六十七話 ティアリーチェ伯爵の罪
もうずっと、お嬢様に会えていない。
「フィオレ、ダリア。なかなか会えない人に会うには、どうすれば良いと思う?」
「お嬢様……!」
鏡台の前でフィオレに髪をとかしてもらいながら、二人に尋ねる。眉を軽く寄せて尋ねた私に、真っ先にダリアが反応した。焦げ茶の瞳が好奇心旺盛に輝いて鏡越しに私を覗き込む。
「その“会えない人”って、お嬢様の好きな方ですか?!」
「す……いえ、違うわ」
お嬢様は確かに私の“好きな方”だけれど、今ダリアが言っている意味での“好きな方”では無い。私のお嬢様への気持ちは、お友だちとしての気持ちだ。
ダリアの質問に目を見張りながら否定すると、彼女は分かりやすく肩を落とした。食いつきは良くてもしつこく追求はしないのが、実に彼女らしい。気が楽だ。
「もしかして、“会えない人”というのは伯爵令嬢のことですか?」
「……うん」
後ろのフィオレの確認に小さく頷く。左手のブレスレットが部屋の光を反射した気がした。
今日は伯爵邸に到着してから六回目の夜。そして、お嬢様と会えなくなってから二日が過ぎていた。対して、私たちが帰るのは八日後の朝。
──あまりにも、時間が無さすぎる。
昨夜お嬢様の手紙を読んでから既にまる一日経ってしまった。このままでは何も出来ずにこの屋敷を発つことになってしまう。膝の上で寝衣を握りしめていると、フィオレの落ち着いた声が耳に入った。
「伯爵令嬢は体調を崩していらっしゃるのだそうですね。滞在期間はまだあと一週間あります。きっと会えますよ」
落ち込んだ様子の私に鏡越しに微笑んで、フィオレは髪を梳る手を止めた。
「もうお眠りになるお時間ですね。私たちはこれで失礼します」
「失礼します、お嬢様」
「……うん。ありがとう、ふたりとも。おやすみなさい」
二人が部屋を出ていき、室内には私一人だけになった。目を閉じて魔力探知を行うが、部屋に近付こうとしている人は居ないようだ。ほっとため息をついて、サイドテーブルから小さな箱を取りだして鍵を開ける。お嬢様からいただいたお手紙が、入っていた。
「……」
無言で取りだして、手紙を広げて再度内容を確認した。……何度読んでも、間違っていない。お嬢様の勘違いでない限り、この事実は存在するのだろう。
「はぁ……」
手紙を折りたたんで頭を抱える。精神的には成人しているとはいえ、10歳の子どもがどうにか出来る問題とは到底思えなかった。
──ティアリーチェ伯爵の脱税。領民から徴収した税金の額の虚偽申告。散財の末の借金。
「まさか……こんなことをしていたなんて」
伯爵が嫌いだと自認している私ですら衝撃的だったのだから、これを知った時のお嬢様の衝撃は計り知れない。ご両親の期待に応えようと健気に努力している方だから、なおさら。
──その“期待”すら薄汚れた理由からだったけれど。
書かれていた内容を思い出して、思わず唇を噛んだ。伯爵夫妻は、あの人たちは、……あいつらは、なんて身勝手な人間なのか。あれほど高潔で誇り高いお嬢様の親であるという自覚は無いのか。
手紙に書かれていた内容は、主に三つだ。
一つ目は、伯爵の脱税の件。三月の初旬、お嬢様は深夜に伯爵夫妻が伯爵家の資金源について話している場面に偶然遭遇してしまったらしい。散在家な二人の影響で伯爵家はお金が足りておらず、ここ五年ほど脱税を続けていると聞いたと、手紙には書かれてあった。……三月の初旬。お嬢様が寝込み始めたのもその頃だ。このことを知ったショックもあったのだろうか。
二つ目は、伯爵家の借金の件。多額の借金を負っている夫妻は、利子がつくのもあって返済が間に合っておらず、その借金額は膨れ上がっていっているらしい。そして……
“いざとなれば私の夫に適当な資産家を宛がって伯爵位を継がせればいい。二人はそう話していたわ。”
「ふざけるな……っ」
怒りを抑えるように枕を持つ手に力を込めた。
──お嬢様は、夫妻のための道具なんかじゃない……!!
お嬢様の夫となる人に爵位を継がせるということは、外部の関係ない人間に伯爵家を任せるということだ。才気あふれる優秀なお嬢様が居るというのに、部外者に歴史ある家を渡すということだ。夫妻の贅沢な暮らしのために、伯爵位を継ぐはずのお嬢様の輝かしい未来を潰し、その由緒正しい歴史に泥を塗るということだ。我が子を自分の欲を満たすために道具とするその精神は、野生の獣にも劣る。
……伯爵夫妻がお嬢様に教育を施していた理由は、社交界で名高い完璧な淑女に育て上げて資産家の結婚相手とさせるためだった。もっと推測してみると、結婚相手が領主として無能でも一生支え続けられるようにするためだったのかもしれない。
「……お嬢様は真剣に領民のことを思っているのに……」
あの方ほど次期領主として相応しい方はいない。この方の統治する土地の領民として生きられたら幸せだろうと思えるほど、素晴らしい方なのに。
ご本人の意志とは関係ないところでその未来が潰されるかもしれなかった可能性にやるせなさと怒りが込み上げる。
──人の人生は、未来は、誰かに利用されて歪められたりなんてしてはいけない。この世の誰にも、そんなことをしていい権利は無い。
手紙を読んでから一日経った今でも、それらが収まる気配はなかった。
三つ目は、伯爵邸の使用人の生活の安定のために伯爵の罪を国に告発する手伝いをして欲しい、というものだった。
領民から徴収したお金は、国や領地を潤すために使うべきものだ。土地を治めている働きの分のお金や使用人のお給金に使うことはあっても、脱税をしてまでそれらを私欲のために使うなんて、間違っている。領民の、領主への信頼を裏切る行為だ。お嬢様がそれを正したいと思うのも最もだろう。……私も、伯爵の脱税は許せない。
……けれど、帝国の貴族令嬢として表立って三つ目のお願いを叶えることは難しいだろう。下手をすれば国同士の問題になってしまうからだ。そのため、私ができる手伝いといえば、ヴィザーテの名前を出さずに出来る程度のものとなる。だからこそ、お嬢様は私に“信用出来る人に手紙の内容を伝えて欲しい”とおっしゃったのだ。
「信用出来る人……」
思い浮かぶ人は、居る。けれどそもそもの前提として、お嬢様のこのお話が合っているかというのが問題になる。もしも、間違っていたら。お嬢様の勘違いだとしたら、取り返しのつかないことになるかもしれない。もう一度、会って確認したかった。
──けれど、会えなくちゃ確認のしようがないし……
そこまで悩んで、ふと光明が差した心地がした。
……この二日間、お嬢様に会えていないのはなぜか。本当に体調を崩している可能性もあるが、それは無いだろう。お嬢様がわざわざ“会えなくなったらこの手紙を読んでほしい”とおっしゃって、その次の日からすぐに会えなくなったのだ。ここに因果関係が無いとは考えられない。
つまり。
──お嬢様はこうなることを予測していた……?
この状況を作り出せるのは伯爵のみ。なぜ伯爵がお嬢様と私を会わせようとしないのか。外部の人間に知られてはまずい情報をお嬢様が持っていると知ったからではないか。
例えばそう。伯爵の脱税や借金の情報など……
――それなら、話は早いわ。明日早速あの人に話をしてみよう。
そう決意して、お手紙をサイドテーブルに戻してベッドの中に潜り込んだ。
◇◇◇
翌朝、私は朝の支度を手伝いに来たフィオレたちに言伝を頼んだ。
「言伝ですか?」
「うん。ここを出る時にちょっと忘れ物をしちゃったの。その確認をしたいから、少し会う時間を作ってもらうよう伝えてくれる?」
聞き返してきたダリアに頷く。焦げ茶の瞳を見ながら続けた。
「侍女長の、アマルダ・アムールさんに」




