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14-7(ザワ州の亡命公子7)

 厄介ごとは極力回避する。それがクロのポリシーだった。が、物事は彼の思う通りには進んでくれなかった。

「なんでこんなことになってんだよ」

 クロが愚痴る。

 エルの屋敷である。

 朝帰りをして、朝昼兼用の遅めの朝食を取っているところだ。

「何がこんなことなんだい?犬公殿」

 鷹揚にクロに尋ねたのは、彼と向かい合って座った男である。垂れ目で、無精ひげに覆われた口元に皮肉に満ちた笑みがある。

 腰に下げた幅広の長剣からは微かに血の匂いが漂っている。

 歳は30代か。

 肩幅が広い。

 クロは男がザワ州の元公子だと知っている。

 しかし乱れた髪を肩に落とした姿は、まるで山賊か何かだ。意思の強さを感じさせる青い瞳の奥には、複雑に絡んだ茨のような猜疑心がある。人を疑い、己の本心を隠すことに慣れた瞳である。

 ただ、なるほど男の所作には、品があった。

「人を殺したばかりの男と、なんで差し向かいでメシを食わなくちゃならないのかってことさ、公子さま」

 無遠慮にクロが言葉を投げる。

 クロの言葉に、男の隣に座ったモモが不安げに男を、洲国ザワ州からの亡命公子であり、彼女の恋人であるオセロを見上げる。

「言いがかりは止めてくれないかな、犬公殿。オレは恋人を迎えに来ただけさ。そうしたらアンタがいた。オレもひと仕事して腹が減ったから、こうしてマルの美味い朝食を頂いている。

 それのどこが不思議なんだ?」

 食事の手を止めることなくオセロが答える。

 声が低い。

『役者にしたいような良い声だな』

 とクロは思った。

 抑揚が独特で嫌でも惹きつけられる声だ。

「美味いって言ってくれるのは嬉しいけどな!オレはアンタが嫌いだ。それは忘れないでくれよ!」

 キッチンからマルが遠慮のない言葉を吐く。

 モモを含めて、カイトもエルもマルもとっくに朝食は終わっている。

 エルはクロの対面に、モモを挟んでオセロとは反対側に座っている。マルの暴言にも微笑んだまま何も言わない。

 カイトはクロの後ろ、壁際に立っていた。

 カイトの気配が薄い。つまり、カイトもまたクロと同じくオセロを警戒しているということだ。

「恋人を迎えに来ただけならぞろぞろ手下を連れて来るなよ。外にいてもうっとうしいぜ」

 元公子というだけあって、オセロは、亡命先まで付き従った臣下と思しき何人もの男女を引き連れていた。その彼らがエルの屋敷の外にいるのである。クロにしてみれば不快という意味では彼らがすぐ側にいるのと大差ない。

「彼らは家人だよ。手下なんて言うと互助会の連中と同列みたいだから、やめてくれないかな、犬公殿」

「へぇ。何が違うんだ?」

「互助会の連中は会長にカネを貰って従ってる。国の後ろ盾を失くしたオレは文無しなので、彼らは全員、手弁当だ。

 ぜんぜん違うだろ?」

「文無しねぇ。だから歓楽街で用心棒をしてるのかい?」

「あれは小遣い稼ぎさ。いつもメシを食うのにモモに奢って貰ってばかりいたらカッコつかないからな」

「だったらあんたはどうやってメシを食ってるんだ?いつもここに来てるってワケじゃねぇんだろ?」

「それは--」

「訊かないでくれる?クロさん」

 オセロが答える前に、エルが割り込んだ。にこやかに笑って。

 クロはすぐに察した。

「どこかに泣いてるヤツがいるってことか」

「国にな」とオセロ。

「かわいそうに」とクロ。

 彼らが何を話しているのかカイトには判らない。

「どういうこと?」

 とクロに訊いたが、

「博打を打って引くに引けなくなっちまったかわいそうなヤツが、公子さまの国にいるってことさ」

 とカイトを振り返ることなくクロが答え、何か誤魔化されたような気がして、カイトはむうっと顎を引いた。

「オセロさまはお金に無頓着過ぎです」

 オセロを軽く睨んでモモが言う。

 モモの声が高い。おそらく無意識だろう、少しオセロに甘えている。だが、口調は意外と事務的だ。

「だからこうして、モモにはいつも怒られてる」

 あれ?とカイトは思った。

「怒っている訳じゃありません」

「じゃあなんだ?」

「注意しているだけです」

 オセロが笑う。

「違いが判らないよ、モモ」

 モモに対するオセロの態度が柔らかい。


 昨夜のことである。三人で眠るには少し狭いエルのベッドに、なぜかカイトを真ん中にエルとモモの三人で横になって、カイトは「コウシさまってなに?」と尋ねた。「王太子プリンスとは違うの?」と。

「カイトは、洲国がいくつかの郡州に分かれているのは知ってる?」

 エルが問い返す。

「うん。聞いたことある」

「オセロさまはトワ郡の隣のザワ州という郡州を治める州公の子なの。だから公子さま。州公は洲国の王様に任命されるけど、世襲制だから王子様っていっても大差ないわ」

「えーと」

「本来は、国を治めているのは王様。それは判る?カイト」

 モモが口を挟む。

「--なんとなく」

 カイトの答えは頼りない。

「今から百年ぐらい前にね、洲国の王族が跡目争いを起こしたの。姉と弟で。どちらも自分が正当な王だって主張してね。その時に、各郡州を治める州公を味方につけるために王の権限をどんどん委譲しちゃったのよ。

 外交権とか、交戦権とか。

 その結果、本来なら州公って一代限りの役職なのに、気がついた時には強大な権力を持つ世襲の存在になっちゃってたの」

「国の中に小さな国があるってとこかな。

 身分は王様の方が上だけど、軍事力では王様は州公にはぜんぜん敵わない。だから州公同士が争ってても止められない。

 洲国では、州公が王様って言っても間違いじゃないわ」

「そうなんだ」

 曖昧にカイトが頷く。『そいつは国じゃねぇよな』洲国のことをそう言ったのは、ヴィトだっただろうか。

「だったら、洲国の王様は何をしているの?」

「楽しくやってるわ」

「えっ?」

 くすくすとモモが笑う。

「『この世で一番気楽な商売は洲国の王』」

「どういう意味?」

「州公が強大になり過ぎて手に負えなくなって、洲国の王は彼らをコントロールするのを諦めたのよ。姉も弟も。

 それで二王並立って制度を編み出したの。

 二人とも王になったのよ」

「えーと。王になりたくて争ってたのに?」

「そう」

「二人で王になって、何をしてるの?」

「なーんにも。何にもしないのよ、洲国の王は」

「洲国の王の仕事は何もしないこと」

「???」

「洲国の王はまず、政治は州公に任せることにしたわ。

 州公同士が争っても仲裁もしない。

 でも何もしないっていうのも恰好がつかないから、洲国の守護神である龍翁さまを奉ずる神官の長になったの。

 洲国の王都は千丈宮と呼ばれてるわ。千丈宮には龍翁さまの神殿があって、洲国の王は1年毎に交代して龍翁さまの神官長を務めることにしたの。

 だけど、神官長を務めると言っても祭祀の実務は専任の神官様や巫女様がこなしちゃうから王様は何もしない」

「神官長の役に就いていないときには、当然、何もしない。

 結局、王は二人とも何もしない。

 それが洲国の王よ。

 でも州公の任命権は王にある。

 だから州公が代替わりするときには、形だけのこととはいえ、王に報告し、認めてもらわないといけないの」

「洲国の王家の収入のほとんどは、州公が代替わりするときの賄賂って言われてるわ。州公が代替わりすると争いが起こり、王家が儲かるってね」

 カイトはため息をついた。

 仕事をしないで生きていられる。狂泉の森人であるカイトには、想像もできない世界だった。

「ゴメン。わたしには理解できそうにない」

 カイトに辛うじて理解できたのは、洲国のコウシさまは、王子様と考えても間違いじゃないということだけだった。

 カイトが知る王子様と言えば、ひとりはプリンス。こちらは多分、自称だ。もうひとりは、平原王に追われて森に許可なく入り、猟師に射られて死んだ王太子である。

 だから元公子さまと聞いてカイトが想像したのは、背は高いが優しく、剣など握ったこともないような人物だった。

 だが、実際に会ったオセロは、はち切れんばかりの怒りと苛立ちを薄い皮膚の下に隠した、飢えた狼にしか見えなかった。



 不思議。

 カイトは思う。

 昨夜、初めて会ったときには今にも切れる寸前の弦にしか見えなかったモモが、とても逞しく見える。

 オセロと視線を交わしていると。

 飢えた狼にしか見えなかったオセロが、モモと話していると、威圧感はあるものの、紫廟山で会った銀色狼のように危険な存在とは思えなくなる。

『幸せよ。今まで生きて来た中で一番』

 昨夜のモモの言葉が確かな実感を持って思い出される。

 不思議。

 カイトは思う。

 オセロはモモの倍ほどの歳だ。モモの声が少し高く、モモがオセロに甘えているのは間違いない。オセロの声は低いままだ。クロと話していた時と少しも変わっていない。しかし、オセロもまた、モモに甘えている。

 二人で支え合っている。カイトにはそう見えた。いや、むしろオセロの方が、より深くモモに寄り掛かっている。

 そう見えることが、カイトにはいちばん不思議だった。



 カイトが身動ぎする。彼女の影が、気配が濃くなる。カイトの戸惑いが、クロには手に取るように判った。

 モモに対するオセロの態度。それまでとはまるで別人だ。

 警戒を緩めるのもムリはねぇ、と思う。

 だが、コイツは違う。オセロがモモを大事に思っている、そのことをクロも疑ってはいない。けれどコイツの中には、コイツ自身にも抑えきれねぇモンがある。グツグツと熱く煮えたぎるモンがある。

 クロにはそれも判る。

 だから確認する必要がある。

「で、なんで亡命するハメになったんだ、あんたは」

 もぐもぐと口を動かしながらクロが訊く。

「よくある話さ」

 モモから視線を外したオセロの口元に、皮肉っぽい笑みが戻って来る。

「兄に殺されそうになったんでな。命からがら逃げて来たんだ」

「あんたを見てると、兄を殺しそこなった、って感じだがな」

「たいして違いはないだろ?」

 クロが鼻を鳴らす。

「確かにな」

「そういう犬公殿は何をしているんだ?こんなところで」

「いいとこだぜ。ゾマ市は」

 ”こんなところ”という言葉だけを拾ってクロが答える。

「互助会さえなければな」と、オセロ。

 すかさずクロは、

「互助会を片付けて、ここにずっと住む気なのかい?」

 と、酒を喉に流し込んだ。

 クロの問いにモモがぴくりっと反応する。

「犬公殿の言う通り、ゾマ市はいいところだよ。ずっと住むには」

 帰る気だ、この人は。とカイトは悟った。

 モモも知っている。オセロが国に帰る気なのだと。そして、モモが知っていることを、多分、オセロ自身も承知している。承知していて、それを口にしないのはモモを思ってのことだろう。

 カイトの胸のうちに正体の判らない感情が湧き上がった。

 むかつく、というのが一番近い。

 近いが、何か違う。

 ただ、オセロを嫌いだと言ったマルの気持ちが、少し判る気がした。

「ところでよ」

 クロが話題を変える。

「千丈宮っていまどうなってんのかね。いや、オレ、洲国の生まれでね。ズイブン前に洲国を出たけどよ。行ったことあるんだ、千丈宮にも。いくさばかりの洲国であそこだけは平和だったからなぁ。

 どうなってるか、知ってるかい?」

「キャナが保護してるよ」

 淡々とオセロが答える。

「へえ」

 クロの声がどこか空々しい。

「知らなかったよ」

 クロが何を確かめようとしたのか、カイトには判らない。判らないが、知らなかったと言ったクロの言葉が嘘なのは判った。

 オセロが薄い笑みを浮かべる。

「なかなか楽しい人だな。犬公殿は」

「あんたはあんまり楽しそうじゃねぇな、公子さま」

「いいや、楽しいよ。犬公殿みたいな御仁に会えるんだからな」

 オセロがフォークを置く。

「さて。それじゃあ、メシも食ったし、帰るとするか」

 オセロがキッチンに顔を向ける。

「美味かったぜ、マル!また寄らせてもらうぜ!」

「あまり来て欲しくはないけどな。来たら残り物でも食わせてやるよ!」

「充分だよ、マル!

 約束もなしに来て悪かったな、エル」

「どういたしまして」とエル。

「さあ帰るか、モモ」

 オセロが立ち上がる。モモは口を開きかけ、有無を言わせないオセロの態度に、小さく吐息を落として立ち上がった。

「ごめんね。エル」

「いいのよ。またいつでも遊びに来て」

「うん」

 と頷いて、

「それじゃあまたね。カイト、クロさん」

「アンタに会えて良かったぜ、犬公殿。森人の嬢ちゃんもな。まだしばらくはここにいるんだろう?」

「多分な」

「今度飲みに行こうぜ。オレの奢りで。みんなでな」

 咎めるようにモモがオセロを見上げる。

「オセロさま」

 オセロが肩を竦める。

「値段の張るところは無理だけどな」

「オレは呑めれば文句は言わねぇよ。公子さま」

「じゃあ決まりだな」

 モモを宥めるように軽く彼女の背中に手を添えてオセロが出て行く。臣下に命令するオセロの声が聞こえ、外にいた臣下たちの気配も消えた。

 クロはハアッと大きな息を吐いた。

「疲れた……」

「でも」

「ん?なんだ、カイト」

「えーと」

 いろいろ言いたいことがある。けれど結局、言葉にはできず、「モモには優しかったわ、オセロさん」とだけカイトは言った。

「そうじゃなきゃあ、あんな危ないヤツ、オレがモモに近寄らせねぇよ」

 オセロの食器を片付けながらマルが言う。

「偶然かな」

 クロが呟く。

「なにが?」

「--いや」

 エルのところに厄介になっていることは誰にも話していない。偶然だろう。オセロが訪ねて来たのは。

「もっと楽に生きればいいのによ」

 背もたれに身体を預け、クロがそう言ったのは本音である。

 だが、「ま、オレには関係ないけどな」と言ったのは、本音ではあるものの、むしろそうであって欲しいという彼の願望といった方が相応しかった。



 オセロがモモを送っていったのは、彼女の自宅ではなく、毎日市が開かれる西の広場にあるモモの父母が営む会計事務所だった。

 広場に入る前にモモの小さな額に軽く口づけをし、「父上と母上によろしくな」とモモを臣下の一人に預け、モモが事務所に入るのを確かめてから、オセロは賑やかな広場に背中を向けた。

「アイブ殿に、貴殿の旧友に会ったと伝えろ」

 低い声で臣下に命じる。

「はい」

「それと、彼らが”スフィアの娘”の屋敷に泊まっていることも教えてやれ」

 オセロが嗤う。

「アイブ殿が驚く顔を見れないのは残念だがな」

 臣下が頷く。

「さてと」

 足早に歩き去る臣下を見送り、オセロは顎に手をやった。仮面を被るように表情が消え、唇だけが冷たい笑いを作る。

「あの娘の探し人の名は、確か、フウ、だったな……」

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