はないだろう」
返す言葉を失ったオルロは口を半開きにしたままシエ・スーミンを見つめていた。次第に目を潤ませ終いにはシエ・スーミンに泣きついた。
「ほ……本当にいいのですか……お願いをしても……いいのですか?」
「あ、当たり前だろう。持ちつ持たれつだ。オルロが困った時はこちらが、こち
らが困ったときはオルロが。これでいいはずだが」
鼻をすすりながら頷くオルロ。どうやら今まで全部一人でこなしていたから、頼む事が悪いことだと思っていたらしい。それをすぐに否定しこれからは力を併せていくのだと優しく教えた。
「ほら。せっかくのパーティーだ。オルロも楽しんで来い」
「はいっ。ありがとうございます」
にこやかに笑うオルロを見送り、自分もなにか新しい料理を持ってこようと席を立つ。みんなお酒や料理に舌鼓を打ち、王の間はいつしか笑い声で満たされていた。ふと視線を落とすと、デザートコーナーの一角に見覚えのある品が並んでいた。
「これは……お母さんと食べたものだ」
ティーポットの中には淹れたての紅茶、そばには素材の味を最大限に活かしたアイスクリーム。確か、紅茶の中にアイスクリームを入れて飲んだ記憶があった。ティーカップに紅茶を注ぐと、琥珀色の液体が湯気を立てながら現れる。半分くらいまで注ぐと、そこへスクープ一回分のアイスクリームを落とす。熱さで溶けるアイスクリームをスプーンで軽くかき混ぜながら一口含む。
「……はぁ。美味しい」
皇妃と飲んだ時の味とは違うが、それでも楽しみ方は同じ。デザート感覚で飲める紅茶がとても美味しかった。
「あれ、スーミン様。珍しい飲み方をしているのですね」
隣で見ていたニクスが不思議そうにカップを覗く。ニクスはあまり紅茶を飲まないのも相まって、どんなものか興味があるようだ。
「ニクスか。一口飲んで見ろ。中々面白いぞ」
「そ、そうですか。俺、紅茶ってあんま飲まないんですけど……」
「いい機会だ。試してみるといい」
そういってシエ・スーミンは新しいカップに紅茶を注ぎ、アイスクリームを落とす。放射状に溶けて消えていくアイスクリームをじっと見つめるニクス。完全に溶けたのを確認すると、それをティースプーンでかき混ぜていく。
「……なんかドキドキしますね」
「熱いから気を付けろ」
息を吹きつけて冷まし、頃合いをみて口に含む。紅茶独特の香りがニクスの鼻や口に優しく笑いかける。口の中では紅茶とアイスクリームが楽し気に踊り、その陽気さにニクスの顔からは満面の笑顔が零れた。
「これ……美味しいですね」
「そうだろう。これは、皇妃から聞いた飲み方だ」
「俺、ハマりそうです」
相当気に入ったのか、飲み終えるとすぐに新しい紅茶を注いでアイスクリームを落とし、再び口に含む。幸せそうな顔にシエ・スーミンもなんだか嬉しくなった。二人で紅茶を片手に巡っていると、アルコールを提供しているところが盛り上がっていた。気になって見に行くと、普段大人しい侍女と兵士の一人がどれだけ飲めるかを競っていた。
「お、おい。何をしてる。大丈夫なのか」
「スーミン様。大丈夫ですよ。あいつ、大人しそうな顔してますけど、酒はめっ
ぽう強いらしいですよ」
「そうは言ってもだな……」
「心配しなくても大丈夫ですって」
兵士の一人にそう言われ、静観するしかできない二人はもどかしい気持ちで一杯だった。
「……スーミン様。大丈夫ですかね」
「さぁ……ただ、いつでも動けるようにしておいた方がよさそうだな」
静かに頷くニクス。今は紅茶の味を楽しむ事を後回しにし、侍女と兵士の様子を窺った。
「さぁ、これまで両者顔色は変わりなし。次の一杯行ってみよう」
「へへっ。嬢ちゃん。中々やるじゃないか」
「ありがとうございます。私はまだまだいけます」
「では、両者準備はいいですか。よーい、どんっ」
審判らしき兵士が手を振り下ろすと同時に、二人はジョッキに入った液体をゴクゴクと飲み干していく。最初にジョッキを置いたのは侍女で、遅れて兵士がジョッキを置く。ケロッとしている侍女に対し、兵士は震えだしそのまま倒れ込んでしまった。
「勝者、侍女っ!」
「き、救護班!」
倒れたのと同時にシエ・スーミンとニクスは飛び出し、倒れた兵士の救護に当たった。遅れてやってきた救護班に抱えられて、倒れた兵士は担架に乗せられて行った。
「じ、侍女。お前、大丈夫なのか」
「スーミン様。はい。私はまだまだいけます」
「……ここはもう締めてもらえないか」
このままにしておくと、せっかくの楽しい時間が台無しになってしまうと判断したシエ・スーミンはその場にいた兵士達を解散させた。さっきまで盛り上がっていた場所には誰もいなくなり、しょんぼりとしている侍女に他にも楽しみ方はあるといい、背中を軽く叩いた。
侍女はふらりと立ち寄ったクレープを焼いているシェフの前に立ち、おすすめを下さいといい、出来立てのおすすめクレープを頬張る。さっきまでのがっかりした顔はどこへやら。目を大きく見開き、歓喜の後に押し寄せる甘い誘惑の虜となった。
「はぁ……なんと美味しい食べ物なのでしょう……私、とろけてしまいそうで
す」
口の周りをクリームだらけにしながら、侍女は初めて食べるクレープの美味しさにとりつかれていった。がっかりするよりは喜んでもらえた方がいいのだが……。
「侍女、なんかすごい嬉しそうでしたね」
「……ああ。普段からは全く想像のできない喜びようだったが……」
少し心配はしたのだが、侍女が幸せそうなのだから大丈夫でしょうとニクスの一言で、なんとなく大丈夫だろうと判断し特になにもしなかった。
会場の盛り上がりもだいぶ落ち着き、兵士達の流れがまばらになったところでシエ・スーミンは適当に料理を口にしていた。そこへニクスが新しい飲み物を片手にしながら近付いてきた。
「おかわりはいかがですか」
「間に合っている」
「相変わらずで」
がっかりした様子をしてみせるも、シエ・スーミンはそれには目もくれず、シェフ自慢の料理に唸っていた。
「おすすめと言われてもらってきたこの白身魚のクリームパイ……うまいな」
「ああ……確かに。あれは何個でもいけますね」
「シェフも腕を上げたな……これからも楽しみだ」
「スーミン様。お食事が終わったら……ちょっとだけ付き合って貰えますか」
かじりかけのパイを皿に置き、口元を拭うシエ・スーミンはどうしたと尋ねる。ニクスは少し恥ずかしそうにしながらも話したい事があるとだけ言ってその席を立った。何のことだろうと思いつつ、残ったパイを食べ終えた。
王の間の賑やかさから一変、しんと静まり返った夜の空。シエ・スーミンは上着を羽織りながらバルコニーへと出た。そこには一点を凝視しているニクスが立っていた。
「待たせてすまない」
「いえ」
短い返事の後、しばらく二人で夜空を見上げる。今日も小さな宝石がキラキラと輝いていて、寒さがなければしばらくは見ていられただろう。ふうと息を吐いたニクスは、いつもより真剣な眼差しをシエ・スーミンに向けた。
「す、スーミン様。俺、やっぱりこの城に来てよかったです」
「? どうした突然」
「い、いえ。その……なんというか。俺、へらへらしてるから最初嫌われるかな
なんて思っていたんですけど……」
「第一印象は、軽そうだなとは思った」
「や……やっぱり」
「でもな。それがお前の持ち味だ。緊張しきっている空気の緩和剤と言えばわか
りやすいか……。一人でもそういった奴がいれば、冷静さを取り戻せる場合も
ある。お前はなくてはならない存在だ。お前に何度も助けられてきたのは事実
だ。感謝する」
まさかシエ・スーミンに励まされるとは思ってなかったニクスの目はあちこち泳ぎ始め、顔を赤く染め上げた。
「ニクス。これからもお前の力を頼りにしている。下の奴らの面倒を見るのは大
変かもしれんが……お願いできないか」
「お、俺で務まるのなら」
「そうか。なら、お願いしよう。明日からもよろしくな。冷え込んできたからそ
ろそろ私は失礼するが……」
「す、スーミン様。俺、一生就いていきます。だから、これからも頑張りましょ
う」
「ああ。力だけの国などこれからは不要だ。おやすみ」
シエ・スーミンがバルコニーから出た時、ニクスは小さくガッツポーズをした。思いをうまく伝えられたのか、心なしか満足そうに微笑んでいた。やることは山積みなのはわかっているが、これからはみんな得意な分野で一つずつ解決していき、前より豊かな国へと変わっていくことだろう。そう思うとニクスはこれからの生活が楽しみになってきた。うきうきした気持ちのまま自室へと帰っていった。
自室へと戻ってきたシエ・スーミンは上着を脱ぎ、椅子に腰を掛けた。ふうと小さく息を吐くと珍しく頬杖をついて何かを考えていた。
(どうした。なにか考えごとか)
「……複雑な気持ちだ。良い意味でも悪い意味でも」
明日からは自分があらゆる物事を決めていかなければならないことが多くなる。その決断によっては良いことにも悪いことにも繋がってしまうかと思うと、少し憂鬱だった。
(最初はそんなものだ。いきなり何でもかんでもできる奴がいたら、そいつは化
け物だ。気にすることはない)
「……そうだな」
(お前に就いていくと言ったみんなを信じることからはじめようかの。明日から
少しずつやっていけばいずれできるものだ)
「……ああ。そうだな。私にできるところから始めるとするか」
(そうじゃ。んで、お前はあのニクスという奴のことを……)
「やはり叩き斬られたいようだな。待っていろ」
机の脇にたてかけてあった剣に手を伸ばそうとすると、竜は焦り前言を撤回した。
「次、同じことを言ってみろ。容赦なく叩き斬るからな」
(まったく……お主はまず冗談を受け入れる余裕を持つことが先のようだ
な……)
竜はやれやれと言わんばかりに首を横に振り、この件についてはもう話さないと心に誓った。二度も本気で斬られそうになった時の恐怖は、これまで生きてきた中で一番の恐怖となった。
「さて、明日に備えてそろそろ休むぞ。お前も変な事ばかり言ってないでさっさ
と寝ろ」
(はぁ……明日から思いやられるわい……)
沈んでばかりではいられない。苦しいことも辛いこともあるのなら、楽しいことや嬉しいこともきっとある。シエ・スーミンはそう信じることにして明日からの一日を過ごしていこうと決めた。信じられるみんなと自分が思い描いていた国をつくっていくために。




