第二十一話 王都から、馬車が一台
「会うか」
レオンハルト様は、それだけ仰いました。
会えとも、会うなとも仰いません。判断をこちらに寄越されます。この方はいつもそうです。
「会います」
「理由は」
「会わなければ、二度目が来ます」
レオンハルト様は頷いて、それからグスタフ殿のほうを向きました。
「玄関の間に通せ。茶は出さなくていい」
「よろしいのですか」
「三十分で帰る客に茶は要らん」
*
玄関の間に入ると、マルグレーテ公爵夫人が立っておられました。
四か月ぶりです。
侍女を二人、後ろに従えておられました。旅装ではありますが、王都の仕立てです。この土地では浮きます。実際、城の者が遠巻きに見ておりました。
「アデラインさん」
夫人はわたくしを頭から足元まで見て、それから眉を寄せました。
「……まあ。そんな格好で」
わたくしは紺の上着に、下は動きやすい形のものを着ております。城の文官と同じ仕立てです。帳簿の部屋と倉と鉱山を一日で回りますので、これでないと仕事になりません。
「この領の文官の服でございます」
「ですから、そんな格好で、と申しております。あなたは侯爵家のご令嬢でしょう」
「その名は、使うなと言われております」
夫人は扇を開かれました。
昔からこの方は、都合の悪い話が出ると扇を開かれます。三年見ておりましたので分かります。
「まあ、そのお話はいいわ。迎えに参りましたのよ」
「迎え」
「王都へお戻りなさい。話はつけてあります。ユリウスも待っております」
夫人は扇の向こうで、少しだけ笑われました。
「お手紙のご返事、あれはいただけませんわね。四行だなんて。おふざけになるのもほどがありますでしょう」
「ふざけてはおりません」
「では何ですの」
「存じませんので、存じませんと書きました」
夫人の笑みが止まりました。
「あなた、この四か月でずいぶん口が悪くなりましたのね」
「口の数が増えただけです」
これは本当のことです。
公爵家では、わたくしは一日に十も言葉を発しませんでした。言えば長引くからです。ここでは一日中しゃべっております。数字の話を、二百人とします。
「お断りいたします」
「アデラインさん」
「お断りいたします」
夫人は扇を閉じました。
閉じるときは、怒っておられるときです。これも三年で覚えました。
「あなた、ご自分の立場が分かっていらっしゃるの」
「はい」
「分かっておられないから、そんな返事ができるのですわ。あなたは今、家名も後ろ盾もない、二十歳の女でしょう。ご実家からも切られたと伺っております。そのあなたに、公爵家が戻れと申し上げているのです」
夫人は一歩、前に出られました。
「北の田舎で雇われ仕事をなさっているそうですけれど、そんなものは今日限りになさい。公爵夫人におなりになるのですよ。分かりますか。あなたのような立場の方が、二度と手にできない話をして差し上げているのです」
そのとき、後ろで扉が開きました。
レオンハルト様が入ってこられました。
この方は大きうございます。入ってくると、部屋の広さが変わったように見えます。外套の肩には、今日も雪が乗っておりました。
「アーベントロート家当主、レオンハルトだ」
夫人の顔から、表情が抜けました。
それはそうです。この領の当主が、自ら玄関の間に出てくるとは思っておられなかったのでしょう。爵位でいえば公爵家が上です。ですが辺境伯というのは北の国境をまるごと預かる職で、王家が他の誰にも渡せない類のものです。
格の話をすれば上です。力の話をすれば、別です。
「マルグレーテ・ヴァルトハイムでございます。突然のご無礼を」
「構わん。うちの財務補佐官に、何か用か」
夫人の目が、動きました。
「……財務補佐官」
「そうだ」
「このかたが、でございますか」
「そうだ」
夫人は二秒ほど黙って、それから、口元を扇で隠して笑われました。
小さく、ですが、確かに笑われました。
「まあ。……辺境伯様」
「なんだ」
「この方は、うちで花嫁修業をしておりました娘でございます。帳面の真似事などをして、忙しそうにしておりましたけれど。……それを真に受けられましたの?」
玄関の間が、静かになりました。
わたくしの後ろで、グスタフ殿が息を吸う音が聞こえました。
レオンハルト様は、表情を変えられませんでした。
もともとあまり変わらない方です。ですが、このときは少し違いました。目元が、ほんの一段、冷たくなりました。
「真似事か」
「ええ。娘の手すさびでございます」
「では聞くが」
レオンハルト様は、一歩、前に出られました。
「うちの帳面は十年、誰も読まなかった。木材の単価が二年動いていない。薪を毎年二割捨てていた。鉱山の作業員の家族が四十七人、帳面のどこにも載っていなかった」
「……はあ」
「この三つを、うちの文官三十人が十年見つけられなかった。彼女は六十三日で三つとも持ってきた」
夫人は、何も仰いませんでした。
「真似事で、十年分の穴が三つ埋まるのか」
「……」
「埋まるなら、うちは明日から真似事だけで領を回す。そのほうが安くつく」
夫人の顔が、赤くなりました。
三年見ておりましたので分かります。この方が赤くなるのは、言い返す言葉がないときです。
「……辺境伯様。お言葉ですけれど、これは我が家の内輪の話でございます」
「そうか」
「ええ。ですから」
「内輪の話を、うちの玄関でされても困る」
レオンハルト様は、それだけ仰って、わたくしのほうを向かれました。
「補佐官。鉄の名簿は上がったか」
「八割ほどです」
「今日中に見たい」
「かしこまりました」
それで終わりでした。
この方は、話を打ち切るのが恐ろしくお上手です。相手が言い返す隙を、興味のなさで塞いでしまわれます。
*
ところが、話は終わりませんでした。
夕方、グスタフ殿が難しい顔で執務室に来られました。
「補佐官様。……宿が、ございません」
「宿」
「町の宿が全部、埋まっております。街道が開いたばかりで、隊商と商人がどっと入っておりますので。春の市の前は毎年こうなのです」
わたくしは羽根ペンを置きました。
「公爵夫人は」
「まだ玄関の間においでです。侍女の方が町を回られましたが、どこも空いておりません」
峠を戻るとなると、日暮れから山に入ることになります。それは、いくらなんでもいけません。
わたくしはレオンハルト様のところへ行きました。
事情を申し上げますと、この方は帳面から目を上げずに、こう仰いました。
「泊めろ」
「よろしいのですか」
「山で死なれるほうが面倒だ」
「……はい」
「それから、補佐官」
「はい」
「あなたは、あの人の世話をしなくていい。侍女がついている」
わたくしは、少し黙ってから答えました。
「かしこまりました」
*
その晩、夫人は城の客間に入られました。
グスタフ殿によりますと、街道の混み具合から見て、王都行きの安全な便が出るのは三日後だそうです。
三日。
わたくしは執務室に戻って、鉄の名簿の残り二割を片付けました。
片付けながら、少しだけ考えました。
あの方は、この三日で城の中を歩かれます。歩けば、いろいろなものをご覧になります。
それはそれで、構いません。
わたくしが見せるのではありません。ここに、あるだけです




