第1話 織田信長くん
『——お客様のお呼び出しを申し上げます。西暦一五八二年、日本の本能寺からお越しの、織田信長くん。享年四十九歳。……繰り返します。織田信長くんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は、至急、冥界迷子センター第一ターミナルまでお越しください』
ピンポンパンポーン。
無機質な電子チャイムの音が、だだっ広いリノリウムの床に反響する。蛍光灯がチカチカと瞬く、どこか市役所の待合室にも似た殺風景な空間に、ノイズ混じりのひどく事務的な女性のアナウンスが響き渡った。
ここ『冥界迷子センター』は、あの世の玄関口である「三途の川」の手前にひっそりと併設された特殊施設だ。
人間、死ねば誰しもすんなり成仏できるわけではない。自分の死をなかなか受け入れられなかったり、現世への未練が強すぎたり、あるいは死の直前のパニック状態から抜け出せずに手続きをすっ飛ばして迷子になったりする新顔が大勢いる。
ここは、そういった「行き場のない魂」を一時的に保護し、ゆかりのある者(保護者)が迎えに来るのを待つための場所である。
「はぁ……。今日も今日とて、厄介な大物が来ちゃったな」
私、迷子センター受付係のナナシは、クリップボードを片手に深くため息をついた。
受付カウンターの向こう側。幼児が座るような黄色いプラスチック製のパイプ椅子に、その「迷子」はドカッと腰を下ろしていた。
全身は真っ黒な煤だらけ。
豪華な着物は焼け焦げてボロボロ。
極めつけに、肩口には見事な矢が一本、深々と突き刺さっている。
血走った眼で床を睨みつけるその顔は、歴史の教科書で見た肖像画よりもずっと厳つく、そして——ひどく不機嫌だった。
無理もない。天下布武を掲げ、日本を統一する寸前までいった第六天魔王なのだ。それが今や、死後の世界の迷子センターで、ちんまりとパイプ椅子に座らされているのである。
「あのー、信長くん。とりあえず喉乾いたでしょ。冷たい麦茶でも飲みます?」
私が業務用の笑みを浮かべて紙コップを差し出すと、魔王はギロリとこちらを睨みつけた。
「……貴様、誰に向かって口を利いておる」
「いや、誰って言われても。ここでは皆平等に『迷子』なんで。ほら、水分補給しないと。あ、もう死んでるから脱水症状にはならないか」
「ふざけるなッ!!」
信長は紙コップをひったくると、そのまま床に叩きつけた。バシャッと麦茶が飛散する。
「だいたいなんだここは! 儂は天下を統一する直前だったのだぞ!? 明日は京で盛大な茶会を開く予定だったんだ! 名物茶器もたくさん集めてな、さあこれからって時に……なんだあの金柑頭は!!」
私は無言でモップを取り出し、床を拭き始めた。こういう客には慣れている。ここでは、死の直前の感情が最も爆発しやすいのだ。とにかく吐き出させるのが、一番の処方箋になる。
「夜明け前だぞ!? 人が気持よく寝ている時に『敵は本能寺にあり』じゃねえんだよ! そもそも儂の周りにゃ小姓と女中しかおらんかったのだぞ。空気読め! 軍勢引き連れて寝込みを襲うとか、武士としてのプライドはないのかあいつは!」
「はいはい、大変でしたねえ。お客様、足元滑るのでお気をつけくださいね」
「あいつ、昔からそういうとこあるんだよ! 真面目すぎるっていうか、融通が利かんっていうか、冗談が通じないっていうか! 儂がちょっとからかったら、すぐ顔を真っ赤にして重く受け止めおってからに!」
信長は貧乏ゆすりをしながら、怒涛の勢いでまくし立てる。
「おまけに火の回りが早すぎる! 蘭丸のやつが『上様、もうダメです。包囲されました』って泣きつくから、仕方なく奥に引っ込んでカッコよく切腹しようとしたら、熱いのなんの! 畳は燃えるし煙は目に染みるし、最期くらい静かに死なせろってんだ! 最悪の死に際だったわ!」
ボロボロとこぼれ落ちる愚痴は、恐ろしい魔王というより、場末の居酒屋で部下の文句をこぼす中間管理職のそれだった。
ひとしきり叫んで体力を使い果たしたのか、信長は急にガクッと肩を落とし、声のトーンを下げた。
「……それにしても」
煤で汚れた顔を両手で覆う。
「なぜ光秀は叛いたのだ。儂はあいつを誰よりも高く評価しておった。新参者だが、知識も教養も申し分なく、戦も上手い。だからこそ重用した。……言葉が足りんかったのか? いや、武士なら背中で語るべきであろうが……」
享年四十九歳。天下人目前で散った男の、これが等身大の姿だった。
死の瞬間の「怒り」以上に彼を縛り付けているのは、「なぜ」という強烈な疑問と、信じていた者に裏切られた「寂しさ」なのだろう。
ウィーン。
その時、センターの自動ドアが開き、慌ただしい足音が響いた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
息を切らし、血相を変えて駆け込んできたのは、水色の桔梗紋が入った羽織を着た初老の男だった。
顔面は蒼白で、目は血走っている。着物はあちこち泥で汚れ、竹槍で突かれたような無残な傷跡があった。
男は受付の私を見るなり、カウンターから身を乗り出してきた。
「お、お、お預かりいただいていると聞いて飛んできました! アナウンスを聞いて、もしやと思い……っ! うちの! うちの主君がこちらにいると!!」
「あ、はい。織田信長くんの保護者の方ですね。身分証を……って、ええと」
私は手元のタブレットでデータベースを確認する。そこに表示された迎えの者の名前に、思わず二度見した。
「……明智光秀さんですか?」
「はい! 家臣の明智でございます!」
その名前を聞いた瞬間、背後でガタンッ!と黄色いパイプ椅子が吹っ飛ぶ音がした。
「光秀ぇぇぇぇぇっ!!!」
信長が鬼の形相で立ち上がっていた。肩に刺さった矢が怒りでブルブルと震えている。
光秀は「ヒッ!」と短い悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちるように土下座した。リノリウムの床に額がゴツンと鳴る。
「上様ぁぁぁっ! 申し訳ございませぬ! 申し訳ございませぬぅぅっ!」
「貴様、よくも儂の前に顔を出せたな! どのツラ下げて迎えに来た! 殺す! いやもう死んでるけど! あの世で二度殺す!!」
信長が大股で歩み寄り、光秀の胸ぐらを掴み上げて前後に激しく揺さぶる。
「うわぁぁ! 上様、誤解なのです! お話を聞いてくだされ!」
「誤解で本能寺が燃えるかアホォ!!」
「違うのです! 私はただ、上様が『四国に行け』とか『領地没収だ』とか矢継ぎ早に仰るから、てっきりクビかと……! それに、最近は蘭丸殿ばかり可愛がって、私の丹精込めた企画書(接待の献立)は床に投げ捨てるし、家康殿の接待でちょっと魚の匂いがしただけで皆の前でボコボコに殴るし……! 私、パワハラで胃に穴が空きそうで、ノイローゼ気味で……夜も眠れず、気づいたら軍勢を京に向けて『敵は本能寺にあり!』って叫んでて……!」
光秀はボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「……ハァ?」
信長の手がピタリと止まる。
「私だって、上様と一緒に天下を見たかった! なのに、用済みのように捨てられるのが怖くて……寂しくて……どうせ殺されるなら、いっそ私の手でと……ウワァァァァン!!」
白髪混じりの初老のインテリ武将が、冥界の床に突っ伏して子供のように号泣している。
私は無言で、今度は光秀の前に箱ティッシュを差し出した。ズビズビと鼻をかむ音が響く。
「貴様……そんな、職場の人間関係の悩みみたいな理由で、謀反を……? 儂の天下をフイにしたというのか……?」
「ひっく、うぅっ……! だって、怖かったんですもの……!」
信長は、怒りを通り越して完全に呆然と立ち尽くしていた。
「……領地没収は、お前に出雲と石見を任せるためだぞ。あそこは良質な銀が採れる。これからの天下に必要なのは力ではなく経済だ。あんな重要な土地、お前にしか任せられんからに決まっておろうが」
「……え?」
ティッシュを鼻に当てたまま、光秀が顔を上げる。
「接待で殴ったのは、お前が出した魚が少し傷んでいたからだ。徳川の坊主に腹を下されては同盟に亀裂が入る。だから、お前を庇うために『わざと』儂が怒ってその場を収めたのだ。企画書を投げたのは……まあ、あの日は暑くて虫の居所が悪かった。それは謝る」
「う、上様……そ、そんな……」
「だいたい、儂はお前のことを『天下の重宝』とまで呼んだのだぞ。儂の愛が……お前への期待が、なぜ伝わらんのだ、このハゲネズミ……いや、金柑頭!」
信長は、顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
現代の企業でもよくある、上司の「言わなくても分かるだろう」という言葉足らずと、真面目すぎる部下の「抱え込み」による、壮絶なコミュニケーションエラー。
その結果が、日本史を覆す「本能寺の変」という歴史的大事件だったとは、現世の歴史学者たちが知ったら頭を抱えるに違いない。
「……あー、すみません。お取り込み中のところ失礼します」
私はパンパンと手を叩いて、二人の間に割って入った。
「迷子センターは長居する場所じゃないんで。誤解も解けたみたいですし、どうやら壮大な勘違いで死んだと分かって、未練というか、怒る気力も失せたでしょう。そろそろ引き渡し手続き、いいですかね」
信長は大きく鼻をすすると、ひどく疲れた顔で額を押さえた。天下への無念よりも、脱力感が勝ったらしい。
「……ふん。まあよい。どうせ二人とも死んだのだ。こんなアホらしい理由で死んだと知っては、今さら現世の天下など心底どうでもよくなったわ」
信長は、土下座したまま硬直している光秀の前に立ち、無骨な手を差し出した。
「立て、光秀。ここから先は儂も知らん土地だ。案内せい」
「は、ははっ……! どこまでもお供いたしまする、上様……っ!」
光秀は信長の差し出した手を両手でしっかりと握り締め、またわあわあと大声で泣き出した。信長は「泣くな鬱陶しい」と悪態をつきながらも、その手を振り払うことはなかった。
私はタブレットの「引き渡し完了」ボタンをタップする。
心地よい電子音が鳴り、二人の足元から、あの世の奥へと続く真っ白な光の道が現れた。
「ありがとうございましたー。お忘れ物のないよう、お気をつけてー」
私の事務的な挨拶を背に、戦国の魔王とその腹心は、二人並んで光の中へと歩き出していった。
時折、「それにしてもお前、やりすぎだぞ」「申し訳ございませぬ……」「三日天下とは笑わせる」「面目次第もございませぬ……」と、なんだかんだ楽しそうな声が響き、やがて二人の姿は完全に光の中へと溶けて消えた。
「ふぅ。今日も疲れたな」
私が大きく伸びをして、こぼれた麦茶を片付けようとしたその時。
再び、センターのスピーカーがノイズを立てた。
『ピンポンパンポーン。——お客様のお呼び出しを申し上げます』
『西暦一八六七年、京都の近江屋からお越しの、坂本龍馬くん。享年三十三歳。……繰り返します。坂本龍馬くんをお預かりしております。心当たりのある保護者の方は……』
「はいはい、次はお迎え誰かな。中岡さんかな、それともお龍さんかな」
私は新しい紙コップを取り出し、次の迷子を待つことにした。
ここ、冥界迷子センター。
今日も歴史に名を残した迷子たちが、文句を垂れながら、誰かが迎えに来てくれるのを今か今かと待っている。




