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第36話:最後のクリスマス、偽りの雪

「ちょっと村上!ケーキのイチゴを勝手に俺のお皿に移さないでよ!生クリームとスポンジの微妙な黄金比率があんだからさー!」


「玉プィー、そんなにカリカリするなピー。これは俺から玉プィーへの熱いクリスマスの愛のプレゼントだぜぇ〜、ほら、あーんしてピー」


「うわっ、気持ち悪いから寄るなつーの!誰が食べるか!営業妨害じゃ!」


 十二月二十五日。峰川家のリビングは、暖房の熱気と親友たちの賑やかな声で、文字通り溢れかえっていた。


 テーブルの上には、山盛りのフライドチキンと、母親の佳子が腕によりをかけて作ったごちそうが所狭しと並んでいる。さらにその中央には、イチゴが綺麗に並んだ大きなクリスマスケーキが主役の座に鎮座していた。


「さぁ、みんな!お母さん特製の『クリスマス・ロシアンチキン』よ!」


 佳子が笑顔で運んできた大皿には、見た目こそ美味しそうなチキンが並んでいるが、いくつかには「尋常じゃない激辛デスソース」が仕込まれているという。


「確率論で言えば、六個中二個がハズレか。生存率66%……否!この勝負、俺のロジックで回避してみせるべ!」


 玉田が目を怪しく光らせて選んだ一個を口に入れると、直後に「あ、これは安全だ」と余裕の表情。


 次に荻中が豪快に食らいつき――次の瞬間、顔を真っ赤にして床を転げ回った。


「ぐわぁぁっ!なんだこれ、名古屋の喫茶店のモーニングよりも熱いだがん!」


「あはは!荻中自爆したな!」


 大笑いする翔大だったが、直後に油断して選んだ自分のチキンで完全に撃沈した。口の中が火を噴くような強烈な刺激。悶絶してのたうち回る翔大を見て、モナが慌てて飛び込んでくる。


「ダーリン、大丈夫っちゃ!?お水!……あ、口移しで飲ましてあげるっちゃ!」


「ごふっ!? ちょっ、モナ、お前この騒ぎに乗じて何しよーとしてんねん!余計に熱くなるわ!」


「えへへ……バレちゃったっちゃ?」


 モナが肩をすくめて可愛くごまかす姿に、リビングが笑いに包まれる。


 リビングの隅では、アニオタの村上と翔大の弟である彰宏が車トークで大盛り上がりしていた。


「なぁなぁ彰宏くん、この深夜アニメに出てくる主人公のスポーツカー、実在のモデルは何だと思うピー?」


「あ、それなら日産のスカイラインGT-Rですよ! フロントのライトの形状とフェンダーのラインが絶対にそうです!ほら、この雑誌のこれと比べても……」


「おおっ!さすがあ彰宏くん、俺が感心するくらい詳しいぜぇ〜!完全にソウルブラザーだピー!」


 普段は大人しい彰宏が、大好きな車の話になると目をランランと輝かせて村上と熱弁を交わしている。


 その様子を横目に、翔大はふと温かい笑みを浮かべた。すると、彰宏は村上の話からふと視線を外し、兄の袖をちょんと引っ張った。


「……なあ、オニイロー。最近さ、なんかオニイロー変わったよな。昔はもっと冷たかったと言うか……なんと言うか。でも、今のオニイロー、すごくかっこいいと思うわ」


 56歳の記憶を持つ自分を、弟がそんな風に見ていてくれたこと。気恥ずかしさと胸が締め付けられるような愛おしさに包まれながら、翔大は「……そうか、ありがとな」と弟の肩を軽くポンと叩いた。この温かい家族の日常を、絶対に守り抜きたい。そう強く心に誓う。


★ ★ ★


 続いて「クリスマス・プレゼント交換会」が始まった。佳子が鳴らすラジカセのクリスマスソングに合わせて全員で箱を回し、音楽が止まった時に持っている箱を開けるという定番のルールだ。


「はい、ストップ!」


 佳子の声で音楽が止まる。 荻中の持ってきた「謎の名古屋限定キーホルダー」や、村上の「アニメキャラの等身大抱き枕カバー(しかも開封済み)」が飛び交って阿鼻叫喚となる中、一番小さな、しかし丁寧にラッピングされた箱をモナが開けた。


 中から出てきたのは、華奢で綺麗なペンダントだった。それを見た瞬間、モナの動きがピタッと止まる。


「あっ、ペンダントだっちゃ……ダーリン……」


 モナはすべてを察したかのように、潤んだ瞳で翔大をじっと見つめた。これが、翔大が自分のためにアルバイトまでして用意してくれたものだということが、言葉にせずとも伝わったのだ。


 それを見た翔大は、一瞬フリーズした後に顔を真っ赤にして頭を掻いた。


「あ、それ……お前の手元に回ったんか。……おう、俺の買ったやつや。……お前がつけたら似合うかもな」


「ダーリン……ッ!ありがとうっちゃ!」


 モナが感激のあまり飛びついて翔大にぴったり抱きつくと、玉田たちが「ヒューヒュー!労働基準法違反の次は独占禁止法違反じゃ!」


「俺たちにもその愛を分けろピー!」とハイエナのようにひやかしの嵐を巻き起こす。


 やがてバカ騒ぎも落ち着きを取り戻し、チキンをかじりながら男たちがこれからの将来を語り合う。


「くそっ!来年こそは絶対に他校の可愛い彼女を作るがん!玉田、お前もいつまでもあの手紙をくれた子に未練を残しとっちゃだめだで。来年は二人でダブルデートだがん!」


「はいはい。まあ、何年経ってもこうやって集まっていたいじゃん。俺たちは一生腐れ縁だしさ」


 荻中の言葉に、玉田が照れ隠しのように鼻をすすりながら笑う。


 村上も「俺は一生アニメと一緒だピー!」とコーラを掲げる。


 そんな彼らの未来を語る声を聞きながら、翔大は56歳の記憶を持つ心で静かに思った。


(あいつら……40年後も、全く同じ顔して笑ってたな……)


 この眩しすぎる日常が、永遠に続けばいいのに。


「ふふ、モナちゃんは本当に翔大のことが大好きなのね。翔大、こんなに可愛いモナちゃんを少しでも困らせちゃダメよ?」


 キッチンから次の料理を運びながら、佳子が目を細める。


「だから困らせてへんって……」


 顔を真っ赤にしてうつむく翔大の横で、父親の文司郎はソファに深く腰掛け、熱心に新聞を広げていた。


 時折チキンに手を伸ばしながらも、「うるさいぞ、少しは静かにせんか」と一言だけ厳格そうに呟く。だが、その口元はどこか穏やかに緩んでおり、彼なりの不器用な優しさでこの温かい空間を見守っているのが筒抜けだった。


 いつまでも続いてほしい、夢のような日常。 誰もが笑顔で、どこまでも優しい世界の縮図がここにあった。大人の記憶を持つ翔大にとって、これ以上の幸福はなかった。


★ ★ ★


 ふと、翔大はリビングの大きな窓の外に目をやった。


「あ……雪や」


 翔大の小さく呟いた声に、モナがハッと息を呑んで窓際へと駆け寄る。


「わぁ……ホワイトクリスマスだっちゃ……!」


 モナがガラスに小さな手のひらを当てて外を見つめる。親友たちも「お、マジじゃん!」「名古屋の初雪より綺麗だがや!」と口々に歓声を上げて窓に群がった。


 しかし――翔大がじっと見つめるその雪は、どこか奇妙だった。


 はらはらと舞い落ちる結晶の、ひとつひとつの輪郭が、あまりにも不自然なほどハッキリと白すぎるのだ。街灯の光に照らされた雪片は、まるでCGのスローモーションのように不均一な速度で落ちては、地面に触れた瞬間に溶けるのではなく、吸い込まれるように消えていく。


 冷たさも、冬の湿り気も感じられない、どこか現実味のない無機質な白。


 56年の人生経験と大人の違和感が、翔大の脳裏に警報を鳴らした。


 これは冬の訪れが降らせた本物の雪ではない。二人のいる「17歳の歪んだ時空」が限界を迎え、この世界のデータそのものが崩壊し始めている――偽りの雪だ。


 モナがそっと、胸元の不思議な指輪を握りしめるのが見えた。


 指輪は、ワイワイと騒ぐ玉田たちには気づかれないほどの微弱な、しかし冷徹な光を明滅させている。世界を引き留めるための負荷が、モナにかかっているのだ。


 モナは窓ガラスに映る翔大の瞳と視線を合わせると、寂しげに、だけど世界で一番愛おしそうに、小さく微笑んだ。


(この幸せな時間が、もうすぐ終わってしまう…)


 胸が手で雑にむしり取られるような不安と切なさが、翔大を襲う。


 背後からは、まだ玉田や村上たちの楽しそうな笑い声が響いている。母の作る料理の匂いも、父がめくる新聞の紙の音も、こんなにすぐ近くにあるのに。


「ダーリン、うち、ずっと、ずっと忘れないっちゃ……何があっても」


「俺もや、モナ。絶対に、何があっても忘れへん」


 モナも世界の終わりの予感に震えるような、消え入る声で呟く。


 翔大はモナの小さな肩にそっと手を置いた。


 偽りの白い雪が静かに降り積もる窓の向こうを見つめながら、翔大は残されたわずかな時間を、命がけで、そして全力で愛し抜くことを、冷たい現実の裏側で静かに誓っていた。

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