タイムマシンさえあれば
彼に初めて会ったのは、精神科病院の三階だった。
その日の午前中は小雨が降っていた。細い雨が病院の灰白色の外壁を濡らし、建物全体を水で洗ったのに、まだ汚れが落ちきっていないように見えた。ロビーには消毒液と、ゆでた青菜のようなにおいが混じっていた。壁には赤い標語が何枚か貼られている。
規則正しい生活。服薬を守ること。前向きに生きること。
本当は、来たくなかった。
新聞社で精神疾患に関する特集を組むことになり、編集長が私に取材を振った。
「やわらかく書け。人間味はある感じで、でも重すぎないように。読者は重すぎるものを読みたがらないからな」
「じゃあ読者は何を読みたがるんですか」
編集長は言った。
「自分より少しだけ重い他人の話だよ」
それで私は来た。ICレコーダーと取材ノート、それから少し品の悪い軽さを持って。適当な言葉をいくつか拾い、きれいな描写を何段落か入れ、ちょうどいい量の同情を添えれば、仕事は済むと思っていた。
看護師に案内された面談室は狭かった。机が一つ、椅子が三脚、鉄格子の入った窓が一つ。窓の外にはクスノキがあり、雨に打たれた葉が光っていた。
彼はもうそこに座っていた。
四十歳前後だろうか。髪は短く刈られ、色あせた青い病衣を着ていた。予想していた様子とは違い、混乱しているようには見えなかった。むしろきちんとしていた。爪は短く切られ、背筋は伸び、両手は机の上にそろえて置かれていた。まるで面接を待つ人のようだった。
私は座り、ICレコーダーのスイッチを入れた。
「森田さん、始めてもよろしいですか」
彼はレコーダーを見た。
「それは、タイムマシンの幼体です」
私は一瞬、言葉に詰まった。
彼は一本の指を伸ばし、レコーダーの外側を軽く叩いた。
「今はまだ未完成で、声を未来へ送ることしかできません。もう少し育てば、人間を過去へ送れるようになります」
私は取材ノートの一行目に書いた。
タイムマシン妄想。
それから顔を上げ、できるだけ穏やかに尋ねた。
「タイムマシンのことを、よく考えるんですか」
「よくではありません」彼は言った。「毎日考えます」
「どうしてタイムマシンが必要なんですか」
彼は窓の外の雨を見て、しばらく黙った。
「世界はもう滅びたからです」
私は何も言わなかった。
彼は続けた。
「これから滅びるんじゃありません。もう滅びたんです。私たちが今過ごしている日々は、滅びる直前の最後の一秒が残した残像です。あなたは家を出て、電車に乗って、コーヒーを買って、ここへ取材に来たと思っている。でも実際には、全部その一秒の中で繰り返し再生されている細部にすぎません」
彼の口調はとても落ち着いていた。壊れた家電の仕組みを説明しているみたいだった。
「世界はどうやって滅びたんですか」
「説はいくつもあります」彼は言った。「隕石、戦争、海水の逆流、太陽の消滅、時間システムの崩壊。医者は四番目が好きです。専門的に聞こえるからでしょう」
「あなたはどれを信じていますか」
「もっと小さいものを信じています」
「小さいもの?」
「ええ」彼は言った。「一人にしか分からないくらい小さいものです」
私のペン先が止まった。
彼はふいに笑った。
「政府が真実を隠しているとか、宇宙人が病院を支配しているとか、看護師は実はアンドロイドだとか、そういう話をすると思いましたか」
私も少し笑った。その笑いはぎこちなかった。正直、だいたいそんな話を想像していたからだ。
「違うんですか」
「違います」彼は言った。「看護師はただの看護師です。薬もただの薬です。昼食がまずいのも、陰謀ではありません」
その言葉で、私は初めて彼をきちんと見た。
ノートを一枚めくり、私は尋ねた。
「では、タイムマシンに乗れるとしたら、いつに戻りたいですか」
彼はほとんど迷わなかった。
「四月十九日。午後五時二十七分。旧駅、二番線」
その言葉を口にするとき、彼の話す速度はゆっくりだった。遺失物の番号を読み上げるようだった。
「その日、何があったんですか」
彼は手を机の下に引っ込め、少ししてから答えた。
「彼女が電車に乗りました。私は追いませんでした」
その一言のあと、部屋は静かになった。窓の外の雨音が急にはっきり聞こえた。クスノキの葉が雨に押され、時々はね返る。その音は、誰かが弦を軽く弾いているようだった。
私は自分がSFめいた話を取材しているのだと思っていた。世界の終わり、時間の残像、タイムマシンの幼体。けれど「彼女が電車に乗った」と彼が言った瞬間、それらの大きな言葉は急に小さくなった。隕石は落ちなかった。太陽は消えなかった。宇宙は裂けなかった。ただ一人の女性が電車に乗り、一人の男がホームに立ったまま、追わなかった。
彼は、その日も雨だったと言った。
旧駅は古く、ホームの屋根から雨漏りしていた。黄色い線のそばに、隙間から落ちる雨粒がぽつぽつと当たっていた。彼は二番線の柱の陰に立っていて、彼女が階段から下りてくるのを見た。灰色のコートを着て、黒い傘を手に持っていた。傘は開かれておらず、先端が床を点々と突いて、小さな水の跡を残していた。
「彼女はあなたに気づきましたか」
「気づきました」
「何か言いましたか」
「何も」
「あなたは?」
「私も何も」
彼は自分の手を見下ろした。
「電車が入ってくるとき、風が強くて、彼女の髪が少し持ち上がりました。アナウンスが言ったんです。『危険ですので、黄色い線の内側までお下がりください』。彼女は本当に下がった。別れるときまで、あの人はちゃんとルールを守るんだなと思いました」
私はその言葉を記録すべきか迷った。病歴に出てくる種類の言葉ではなかった。
「お二人はどういう関係だったんですか」
「もう少しで結婚する関係でした」
「なぜ結婚しなかったんですか」
「その前に、世界が壊れ始めたからです」
私は遮らなかった。
彼と彼女はかつて、城南の小さな部屋で一緒に暮らしていた。台所には一人しか立てず、洗濯機はベランダに置かれていて、冬は洗濯物が乾くのに三日かかった。お金はなかった。けれどその頃の貧しさはまだ恨みにはなっておらず、二人で笑い合える状況の一つにすぎなかった。
彼女は夜に古い映画を見るのが好きで、途中で眠ってしまった。彼はテレビを消さず、音だけ小さくした。彼女が起きて結末を聞くと、彼は適当に作って話した。彼女は毎回信じた。あるいは、信じたふりをした。
その後、日々は少しずつ悪くなった。急に悪くなったのではない。壁の隅に湿気が戻るように、最初は小さな染みにすぎず、誰も気にしない。気づいたときには、壁全体がもう柔らかくなっている。
二人は、小さなことでけんかをするようになった。水道代を払い忘れたのは誰か。返信しなかったのは誰か。言い方が悪いのは誰か。未来を軽く言いすぎるのは誰か。過去をつかみすぎるのは誰か。
「若い頃は、愛を壊すものは必ず大きいと思っています」彼は言った。「裏切り、病気、死、貧しさ。でも、そうとも限りません。洗っていない皿だったり、冷めたご飯だったり、『勝手にすれば』という一言だったり、相手が泣いているのを聞いているのに、自分だって傷ついていると思ってしまうことだったりします」
彼は私を見なかった。
私は急に、どう質問していいか分からなくなった。取材メモに書かれた質問はまだそこにあったが、どれも粗く、不釣り合いな鍵のようだった。
「それで、その日に戻って、彼女を追いかけたいんですか」
彼は首を横に振った。
「いいえ。もっと前に戻りたいんです」
「どれくらい前に?」
「すべてを、あんなに見苦しくする前に」
その言葉を聞いたとき、ICレコーダーがかすかに回る音がした。机に張りつくような小さな音で、黒い虫が時間をかじっているみたいだった。
取材の終わり際、私は自分では賢いつもりの質問をした。
「森田さん、現実にはタイムマシンはないと分かっていますよね」
彼は私を見た。少し哀れむような表情だった。
新聞社に戻ってから、私は午後いっぱいを使って取材記録を整理した。記事のタイトルはもう決めていた。
『タイムマシンを夢見る男』
編集長は好きそうだった。少し奇妙で、少しやさしくて、少し安全な悲しみがある。
けれど「旧駅、二番線」と書いたところで、手が止まった。
職業上の癖だったのかもしれない。あるいは、場違いな真面目さだったのかもしれない。私は旧駅について調べた。
旧駅は十七年前に改築されていた。その年の四月、駅の東側は工事で閉鎖され、二番線は前もって撤去されていた。四月十九日、その旧駅に列車は出入りしていない。
私は長いあいだ、パソコンの画面を見つめていた。
外はもう暗かった。新聞社のオフィスには数個の灯りだけが残っていた。同僚たちの席は空で、椅子の背にかけられた上着が、少しだけ席を外した人たちのように見えた。
私はもう一度、録音を再生した。
小さな機械から、彼の声が聞こえてきた。
「四月十九日。午後五時二十七分。旧駅、二番線」
あまりにも確かに、彼はそう言っていた。
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翌週、私はもう一度病院へ行った。
彼は同じ面談室に座っていた。雨はもうやんでいて、クスノキの葉は乾き、少し暗い色になっていた。
挨拶もそこそこに、私は印刷した資料を机に置いた。
「あの日、旧駅は使われていませんでした」私は言った。「二番線も存在しません」
彼は一瞥しただけで、驚かなかった。
「調べたんですね」
「つまり、あの日はそうではなかった」
「ええ」
「知っていたんですか」
「知っていました」
「じゃあ、どうしてああ言ったんです」
彼は顔を上げ、静かに私を見た。
「本当の日は、見栄えが悪いからです」
私は何も言えなかった。
彼はその資料を私の方へ押し返した。余計な証明を返すように。
「本当の日には、ホームも、雨も、灰色のコートも、黄色い線の内側に下がってくださいというアナウンスもありませんでした」彼は言った。「その日は夜でした。私たちは台所でけんかをしていました。換気扇が壊れて、部屋中が油のにおいでした。彼女は毛玉のついたパジャマを着て、袖口が伸びていた。ビニール袋には値引きの手羽先、長ねぎが二本、賞味期限の近い豆腐が一丁入っていました」
そこまで言って、彼は少し笑った。
「ほら、もう嫌な感じでしょう」
私は笑わなかった。
彼は続けた。
その日、二人はどちらも疲れていた。彼女は仕事から遅く帰り、彼も会社で叱られたばかりだった。夕食はまだ作っていない。シンクには皿が残っている。ゴミ袋は出し忘れている。彼女は、大家さんにまた電話していないのかと聞いた。彼は、今はやめてくれと言った。彼女は、責めているんじゃなくて聞いているだけだと言った。彼は、だったらその言い方をやめてくれと言った。彼女は、どんな言い方よと言った。彼は、その言い方だと言った。
本物の別れは、誰もきっかけを思い出せない口論になってしまった。
彼女は最後に言った。
「もう疲れた」
彼は言った。
「好きにすれば」
彼女はしばらく立っていた。彼が言い直すのを待っているようだった。けれど彼は何も言わなかった。包丁を持ったまま、まな板に視線を戻した。刃がまな板に落ちる音は鈍かった。
彼女は部屋へ戻り、バッグを取り、靴を履いた。ドアが閉まる音は大きくなかった。あのドアはもともと建てつけが悪く、閉まるときに小さく跳ねる。まるで小さなげっぷのように。
「聞こえていました」彼は言った。「でも、出ていきませんでした」
「どうしてですか」
「戻ってくると思ったからです」
「戻ってこなかった」
「戻ってきませんでした」
彼の声は低かった。
私はようやく分かった。旧駅、二番線、灰色のコート、黒い傘、アナウンスは、あとから付け足されたものだった。それらはきれいな布のように、油のにおいのする台所の上へかけられていた。
人は、自分の傷にきれいな形があってほしいと思う。できれば雨の日であってほしい。駅であってほしい。橋の上であってほしい。夕暮れの中であってほしい。そうすれば何年後かに語るとき、それは生活ではなく、運命のように聞こえる。
けれど多くのことは、そんなに美しくない。
多くの別れは、台所で、駐車場で、廊下で、コンビニの前で起こる。音楽も、スローモーションも、ちょうどいい台詞もない。あるのは油煙、請求書、疲れ、悪い機嫌、そして相手は戻ってくるはずだと思っている一人の人間だけだ。
「つまり、あの駅の話は作ったんですか」
「作ったんじゃありません」彼は言った。「直したんです」
「直した?」
「記憶が壊れていたから、少し補ったんです」
私は彼を見た。
「嘘に補ったんですか」
「見られるものに補ったんです」
私はその言葉を、すぐには書き留められなかった。
彼は椅子の背にもたれ、窓の外のクスノキを見た。
「あなたたち文章を書く人間だって、同じことをしているでしょう」彼は言った。「見栄えの悪い部分を削って、形のいいものを残す。間を沈黙と呼び、けんかを亀裂と呼び、言えなかった一言を一生の後悔と呼ぶ。あなたたちはそれを文学と言う。私が口にすると、症状になる」
反論したかった。けれど、うまい言葉が見つからなかった。
しばらくして、私は聞いた。
「ではあなたが欲しいタイムマシンは、本当のあの日へ戻るためのものですか。それとも、直したあの日へ戻るためのものですか」
彼は長く考えた。
「どちらでもありません」彼は言った。「もっと前へ戻りたいんです。彼女がまだ失望していなくて、私が彼女の失望を自分への非難だと思っていなくて、私たちがまだ、愛した相手を敵にしていなかった頃へ」
そして付け加えた。
「でも、もしあの日にしか戻れないなら、駅がいいです」
「なぜですか」
「駅なら、少なくとも追いかけられるからです」
私は彼を見た。その言葉は、どんな妄想よりもはっきりしているように思えた。
取材の終わりに、彼は私に尋ねた。
「あなたは、自分のことを書いたことがありますか」
「私は小説家ではありません」
「なら、書いたことがあるんですね」
私は答えなかった。
病院を出ると、空はよく晴れていた。中庭の地面は乾いていて、看護師に付き添われた患者たちが歩いていた。一人の老人が花壇のそばにしゃがみ、アリが何かを運ぶのを真剣に見つめていた。
新聞社に戻り、私はもとのタイトルを消した。
『彼が戻りたい日は存在しない』
正確で、残酷なタイトルだった。私は三千字を書いた。彼のこと、旧駅のこと、存在しない二番線のこと、油のにおいがこもる台所のこと。最後まで書いて、手が止まった。
突然、一人の人を思い出したからだ。
長いあいだ、私は人に彼女の話をするとき、私たちは橋の上で別れたのだと言っていた。
その橋は細い川に架かっていた。夕方、川面は暗く、欄干は少し冷たかった。彼女は橋の向こう側に立ち、私はこちら側に立っていた。風が二人のあいだを通り抜け、言えなかった言葉を代わりに言ってくれたようだった。
その話を、私は何度もした。何度も話すうちに、自分でもほとんど信じるようになっていた。
けれどその夜、パソコンの白い光の中で、私はふいに思い出した。橋ではなかった。
私たちはショッピングモールの地下二階の駐車場で別れた。
照明は白く、床にはどこかの車から漏れたらしい水たまりがあった。空気はガソリンとゴムのにおいがした。彼女は封筒を一つ私に渡し、「あなたがうちに置いていったもの」と言った。
「これだけ?」と私は聞いた。
「これだけ」と彼女は答えた。
そしてエレベーターへ向かった。私はその場に立ったまま、封筒を持っていた。エレベーターの扉が閉まる前、彼女は振り返らなかった。私も追わなかった。隣では一台の車がバックで駐車しようとしていて、運転が下手で何度も切り返していた。タイヤの音が、ずっと甲高く響いていた。
それが本当だった。
橋も、風も、私たちの代わりに言葉を言ってくれる川もなかった。
地下駐車場と、一通の封筒と、耳障りなバックの音だけだった。
私はデスクの前で、ふと笑った。笑ったあと、胸の中が空っぽになったように感じた。
その夜、私は原稿を編集長に送らなかった。文書を閉じ、もう一度録音を再生した。小さな機械から、彼の声がまた聞こえてきた。
「タイムマシンさえあれば」
私は長いあいだそれを聞いていた。
やがて、最初の一文を書いた。
> 彼が戻りたいその日は存在しない。それでも彼は、そこで何年も生きていた。
その一文を書いて、私はまた手を止めた。
窓の外で、街はまだ明るかった。地下鉄はいつも通り走り、コンビニはいつも通り営業し、階下では誰かがけんかをし、誰かがキスをし、誰かが終電へ急ぎ、誰かが半額の弁当を買っていた。世界は滅びていないように見えた。むしろ、ずいぶん手慣れた様子で回っていた。
それが一番奇妙だった。
一人の世界が終わっても、他人の時計は一秒も遅れない。
翌朝、編集長が原稿はどうなったと聞いた。
「あと少しです」と私は言った。
「何が足りない」
考えてから、私は答えた。
「タイムマシンが一台」
編集長は私を見て、冗談だと思ったらしく笑った。
私は説明しなかった。
その日の午後、私は原稿を彼に送った。手紙も、挨拶も添えなかった。三日後、病院経由で封筒が届いた。中には紙が一枚だけ入っていた。
そこにはこう書かれていた。
> あなたの文章は取材記事に見えません。
> 供述調書に見えます。
私はその紙を取材ノートに挟み、旧駅の資料と一緒にした。
その記事は結局、掲載されなかった。
編集長は、話題性が足りないと言った。
何年も経った今でも、私は時々彼を思い出す。
彼がその後退院したのか、今も世界はもう滅びたと言い続けているのか、私は知らない。もしかしたら彼は今もあの面談室に座り、ICレコーダーをタイムマシンの幼体だと言っているかもしれない。あるいはもうタイムマシンの話はやめ、天気や食事や、今年のクスノキは葉が落ちるのが早いかどうかを話しているかもしれない。
ただ、私には分かる。
過去を変えられると本気で信じているわけではない人たちがいる。
彼らはただ、過去があんなふうに起きてしまったことを受け入れられないのだ。
人生でいちばん大事な一日にしては、あまりにもそれらしくなかったから。
けれど世界は、体裁を整えてくれない。
ただ続いていくだけだ。




