第39話 紫式部ちゃん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一〇一四年頃、日本の平安京からお越しの、紫式部ちゃん。享年不明。……繰り返します。紫式部ちゃんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質で事務的な電子チャイムの音が、蛍光灯のチカチカと瞬く殺風景な待合室に響き渡った。
私、迷子センター受付係のナナシは、インカムの言語設定を再び「平安時代の古語」にセットしつつ、深くため息をついた。
「……最悪だわ。また『宇治十帖』の展開が重すぎるってアンチコメが湧いてる。ヒロインが浮舟になってから鬱展開すぎるとか言われても、こっちはリアルな人間の業を描いてるのに……っ! だいたい読者のリテラシーが低すぎるのよ……」
受付カウンターの向こう側。黄色いプラスチック製パイプ椅子の上で、豪華な十二単を布団のように被り、「陰キャ」のオーラを放ちながらブツブツと呪詛を吐いている女性がいた。
手には、まるで現代のスマホでエゴサーチでもするかのように、分厚い和紙の束を握りしめ、血走った目でそれを睨みつけている。
日本文学史に燦然と輝く超大作『源氏物語』の作者、紫式部。
「あのー、紫式部さん。死後の世界に来てまでエゴサして病むのやめてもらえます? ここはあの世の待合室なんで、アンチコメもファンレターも届きませんよ。とりあえず、温かいほうじ茶でも……」
私が紙コップを差し出すと、彼女は重い前髪の奥から、ねっとりとしたジト目を向けてきた。
「受付の方、あなたも私の長文が重いとお思い? 私はね、道長様のサロンでバズるために、五十余帖にも及ぶ超大作を身を削って連載し続けたのよ! それなのに、宮中の女房どもときたら『光源氏推し♡』だの『頭中将尊い!』だの、表面的なキャラ萌えしかしない! 私の描く深い心理描写やカルマの連鎖を誰も理解していない……! 私は孤独なクリエイターなのよ……っ!」
彼女の未練。それは、物語を完結させた達成感よりも、日本初の「大バズり長編連載作家」としての重圧と、コメント欄の治安の悪さに疲れ果てた、クリエイター特有の闇だった。
彼女が「もう筆を折る……いや、別垢転生してひっそり短編でも書く……」とネガティブの沼に沈みかけていた、その時だった。
ウィーン。
センターの自動ドアが開き、パタパタという軽快な足音と共に、場違いなほど底抜けに明るく、甲高い声が待合室に響き渡った。
「——ヤッホー! 冥界迷子センター到着! ここの蛍光灯のチカチカする感じ、めっちゃ『いとエモし』じゃない!? みんな〜、今日も元気に息してる〜? あ、ウチらもう死んでるんだった! 草ァ!」
そこに立っていたのは、紫式部とは対照的に、パステルカラーの華やかな十二単を少し着崩し、手には「春はあけぼの」と書かれた扇子を自撮り棒のように掲げた、キラキラオーラ全開の女性だった。
「せ、清少納言……ッ!!」
紫式部が、パイプ椅子から転げ落ちるほどの勢いで立ち上がった。
清少納言。
エッセイ『枕草子』の作者であり、紫式部とは仕える皇后も、文学のスタイルも、そして何より「陽キャ」と「陰キャ」という性格のすべてが対極にある、平安時代最大のライバルである。
「あーら、シキブ先輩じゃん! 相変わらずパイプ椅子の隅っこで縮こまって、オーラ暗すぎなんですけど! もっと自己ブランディングしっかりしていこ!? せっかくの十二単が映え《ばえ》ないっしょ!」
清少納言は、紫式部の陰鬱な空気を無視してズカズカと歩み寄り、至近距離で扇子をパタパタと扇いだ。
「なっ……! 出たわね、薄っぺらい『いとをかし』系インフルエンサー!」
紫式部の顔に、かつてないほどの強烈な敵対心が浮かんだ。
「あなたの『枕草子』なんて、ただの箇条書きの羅列じゃない! 『春はあけぼの』? 『小さきものはみなうつくし』? 現代で言えば『朝のスタバ新作エモい♡』とか『子猫マジ尊い♡』って140字でポストしてるのと同じよ! 中身がスッカラカンなのよ!」
「はぁ!? スッカラカンとか言わないでくれますぅ〜? こちとら皇后定子様のサロンでエンゲージメント率ナンバーワン獲ってたんで! パッと見て共感できる『あるあるネタ』こそがバズの基本っしょ!」
清少納言は腰に手を当てて、勝ち誇ったようにふんぞり返る。
「だいたいシキブ先輩の『源氏物語』、登場人物多すぎだし、ドロドロの愛憎劇でタイパ悪すぎ! 今どきの宮中女子はね、あんな重い長文ブログ、最後まで読めないの! 時代はショートエッセイなのよ!」
「タ、タイパ……ッ!? 文学をタイパで語るなこの浅はかな女ァッ!!」
ついに紫式部がブチギレた。
彼女は懐から、自分が現世で書き殴った『紫式部日記』の一部を取り出し、清少納言の鼻先に突きつけた。
「私はね! 私の日記にあなたのこと、バッチリ書き残してやったわよ! 『清少納言は得意げに漢字を書き散らしてるけど、よく見たら間違いだらけで教養がない』って! 『あんな風に薄っぺらく振る舞う女の末路は、ろくなことにならない』ってね! 千年以上残る公式記録で、全力のアンチコメをぶち込んでやったんだから!」
平安の二大女流作家による、あまりにも大人げなく、そして醜いマウント合戦。
しかし、清少納言はこの特大の誹謗中傷を受けても、まったくノーダメージだった。
「あ、それ読んだ読んだー! ウチの悪口めちゃくちゃ長文で書いてたよね! マジで暇人かよって大爆笑したし!」
「なっ……!?」
「てかさ、シキブ先輩。インフルエンサーの鉄則教えてあげる。アンチコメはね、熱烈なファンの裏返しなの! わざわざウチの文章を隅から隅まで分析して、日記にまで長文で書いちゃうとか、先輩それ、完全にウチの『熱狂的フォロワー』じゃん! 無料のプロモーション、マジであざーーっす!!」
「チィィィィガァァァァウゥゥゥゥゥッ!!!」
紫式部は絶叫し、パイプ椅子に突っ伏してバンバンと床を叩いた。
論理武装して1万字の批判記事を書いた陰キャが、相手の陽キャに「長文お疲れ! ウチのこと好きすぎでしょw」とクソリプ一つでいなされたような、圧倒的敗北感である。
「あー……はいはい、お二人ともそこまで」
私は完全に死んだ魚の目で、手元のタブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップした。
「あのですね。あなたたち、現世じゃ『平安文学の双璧』として、国語の教科書で絶対に並べて紹介されてるんですよ。長編ストーリーでバズった紫式部と、ショートエッセイで共感を集めた清少納言。結局、日本文学という巨大なプラットフォームのトップ層を、あなたたち二人が独占してるんです。ある意味、最高のコラボ相手じゃないですか」
「「……コラボ!?」」
二人の声が見事にハモった。
ピロン、という電子音と共に、二人の足元に真っ白な光の道が現れる。
「そうよ……! 私の圧倒的なストーリー構成力と、この女のキャッチーなトレンドワードを掛け合わせれば……あの世の文学サロンでも、絶対に覇権が取れる……!」
紫式部が、クリエイター特有の不気味な笑みを浮かべて立ち上がった。
「おっ、シキブ先輩、ついにその気になった!? じゃあ早速、あの世の閻魔大王のアカウントに凸って、ウチらの新作企画の営業かけに行こ! タイトルは『源氏草子〜春はあけぼの、夜はドロドロ〜』でどう!?」
「ダサいわね! タイトルのネーミングセンスは私に任せなさい!」
絶対に相容れない水と油の二人。しかし、「クリエイターとしての業」という一点においてのみ、彼女たちは奇妙な共鳴を見せていた。
紫式部と清少納言は、互いの十二単の袖をバサバサとぶつけ合い、文句を言い合いながらも、並んで光の道へと歩き出していく。
「受付の者! ほうじ茶ごちそうさま! あの世で私の新作がリリースされたら、必ずレビューを書きなさいよ! 長文でね!」
「お兄さんバイバーイ! 冥界マジでいとをかしだったわー!」
平安の陰キャ作家と陽キャインフルエンサーのやかましい声は、光の中へと完全に溶けて消えていった。
「ふぅ……。千年前から、女のバズり競争とマウントの取り合いは、SNSのタイムラインと何も変わってないってことだな……」
私が、紫式部が残していったアンチコメ満載の和紙の束をシュレッダーにかけ、今度こそ静寂が訪れることを祈った、その時だった。
ピンポンパンポーン。
休む間もなく、無機質なチャイムが響き渡る。
それに続いて流れてきたアナウンスに、私はシュレッダーにネクタイを巻き込まれそうになった。
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一九一二年、大西洋のど真ん中からお越しの……』
「……おいおい、今度は大西洋のど真ん中!? 一九一二年って、まさか……!」
どうやら今日の冥界迷子センターも、私を平和な定時退社へと導いてくれる気は毛頭ないらしい。私は深い絶望とともに、次なる迷子を迎える覚悟を決めた。




