第十八話 名もない菓子屋の話
街道が閉じたのは一月の十六日でした。
峠に雪が入って、そこから五十日、この領は外と切れます。
城のほうは問題ありません。備蓄は数えて積んであります。今年は塩と油を増やして薪を減らしましたので、去年より倉が空いているくらいです。
問題は町でした。
荷が来ないので市が立ちません。市が立たないので人が出ません。人が出ないので店が開きません。開いていないのですから働き口もありません。
男は鉱山があります。冬でも坑内は掘れます。
女は、何もありません。
わたくしは町の帳面を見ておりました。この領は人頭税ではなく取引に税をかけております。つまり冬の五十日は税収がほぼ止まります。年に六分の一、収入のない期間があるということです。
この六分の一を埋められれば、鉄の値下げ圧力にも耐えられます。
わたくしは屋台の女を訪ねました。
名をベルタといいます。あの麦菓子の人です。
「あんた、城の人だろ。何の用だい」
「冬に店を閉めるのは、蜂蜜がないからだと伺いました」
「ないんだよ。秋に採れた分はみんな王都に行っちまう。商人が高く買うからね」
「今年の分は、まだ町にございます」
ベルタが目を細めました。
「街道が十六日に閉じましたので、出しそびれた樽が四つ、倉に残っております。出荷の帳面を見ました」
「……そりゃ知らなかったね。でも、あたしにゃ買えないよ」
「城で買います」
「は?」
「城が買って、あなたに貸します。菓子ができたら、売れた分から返していただきます」
ベルタは口を開けたまま、しばらく動きませんでした。
「乳も余っております」
わたくしは続けました。
「冬は牛の乳が搾れても運べません。ですから捨てております。三軒の農家に確認いたしました。ただでいいそうです。運ぶ手間さえこちらが持てば」
「……麦は」
「城の備蓄から出します。今年は薪を減らした分、倉が空いております」
「待ちな」
ベルタは両手を出しました。
「作ったって、売る相手がいないよ。町の連中は金がないんだ。冬だからね」
「町には売りません」
わたくしは紙を出しました。
「三月の七日に街道が開きます。過去五年、早い年で三日、遅い年で十二日ですので、七日で見ております。開いた日の翌日から、北へ上がる隊商が続けて入ってまいります。峠を越えてきた者は、まず腹が減っております」
「……」
「日持ちのする焼き菓子です。二日で固くなるものではいけません。蜂蜜を多めにして厚く焼けば、十日はもちます」
ベルタは紙を見ておりました。
それから、ぼそりと言いました。
「……何枚、焼けって」
「三千枚です」
「三千」
「五十日ございます。一日六十枚です。あなた一人では無理ですので、町の女を集めてください」
*
結局、十九人集まりました。
厨房を貸したのはヨナスです。竈を増やしたばかりで夜は空いておりますので、夜のうちに焼くことにしました。
最初の三日は散々でした。
焼きが甘い、厚みがばらばら、蜂蜜が多すぎて底が焦げる。ベルタが怒鳴って、若い娘が泣いて、翌日来なくなった者が二人おりました。
四日目に、わたくしは紙を一枚、厨房の壁に貼りました。
――生地は一枚あたり、手のひらの厚み。 ――竈の右は火が強い。右で焼くものは数を数えて、十数えたら回す。 ――蜂蜜は先に塗らない。焼いてから塗る。
ベルタが十五年やってきたやり方を、聞き取って文字にしただけです。
それを貼ると、新しく入った者でも三日で形になりました。
五日目に、来なくなった二人が戻ってきました。
*
三月の五日に、峠が抜けました。
二日早うございました。
六日の朝、最初の隊商が町に入ってきます。峠を越えて三日、宿にも入れず歩いてきた者たちです。
通りの入口に、屋台が出ておりました。
湯気が上がっております。
ベルタが両手を口に当てて、こう叫びました。
「焼きたてだよ! 蜂蜜たっぷり、一枚銅貨五枚!」
三千枚は、九日で売り切れました。
*
精算をしたのは三月の十七日です。
売上が銀貨で千五百枚。城への返済が四百二十枚。残りを十九人で割りました。
一人あたり、銀貨五十六枚です。
城の広間で、わたくしは一人ずつ名前を呼んで、布の袋を渡しました。
最初に受け取ったのは、来なくなって戻ってきた娘のほうでした。
十六歳です。袋を両手で持って、中を見て、それからわたくしの顔を見て、もう一度中を見ました。
「あの」
「はい」
「これ、あたしのですか」
「あなたが働いた分です」
娘はしばらく黙っておりました。
それから、袋を胸に抱えて、頭を下げました。
「……あたし、はじめて、自分の金を持ちました」
わたくしは返事をしませんでした。
できなかったのです。
三月前に、わたくしも同じ顔をしておりました。金貨十枚と言われて、意味が遅れて届いて、もう一度言ってくださいと申し上げた、あの日です。
あのとき、レオンハルト様は当たり前のことを言うようにこう仰いました。
働いたからだ、と。
わたくしは息を吸って、娘の顔を見て、同じように申し上げました。
「働いたからです」
その日のうちに、ベルタが来ました。
「来年もやるよ」
「はい」
「あとね、名前をつけたいんだ。店の名前」
「屋号ですか」
「あたしの店、十五年名前がないんだよ。屋台だからね。……でも今度は十九人いるんだ。名前がないと、誰の店だか分かんない」
わたくしは少し考えて、こう申し上げました。
「では、皆さんでお決めください」
「あんたが決めてくれよ」
「いけません」
わたくしははっきり申し上げました。
「あなた方の店です。名前は、持っている人がつけるものです」




