五十二話 家族旅行 出立の日
「荷物は全部入れたか?忘れ物は?」
「ありません!」
シル兄様の確認の言葉に、力強く頷く。昨晩と早朝で、トランクの中身は何度も確認した。着替えも、身支度用品も、暇つぶしのための本も、必要なものは全て詰めた。
「じゃあ、荷台に乗せるから貸してくれ」
「お願いします」
トランクを兄様に渡して、荷台に乗せてもらう。馬車の中で読む用の本を手に持ちながら、お父様とお兄様はどこに居るのかと周囲を見回す。
お二人とも、馬車の近くに居た。お父様は魔塔の魔術師たちや補佐官たちと不在中の業務内容について、お兄様はこの旅で護衛をしてくれる騎士たちや御者と行程について、話し合っていた。出立まではもうしばらくかかりそうだ。
「アメリ。先に乗り込んでいた方がいい」
「分かりました……シル兄様ももう乗られますか?」
「そうだな……俺もそろそろ乗っておこうかな」
魔法陣の準備ももうすぐ終わるし……と、門の方を見て呟く。
……今回の旅は、フラエルムと直接面している帝国の西端の所に転移して、そこから伯爵領まで一週間ほどかけて馬車で向かう日程となっている。向こうでの滞在期間は二週間ほどで、帰る時も同じ道程を繰り返す。つまり、ここに戻ってくるのは一ヶ月後となる。バルドお兄様によると、建国祭の直前の時期になるそうだ。
「シルヴィオさん!アメリアンナお嬢様!おはようございますっす」
魔法陣が描かれた門の方を二人して見ていると、逆隣から明るい声に挨拶された。気配と声で何となくわかった。ジュストさんだ。
「ああ、おはよう、ジュスト」
「おはようございます、ジュストさん」
「……なんでおふたりとも当たり前に動揺せず挨拶されてるんすか……俺、一応魔力隠して近付いたんすけど」
微笑んで振り返ると、ジュストさんがぶつぶつと何かを言った。身長差のある私は聞こえなかったが、シル兄様は聞こえたらしい。
「魔力は隠せていても、お前自身の気配が隠れてないんだよ。魔力操作は上手いけど、そのあたりが苦手だよな、お前」
「うっ、ぐ……だって俺、本職の戦闘要員じゃありませんし……研究者ですし……」
シル兄様の指摘に耳の痛そうな顔をするジュストさんは、少し言い訳をしたあと、真剣な顔付きになって、呟いた。
「……頑張ります」
明るいジュストさんの初めて見る真剣な顔に、意外なものを見た気分になった。けれど彼はすぐに笑顔になったあと、私に話しかけた。
「アメリアンナお嬢様、お久しぶりっす!見ないうちに大きくなられましたね!」
「そ、そうですか?ありがとうございます」
「一ヶ月そこそこだろ。大げさじゃないか」
シル兄様の冷静な指摘に、ジュストさんは得意げに笑って、連続して舌を鳴らして人差し指を振った。
「シルヴィオさんは分かっていませんねえ。女の子の成長は早いんすよ?姉が三人いる俺が保証します」
「……なるほど。じゃあアメリの成長に悪影響だから早く行け」
「あっ、シルヴィオさん、ちょっと!まだ俺、お嬢様に挨拶しかしてないっすよ?!」
得意そうなジュストさんに青筋を立てたシル兄様が、彼の背中を押して去らせようとする。それに慌てた様子で、ジュストさんが抵抗した。その様子に、思わず私は堪えていた笑いを噴き出してしまった。笑いで浮かぶ涙を拭っていると、ジュストさんが声を上げる。
「お嬢様、短い旅行ですが、楽しんできてくださいっすね!これは俺の母からの伝言でもありますんで!」
「分かりました。ありがとうございます。お二人も、お気をつけてお過ごしください」
「はいっす!」
いつも通りの明るい笑みを浮かべたジュストさんを、シル兄様が引っ張っていく。それをまた笑いながら見送っていると、後ろから声をかけられた。
「お嬢様、風で御髪が乱れています。お直ししてもよろしいですか?」
「あ、フィオレさ……フィオレ。うん、お願い」
明るい茶髪の女性に頷いて、髪を整えてもらう。細い指が、髪を優しく直していく。
彼女は、フィオレ・ジャダ。名前から分かる通りジュストさんのお姉さんで、私の専属侍女の一人だ。陛下に拝謁する日に身なりを整えてくれた女性のうちの一人でもある。この旅にもついてきてくれることになっているのだが……
「……フィオレ。ジュストさんには挨拶しなくてよかったの?」
「昨夜、出立の挨拶は済ませましたから。……先程は、弟が失礼いたしました。帰ってきましたら、きつく言っておきますので……」
髪型の直しが終わったのか、止まった手に振り返ると、フィオレは申し訳なさそうに目を伏せていた。歳上とはいえまだ20代前半の彼女のかわいい姿に、思わず口角が上がった。
「気にしないで。ああやって接してもらえるのは、結構嬉しいのよ。だから、あまり叱らないであげてね」
「お嬢様の寛大なるお気遣いに感謝いたします」
大仰に頭を下げた彼女に苦笑する。髪のお礼を言うと、シル兄様が戻ってきた。お父様とバルドお兄様も一緒だった。
「待たせてごめんね、アメリ。出立の準備が出来たから、馬車に乗ろうか」
「はい、お父様」
お父様に促されて、馬車に乗り込む。四人が全員乗り込むと、馬車の扉が閉まって動き始めた。……とうとう、伯爵領へ向かうんだ。
──アリアドネ様……
ポケットの中の、お嬢様とお揃いのブレスレットにそっと触れる。……あと一週間で、お嬢様に会える。
転移の光を感じながら、高揚に目を閉じた。




