1
おぎゃぁ おぎゃぁ おぎゃぁ
城内のとある室内に響く小さな息吹。それはこの世に生を受けた証。
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
「おぉ……産まれたか」
「あなた……」
岩のような巨躯に優しき心を持つ現皇帝。それを陰ながら支える皇妃。今日めでたく、新しい命が誕生した。皇帝は優しく我が子を抱き寄せ、頬を重ねた。
「この後、簡単なチェックに入りますので、皇帝は一旦退室願えますか」
「お、おう。すまぬ。では、またあとで」
「……はい」
肩で息をする皇妃に一言、部屋を後にする皇帝。侍女も軽く会釈をし、扉を静かに閉めた。
「なんとめでたい。今宵は宴だ。おい、誰かおらぬか」
「はい。皇帝。ここに」
「今日は盛大な宴を開催する。出産祝いだ」
「畏まりました」
「頼んだぞ」
皇帝は嬉しさのあまり、いてもたってもいられなくなりつい浮かれて大きな声を出してしまい、その都度侍女から注意を受けた。戦神として恐れられた皇帝も、この時ばかりは喜びを隠しきれずにいた。
それもそのはず。子宝になかなか恵まれなかった皇帝にとって、誕生した命はなによりも嬉しいものだった。難しい砦を攻略するより、敵からのとっさの攻撃を避け反撃に出るよりも……なによりも代えがたいものだった。
「皇帝。チェックが終わりました。どうぞお入りください」
軽いノック音と共に扉の奥から侍女の声が聞こえた。どうやら中に入っても良いようだ。静かに扉を開け、侍女の案内に従う。
「あなた……大変お待たせしてすみません……」
先程よりは呼吸も落ち着いた皇妃が静かに声を発した。それに首を横に振って答える。
「構わないさ。……よく頑張ってくれたな」
「いいえ。あなたのおかげでございます。元気な女の子が誕生してくれたことに
感謝です」
皇妃は産まれたての我が子の頭を優しく撫でた。元気な産声の代わりに聞こえるのは、すやすやと規則正しく聞こえる寝息だった。皇妃の後に皇帝も優しく頭を撫でた。
「もうしばらくは休養が必要なので、こちらの部屋で安静にしていてください」
「……わかりました」
「む? 今日は宴を王の間でするつもりなのだが……」
「……まだ容体が安定していないので、本日は難しいかと」
侍女の表情が険しくなる。それをみた皇帝はしばらく唸ったあと、急いで調理場へと走っていた。
「……申し訳ありません」
「? なぜ謝るのですか」
「たぶん、嬉しくて仕方なかったのでしょう。そして、それを皆で分かち合いた
かったのだと思います。なので、急ぎすぎてしまったかと……」
皇妃が思いつくことで侍女に説明をする。しばらく黙った侍女は小さな溜息を一つ。
「……仕方ありませんね。ただし、皇妃様はここでのお食事となりますが宜しい
ですか」
その一言。ぱっと明るくなった皇妃の顔を見た侍女は「あぁ」といった表情をした。皆が嬉しいと私も嬉しい。その気持ちが全面的に放出されていては無下にはできない。
「わたし、大急ぎで調理場へ向かいますので、皇妃様は動かないでくださいね」
ややはや足で部屋を出た侍女は静かに扉を閉め、皇帝の後を追った。一人になった皇妃は、すやすやと眠る我が子をじっと見つめていた。
「はじめまして。赤ちゃん」
指で頬をつんと突く。ふわふわのプリンのような感触に自然と頬が緩む。
「うふふっ」
むにゅむにゅと口元を動かす赤ちゃん。眺めていると廊下の方から足音が重なって聞こえてくる。
「そ、そんな乱暴に扉を開けないでください」
「決めたぞ! 宴はここで開くぞ! 安心してよいぞ!」
侍女と皇帝がドタバタと入ってきてほぼ同時に発言をする。皇帝は乱れた息を整えてから同じことを口にした。最初はぽかんとしていた皇妃は内容を理解すると、すぐににこっと笑った。
「さぁ、準備ができた者から入るがよい!」
大きな声で知らせると、城内にいた者が少しずつ部屋に入ってきた。
「そ、そんなに急がなくても」
「ええい。今日は堅いことは抜きだ。宴を始めるぞ!」
「……まったく。皇帝なのですからもう少し威厳というものは……」
「まぁまぁ。今日だけ、今日だけでいいのです。皇帝の好きなように……ね?」
皇妃が悪戯っぽく侍女に微笑む。その顔を見たら……断るわけにはいかない。
「……わかりました。皇妃様も節度を守って楽しんでください。わたしはこれ
で」
部屋を出ていこうとする侍女の袖を皇妃が引っ張る。
「ダメよ。あなたも楽しまなきゃ」
にっこり微笑んでいる皇妃の顔は笑っているのだが引っ張っている力は凄まじく、一歩踏み出しそうなら破れてしまいそうな程だ。
「……ね?」
「……わかりました。わかりましたから、手を放してください」
するとあっけなく開放し、またにっこりと微笑む皇妃。
「よかった。あなたも一緒じゃなきゃダメなの。だから、わがまま言ってごめん
なさい」
皇妃からのお願い……それも二度もされてしまっては断るのは失礼にあたる。
「では、わたしは皇妃様のお手伝いを主にします。それでよろしいですか?」
「ええ。嬉しいわ」
皇妃の説得が終わり、首をもとの位置に戻すと着々と宴の準備が進められていた。その素早さにまた溜息をつく侍女。テーブルには出来立ての料理が次々と運ばれ、グラス、銀食器、皿の順に並べられた。
「皇帝! ワインをお持ちしました」
「おお! 気が利くな!たくさん持ってまいれ」
あっという間にテーブルは料理とワイン、それとたくさんの人達で賑わった。起き上がろうとする皇妃を片手で制する侍女。ちょっと残念そうな顔をするも、それはやっぱりだめだった。侍女はてきぱきと料理を皿に盛りつけ、皇妃の元へ戻る。
「お熱いのでお気をつけ下さい」
持ってきたのは香味野菜のスープと、新鮮な野菜のジュレだった。
「最初から重たい物を食べますと、胃がびっくりしますのでこちらを選ばせてい
ただきました」
まずは香味野菜のスープから。適度に冷まされたスープを口にすると、じんわりと野菜のうまみとちょっぴりスパイシーな胡椒が丁寧に挨拶をした。
「おいしい」
次は季節の野菜をふんだんに使った野菜のジュレ。まるでスイーツのような見た目にうっとりする皇妃。フォークで食べやすい大きさに切り、口に運ぶ。
「えっ! すぐになくなっちゃった! でも、しっかり野菜の味がする……すご
い」
ぷるんぷるんのジュレの中には季節の野菜を数時間煮込み、固形物がなくなるまで裏ごしをしたものに、ゼラチンを適量混ぜて冷やし固める。これは料理長が皇妃を思って作ったものだとか。
「これならいくらでもいけそう……」
「あまり急いで食べる必要はありません。ごゆっくりどうぞ」
「ええ。あなたも食べましょう」
「わかりました。その前に、一つ宜しいでしょうか」
「なにかしら」
「お子様を別室にお運びしても良いか許可をいただけますか」
確かにこの部屋で宴となると、騒々しくなるだろう。それを考慮した侍女の提案を断るわけがない。
「そうね。お願いしてもいいかしら? 隣の部屋なら空いてるわ」
「畏まりました。それでは失礼して……」
すやすや眠る赤ちゃんを抱えて、隣の部屋へと慎重に移動する侍女。片手で扉を開けて隣の部屋に入ることに成功し、そのまま見えなくなるがしばらくして侍女が静かに扉を閉めて戻ってくる。
「ありがとう。あのままだったらあの子起きちゃうところだったわ」
「いえいえ」
皇妃の皿を気にしつつ、侍女は飲み物を持ってくる。なにやらボトルからグラスに注いでいるようだったが……。
「ご安心ください。スパークリングジュースです」
紫色をしたそれはアルコールの入っていないものだった。そこまで気にして持ってきてくれるとは……皇妃はますます笑顔になる。
「うふふっ。あなたがいてくれてよかったわ。ありがとう」
「……こちらこそ。私をこのような所に置いてくださって……感謝しかありませ
ん」
皇妃と侍女の視線の先には、お祭り騒ぎの大人達が映っていた。顔を赤くしすでに倒れている者や、料理に舌鼓をうつ者、はたまたワインを片手に談笑する者など様々だった。皇帝はというと……。
「がっはっは! いいぞー! もっと飲めー! がっははは」
顔を赤くしても潰れることなく、ワインを飲み続けている。
「あの人……楽しそうね」
「そうでしょうか。私にはそう見えません」
「……あの人ね。いっつも無理してばっかりで。私には大丈夫ってよく言うの
よ。でもね、そういう時って全然大丈夫じゃないのよ。何か悩んでいたり苦し
んでいたり色々あるかもしれないけど、あの人は決して人前で話さないのよ
ね。そこがちょっと困ったところなんだけど。でも、あの人ならって思うと私
は信じてあげられるかな。うふふ」
戦神と呼ばれる皇帝も、この時ばかりは羽目を外し、皆と共に時間を過ごす。緊張ばかりがいいわけではない。それは知っているつもりだ。
「ほら、あなたも楽しんできて。私は大丈夫だから」
「……はい。では、お言葉に甘えて」
「いってらっしゃい」
またさっきみたく、笑顔でプレッシャーを与えてくるのは見えていたから、今回はその好意に甘えさせてもらった。
「皇帝。お隣失礼します」
「おー! お前も飲め飲め!」
侍女のグラスに並々と注がれたワイン。それを一気に流し込むと、周りから驚きの声があがった。遠くでは喜んでいる皇妃がいる。
「いい飲みっぷりだ! さぁ、今日はとことん飲むぞー!」
気を良くした皇帝は空いたグラスに容赦なくワインを注いでいく。ボトルが空になるのとグラスが一杯になるのは同時で、タイミングよくグラスを口元に運びまたも一気に飲み干した。
「っぷはあぁ!」
「おぉ! こいつはすごいぞ! 皆の者、負けるな!」
そういって誰もかれもがグラスにワインを注ぎ、飲み干しては注いでを繰り返しているうちに部屋の中はワインの匂いで満たされていった。アルコールに弱い者は早々に立ち去り、強いものは平然としていると極端な二択になった。
料理も新しいものが運ばれてきて、湯気の出ているうちに侍女がやってきて皇妃の元まで運び、一礼をしてまた皇帝の元に戻るというとても真面目な行動に皇妃の頬は緩みっぱなしだった。
「んもう、あの子ったら。気にしないで楽しめばいいのに」
といいつも、お皿に盛られた新しい料理に喜んでいる皇妃。また小さく切って口に運んでは満足そうに笑うのだった。
気が付けば部屋の中にいた者はだいぶ数を減らしていた。部屋にいるのは酔っぱらってその場に突っ伏している者、仰向けで倒れている者、少しずつ料理を食べている者と様々だが、皇帝はというと……。
「あらあら……うふふ」
酔っぱらった部下を羽交い絞めにしながら幸せそうな顔で眠っていた。侍女も飲みすぎたせいか、テーブルに突っ伏していた。
「動いちゃダメって言われてるけど……これは仕方ないわよね。……よいっし
ょ」
ベッドからゆっくり起き上がり、地に足をつける。シーツをはがし、侍女と皇帝に一枚ずつかける。
「……リネン庫、近かったわよね」
皇妃自らリネン庫に赴き、今部屋で倒れている人数分のシーツを持ってきてかけている。
「夜はまだ寒いからね。風邪ひかないようにしなきゃ」
大好きな皇帝の傍でぽつりと呟く。そんな心配をされていることなど夢にも思ってない皇帝の傍で皇妃は一つのお願いをした。
それはどうしても避けられない運命。皇帝もそれを経験しているため、その運命については誰よりも詳しいしあまり口にはしたくないだろう。だけど……今だけ。今だけは。幸せな夢に包まれて眠っていて欲しい。どうか……この願いが届いていますように。




