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たまにはこんな雰囲気も。

 いつまでたっても笑いの止まらない久本は無理やり部屋から追い出し、遊木は飲み物やお菓子をそろえて話し込む体勢を整える。

 実際に動いたのは佐々井達警備陣だが、それは有樹との"ベッドから出ない"という約束を守るためなので指摘しないのが優しさというものだろう。

「なにか、尋問されてる気分なんですけど……」

「近いのは否定しないね」

 ベットに上半身を起こした遊木と、先程まで彼が仕事に使っていた椅子に座った有樹。

 お菓子と飲み物をはさんで向かいあった有樹のつぶやきにさらりと遊木が応じると、なんとも嫌そうに顔をしかめられてしまった。

「という訳で。有樹さんは俺の事好き?」

 すでに慣れたもの、とばかりにさらりと遊木は言い返す。

「……微妙に質問を変えてきましたね?」

「うん。どうせ最終目標は……って、そうだね。最初から確かめた方が早いよね。——有樹さん、俺の事恋愛感情で好き?」

 これでもか、と狭めた問に有樹がうめく。これでは本心を告げるか嘘をつくかしか選択肢がない。

「……それを聞いてどうするんです?」

「好きじゃないなら好きになってもらう努力をするし、好きになってもらえてるなら結婚の具体的な条件をつめようかと」

「どう答えても結局は一緒じゃないですかっ?!」

「だって俺、有樹さんの事諦めるつもりないから。

 ごめんね? 俺、かなりしつこいよ?」

「怖いから先に謝るのはやめてくださいっ!」

 にっこりと告げられる謝罪と恐ろしい台詞に有樹が悲鳴じみた声を上げるが、遊木は笑うばかりだ。

「本当、俺っていつも大切な事に気づくのが遅いんだよね。

 有樹さんと離れる事なんてできるはずがないのに、そんな簡単な事ですら一度離れるまでわからなかった。けど、気づいたからには全力で手に入れるつもりだから覚悟してね?」

「ですからっ?!」

 単に興奮しているからか、それともてれ隠しなのか、頬に朱をのぼらせてかみついてくる相手を見た遊木は、かわいいなぁ、などとずれた返事を返す。

 けれど内心ではそんな余裕などない。三年間一度も遊木を期待させるような言葉も行動見せない程用心深い相手である。真っ向から尋ねても答えなどあろうはずもない。

 しかし、彼女は異性として扱われるとペースを乱して失言しがちな面がある。

 普段は他人に距離を詰めさせないよう位置をうまくとっているだけに、有樹が決めたより内側に踏み込まれた時対処が甘くなるのだ。

 それを知っているからこそ、かき乱して口を滑らせる作戦なだけだ。

 もうひと押ししようかと口を開きかけたところで有樹がひたいを押さえてため息をつく。

「……まぁ、このごに及んで好意がないなんて嘘をつくつもりはありませんけど……」

「だから俺は……って、えぇ?!」

 何か否定的な言葉がくるに違いない、と思っていた遊木が返事をしかけ、途中で声がひっくり返る。

 思わず有樹の顔をまじまじとながめてしまった。

「なぜそこで弘貴さんと同じ反応をしますか……」

「って、なんで弘貴さんが先に知ってるわけ?!」

「聞かれたから答えただけですが?」

 聞き捨てならない情報に、けれど返ってきた言葉はあっさりしたものだった。

「……あぁ、まぁ、聞かれもしないのに話したりはしないよねぇ」

「ですねぇ」

 なんとかひねり出した答えにやけにのんびりと返され盛大なため息をつく。

 つっこみどころ満載の事態なのだが、それを指摘していたら今一番大切な事にたどり着けなくなりそうなので仕方なしに一旦わきに置く。

 今確認しなくてはいけないのは、有樹の口から出た言葉の真意だ。

「えぇと、弘貴さんの事は置いといて。……さっきのあれ、俺、有樹さんに好きになってもらえてる、って事でいいのかな?」

「ですよ?」

「聞き違いじゃなかったっ?!」

「こんな嘘はつきませんって」

「それはわかってるけどねっ?!」

 いつの間にかすっかり落ち着きを取り戻している有樹に対し、遊木のテンションは絶賛乱気流だ。

「とりあえず、深呼吸でもして飲み物を飲んだらどうです?」

 くすくすと、おかしそうに笑う有樹にうながされて飲み物を口にする。

 コップの中身を半分ほどあおったところでようやく少し気分が落ち着きはじめた。

「……はぁ」

 予想外とはいえ、いくら何でも動揺しすぎだと思うものの、ずっと聞きたくてしかたがなかった言葉を聞かされて冷静でいられるはずがない、とも考えてしまう。

「なんかもう、君にはペース乱されっぱなしだ」

 苦笑いで言うと、言われた有樹が小さく笑う。

「別にそれを狙ってるわけじゃないんですけどね」

「うん、わかってる。それにわざとじゃない有樹さんだから動揺させられちゃうんだし」

 遊木からすれば、わざと動揺させようとする相手であればいくらでもあしらえる。けれど、有樹だけは自然体で不意に心を揺さぶってくるので身構えようもない。

「それだけ有樹さんの事好きなんだからしかたない、かな」

「さすがに遊木さんの本気を疑ってはいませんよ?」

「だけどあまりにもあっさり、そういう訳でお終いにしましょう、って言われたからさ。結構不安だよ?」

 どうにも複雑な内心のまま眉の下がった笑みでつぶやくとばつが悪そうに視線が逃げる。

 ほおをかき、意味もなく視線をさまよわせた後で、ごめんなさい、と小さなつぶやきが耳に届く。

「私はまったく未練なしだと思ってもらいたかったんです。そうすれば遊木さんも割り切りやすいでしょうし、——そうでもしないと引きずっちゃいそうで」

 言葉の中に含まれる自分への執着を感じ取って遊木は目を見開く。これまで一度たりともそんな気配をのぞかせなかった相手だけに、その言葉は意外ですぐに信じられない。

「最初から三年って区切られてたから、その間だけのつもりだったんです。恋愛はともかく結婚は考えられないですから」

「それってやっぱり、障害があるから?」

「それもあります。私の事に限っても色々迷惑をかけるのはわかってますから」

 有樹の様子から重要な話になるとふんだ遊木があえて直球で踏み込むと、小さくうなずきが返された。

「まぁ、その辺はこれまでにも話したので置きますね。……結婚したら次は子供、って言われるでしょう? それが怖くて」

「……怖い?」

 予想外の言葉に首を傾げてしまう。

 結婚をしたら子供を期待されるのは必然と言ってもいい。けれど遊木は次男で家を継ぐ立場ではないし、そんなものは聞き流してしまえばいいだけの言葉だ。

 大体、口では子供を期待しても遊木側の親族の大半は社交辞令にすぎない。兄に男児が二人いる以上、遊木には子供が生まれない方がありがたいと考える者も多いだろう。

 遊木自身としては子供が欲しいと思わないでもないが、有樹が乗り気でないのなら我を通すつもりもない、という程度である。妊娠出産は女性にだけ負担を強いるのだから優先すべきなのは有樹の意思だ、というのが彼の考えだった。

 そんな事情を説明した事はないが——なにせ、それ以前に結婚どころか付き合う事にすら色よい返事をもらえていなかったのだから当然である。

 ——それにしても、嫌、ではなく怖いというのはだいぶニュアンスが違う。

「怖い、んです。……だって、色々無理がありすぎますよ」

 つぶやいて一口飲み物を口にした有樹はずっと視線を手元に落としたままだ。

 そうやって目をあわせないまま話をするのは相手がどんな反応をするか見るのが怖いからなのだろう。

「そもそも腰から下、というか、まぁ、その辺の内蔵は軒並み動きおかしいですし、まず妊娠できるのか、できたとして無事に出産まで妊娠継続できるのか、産めるのか全部未知数ですし」

「あ〜、そうか。有樹さんの場合、まずそこからなんだね」

「それ以前にその……。行為が成立するかもわかりませんよ?」

 これでもかとばかりの苦さの中に、ひとはけにも満たない量の甘さが混じった声に、一拍遅れて意味が脳に達した。

 その途端、遊木の脳内が漂白される。言葉の意味するところが明らかなだけに、声音に含まれたほんのわずかな気配は彼にとってあまりにも強烈な誘惑でもあった。

「……あぁ、うん……。まぁ、その辺はいくらでもやりようある、けど、ね?」

 けれど、今は至極真面目な話の最中だ。まさか有樹がちらりとのぞかせた自分を欲しがる様子にあおられた、などとは言えないし、露骨にそんな気配を見せるわけにもいかない。

 有樹が視線をむけてこないのを幸い、視線をそらせて気持ちをまぎらわせる。少し落ち着かなければとんでもない事を口走りそうだ。

「やりよう、ですか?」

 けれどそんな事にはまったく気づいていないらしい有樹が、きょとんとして問い返してきたのでたまらない。

「うん、まぁ、ほら……。話が脱線しそうだから詳しい事はまた今度、ね? とりあえず、俺はそういう事ができなかったとしても有樹さんがいい。それだけじゃ駄目かな?」

「でも、そういう方面がうまくいかないって、別れ話の原因でもよくあるっていうじゃないですか。

 ……後になってそれを原因にされたらものすごくへこみそうですし」

 声のトーンが下がった気がしてちらりと視線をむけると、相変わらず手元に視線を落としたままの有樹はわずかに眉をよせているようにも見えたが、それ以外に見て取れる変化はない。

 しかし、彼女にとって一番口にしたくないはずの話題だというのに普段通りの態度を崩さない、というのは不自然だ。

 なにせ彼女はこの話題を避けるために何も告げないまま関係を断ち切ろうとしていた。それはつまり、彼女にとってこの話をするくらいなら他のすべてをあきらめた方がまし、と考える程に触れたくない事のはずだ。それなのにこうして今話をしてくれているのは、認めるのは癪だが誰かの口添えがあったからに違いない。だとすれば平然としているように見える今の態度は作ったものだ。

 これは下手なごまかしをしたらこじれるな、とさとった遊木が考えをまとめるのは早かった。有樹も話したくない心境を口にしているのだから、自分だけ逃げるのは卑怯でしかないし、その程度の覚悟で彼女と向き合っているのだと誤解されるのだけは嫌だった。

「有樹さんの気持ちはわからないでもないんだけど、久しぶりに会えて、しかも好きだって言ってもらえて、ベッドのある部屋に二人きりだよ? この話題掘り下げるのは俺の理性にとってものすごく試練だっていうのもわかって?」

 眉を下げた笑みで言うと、これには顔を上げた有樹が意味を探るように何度かまばたきをする。そうしてから何かを言いかけた頬が一気に赤くなる。

「どういう理由ですかっ?!」

「だって、本当にそうなんだからしかたがないと思わない? 嫌だよ、俺は。

 ここで失敗したら同じような機会なんてないってわかるのに、自分の見栄のために失敗するなんて、そうでなくてもへそ曲げた有樹さんと本筋と無関係なところで議論したくないし」

 とため息をつくふりをすると、自分が非常に面倒臭い性格をしている自覚はあるらしい有樹が言葉につまる。

「だから恥を忍んで正直に白状しました」

「遊木さんは私のリアクション見て楽しんでますよねっ?!」

「それは否定しないけど」

「否定してくださいよっ?!」

 てれ隠しにかみついてくるいつもの間合いを受け流し、指摘通り楽しくてしかたがないのは事実なので大人しく認めたらさらにかみつかれてしまった。

 けれど、久々のこんなやり取りが楽しくてしかたがないのだからどうしようもない。

「ま、そういう事だからさ。行為がうまくいくかどうかに関しては、二人でうまくやれるようにがんばる、ってあたりで落とし所にしておかない? お互い不満があったら率直に言って打開策を一緒に考えようよ? そういうつもりでいればきっとうまくやれるようになると思うし、決定的にこじれる前にきちんと話し合えばなんとかできるんじゃない?」

 今の遊木に言える精一杯の言葉を口にすると、少し考えるような間を取ってから有樹が一つうなずく。

 今これ以上具体的な話はできない、というのは了解した、という気配は明らかだが、遊木としても理性の敵としても解決しない限り有樹が結婚に踏み切れるとは思えなかったので充分だ。

「あ、そういえばさ。そのあたりの事って医者に相談した事ってあるの?」

「あるにはあるんですけど、あの一件の前なので現状どうなのかは……」

 話題がむいた時でないと聞けない事を確認すると、これには首を傾げられてしまった。

「その時点では、統計的にはおそらく心配いらないそうです。ただ、きちんと検査をしたわけじゃないから絶対に大丈夫とは言えない、産婦人科的な異常があるかどうかは専門医の診察を受けてみないとわからない、と」

「なるほど。……こう言っちゃなんだけど、ぶっちゃけ役に立たない意見だねぇ」

「ですね。結局の所、確率論なのでいくら平気な確率が高かったところで意味ありませんよ。なにせ、一万分の六を引き当てた実例がここにいますから」

「ちょっ?!」

「私の障害の発生率ですが?」

「あぁ……、そっか、コンマ四桁ってそういう事だよね」

 思わぬ数字にどんな強運かと思ってしまったが、彼女の資料としてまとめられた医学的な情報の中にあった数値を変換しただけだと教えられため息をつく。そんな成功率を示されたら普通誰もが不可能だと叫ぶに違いないが、彼女はその不可能に等しい確立を引き当てて今ここにいる。

 彼女に確率論で大丈夫と納得させるには更に二桁か三桁上の確率を示すか、百パーセントを提示するしかないだろう。

「まぁ、あれですよ。最低な事を承知で言わせてもらえば、香澄(かすみ)ちゃんほど酷くなくてよかったんですけど」

「まぁね。あの子は一生誰かの介助が必要だから経済的にも大変だと思うし。でも、有樹さんは有樹さんで大変だったでしょ? こう言っちゃなんだけど、有樹さんの障害ってわかりにくいから大変な割に障害者手帳とれたのもぎりぎりだったんじゃない?」

 この話題に関しては露悪的な表現の多い有樹が引き合いに出した姪の事を思い、苦笑いで応じる。有樹本人から聞いた以外にも彼女の同意を得て医者から聞いた話から考えるに、有樹が障害者手帳の交付を受けられるかどうかは医者によって判断が分かれるはずだ。

 なにせ、彼女は単純な可能不可能であれば基準となる距離を歩く事はできる。関節の可動域にしても、支えなしで座れるかどうかなどの要件も超えるのだ。ただし、やってしまうと確実に翌日以降あちこちの痛みに悩まされたり寝込んだりする。それをできないと認めてもらえるかどうかの問題になってしまう。

 その上、一見すると軽く右足を引きずるだけにみえるし、それ以外の症状はすべて体の中の事で、歩くところを見なければ彼女が障害を抱えているなど誰も思わないだろう。いや、歩く姿を見ても、怪我でもしたのか、程度にしか感じないだろう。

 一目で障害があるとわからない分、まわりとの軋轢に苦しめられてきたに違いないと思うと、方向性が違うだけでどちらがより大変だとかは決めつけられない気がした。

「絶対、有樹さんはわかってもらいにくいので損してるよ」

 彼女がこと自分の障害について語る時露悪的であったり自虐的になりがちなのは、そういった無理解にさらされ続けた結果なのだ。せめて自分の前ではもう少し肩の力を抜いて欲しい。そんな思いからつい強めに言いきると、有樹の目がうるむ。

 かと思えば涙がひとしずくこぼれ落ちた。

「ちょっ?! 何どうしたのっ?!」

 突然の事に慌てて思わずベッドから飛び降りる。かといってどうしていいのかわからずに有樹の隣で立ち尽くす事になってしまった。

 いつかのように頭をなでるべきなのか、涙をぬぐうべきなのか、どこかほうけた表情をしている有樹を見ていたらわからなくなってしまった。

 てかこういう時こそ役にたてよ、なんのための外交術だよ、散々人あしらいなんて習ってきただろ?!

 内心で盛大に自分に向かって毒づいてると、ふと隣に立つ自分を見上げてきた有樹と視線が絡んだ。そして、ゆっくりとその表情がゆるむ。

「……本当、こんな事されたら好きにならないとか無理ですから?」

「へ? 何? なんで今その話題?」

 空回りする思考を放り出して反射的に返事をすると、小さくふき出した有樹が自分で涙をぬぐう。そして、ほころぶように、幸せそう、としか表現しようのない笑みを浮かべた。

「遊木さんは、いつも私が一番欲しかった言葉をくれる。こんな幸せな場所があるって知ったら、独占したくならない方が変」

 直球のようなからめ手のような、有樹らしい言葉に遊木の顔にも笑みがあふれる。

「大丈夫。俺も有樹さんの事誰にも渡したくないし、君に独占されたい」

 そして返す遊木の表情も、それまでの慌てた表情から穏やかな笑みへと変わるのだった。

 思わず甘い雰囲気になった空気の中、つい誘惑に負けた遊木が体をかがめてかすめとるように有樹のひたいにくちづける。

 怒るかな、と相手をうかがうとパジャマの胸元をつかまれ軽く引かれる。力に逆らわず体を傾けると赤くなった顔を隠したかったのか、鎖骨のあたりにひたいを押し付けられた。

「……流されたくなるのでやめてください」

 布越しに伝わってくる体温と声に混じる甘さに動揺しつつもなんとか平静なふりをする。

 もしここで遊木が流されてしまえばこの後どうなるかなどわかりきっていた。有樹はまだ話をしたそうなのだからその邪魔をしてはいけない。

「あ、言葉遣い戻っちゃった?」

 あえて冗談めかした言い方をすると、くすくすと笑う気配が届く。冬ならもう少し我慢きくんだけどなぁ、動揺してるのばれてそうだ、と内心苦笑する。

 夏の薄い布地越しに触れているのだ。鼓動の速さがばれているのだろう。

「もはや遊木さん相手だとこれが標準仕様ですから。変えるのも大変なんですよね」

「それ、なんかちょっと嬉しくないなぁ」

 本心なのか、からかっているのかわかりにくい返事に軽くぼやくとやはり笑いの気配が届く。

「……ずっと思ってたんです。もし、子供ができて、そのせいで症状が悪化したら私はどうするんだろう、って」

「……それは」

 ゆるんだ空気の中、突然口に出された言葉に反応し損ねた遊木が言葉を半端に途切れさせる。

 確かに妊娠出産は背骨に負担をかける。

 その負荷が有樹にどう影響するかはまさにその場になってみなければわからないし、悪い予感が当たってしまった時、それを彼女自身どう受け止めるのだろうか。

「子供が欲しいなんて言い出した相手のせいだ。生まれてきたこいつが悪い。そんな風に考えてしまいそうで怖いんです。最終的に同意したのは自分で、まわりに責任なんてあるはずがないんですけど……、でも、理性で納得したとしても、感情のはけ口を求めてまわりに矛先を向けずにいられるんでしょうか?」

「……その不安が消えないから恋愛も結婚も嫌、なんだ?」

 これまで思案を巡らせた事もない部分への不安を吐露され、応じる言葉は見つからない。

「それに、仮にすべて問題なく子供が産めたとしてその後の世話、できると思います?

 私が安全に持ち運べる重さの限界が三キロで、それ以下の期間なんてないかもしれないんですよ? 母親に抱っこすらしてもらえないとか子供はどんな気分になるのか……」

 涙の混じった声で告げる内容に、遊木は思わず有樹を抱きしめる。

 ただ漠然としか考えていなかった自分と違い、そんな事まで考えた上で結婚はしない、と繰り返していたのかと思うとかわいそうだと思うと同時にたまらなく愛おしい。

 結婚に踏み切れない以上は恋愛もしない、と自分の意思で他人を遠ざけて生きてきた彼女が抱えているものを少しでもやわらげてあげたい。

「有樹さんは優しすぎ」

「……はい?」

 思わず口をついた言葉には不思議そうな声が返った。顔を見なくても、目をまたたいた後軽く首を傾げる姿が目に浮かぶ。

「だって、君は顔もわからない相手と産まれてくる子供の心配をして、自分の幸せをあきらめる道を選んでいる。

 大切な人を傷付けたくないから誰とも親しくならないだなんて、さみしい生き方選ばないでよ」

「——いや、たぶんソロ属性は単に横着で面倒くさがりなだけかと……」

 腕に力を込めても逃げようとしないどころか軽く体を預けている有樹が、戸惑っているのがよくわかる声でつぶやいたがそれは黙殺した。

 彼女がどう思っていようと遊木にはそうとしか思えないのだから、勝手にそう思うだけの事だ。

「ならそういう事にしてあげてもいいけど、でも、俺の事そんな理由で遠ざけようとしてるならそれは絶対許さないよ?」

「と言われても……」

「まず子供をどうするかについては俺は全面的に有樹さんの意思を優先する。

 まぁ、子供は好きだし欲しいって気持ちもあるから要らないとは言えない。でも、有樹さんが納得して安心できるまで検査でも他の事でも全部やりつくすまでは絶対に強要しない。親父たちにもそこはきっちり言っとくから。

 生まれてきた子がどう思うか、とかはまぁ、わかんないけど、その辺だってカウンセラーなり子供持ってる人達なり、色々と話しを聞いてみたらいいんじゃないかな。

 そういう気持ちの部分でも有樹さんが大丈夫って思えるまでは無理しないで欲しい、って思うから、思い詰めないで少し気楽に考えよう?」

 どうにも思い詰めるきらいがある有樹だけに、時間をかけてゆっくり一つずつ納得していかなければ考えが変わる事はないだろう。そのためにいくら時間がかかろうとそれはかまわない。現実的に妊娠出産が可能な間に説得しきれなかったらそれはもう遊木自身の力不足だと思ってあきらめるだけの事だ。

「それにさ、有樹さんの体が弱くて俺が困る事って何?」

「家事ができないとか、お金がかかるとか、色々ありますよね?」

「俺、最初から有樹さんに家事任せるつもりなかったよ? うちだと家事は専門家がやってくれるものだし、有樹さんの医者代なんて服とアクセサリーと化粧品にお金使わない分でお釣りきてると思うけど。君、ブランドの服がいくらするかわかってる? 万単位の化粧品やら服やらバックやら、シーズンごとにそろえるのと、有樹さんの医者代、どっちが高いかなんて予想つくよね?」

 これまた遊木にとってはまったく問題にならないが有樹にとっては懸案事項であったものを潰す。

 そもそも有樹は清潔で見苦しくなければいい、という考えなので流行を追って毎シーズンあれこれそろえないと気が済まないタイプとはかかる額が違うのだ。

「それに有樹さん今の仕事続けたいんでしょ? それもかまわないよ? 親戚付き合いも最小限でいいし、親との同居もなし。将来親の介護が必要になる事もないし、自分の老後はちゃんと専門家がみてくれる、と。条件最高だと思わない?」

「——そう言われれば確かに否定できないんですけど……」

「隆だっていくらでも貸し出すし、月一〜二回なら週末実家に泊まりがけで遊び行ってきていいよ?」

 それ以上は俺がさびしいから嫌だけど、と冗談めかすと、有樹がふき出した。

「ね? もう俺に決めちゃいなって。俺は有樹さんじゃないと駄目だからめいっぱい大切にするし、辛い事君一人に背負わせたりしないから、ね? 選んでよ」

 耳元でささやきかけると、それまでよりも強く額が押しつけられる感触。

「……私が困る程高額なものを押しつけないって約束してくれます?」

 返された言葉に思わずふき出したのは不可抗力だろう。まさかここで肯定か否定ではなく、こんな条件がつけられるとは思わなかった。けれどそれも彼女らしいところだ。

「家の付き合いで必要な時をのぞいて、ってつけ加えていいなら約束する」

 さすがに遊木家の付き合いの場には有樹の金銭感覚に合わせた服やアクセサリーではまずい事の方が多い。

 そこさえ折れてもらえるなら遊木としても困らせるようなものをプレゼントしたいとは思わない。

「そこは必要経費という事で割り切ります」

「おっけ、じゃあ契約成立って事でいい?」

「…………はい。

 ……本当はずっと遊木さんと一緒にいれたら、って思ってたから、本当は嬉しい、です」

 小さな声でいくらか聞き取りにくい言葉だったが、間違えようもない肯定と初めて聞かされた言葉に一瞬理性が麻痺したのはしかたがないだろう。

 一拍おいて有樹の体を引きはがす。

「……はい?」

「ごめんっ、この状態でこれ以上嬉しいこと言われすぎたら理性が負ける気しかしないっ。やらかしたくないからちょっと距離取らせてっ」

 有樹の肩をつかんだ腕の長さの分だけ距離をはさんで告げると、きょとんとしていた有樹が笑う。

 目元にはまだ涙が残っていたが、幸せそうで楽しげな笑みがスイッチの入った大笑いになったのにつられるように遊木も笑い出した。

これにてこの物語は完結となります。

まだ書ききっていない感はあるんですが、落ち着いて書く時間が取れないので、未完放置になるよりはいいかな、と思いここで区切りとさせていただきました。


これまでお付き合い下さりありがとうございました♪

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