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魔王

 出かける前にいた部屋の中央に降り立った。怪我の治療のために、全員に座ってもらい、清潔な布や水を準備してもらった。


 薬のバッグの中から必要なものを取り出した。誰も深い怪我を負っている人がいないことを、改めて確認する。痛み止めや軟膏、包帯など、待たせないようにテキパキと動くよう意識した。


「あの毒消しはよく効きますね。ありがとうございました」


「良かったです!」


 アレクからお礼を言われた。薬を使った人の、生の声は、なかなか聞く機会がないので嬉しい。


「この傷薬も、軽い傷ならすぐに消えていくようですね。素晴らしい」


「すごい薬師っていうのは本当だったんだな」


「ありがとうございます!」


 ティムやフェルナンドからも褒められる。こんな経験は初めてで、少しくすぐったい。


 それぞれのケガの具合に合わせて薬の種類を変えたり、包帯を巻いたりする。その間、イザベラはなんだか不機嫌そうだったが、あまり気にせず作業を進めた。


 全員の治療が終わった頃、わたしたちを部屋に案内してくれた従者が、部屋に入ってきた。


「お食事の用意ができました」


 アレクたちにも、王城の部屋が与えられており、食事もそれぞれの部屋に準備されるらしい。ではまた明日と、各々の部屋へと戻っていくのを見送ったあと、わたしたちの元にも、食事が運ばれてきた。


 目の前に煌びやかな食事が並べられ、慎重に口へと運ぶ。一口食べただけで、いい食材が使われていることがわかった。口の中で解けていくような、上品な味付けがされていて、美味しい。美味しいのだが……


「うーん……」


 最上級の食材が使われているはずなのに、どうしてこんなにも、タクヤの作った料理が恋しくなってしまうのか…。


「どうされましたか?」


「あ、いえ!とても美味しいなと思って」


 さっきから、そばにいる従者の視線がずっとわたしに突き刺さっている。このままでは穴が開きそうだ。おかげで、タクヤもわたしも黙り込んだままの、気まずい食事になってしまった。



 * * * * *



 従者の視線からようやく解放されたのは、ふかふかのベットに入る前だった。あまりにも広々としたベッドだったため、行儀が悪いと分かっていながらも、ゴロゴロと端から端まで転がってしまう。


「明日、筋肉痛になりそう…」


 タクヤの言葉に、思わず笑ってしまった。あれだけ動いたのだ。きっとクタクタだろう。わたしは、どちらかといえば気疲れのほうが大きい。


「勇者が筋肉痛ですか」


「カッコ悪いなぁ」


「人間らしくていいんじゃないですか?」


 こうやって、雑談ができる幸せを噛み締める。とにかく無事に帰ってきてくれたことに安堵した。心臓が掴まれたような、こんなに苦しい思いを、ずっ抱えていなければならないなんて。きっと、1人で家にいたら、耐えられなかっただろう。


「サラ、治療してくれてありがとう」


 タクヤもベッドに入ってきた。タクヤのスペースを空けるために、またゴロンと転がる。


「いえいえ。そのために来ましたからね」


 お互いの手が触れて、自然と繋がれる。もう元の世界に帰ってしまう心配はしなくていいのに、クセになってしまったらしい。


「タクヤさん、すごかったですね。次々と魔物を倒して、大活躍でしたよ」


 襲いかかる魔物を斬っていく姿は、後ろから見ていても圧巻だった。


「聖剣のおかげだね。剣をそれらしく構えてみたら、身体が勝手に動いたんだ」


 ちょっと変な気分ではあるんだけどね、とタクヤが苦笑する。


「それに、サラがいてくれると思うと頑張れるよ。怖さも吹っ飛ぶ」


 そう言ってタクヤが、わたしのことを抱き枕のようにギュッと包みこむ。なんでもないような顔をして戦っていたが、やはり怖かったのだ。わたしが感じている恐怖なんて比じゃない。


「タクヤさん、守ってくれて、ありがとうございました」


 タクヤは、うん、と答えた後、ふわぁと大きなあくびをした。


「眠くなってきた…」


 体の疲労を考えると、はやく寝たほうがいいだろう。話している場合ではなかったと、少し申し訳なくなる。


「もう、この体勢で寝なくてもいいんてすよ?」


 楽な姿勢で寝るように勧めるが、タクヤは首を横に振る。普段のタクヤからはあまり見ることができないような、本当に眠たくてぼーっとしていそうな姿を、つい、かわいいと思ってしまった。ずっと眺めていたいが、そういうわけにもいかない。


「この方が、疲れが、よく、とれる…」


 タクヤの吐息が耳元をくすぐる。わたしの耳に熱が集まっていることは、きっと暗くて見えないだろう。


「……じゃあ、このままで」


 わたしの呟きのすぐあとに、穏やかな寝息が聞こえていた。わたしができることは、タクヤがぐっすり眠れるように、なるべく身動きしないように寝ることだけだ。



「わたしが聖女だったら、タクヤさんの助けになれたかもしれないのに…」


 この温もりが消えないようにと、祈ることしかできない自分がもどかしかった。



 * * * * *



 夜も更けて、日付が変わる頃のことだった。


「ウオオォォォォォ」


 国中に轟いた咆哮で、わたしたちは目を覚ました。


「タクヤさん、今の聞こえました?」


「うん。魔王関連かもしれない」


 タクヤが聖剣を持ち、部屋を出て行こうと扉に手をかける。わたしも薬を持って、タクヤの後に続いた。


「一緒に行きます」


「いや、危険すぎる。ここで待ってて」


「行きます」


 押し留めようとするタクヤに向かって、必死に訴える。


「………本当にいいの?」


「はい!」


 タクヤとわたしは部屋を飛び出した。城に勤めている使用人らしき人たちが、何事かとざわざわしているのが見える。


 その人たちの中に、こちらに向かって走ってくるアレクとティムの姿があった。合流して、現状を確かめようとしたが、2人ともあまりよく分かっていないようだった。


「あの異様な騒音は、なんでしょう?」


「魔王と何か関係があるのか?」


「わかりません。念のため、魔王が封印されている場所へ向かおうかと」


 そこへフェルナンドとイザベラもやってきた。アレクが2人にこれまでの経緯を説明する。


「心配ですね。確認しに参りましょう」


「では、行きますよ」


 ティムがドンと杖を地面に打ちつけ、瞬時に景色が変わる。




 ―――そこには、目を疑うような光景が広がっていた。わたしたちが降り立った場所の目の前に、底が見えないほどの大きな穴があいていたのだ。


「嘘だろう?封印が解かれている…」


 穴から大きな足跡が続いているのが確認できる。迷わず一直線に、どこかへ向かって歩いているようだ。


「タクヤさん、すでに魔王が復活しているということですか?」


「たぶん、そういうことだと思う」


 わたしがタクヤとともに森で引きこもっていなければ、間に合ったかもしれない。あの日々に後悔はしていないが、そう思わずにはいられなかった。


 自分の手をグッと握りしめていると、上からタクヤの手が重ねられた。


「サラ、ゆっくり深呼吸して」


 タクヤに言われたとおりに、大きく息を吸って、ゆっくりと吐きだす。すると、握りしめていた手から、不思議と力が抜けていった。


「僕は、サラと会えてよかったよ」


 タクヤには、何も言っていないのに、気にしていることを的確にフォローしてくれる。すべて見透かされているのではないかと思うくらいに。


「……わたしもです」


「よし。急いで追いかけよう」


 タクヤが全員に声をかけようとすると、青白い顔をしたイザベラが震えていた。


「……なんで?まだだって…」


「大丈夫ですよ。私たちが必ず倒します」


 魔王に怯えるイザベラを、アレクが宥める。


「まだそこまで時間はたっていないはずだ。ここからシャール国に着く前に追いついて、潰すぞ」


「テレポートを使って、この場とシャール国の中間地点まで飛びます。いいですね?」


 魔王がどこにいるかわからないので、魔王の元に直接テレポートすることは不可能らしい。


 ティムが杖で地面をドンと叩くと、木々が生い茂る中に立っていた。まだ魔王はここまで来ていないようだが、一定のリズムで地面が揺れているのが分かる。


「もしかして…」


 わたしたちはすぐさま走り出した。少しずつ地響きが大きくなっていく。


「いたぞっ!」


 目の前に、黒くて大きな、もやもやしたものが闊歩していた。おそらくあれが魔王だろう。その隣には、人間が浮いているように見える。

 もう少し進めば、シャール国へ突入してしまう。危ないところだった。


「待て!」


 魔王たちが、わたしたちに気づいて足を止めた途端に、地面の揺れがなくなった。先程までの地響きは、魔王の足音だったのだと確信する。


「……どうして」


 呟かれた声は、イザベラのものだ。イザベラの視線は、魔王の隣に浮いている青年へと向けられていた。



お読みいただきありがとうございました!

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