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12-1(橋の街にて1(王領司からの招待状1))

 あちらこちらからすすり泣きの声が響いていた。

 あたしと同じように、他にも攫われてきた子がいるんだ、と彼女は思った。

 奴隷とふたりで歩いているところを馬車に引き摺り込まれ、目隠しされた。「しゃべれば殺す」と脅されて、彼女は恐怖に喉を詰まらせた。

 目隠しが取られたのは、ここに、どこか判らない狭い部屋に放り込まれてからだ。部屋の一方は壁ではなく、木で組んだ格子があった。

 窓はない。

 つまりここは牢屋の中だ。

「お前の親がカネさえ払えば返してやるよ」

 鍵をかけながら男は下卑た笑いを浮かべた。

「それまで大人しくしてな」

 カネさえ払えば返してやる。男はそう言ったが彼女にはとても信じられなかった。その証拠に、男は生きて返すとは言わなかったではないか。

 彼女のではないすすり泣きが、止むことなく陰気に、這うように響く。

『ああ、誰でもいい。あいつらに逆らって騒ぎを起こす勇気のある子が、一人ぐらいいないの?』

 そうすれば誰かが騒ぎに気づいて、助けに来てくれるかも知れないのに。

「ねぇ」

 不意に声をかけられ、彼女は涙でくしゃくしゃになった顔を上げた。

 いつそこに現れたのか、彼女とたいして歳の変わらない少女が、意外なほどの近さから彼女を見つめていた。

『きれいな瞳』

 と彼女は思った。

 栗色だが、僅かに青味を帯びている。

 この子も攫われてきたのだろう。可哀想に。

「どうして泣いてばかりいるの?」

 不思議そうに少女が訊く。

 どうしてって、問われたことの意味が判らなかった。攫われたからに決まっているじゃない。あなたと同じで。

「あいつらは動けないわ。両足を射抜いたから。殺した方がいいとわたしは思うけど、クロが生かしとけって言うからまだ生きてる。

 今ならあいつらに復讐できるわ」

 復讐?復讐って?

「好きにして」

 そう言い捨てて、少女が牢屋から出ていく。

 扉が開いている。

 彼女はようやくそのことに気づいた。

 少女が歩み去っていく。だが、足音は聞こえなかった。

 しばらくためらってから、彼女は開け放たれた扉を潜った。自分が見ているものが理解できず、きょとんと立ち尽くす。

 廊下の端で男たちが苦し気に呻いていた。

 少女の姿はすでにどこにもない。

 彼女の入っていたのと同じ牢屋が廊下に面して幾つも並んでいる。

 牢屋の中の娘たちはまだ誰も事態に気づいていないのだろう。すすり泣きの声が止むことなく廊下に響いていた。

 やがて彼女は呻く男たちに背中を向け、牢に戻った。開いていた扉を内側から閉じる。腰を下ろし、自分の膝を抱えて、彼女は考えるのを止めた。


 カイトが屋敷から出ると、クロが幾人かの男たちと談笑していた。

 早朝だ。

 街中ではあるが、彼らの他に人影はなかった。

「よお、カイト。お疲れ」

 軽く手を上げたクロの鼻がひくひくと動く。

「不機嫌だな。何かあったか?」

「不機嫌なんかじゃないわ」と、不機嫌そのものの声でカイトが否定する。「不思議なだけ」

「なにが」

「どうして泣いてばかりいるのか」

「攫われてた嬢ちゃんたちのことか?」

「うん」

「そりゃ、お前。あの子らは女の子だもの」

「どういうこと?」

「しくしく泣いてた方が可愛いってもんさ」

「森の外の子って、みんなそうなの?」

 クロが嗤う。

「お前みてぇなのが珍しいのは確かだな」

「珍しい……」

 嬉しい言い方ではない。納得もできない。けれど、カイトは自分が森の外のことは何も知らないと自覚がある。だから、「むぅ」と唸って顎を引き、カイトはクロの言葉を吟味してみた。

「よぉ、クロ。もういいのか」

 クロと談笑していた男の一人が訊く。額から顎にかけて大きな傷跡があり、彼が善良な市民でないことは明らかだった。

「ああ。待たせたね。いいぜ」

「じゃ、ちゃちゃっと片付けるとするか」

 他の男たちに合図して、彼らはカイトの出て来た屋敷にぞろぞろと入っていった。

「あの人たち、なに?」

 訝し気にカイトが尋ねる。

「この街の顔役のひとりさ。簡単に言うと、悪い人だな」

「どういうこと?」

「まず、オレがこの鼻で人さらいのアジトを見つける。お前が人さらいどもを黙らせる。最後にあいつらが人さらいどもを役所に連れていって賞金を貰って来る。

 分業だよ」

 しばらく考えてから、カイトは、

「あの人たちは必要なの?」

 と訊いた。

「もしオレとお前の二人で人さらいを捕まえたと言って役所に届けたとしようか。

 すると役人どもは自分たちだけで捕まえたって主張するだろうよ。賞金首を捕まえるのと違って事件が大きいし、いいとこの嬢も攫われてるから役人どものいい点数稼ぎにされちまう。

 つまり、オレたちの手には銅貨の1枚も入って来ないってことだ。

 けど、あいつらみたいな怖いオニイサンを間に挟むと、さすがに役人どもも自分たちだけの手柄にできねぇ。

 で、オレたちは賞金の半分を手にできるって寸法さ」

「……よく判らない」

「そりゃ判らねぇよな。でもよ、判る必要、ないだろ?ここは森とは違うんだ。こんなもんだと憶えときな」

『理解する必要はないんだよ、カイトちゃん』

 プリンスの言葉がカイトの耳に蘇える。

『ただ、そういうものだと知っているだけで十分なんだよ。だってカイトちゃんは森人なんだから。

 外の人々とは違うんだから。

 それでいいんだよ』

「判った」

 屋敷を見つめてカイトは言った。

「判らないけど、憶えとく」

「ホント、へんなヤツだな、お前は」

 と、クロは笑った。


 クロとカイトが出会ってから、すでに1ヶ月以上が経っている。

 カネにあかせて作ったというレプリカの馬車を降りてからも、カイトを連れてクロは南へ南へと進み、マララ領の中心都市、パロットの街で宿を定めた。

「ここで何をするの?」

 宿でそう尋ねたカイトに、

「買うんだよ、お前の身分証を」

 とクロは答えた。

「買えるものなの?」

「カネさえあればな。だからちょっと手伝ってもらうぜ」

「何を?」

「オレのシゴトさ」

 クロの言うシゴトがどういうものか、実はカイトは未だによく理解していない。

 よく理解はしていないが、優秀だった。



 人攫いから少女たちを助けた同じ日の昼過ぎに、「これがお前たちの取り分だ」と顔役がクロに手渡した賞金は、クロの予想よりも随分と多かった。

 クロは猜疑心に満ちた目を顔役に向けた。

「好意ってことねぇよな、これ」

「素直に受け取れよ、クロ」

「できるかよ」

 顔役が鼻で笑う。

「攫われてた嬢たちの親から謝礼をたんまり貰ったからな。その分だ。それとマジで好意だ。信じられねぇだろうがな」

「はぁ?」

「お前に、じゃねぇよ。あの森人の子だ。すげえな、あの子。屋敷に入って驚いたぜ。犯人どもはきっちり両足を射抜かれてたし、攫われてた子のほとんどは騒ぎに気づいちゃいなかった。

 いいモンを見せてもらったからな。

 あの子の分を上乗せしといた。ちゃんとあの子に渡せよ、それ」

 そういうことか、とクロは納得し、「賞金は要らねえって言ってるがな、アイツ」と肩を竦めた。

「ま、これのおかげで思ったより早く旅に出られそうだぜ。ありがとうよ」

 そう言ったクロがカイトを連れて行ったのは、街の中心部近く、路地裏に並んだ一軒の家である。

 商店のように見えたが、それにしては人通りが寂しい。

 小さな木札がぶら下げてあり、そこには『古着屋』と記されていた。

「何?ここ」

 不審そうに訊いたカイトに、クロは「何でも売ってる店さ」と答えた。

「いるか、爺さん!」

 無遠慮にクロが扉を開け、返事を待つことなく室内へと踏み込んでいく。

 カイトはクロに続こうとして、戸口で足を止めた。

 幾つかある窓は閉じられ、日中にも関わらず室内は薄暗かった。テーブルやタンス、様々なものが雑然と置かれ、部屋がどこまで続いているのかも判らない。

「どこだ、爺さん」

 クロが鼻と耳を動かしながら呼びかけたその脇で、「ここにおるわ」と不機嫌な声が響いた。

「わっ!」と声を上げてクロが飛び離れる。棚と棚の間の暗がりからぬっと姿を現したのは、ミイラのように萎びた小柄な老人である。

 クロが心臓を抑えて老人を睨む。

「あんたはいつも心臓に悪いんだよ、爺さん」

 老人がふんっと鼻を鳴らす

「お前のそのデカい耳と長い鼻は何のためについておる。そっちの嬢ちゃんはちゃんと気づいておったぞ」

 言われてクロが振り返ると、カイトは戸口で足を止めたまま、驚いた様子もなく老人を見つめていた。

「クロ。だれ、その人」

「なんで気がつくんだよ、お前は」

 そう文句を言って、「カネさえ払えば何でも揃えてくれる爺さんさ」とクロは答えた。

「爺さん、コイツがカイトだ」

 老人が頷く。

「噂は聞いておる。トトが、」老人がカイトの知らない名を口にする。「ズイブン気に入っておった。珍しくな」

「物好きなことだぜ」

「お前もじゃろ?ズイブンと親身に世話を焼いておるではないか」

 クロは肩を竦めた。

「オレはコイツとの約束を果たしているだけさ。

 で、カネは用意したぜ。頼んでたモノは出来たかい?」

「それじゃがの。少々予定が狂った」

「なんだよ。予定が狂ったって。この前、カネさえ用意すればいつでも渡してやるって言ってただろう?」

「おお。もうほとんど出来ておる。後はその嬢ちゃんに署名してもらって、ちょいと割印を押せば完成じゃ」

「だったらちゃちゃっと完成させちまおうぜ。何が問題なんだ?」

「署名って何のこと?クロ?」

「お前の身分証さ。クスルクスル王国発行の市民証と通行許可証だよ。

 もっとも、この爺さんが作った偽物だけどな」

「偽物?」

「どこに出してもバレない、ホンモノそっくりのな」

「お前、何をやらかした」

 老人がクロに問う。

「あ?」

「昼前に、王領府の役人が来ての。名指しじゃ。お前に市民証と通行許可証を渡すなとな」

「王領府の役人が?」

「もちろん、とぼけたがな。

 ワシを捕まえる気はないとぬかしよった。ただ、市民証と通行許可証はお前に渡すなと。必要ないからとな」

「必要ない?どういう意味だ?」

「知らぬ。知りとうもない。

 ワシは気分が悪いわ。このワシが、小役人風情に情けをかけられたんじゃぞ。

 しかもこれをお前に渡せなどと、ワシに子供の使いのようなマネまでさせおって。何様のつもりじゃ」

 吐き捨てるように言った老人が差し出した手には、封書があった。

 まさしく、封がされている。

 クロは封書を受け取り、封印を見た。

「シオノカミの印じゃ」

「シオノカミ?それ何?」

 封書に視線を落としたまま、クロは低い声でカイトに答えた。

「塩ノ守。俗称だ。ここを、マララ王領を治めてる、ポルテ王領司のな」

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