八話 我らに幸運の有らん事を
「いらっしゃいませ!」
商店の戸を開いたケイン達は、何よりも先にその声を聞いた。
声の主は、おおよそ十五歳ばかりになったほどの少年で、その体力のおかげか活力の溢れる声を聞かせてくれる。
「レオナルド工房へようこそ探索者様、装備をお買い求めですか?」
「ああ、その通りだ」
鍛冶師レオナルドが作り、今ではその弟子──彼の名前もまたレオナルドだそうなのだが──が舵を取って運営している工房。実に安直な名前だ。
とにかくそのレオナルドとそれに連なる鍛冶師達はかなり優れた技量を誇り、それは主に大量生産と信頼性において発揮されている。
ここの鍛冶師達は、お高い所の鍛冶師が使うような錬成鋼だとかそういった特殊な金属でできた武具を作らない。
その代わり、規格化された安価な量産品を作る事によって中堅までの探索者を顧客として獲得する事に成功していた。
壊れにくいレオナルド工房製の武具は、乱造される捨て値の武具よりも堅実で、多くの探索者に愛されている。
ケイン達が店内を見回していると、少年が案内を申し出てきた。
「皆さんは何をお探しで?武器ですか、それとも防具でしょうか」
「俺の革鎧と円盾、右の奴の大盾と、彼女の外套を探しに来たんだ」
ケインがそう言うと、少年は深く頷いて少し考えた後、盾を見に行くことにした。
長剣、大剣、短槍、細剣。様々な鋼を通り過ぎて行った先に、これまた無数の盾が立て掛けられている。
五角盾、楕円盾など様々な種類があったけれども、ケイン達の目的は円盾と大盾だ。
もちろんそれは少年も理解している事で、その中から色々な盾を取り出している。
「まずは大盾の方から持ってきますね、……っと。これなんかどうでしょうか?」
取り出したのは、全金属製の大盾で、かなり凝った造りに見える。
中央には紋章が彫られており、縁の出っ張りにも恐らく古代文字──それも呪術的な意味を持っているだろう文字群だ──が刻まれている。
「これは中堅の鍛冶師が作った大盾に【堅牢】の意味を持つ呪術文字と【耐衝撃】の紋章を付呪した物ですね。迷宮三層の序盤までならギリギリ通用するでしょう」
ああ、なんと性能の良い盾なのだろう。【堅牢】の付呪が有れば盾は決して歪む事なく、【耐衝撃】は巨人の殴打すら通さない。
だが、その価値に見合った対価は払わねばならない。
ケインが値札を覗いてみれば、その価格は金貨五百。飲み食い寝泊まりだけならば一、二年は硬いだろう。
──装備調達の為に、一部を残して金を全て集めておいたとはいえ、五百など払えるものか。
ケインの心情はいつの間にか顔に現れてしまっていたようだ。少年は苦笑いしながら、もう少し安い方が良いでしょうか、と別の盾を取り出した。
「これは見習いが作った全金属製の大盾ですね。これなら付呪も無く、見習い料金で非常に安いですよ。金貨二十枚になります」
予算は五十枚だから、二十枚なら他の装備を買うにも困らないということで、エイベルは大盾を手に取って検分する。
取っ手の接続は問題なく、力を込めてみてもビクともしない。
全てが鉄で作られているという事でかなりの重さがあるものの、エイベルが握る分には問題ないように思えた。
強度に関しては実際に使って見ないと分からないだろうが、少年に聞いてみても一層で使う分には大丈夫だという。
他の盾も見てみようか、とエイベルは言ってみようとした。しかし辺りを見渡しても、高価なものや木製のものなど特に欲しい物も無い。
「これにしよう」
「ええ、分かりました。それでは次は円盾ですね。どのような物が良いですか?」
ケインは革鎧も新しくしなければならないので、ほとんど最底辺のもので良いと答えた。
そもそも円盾はしっかりと攻撃を受けるものでも無い、受け流すための盾だ。
受け流した上で壊れるような攻撃を受けたとしたら、ケインの腕がそもそも耐えきれないので安物で十分だろう。
「ならここら辺ので良いでしょう。安いものだからこうやって大量に作って籠に放ってあるんです。どれも金貨三枚なので適当に好きなのを選んでください」
そこに置いてあったのは、木の板に鉄の縁、中央に丸みを帯びた突起の付いた円盾だ。
手で持つ取っ手と腕に固定する為の取っ手とが入り交じっていて、ケインは少しだけ面倒だと感じた。
ケインは幾つかの円盾を取り出して、一つ一つ腕に着けて試してみる。
どれも前の円盾より劣る事は無いようで、しっかりと体を守ってくれそうだ。
ケインは試した円盾の中で最も体に馴染むように感じたものを手に取った。
「次は革鎧ですね。既製品なので体格にピッタリ、とはいきませんけども。特注で頼めばそういうのも何とかなりますが、金が掛かりますからねぇ」
値段は大体、小柄な斥候用で金貨十五、普通の体型なら二十、エイベルのような大柄ならば二十五枚といったものだ。
ケインはおおよそ平均的な体型だというので、この場合は二十枚の革鎧の中から自分に合ったものを選ばなければならない。
一着二着三着、ケインは何となく合っていそうなものを選んでいく。
着けてみると、多少の違和感はあるものの、動きやすさとしては以前のものとも変わらない。
──多少の違和感が死に繋がると日々嘯いている探索者も居るが、俺達くらいの腕前ならそんな状況になったら死ぬだろうしな。
「これで頼む」
「はい、了解しました。それで外套は……」
「もう決まってますよ」
ドナはそう言って黒い外套を差し出した。
「なぁドナ、色々考えて決めなくても良いのか?」
ケインが不思議そうに聞いてみると、ドナは呆れたように溜息をつく。
「そりゃあなたが試着してた間に調べてるに決まってるじゃないですか。それに鎧とは違って、最悪は裁縫でどうにかできるんですから」
なるほど、とケインは思った。
確かに鎧なら革を継ぎ足すなりする事はできないけれども、外套なら足りなければ布を合わせ、長すぎれば裁断すればいい。
「お前、頭良いな」
「別に、選ぶのが面倒なだけですよ。時間をかければピッタリ合うのだって見つけられるでしょうし」
ドナが外套は大きめ──とは言ってもケインが着れば小さく感じるだろう大きさの──で、その理由は布に掛ける金が勿体ないから。
そしてドナの体型に合わせて調整すれば、余った布が手に入る。継ぎ接ぎするのに最適だろう。
残念ながら作りたての一党に、遊ばせる金など無い。世知辛い話だ。
「それでは全部で金貨四十四枚になります」
帳場に着くなり、少年はそう言って机を指で叩いた。ここに置けという事なのだろう。
一二三……。チャリンチャリンと音を立てながら金貨を積み重ねていく。
少年は一枚一枚と金貨の数を目で追って、ドナはどうやら金貨が財布より離れていくのを口惜しそうに眺めていった。
そして、十枚の金貨の山が一つ二つ、四つ積もった。最後に残りの四枚を置く。
「ええ、ちょうど頂きました。お買い上げありがとうございます」
そう言ってニッコリと笑いかけた少年は、すぐさまその顔を疲れたようにひしゃげさせ溜息をついた。
「あーあ、僕も探索者に成りたいなぁ。剣とか盾とか持って」
「何を馬鹿な事言ってるんだ。お前にはこの仕事が有るだろ?」
急に態度を変えた少年に対して、エイベルは馬鹿らしいと鼻で笑う。
それを気にもせずに少年は、日々の仕事を恨むかのように愚痴を呟いた。
「こんなのはちゃんとした仕事じゃないんですよ、お給金だって出ませんし。僕は鍛治師見習いなんですよ。ヤレ月謝代わりに店番任せただの、見習いなんだから身の回りの世話任せただの。それに鍛治だって雑用しかやらせてくれないし」
その言葉にケインは目を大きく見開いた。いずれ鍛冶師に成れるというのに、探索者に成りたいと言っているなど思いもしなかったからだ。
「ただの店番だと思ったら鍛冶師見習いだったのか。それなら一層探索者になんてなるべきじゃない。鍛冶師は安定してるからな。ま、クビにでもならない限りはそのままやってた方がいいぞ」
迷宮が存在するこの都市では、武器防具の需要が途切れる事など決して無い。それが中堅層までを顧客にしている店なら尚更だ。
ケインはむしろ、目の前の少年と取って代わってやりたい──迷宮に潜って名声を得るという目的が無ければ、の話だ──気分だった。
「でもそんなに鍛治ができるようになるのは十年二十年先の事で、僕はそんなの待ってられませんよ」
「借金がある訳でも無いのに。探索者になるのなんてバカか貧乏人かのどちらかですよ。少なくとも、ウチは探索者になんてなりたくなかった」
ヤレヤレと首を振りながら目を伏せたドナは、過去の自分を責めるかのように故郷の景色を憧憬しているように見える。
が、首を横に強く振っていたので、すぐさま嫌な記憶で溢れてしまったようだ。
「探索者の死傷率なんて十に八はくたばるようなものだ。やめとけ」
次いでケインの追い打ち。
そんな言葉と光景をポカンの間の抜けた顔で見つめていた少年は、ケインの言葉で決まりきったようで。探索者になんてなるもんじゃないと一言呟いた。
「まあ探索者になんてなるもんじゃないってのは良く分かりました。安定した今の道を歩いていきますよ」
少年は分かりきったかのようにそう言い放って、ついでに引き止めて悪かったと謝った。
ケインは少しだけ困ったような笑顔を向けて、店の戸を背に街に戻っていく。
「それでは、神の御加護が有らん事を」
ドナが頭を下げて返事を返し、それから興味の無いように振り返って扉を閉めた。
「さ、俺らは俺らの仕事をするか。慣れない装備だから肩慣らし程度に、だけどな」
肩をグルリと回したケインは、そう言って迷宮の眠る塔を見つめる。
──今日はどんな冒険が待っているだろうか?
大抵は悲惨で無意味な探索になってしまうけれども。
それでも探索者は一縷の望みに期待を掛けて、今日の日の素晴らしき冒険を夢見ている。
……
『経験点』
古の魔物の呪いに侵された人類は、その日から生きとし生けるものの死を一身に受け止めるようになった。
獣の、怪物の、竜の、そして人の。
他者の死を看取る度に、人々はその身に新たな呪いを刻む事となる。