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14-9(ザワ州の亡命公子9(死の公女の森2))

 クロは思わず声を上げて笑っていた。

『北部トワ郡では名家と言っていいでしょうね』ボード市でクロの問いにサッシャはそう答えた。

『ウソは言ってなかったってコトかよ』

 確かに名家だ。名家中の名家と言っていい。

 クスルクスル王国に膝を屈する前。まだトワ郡がトワ王国と呼ばれていた時代。トワ王国を治めていた一族が、ロタ一族である。

「そりゃ手ぇ出せねえよなぁ、ロタ一族には」

 楽しそうにクロが言う。

 だが、

「分家だよな。ただのロタ、ってことは」

「ああ」

「海都クスルの本家は何て言ってるんだ?」

「そこまでは知らんよ。だが、止めようとはしているだろうな。少なくとも表向きは。

 いや、ロタ一族と王家の関わりを考えれば間違いなく止めようとしているだろう。何せ、いまや現王の外戚だからな、ロタ一族は」

「止められるかねぇ。けっこうヤバそうだったぜ、北部トワ郡の雰囲気は」

「郡支所長を殺した。もう無理だろうな」

 苦い思いがクロの心に混じる。

「まぁ、そうだろうな」『テオにケツ蹴っ飛ばされて、進むしかねぇってとこかよ。サッシャ』「で、お前はどうする気だ?」

「ここはスフィア様の土地だ。これまでも、これからも、な」

「北部トワ郡の連中ならそうだろうよ、けど--」

「誰だろうと同じだ」

 北部トワ郡の元王族だろうと。

 キャナだろうと。

 固く閉じたアイブの細い唇が無言のまま告げる。

「変わらねぇな、アイブ」

「ああ」

「で、オレを呼んだのは、北部トワ郡のことを聞くためか?」

 短くアイブが息を吐く。

「いや、あんたに知らせておいた方が良さそうなことがあってな。それで来てもらったんだ」

「なんだい?」

「北部トワ郡の郡支所長が殺されたことにも関係するんだがな。最近、トワ郡全体がバタバタしている。流石に放っておけなくなったんだろう、王都も。

 --巡察使が来る」



 巡察使がどういうものか、クロは正確には知らない。

 ただ、トワ郡の郡主であるザカラにさえ命令できる権力を王から与えられていることは知っている。

 見聞官であるあんたに話を聞きたいって言ってくるかも知れないからな。

 アイブはそう話してくれた。

 クロはため息を落とした。メンドくせぇなぁ。と思う。とっととゾマ市を出たいんだがなぁ、と。

 しかし、フウの手掛かりはまったくない。

 動こうにも動けない。

 困ったモンだぜ、と思いながら、

「あいつら、何やってるんだ?」

 と、クロはエルに尋ねた。

 エルの屋敷のリビングでのことだ。

「手合わせですって」

 困ったもんでしょ、とでも言いたげにエルが小首を傾げる。

「手合わせって、どこが」

 カイトとマルのことである。

 二人は床に胡坐をかいて座っているだけだ。向かい合って。1mほど離れて。

 手をだらりと落としたカイトの脇には弓が置かれ、前屈みになって両手を突いたマルの前には長剣がある。

 二人とも瞑想でもしているかのように目を閉じたままだ。

 ぴくりっとマルの肩が動く。

 カイトは動かない。

 ぴくりぴくりとマルの指だけが動き、突然マルがくわっと目を見開き、勢いよく長剣を掴んだかと思うと、「あーっ!」と声を上げてひっくり返った。

「また負けたー!」

 カイトが目を開け、ふうっと息を吐く。仰向けに寝転んだままのマルに「今の、なに?マル」と問う。

「戦神様のお力」

 ぶっきらぼうにマルが答える。

「あれがそうなんだ。危なかった」

「くそー。なんでだー。なんで勝てないんだー」

「おい、カイト」

 クロに声をかけられて、カイトが振り返る。クロが帰って来ていることは知っていたのだろう、驚いた様子は見せなかった。

「なに?クロ」

「なに?じゃねぇよ。なんだよ、戦神様のお力ってよ。何してんだよ、お前ら」

「言わないでくれー。カイトぉー」

 腕で顔を覆ったマルが哀訴する。

「ゴメン、言えない」

「だったらいいよ。どうせオレには理解できそうにねぇから。お前らみてえな天才どものやってることはよ」

 ガバッとマルが体を起こす。

「エル、今から神殿に行こうぜ!」

「急にどうしたの?」

「ゴラン様に稽古をつけてもらうんだ。このまま負けたままでいられるかよ」

「だれ?ゴラン様って」

「姫巫女様についてる戦神様の護り人よ。マルのお師匠様」

 カイトの問いにエルが答える。

「マルのお師匠様なら、わたしも会ってみたい。いいかな」

「おお、おお。行ってきな。オレはここで大人しく留守番してるからよ」

「それじゃあ、お願いしようかな、クロさん。

 わたしたち、今から出かけるから。

 カイト、ゴラン様に会いに行くのはいいけど、その前に今日は行くところがあるでしょう?」

「ああ、そうか」

 と、カイトが弓を拾い上げ、立ち上がる。

「ん?どこに行くんだ?」

 カイトがクロを振り返る。カイトの答えを聞いて、クロは頭を抱えた。心の底から後悔した。聞くんじゃなかった、と。

 クロの問いにカイトはこう答えたのである。

「西の公女さまの森よ」

 と。



 名を口にするのも憚られる御方たち--、つまり、闇の神々の一柱に死を司る女神がいる。死の公女、名をマイラという。

 けれど、狂気と混乱を司る神と同じく、人々がその名を口にすることはない。

 死の公女は多くの異名を持つ。

『死者たちの女王』

『左に立つ方』

『人の数だけ眼を持つ者』

『冥界の主』等々。

 何より彼女は、

『よろずの名で呼ばれる御方』

 と称されていた。

 そうした多くの異名の中で最も一般的な呼び名が、『西の公女』である。

 愛と美の女神であるスフィア神は性愛と快楽も司っており、言い換えれば生そのものを司る神である。生と死は対を成す。スフィア神の神殿の近くには、規模の大小はあるものの、必ず死の公女の祠が祀られていた。

 スフィア神を守護神とするゾマ市の場合、城壁の外、市の西北西に広がる森に死の公女の祠はあった。

 ゾマ市で暮らしていたこともある。クロは当然、死の公女の森の存在を知っている。知ってはいたが、行ったこともなければ、行こうという気もさらさらなかった。

「誰だよ。公女様の森に行こうなんて言い出したヤツは」

 カイトと並んで歩きながらクロは文句を言った。

「わたし」

 クロの問いに答えたのは隣のカイトである。

「どうして」

「スフィア様が祀られているところには必ず西の公女さまの祠があるって、エルに聞いたから」

「聞いたからって行くってことにはなんねぇだろ。普通はよ」

「森を出るときにわたしの一族の巫女に言われたの。もし、西の公女様の祠があれば必ずお参りするようにって」

 老女はそれだけをカイトにきつく言いつけた。

「どうしてだよ」

「お願いするためよ」

「何を」

「もし森の外で死んでも、わたしは狂泉様の民人だから、狂泉様の許にお返しくださいって」

 クロがため息をつく。

「生きているうちに死んだ後のことばかり考えてるんじゃねぇよ」

「そうだね。でも」

「なんだ?」

「きちんと生きるためにお願いするんだと思う」

「いつ死んでもいいように、か?」

「うん」

 クロは首を振った。

「オレには理解できねぇよ。いろいろ」

「だったらなんでついて来たんだよ、おっさん」

 と、前を行くマルが訊く。

「あのな。お前らが揃って公女様の森に行くって言ってるのによ、オレだけ行きませんって言ったら、公女様がオレのこと、どう思うと思う?」

「不信心者、ね」

 マルと並んで歩くエルが、明るく言う。

「オレは公女様の気を引くようなマネはしたくねぇんだよ。

 お怒りにはならなくてもよ、気まぐれな公女様のことだ。不信心者がいるって、オレに白い御手を伸ばされるかも知れねぇだろ」

 クロは何度目になるか判らない深いため息を落とした。

「カイト」

「なに?クロ」

「今度、西の公女様の祠に行くことがあったら、その時にはオレには何も言うなよ」

 ただの軽口だ。

 深く考えて言った訳ではない。

 カイトも判っている。しかしカイトは意識することなくクロの言葉を記憶に留め、「判った」と頷いた。



 西門を出て、エルが「あれが、西の公女様の森よ」と言う前から、カイトにはそれが西の公女の森だと判った。

 遠くに、まるでそこだけ夜の闇が残ったかのような薄暗い森が見えた。

「色がない」

「まったくな」

 カイトの呟きにクロが応じる。

「灰色って感じもするが、お前の言う通り、色がないって感じだな」

「うん」

 カイトが足を止める。

「ん?どうした」

「わたしはこっちから行くわ」

「こっちって、どこから」

「森の東から」

「はっ」

 クロが右手を上げる。

「それが狂泉様の森人のやり方か?」

「うん」

「言うだけムダかも知れねぇが、気をつけてな。何をどう気をつければいいか、オレには判らねぇけどよ。

 流石に一緒には行けねぇ」

「うん」

 行ったことはないが、クロは知っている。

 西の公女の祠への入り口は森の南にあり、参道はそのまままっすぐ北まで抜けている。

 南が生。

 北は死である。

 祠は参道のちょうど中間、方角的には西側に祀られている。参拝者は生から入り、左に死を見ることになる。左に死を見て、祈りを捧げ、南へ、生へと戻っていく。

 北から参道に入る者はいない。西の公女の信徒以外には。西の公女の信徒は北から森に入り、北へ、死へと戻っていく。

 東から、死と正面から向かい合って参拝する者はいない。

 少なくともクロはそう思っていた。「こういうのを酔狂と言うのかねぇ」歩きながら呆れたように言う。

「カイトは狂泉様の信徒ですもの」

 クロは肩を竦めた。

「アイツは酒が苦手だけどな」

 短くマルが笑う。

「酒神の信徒が、酒が苦手なのかよ」

「なんだかカイトらしいわ」

「もっとシンプルに生きればいいのによ。義務やら責務やら、いろいろムズカシク考え過ぎだぜ。カイトは」

「あら。わたしは、カイトはとてもシンプルに生きていると思いますよ」

「単純だよな。アイツ」

「そうね。

 むしろクロさんの方が、考え過ぎって気がしますけど?」

「やめてくれよ」

 クロが嗤う。だらしなく。

「毎日を楽しく、楽に。オレはそう心懸けているだけさ」


 暗い。

 西の公女の森に踏み込んで、カイトはそう思った。

 木々には葉がない。にも関わらず、細い枝が幾重にも重なって空はほとんど見えない。僅かに見える空も、青空だった筈が妙に昏い。

 草もない。

 落ち葉の一枚も。

 音すらない。

 いつもはカイトが自分の足音を気にすることはない。しかし、耳障りなほど、自分の足音が大きく聞こえた。

 木々は低く疎らでありながらひどく見通しが悪く、小さな森と見えたが奥行きがどれぐらいあるか判らなかった。道はなく、目の前の木を躱すと、すぐに同じような木が行く手を阻んだ。

 カイトは足を止めた。

 狂泉の森でカイトが道に迷うことはない。

 何故かは自分でも判らなかったが、狂泉の森では例え初めての場所でも方角が判らなくなることはなかった。

 カイトが足を止めたのは、ふと、方角を見失いそうになったからだ。

 細い枝が絡んだ隙間から空を見、周囲の木々を、足元の地面を見回す。自分が何を探しているか、カイトは意識していない。

 カイトは顔を左斜め前へと向けた。

『こっち』

 カイトは足を踏み出そうとして、すぐに動きを止め、矢筒から矢を抜いた。

 何かがいた。

 木々の向こうに。

 獣ではない。

 さっきまではいなかった。

 気配がなかった。

 それが、20近い気配が不意に現れた。

 ぐるぐると、低い唸り声が、死の森に響いた。

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