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第37話:除夜の鐘、カウントダウンの始まり

「うおっしゃぁぁ!初詣だかんね!今年こそは他校の可愛い彼女を作るだがん!最高の青春を謳歌してやるがや!」


 大晦日の深夜。除夜の鐘が遠くからゴーンと重く響く中、荻中が凍える冬の夜空に向かって真っ赤になった拳を突き上げた。


「静かにしろよ荻中。うそでしょー、神聖な神社でそんなに大騒ぎする奴があるかよ。確実にバチが当たるじゃん」


 玉田が厚手のマフラーに顔を埋めながら、白い息を吐いて呆れたように言う。その横では、翔大の右腕にモナがぎゅっと、壊れ物を抱きしめるように嬉しそうに腕を絡ませていた。


「ダーリン、人がいっぱいだっちゃね!はぐれないように、こうしてずーっと腕を組んでてほしいっちゃ!」


「おう、わかっとるよ。こんな人混みで迷子になったら大変やからな~」


 翔大は優しく微笑み、二人の距離をさらに縮めた。ダウンジャケット越しでも分かるモナの柔らかな体温が、二の腕を通じてじんわりと心地よく伝わってくる。


 その温もりに胸が優しく満たされる一方で、56歳の記憶を持つ翔大の耳に届く除夜の鐘の音は、まるで「この17歳の眩しい世界にいられるタイムリミット」を非情に刻む秒読みのように重く響いていた。


 本殿への参拝を済ませ、賽銭箱に小銭を投げ入れた5人は、毎年の恒例行事であるおみくじ売り場へと向かった。


「よし、今年の運勢を占うべ!三、二、一……いっせーのーで、オープンっ!」


 玉田の掛け声とともに、全員が一斉に自分の引いたおみくじの紙を広げた。


「あーっ!俺は中吉だかん!むぅ……悪くはない、悪くはないけどさぁ、今年もまた彼女ができるかどうかの非常に複雑で微妙なラインだがぁー!」


 荻中が早くも頭を抱えて、おみくじを睨みつけながら嘆き始める。


「否!嘆くのはまだ早いって。おっ、見て見て!俺は大吉!ほら、すごいべ!日頃の行いの良さが科学的に証明されたからさー!」


 玉田が嬉しそうにフッと鼻で笑い、大吉のおみくじを自慢げにみんなの目の前に突き出した。


「お、玉田は大吉か。凄いやん。幸先ええな」


 翔大は自分の紙を見つめる。


「俺は『吉』か……。うん、まあまあやな。大人の視点から見ても、これくらいが一番平和で悪うないわ」


「うちは『小吉』だったっちゃ。ダーリン、小吉って良い方だっちゃか……?」


 モナがちょっぴり不安そうに、大きな瞳で上目遣いに尋ねてくる。


「小吉もめっっちゃええ運勢やで。これからどんどん右肩上がりに良くなっていくっていう伸び代があるってことやからな」


「本当っちゃ!?嬉しいっちゃ!」


 モナはフニッっといつもの愛らしい向日葵のような笑顔を浮かべ、嬉しさのあまりさらに翔大の腕をぎゅぎゅっと胸元に抱きしめた。


 当たっている柔らかい感触に、翔大の理性が「俺は中身56歳、俺は中身56歳……」と必死の般若心経を唱え始める。


「なんなんだみんな、冴えないピー」


 そこで、さっきから妙に静かだった村上が、不敵な笑みを浮かべながら鼻で笑った。


「村上、お前は何だったんだよ?」


 玉田がジト目で尋ねる。


「ふっふっふ、わしはちみたちと違って、日頃の行いがすこぶる良いから大丈夫ピー。神様も俺のプライドとアニ嫁への愛をしっかり見てるぜぇ~。さあ、平伏して見るがいいピー!」


 村上は自信満々に、バッと勢いよくおみくじを裏返した。 そこには、容赦のない墨黒々と【大凶】の二文字が、不吉なオーラを放って並んでいた。


「……」


 一瞬、境内の喧騒が消え去ったかのような静寂。


「が、が―――ん……!」


 村上はあからさまに膝からガクンと崩れ落ち、地面に両手をついて真っ白にうなだれた。


「大凶じゃん!なんだよそれ!日頃の行いが良いんじゃなかったのかよ!」


 玉田が指を差してお腹を抱えて爆笑し出す。


「大凶なんて本気で引く奴、初めて見たわ!ある意味、宝くじ当たるより奇跡的な運勢だかんね!」


 荻中も手を叩いて大爆笑だ。


 すると村上は、ガタガタと小刻みに震えながら、忌々しいおみくじをポケットの奥底に無理やり押し込み、涙目で立ち上がった。


「か、かみちゃん、少し用事を思い出したので、これで失礼しましゅ……!へっ!」


 翔大が思わず吹き出しながらツッコミを入れた。


「こら、自分で『かみちゃん』ゆーな!噛みすぎやし、情緒どうなっとんねん!」


 まさかの自分で自分を「かみちゃん」呼びしながらの、完全なるアイデンティティ崩壊である。


「あ〜ん、玉プィーに慰めてほしいけど、俺のオタクとしてのプライドがそれを許さないから帰るピー!」


 村上はそう叫び、黒いロングコートをバサァッと無駄に格好よく翻しながら、脱兎のごとく、参道の闇の中へと猛ダッシュで消え去っていった。大凶のショックであの速度が出せるなら、来年の体育のシャトルランは安泰だろう。


「なんなんだよ、あいつは……」


 遠ざかる村上の驚異的な後ろ姿を見送りながら、玉田が呆れ果てたように呟いた。


「大凶がそんなにショックだったんだが。まぁ、村上らしいっちゃらしいけどなー」


 荻中も苦笑いしている。


「あ、あはは、かみちゃんはほんまに面白い奴やな。飽きへんわ」


 翔大も仲間の愛すべき行動に声を上げて笑った。モナも隣で楽しそうに「かみちゃん、おもしろいっちゃ」とクスクスと笑っている。


「おい、あっちで温かい甘酒の無料配布やっとるがん!大凶の呪いを吹き飛ばすために、ガッツリ並んで飲むだがん!」


「お、いいね。冷えてきたし、あったかいものを飲みに行こーっと」


 荻中と玉田がそう言って人混みの奥へと走っていき、境内の一角、大きな木の下には一瞬にして翔大とモナの二人きりになった。


 きんと冷え切った大晦日の夜気。翔大はふと、自分の腕にピタリと寄り添っているモナの小さな身体が、寒さでわずかに震えていることに気がついた。


「モナ、寒いか? ちょっと待っとれ」


 翔大は近くの自動販売機へ走り、温かい缶のお汁粉を二つ買って戻ってきた。


「ほら、これ持って暖まり」


「わぁ、あったかいっちゃ……ありがとう、ダーリン」


 モナが嬉しそうに微笑み、缶を両手で包み込むように受け取る。


 その瞬間、二人の指先がかすかに触れ合った。 刹那、モナの不思議な指輪が、誰にも気づかれないほど一瞬だけ、トクン、と鼓動のように熱を帯びて淡く明滅した。


「あ……」


 モナは指輪にそっと手を当て、それからどこか寂しげに、だけど言葉にできないほどの愛おしさを込めて呟いた。


「ダーリンの温もり……指輪まで、真っ直ぐ届いたっちゃ。すごく、あったかいっちゃね」


「モナ……」


 モナはお汁粉の缶を自分のポケットにしまうと、再び翔大の右腕にしっかりと自分の両手を絡め、その温もりに身を委ねた。服の上からでも伝わってくる柔らかい体温と健気な仕草に、翔大は胸が締め付けられるような想いに駆られる。


★ ★ ★


 やがて、口の周りに甘酒の匂いをさせた荻中と玉田が戻ってきた。


「ぷはぁ、生き返ったがん!よし、仕上げは新年の絵馬だかんね!」


 4人は並んで木の絵馬を買い、それぞれマジックペンを握って願い事を書き始めた。


 荻中は豪快な筆致で『今年こそ他校の可愛い彼女を作る!』、玉田は理路整然と『第一志望合格。および論理的世界平和』、モナは翔大に隠すようにして『ずっと、ずっと、ダーリンの隣にいられますようにっちゃ』と小さな文字で丁寧に書き込んでいた。


「峰川は何て書いたのさ?」


 玉田が覗き込もうとするのをかわしながら、翔大は自分が書き終えた絵馬を掲げた。そこには、シンプルにこう書かれていた。


『みんなでずっと、バカやっていられますように』


 それを見た玉田が、おかしそうに鼻を鳴らして笑う。


「なんだよそれ、峰川。確率百パーセントで叶う普通の願いじゃんかさー」


「そうだがや!峰川はもうモナちゃんっていう世界一の彼女がおるんだから、もっと贅沢なこと書けばええがや!」


 荻中が笑いながら翔大の背中をバシバシと叩く。すると、少し離れた場所で絵馬を結ぼうとしていた玉田と荻中が、急に思い出したように振り返った。


「なあ峰川、今年はいろいろあったけどさ、やっぱりお前が俺たちのダチで本当によかったよ」


「そうだがん!来年も、その先も、ずっとこうやってバカやってようぜ!」


 玉田と荻中が照れくさそうに笑いながら、一緒に力強く拳を突き出して見せる。バカみたいに真っ直ぐで、でも温かい親友たちの言葉に、翔大は胸の奥が熱くなるのを覚えた。


「おう……当たり前やろ。来年もその先も、ずっと一緒や」


 翔大が笑って返すと、二人は満足そうに頷いて再び境内の奥へと歩いていった。モナだけは、そのやり取りを優しい瞳で見つめ、翔大の腕に絡める手にそっと力を込めた。


 五十余年の人生経験を持つ翔大の胸に、これほど贅沢で、これほど切実で、これほど叶えるのが難しい願いはないのだという現実が重くのしかかる。だからこそ、今この瞬間にある仲間たちの温もりが、たまらなく愛おしかった。


 4人で絵馬を奉納し、賑やかな笑い声が冷たい夜の境内に優しく響く。いつもの、大好きな仲間たちとの愛おしい日常の風景。


 しかし、その賑やかさの裏で、またひとつ、遠くの寺からゴーン……と重々しい除夜の鐘が鳴り響いた。


(百八つの鐘が鳴り終わる時……いや、この新しい一年が始まる時、俺たちの時空はどうなってしまうんやろ……?)


 五十余年の人生経験を持つ翔大の胸に、冷たい焦燥の風が吹き抜ける。今見えているこの眩しい景色は、いつかすべて幻になってしまうのだろうか。


 翔大は腕を組むモナの、消えてしまいそうなほど愛おしい柔らかな温もりを、たとえ世界が壊れても絶対に離したくないと願うように、その身体をそっと自分のほうへ引き寄せるのだった。

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