第十九話 手紙が、届きました
街道が開くと、荷と一緒に手紙が来ます。
五十日ぶんが一度に届きますので、三月の中は毎日、文官が仕分けをしておりました。その山の中に、わたくし宛てのものが一通ありました。
王都からです。
封蝋を見て、指が止まりました。
ヴァルトハイム公爵家の紋章でした。
*
わたくしは自分の部屋に戻って、扉を閉めてから開けました。
ハンナが同席しておりました。わたくしが呼んだわけではありません。この人は勝手についてきて、勝手に壁際に立ちました。
中に入っていたのは一枚です。
筆跡は、マルグレーテ公爵夫人でした。
わたくしは三年、この字を見ております。読む前から胃のあたりが重くなりました。
内容を、そのまま写します。
*
アデラインさんへ
久しくご連絡もせず失礼いたしました。あなたが北にいらっしゃると人づてに伺いました。
さて、こちらで少々困ったことが起きております。
屋敷の支払いの名簿がどこにあるか分かりません。応接室の帳簿は全部見ましたが、支払いの順序が書かれておりません。業者への支払いが滞っておりまして、何軒か取引を断られました。
それから、文書庫の鍵の件も伺いたいのです。先が四角い鍵が三本あるそうですが、どれが文書庫のものでしょうか。一本は錠を傷めてしまいました。
使用人の割り振りについても、何かお決めになっていたことがあれば教えてください。近ごろよく辞めますので。
王家への名代の届出という話も出ております。こちらは何をすればよろしいのでしょうか。
お手数ですが、分かる範囲で結構ですので、折り返しお教えいただけますか。
なお、こうなりましたのも、あなたが何も残さずにお出になったからでもあります。少しは責任をお感じになってくださいませ。
マルグレーテ・ヴァルトハイム
*
読み終えて、わたくしは紙を膝の上に置きました。
しばらく、何も考えませんでした。
ハンナが壁際から動きました。手を出しました。わたくしは紙を渡しました。
ハンナは読みました。
読み終えて、紙を持ったまま、天井を見上げました。
「ハンナ」
「……はい」
「どこから申し上げましょうか」
「どこからでも」
「一行もございません」
わたくしは指を折りました。
「詫びが、一行もございません」
「はい」
「マルタの怪我のことも書いておりません。七人辞めたとも書いておりません。ただ『近ごろよく辞めます』と」
「はい」
「そして最後に、わたくしの責任だと」
「……はい」
ハンナは紙を机に置きました。置きかたが少し強うございました。
「奥様」
「はい」
「わたくし、二十九年あの家におりました」
「存じております」
「二十九年、あの方がご自分の非をお認めになったところを、一度も見ておりません」
わたくしは窓を見ました。
三月の北の空は、まだ灰色です。ただ、雪の匂いは薄くなっておりました。
「一度だけ、ございます」
「えっ」
「二年前です。夫人が茶会で出された焼き菓子が古いと、客の一人が言いました。夫人は謝られました。……そのあとで厨房長が三日、休みを取らされました」
ハンナは黙りました。
あの方は謝れるのです。人の見ている場所でなら。
そして謝ったあと、必ず誰かが減ります。
*
「奥様。お返事は」
「出します」
「出されますか」
「出さなければ、二通目が来ます」
わたくしは机に向かって、紙を一枚引き寄せました。
羽根ペンを取りました。
手が止まりました。
書こうと思えば、書けるのです。
支払いの順序は覚えております。ミュラー商会は十日まで、パン屋は月初、麻の商会は三月ごと。文書庫の鍵は先端の溝が三本あるほう。使用人の割り振りは、一冊目の手帳に四十一人分が書いてあります。
書けば、あの家は回ります。
回ってしまいます。
……そして三月後には、誰もこの手紙のことを覚えておりません。
支払いは滞らなくなり、鍵は開くようになり、使用人は辞めなくなり、そして誰かがこう言うのです。
――ほら、大したことではなかったでしょう。
――あの人がいなくても、この家は回っているではありませんか。
三年間、それを見てまいりました。
回っているのは、誰かが回しているからです。回している人間の名前は、回っているあいだ、誰の口にも上りません。
わたくしは羽根ペンを置きました。
それから、もう一度取りました。
「ハンナ」
「はい」
「短くしてよろしいでしょうか」
ハンナは壁際で、初めてはっきりと笑いました。
「どうぞ、お短く」




