三話 物資管理局
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物資管理局。
いわば皇宮の「物」を支える場所だ。
食材、衣類、薬品、建築物資など皇宮で必要になるものを管理し、必要としている場所へ届ける役割を担っている。
皇宮には皇族だけが暮らしているのではない。
侍女や侍従、料理人、庭師、騎士、文官、研究者など、多くの人間が働いている。
当然、それだけの人間が生活するためには大量の物資が必要になる。
朝には厨房へ食材を届け、昼には各部署から出された物資の申請を確認し、夕方には翌日に必要となる物の準備をする。
それ以外にも、建物の修繕が必要になれば木材や石材を手配し、薬品が不足すれば薬師や研究所へ連絡を取る。
皇宮内で何か一つでも物が足りなければ、その影響はすぐにどこかへ現れことになる。
そのため、物資管理局は皇宮の中でも比較的重要な部署の一つだ。
「こんなに忙しそうな場所とはな~。うまくやれるかな?」
皇宮に向かう馬車の中で、スノウに渡された資料をめくりながらレンは呟いた。
膝の上には分厚い資料。
その隣には衣類や雑貨。
足元には箱。
そして、向かいの座席にも箱。
レンが皇宮で生活するために必要な物を一通り積み込んだ結果、馬車の内部はレン一人でも狭く感じるほどになっていた。
「......これ、家具まで持ってくる必要あったのかな」
目の前に積まれた箱を見る。
寮の部屋に置く予定の小さな棚まで入っている。
一応、自分で選んだものではある。
けれど、今になって考えてみれば、皇宮に家具を持ち込む必要が本当にあったのかは分からない。注文して運んでもらった方が楽だったのではとすらと思ってしまう。
まあ、持ってきてしまったものは仕方がない。
レンは再び資料へ視線を落とした。
物資管理局の概要。
組織図。
業務内容。
職員一覧。
そして、派遣先となる自分の名前。
「..........。」
職員一覧のページで手が止まる。
名前と役職。
年齢。
所属。
家柄などが簡単に記されている。
「イヴ・フェリー........物資管理局局長」
資料に載っている似顔絵へ視線を向ける。
長い金髪。
モノクル。
深い緑色の瞳。
説明欄には、几帳面、合理的、不正を嫌う、観察眼が鋭い。
「なんか、偏屈そうな顔の人いるんだけど~。」
失礼な感想を口にした後、次のページを見る。
「えっ、この人は侯爵家の人じゃんっ。」
さらにページをめくる。
「.......同性の子もいてよかった。」
レンが見ているのは物資管理局に所属する事務官たちの一覧だった。
貴族の子女もいれば、平民出身の者もいる。年齢もばらばらだ。
皇宮で働く以上、もっと堅苦しい人間ばかりなのかと思っていたが、資料を見る限りそうでもないことがわかる。
ただ、似顔絵を見ただけでは人柄までは分からない。
「まあ.......。」
レンは資料を閉じた。
「なるようになるか。」
そもそも、レンは環境にそこまでこだわる性格ではない。嫌な人間がいたところで、仕事に支障がないならそれでいい。
仕事そのものも嫌いではない。
ただ、積極的に仕事をしたいわけでもない。
与えられた仕事を終わらせて、好きな術をいじって、それなりに生活できれば十分だと思っている。
そんなレンにとって、今回の皇宮への派遣は予定外だった。
昨日までは商会の屋敷で家族と食事をしていた。明日の予定を確認し、いつも通り仕事をして、帰宅する。
それが普通だと思っていた。
どこか遠くへ羽ばたきたいという漠然とした夢は幼い頃からあった。
けれど、羽が十分に乾ききっていない。
それか、飛び立つ勇気がないだけなのか。
結局、自分が今いる場所から動こうとしたことはなかった。
商会も、家族も、今の生活も。
嫌いではない。
だからこそ、自分から捨てる理由もなかった。
それなのに、母から突然「皇宮へ行け」と言われた。
「ほーんと、急だったなぁ。」
馬車の窓から外を見る。
見慣れた皇都の街並みが流れていく。
やがて建物の数が減り、代わりに高い城壁が見えてきた。
皇宮だ。
レンは少しだけ背筋を伸ばした。
皇宮へ入るのは初めてではない。
商会の仕事で納品に来たことはある。
だが、それはあくまで商会の人間としてだった。
今回は違う。
今日からここで生活する。
「.....長いな。」
皇宮へ続く門を見上げながら、レンは呟いた。
馬車が門の前で止まる。
警備をしていた騎士に身分証と書類を提示し、確認が終わると馬車はゆっくりと皇宮の中へ入っていった。
皇宮の敷地内は想像していたよりも広かった。建物がいくつも並んでいる。
それぞれの建物には役割があるらしく、廊下を歩く人間の服装も少しずつ違っている。
騎士。
文官。
侍女。
研究員。
そして物資を運ぶ職員。
一つの街がそのまま皇宮の中にあるような感覚だった。
「こちらが物資管理局です。」
案内役として迎えに来ていた職員が建物を指した。
三階建ての大きな建物。
外から見ても人の出入りが多い。
そして、建物の前には何台もの荷馬車が止まっていた。
「..........多いですね。」
「今日はまだ少ない方ですよ。」
「これで?」
「ええ。」
レンは黙った。
少なくとも、自分が想像していた静かな役所とは違うらしい。
馬車から荷物を下ろす職員たちの横を通り、建物の中へ入る。
中に入った瞬間、さらに人の多さが目についた。
「この箱は厨房へ!」
「薬品の確認は終わった?」
「午前の申請分、まだ局長室へ回ってないわよ!」
「誰か、東棟の布の数量を確認して!」
あちらこちらから声が聞こえる。
書類を抱えた職員が廊下を行き交い、奥では大きな荷物を運んでいる。
レンは少しだけ目を丸くした。
「......本当に忙しいんですね。」
「物が止まると皇宮全体が止まりますから。」
案内役の職員が苦笑する。
「特に食材と薬品は毎日動きます。その他にも衣類や備品、建築資材などがありますので。」
「なるほど。」
レンは周囲を見ながら頷いた。
商会でも大量の物を扱ってきた。
けれど、商会の場合は基本的に利益を出すために物を動かす。
ここでは違う。
皇宮で必要とされる場所へ、必要なものを、必要な量だけ届ける。
一つ間違えれば誰かの仕事が止まる。
もしかしたら、自分が思っているよりずっと神経を使う仕事なのかもしれない。
「まずは局長室へご案内します。」
「はい。」
廊下を進む。
やがて、人通りが少し減ってきた。
一番奥にある扉の前で案内役が足を止める。
「こちらです。」
レンは扉を見た。
資料に載っていた名前が頭に浮かぶ。
イヴ・フェリー。
物資管理局局長。
「.........。」
少しだけ嫌な予感がする。
「どうしました?」
「いえ。」
レンは小さく息を吐いた。
そして扉を二回叩く。
「失礼します。」
「入れ。」
中から低い声が返ってきた。
レンは扉を開ける。
まず目に入ったのは、大きな机だった。机の上には大量の書類が並んでいる。
その向こう側に、一人の男が座っていた。
長い金髪を後ろで一つにまとめている。左目にはモノクル。
深い緑色の瞳が書類からゆっくりとこちらへ向けられた。
資料で見た顔と同じだった。
「.........レン・ラッセルです。」
「知っている。」
短い返答。
レンは少しだけ瞬きをする。
「ティアーズ商会から派遣された人間だな。」
「はい。」
「座れ。」
「失礼します。」
レンは向かい側の椅子へ腰を下ろした。
イヴは手元の書類をめくる。静かな部屋に紙をめくる音だけが響く。
「十八歳。」
「はい。」
「仕入れ・下請取引を担当していたと。」
「そうです。」
「商会に正式に所属してから四年。ただし、商会長の娘であるため幼少期から商会の仕事を手伝っていた。」
「.......そこまで書いてあるんですね。」
「当然だ。」
イヴは顔を上げた。
「皇宮で働く人間について、最低限の情報を確認するのは当然のことだろう。」
「それもそうですね。」
レンは素直に頷く。
イヴはしばらくレンを見ていた。
「今回の派遣について、どこまで説明を受けている?」
「皇宮との取引条件の一つとして、ティアーズ商会から人員を一人派遣することになった、とだけ。」
「それだけか?」
「はい。」
「.......そうか。」
イヴはそれ以上追及しなかった。
「君に求めることは一つだ。」
レンが顔を上げる。
「物資管理局の職員として仕事をすること。」
「はい。」
「ティアーズ商会の娘だからといって特別扱いはしない。君自身も商会の名を利用して、こちらの業務へ不必要に干渉することは認めない。」
「分かりました。」
「逆に、必要な場面では商会で培った知識を使ってもらう。」
「...はい?」
そこで初めてレンは少し興味を持った。
「商会での経験も使っていいんですか?」
「経験を持っている人間を呼んでおいて、それを使うなと言うほど私は愚かではない。」
「なるほど。」
意外と話が分かる人なのかもしれない。
レンがそう思ったところで、イヴが書類の一枚を手に取った。
「それと、ここに術式に関する記録があるが...」
「....はい。」
「君は術式が好きなのか?」
「好きです。」
今度は迷いなく答えた。
「実用性のないものも?」
「むしろ、そういうのが好きです!」
イヴの眉がほんの少し動いた。
「.....そうか。」
それ以上は何も言わない。
レンも何となく気まずくなり、視線を逸らした。
「.....ここからは仕事の便宜上レンと呼ぶこととするが、差支えないか?」
「はい。」
「では、仕事について次長から説明を受けてもらう。」
「はい。」
「ニコルを呼んでくれ。」
イヴが机の上の呼び鈴を鳴らした。
ほどなくして扉が開く。
「お呼びですか、局長。」
入ってきたのは一人の女性だった。灰色の髪を短く切り、右目の下に小さなホクロがある。
資料に載っていた人物と一致する。
ニコル・トランタン。
物資管理局次長。
「こちらがレン・ラッセル。」
「初めまして。ニコル・トランタンです。」
ニコルは柔らかな笑みを浮かべる。
「今日からこちらで働くことになる方ですね。よろしくお願いします。」
「初めまして。レン・ラッセルです。こちらこそよろしくお願いします。」
「では、あとは任せる。」
「はい。」
イヴは再び書類へ視線を戻した。
「配属先については、局内を見せてから判断してくれ。」
「承知しました。」
レンも立ち上がる。
「それでは失礼します。」
扉へ向かおうとしたところで、後ろから声が飛んできた。
「レン。」
「はい?」
振り返る。
イヴは書類を見たままだった。
「派遣されたからといって、遠慮する必要はない。」
「.....はい。」
「ただし、仕事はきちんとしろ。」
レンは少しだけ笑った。
「それなら大丈夫です。」
「そうか。」
それだけだった。
レンはニコルとともに局長室を出る。
扉が閉まる。
廊下を歩き始めてすぐ、ニコルが口を開いた。
「緊張しましたか?」
「ちょっとだけ。」
「イヴ局長はああいう方ですから。」
「話す前はもっと怖い人だと思ってました。」
「ふふっ。怖いですよ。」
「あ~やっぱりですか?」
「でも、理不尽な方ではありません。仕事をきちんとしている人には厳しくありませんから。」
「それならよかったです。」
ニコルは笑いながら歩き続ける。
「さて、レンさんにはまず局内を見てもらいましょうか。」
「お願いします。」
「その後、配属先を決めます。物資管理局にはいくつか担当がありますから。」
「どんなものがあるんですか?」
「食材、衣類、薬品、建築資材、それから備品や倉庫管理などですね。担当によって仕事の内容も少し違います。」
「結構色々あるんですね。」
「ええ。レンさんは商会で仕入れを担当していたとのことなので、取引関係の仕事が一番馴染みやすいかもしれません。」
「それは......。」
レンは少し考える。
「どうでしょうか。」
「違います?」
「嫌いじゃないんですけど、ずっと同じことをするのもなぁ、と思うところもあって。」
「なるほど。」
「せっかく皇宮に来たんだから、商会ではやらなかった仕事も見てみたいです。」
ニコルが少し驚いたようにレンを見る。
「意外ですね。」
「そうですか?」
「もっと早く商会へ帰りたいのかと思っていました。」
「仕事がある場所に身を置いているだけです。」
「ふふっ」
ニコルが笑う。
「正直ですね。」
「よく言われます。」
二人はそのまま廊下を進んでいった。
最初に案内されたのは食材を扱う部門だった。大きな帳簿を前に職員が何人も座っている。壁には納品予定の一覧が貼られていた。
次に向かったのは衣類を扱う部門。布や制服などが種類ごとに管理されている。
その隣には薬品を扱う部門があり、ここだけは出入りする人間も少し慎重だった。
「薬品は種類が多いので、管理が厳しいんです。」
「確かに、間違えたら大変そうですね。」
さらに進むと、大きな倉庫へ続く扉があった。
「ここが倉庫です。」
扉が開く。中には大量の箱が並んでいた。
棚には番号が振られ、箱にもそれぞれ札がつけられている。
「.....すごい。」
レンは思わず足を止めた。
商会の倉庫もそれなりに大きかった。
だが、ここは規模が違う。
そして何より、物の種類が多い。
「これ、全部管理してるんですか?」
「そうですよ。」
「大変そう。」
「もちろん、大変です。」
ニコルはあっさり答えた。
「だから人手が必要なんですよ。」
レンは倉庫を眺める。
大量の物。
大量の帳簿。
そして、それを管理する人間。
商会とは違う。
けれど、物を扱うという意味では似ているところもあると感じる。
「.......。」
少しだけ興味が湧いた。
皇宮へ来る前は、面倒なことになったと思っていた。
今もそれは変わらない。
自分が心地よいと感じていた環境から離されたことへの引っかかりもある。
それでも、この場所で何をしているのかを知ること自体は悪くないかもしれない。
「レンさん?」
「はい?」
「どうしました?」
「いえ。」
レンは倉庫の中をもう一度見た。
「ちょっと面白いなって。」
「そうですか?」
「はい。」
ニコルは嬉しそうに笑った。
「それならよかったです」
こうして、レンの皇宮での生活が始まった。
このときはまだ知らない。
物資管理局で扱われる「物」の中には、ただの食材や衣類だけではなく、皇宮の中で起こる様々な出来事へ繋がるものもあることを。
そして、何気なく選んだ一つの仕事が、これからの彼女の生活を少しずつ変えていくことを。
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