Case2:狂戦士の子供用木馬
朝の冷たい光が、異世界忘れ物センターの古びた木製の窓口を淡く照らし出す。
クラフトは微かに埃の舞うカウンターに置かれているノートを開いた。
昨夜の自分が、消えかける意識の中でかろうじて書き残した文字が、朝の静けさの中で不気味にインクの黒さを保っている。
『一、私は遺物の浄化係。
二、死者の未練(黒い染み)をごまかさず、自らの手でカタチにして拭い去ること。
三、自分の名前は、クラフト』
「・・・よし。」
昨日の朝は自分の名前すら霞んで読めなかったが、今朝はまだはっきりと判読できる。
クラフトは小さく息をつくと、冷え切った両手をこすり合わせ、カウンターの下から本日の依頼品を取り出した。
昨日の夕方、兵士が持ってきた依頼品である。
ガチャン、と重い金属と硬質な木が擦れ合う音がして置かれたのは、お世辞にも綺麗とは言えない、ひび割れた未完成の子供用の木馬だった。
かつて大陸を震え上がらせた「狂戦士」ガザム。
前線に立てば敵の軍勢を一歩で踏み潰し、味方ですらその暴虐を恐れたという逸話の残る伝説の猛者だ。
彼がどこの戦場に行くときも持参し、遺品としてセンターに持ち込まれたのは、血塗られた大剣でも、数々の武勲を物語る黄金の鎧でもなく、
この素朴で小さな、戦場にはおよそ似つかわしくないあまりにも不恰好なおもちゃだった。
「狂戦士が、子供用のおもちゃか・・・。」
クラフトが白い手袋をはめた指先で木馬の背にそっと触れた瞬間、ズシリと重い空気が周囲の空間を歪ませた。
ドロリとした黒い染み―――死者の強い執着が、木馬の表面から這い出るように視界を侵食していく。
クラフトは大きく息をすると目を閉じ、死者の記憶の波長へと自身の意識を同調させていく。
そしてその遺物に宿る過去の記憶へとダイブした。
脳裏に流れ込んできたのは、華々しい戦場の英雄譚などではなかった。
血と泥にまみれ、兜も剥ぎ取られたガザムが、文字通り死地から這うようにしてボロボロの体で帰還した、荒れ果てた小さな小屋の一幕だった。
『父ちゃん、おかえりっ!』
薄暗い部屋の奥から駆け寄ってきたのは、まだあどけない幼い我が子だ。
ガザムは片膝をついて床に膝まづき、その巨大でゴツゴツとした、幾千もの命を断ってきた『人斬りの手』で、背中に担いだ袋からそっと未完成の木馬を差し出した。
だが、そのときすでにガザムの体は、度重なる呪いと戦闘の反動によって崩壊寸前だった。
彼が再び戦場へ赴けば、二度と生きて帰れないことは誰の目にも明らかだった。
狂戦士の心に巣食っていたのは、勝利の栄光でも、強者としての誇りでもない。
ただ、圧倒的な恐怖と、底知れぬ自責の念だった。
『俺が戦わなければ、この子たちが食っていく金が手に入らない。
だが・・・こんな汚れた手で、こんな血塗られた腕で、こいつを抱きしめてもいいのか。』
父親として何もしてやれなかったという悔恨。
ただ暴力の道具として生き、我が子に十分な温もり与える前に消えなければならないという絶望。
その強烈な未練が黒い染みと化し、木馬の木肌を内側から腐蝕させていた。
彼は我が子の前で泣くこともできず、ただこの木馬を不器用に削ることしかできなかったのだ。
視界が現実のカウンターへと戻る。
クラフトは深く息を吐き出し、目の前の木馬を見据えた。
死者の未練は、その感情の澱を誰かが「受け止め、物理的な形として清算」しなければ、世界に残り続けてしまう。
クラフトは引き出しから、浄化用の道具である「銀の彫刻刀」と「特殊な修復液」を取り出した。
「お前はただ壊れていたわけじゃない。・・・きちんと形にしてやらなくてはな。」
クラフトは決意を込めると、その手で木馬のひび割れた部分に向き合った。
・・・・・
クラフトの目的は、単に過去の記憶を覗いて同情することではない。
死者が遺した『形にならない未練』を、現実の物質世界において自分が『代わりに完遂させる。あるいは弔うこと』―――それこそが、クラフトに課された実際の浄化行動だった。
狂戦士ガザムが果たせなかったこと。それは、『我が子のために、この木馬を完璧な形にして手渡すこと』だ。
クラフトは銀の彫刻刀を手に取り、木馬の割れた背中や、削りかけだったたてがみの部分に刃を立てた。
ガリリ、ガリリと硬質な木肌を削る音が静まり返ったセンターに響く。
「うっ……!」
作業を進めるたび、木馬に染みついたガザムの絶望と自責の念が、クラフトの肉体に直接逆流してくる。
「俺は化け物だ。」
「子どもに触れてはならない。」という狂戦士の叫びが、クラフト自身の脳髄を焼き焦がすように疼かせた。
自分の名前や記憶が、その痛みに削られていく。
それでもクラフトは手を止めない。
自分の存在が削ぎ落とされる痛みを堪えながら、彼は狂戦士の遺した不器用な木馬を、ひたすら丁寧に、祈りを込めて削り直していく。
日付が変わるころ。
傷だらけだった木馬の表面が、驚くほど滑らかに整えられていく。
最後に、クラフトは用意していた蜜蝋の修復液を布に含ませ、その木肌を優しく磨き上げた。
ガザムの荒々しい手では決して仕上げられなかった、美しく、手触りの良い木馬。
それを彫り終えた瞬間―――。
木馬の表面を覆っていたドロドロの「黒い染み」が、まるで朝露が陽光に晒されるように、スッと霧散して消えていった。
「・・・はぁ、はぁ・・・。」
クラフトは彫刻刀を取り落とし、カウンターに両手をついて荒い息をつく。
目の前にある木馬は、先ほどまでの禍々しさが嘘のように、あたたかな飴色の輝きを放ち、まるで本当に子供が遊んでいたかのような優しい気配をまとっていた。
パズルのピースがカチリと音を立てて嵌まるように、世界の因果律が微かに書き換わる。
その瞬間、クラフトの脳裏の奥で、また一つ、大切な何かが「プチッ」と音を立ててちぎれた気がした。
「・・・くっ!」
手を引っ込めたクラフトは、自分の胸元にぎこらしく手を当てる。
今、自分は何をしていた? 目の前にある木馬が誰の遺物だったか、なぜ自分はこんなにも疲弊しているのか。
ほんの一瞬、思考の輪郭が霧のようにぼやけ、自分が誰かすら分からなくなりかける。
慌ててカウンターのノートに目をやった。
『一、私は遺物の浄化係。
二、死者の未練を、自分の手でカタチにして拭い去ること。
三、自分の名前は、クラフト』
「・・・そうだ。私はクラフト。大丈夫・・・。大丈夫だ。」
冷や汗を拭い、カウンターに目を向ける。
そこには、先ほどまでのひび割れが綺麗に直り、温かな木肌を湛えた小さな木馬がポツンと佇んでいた。
黒い染みは完全に消え、そこにはもう、ガザムの悲痛な執着も残されていない。
世界は今日も平和だ。
誰もがガザムという狂戦士のことを思い出すこともなく、穏やかな日常を謳歌している。
その平和の裏側で、彼の遺した不器用な優しさを自らの手で完成させ、その代償として自分の記憶の断片をまた一つ世界に明け渡したことにも気づかずに―――。
クラフトは震える手でペンを握り直し、静まり返ったセンターのカウンターで次の依頼品へと向き直った。




