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血統の創造主 〜神の眼を持つ元廃人が、産廃血統で世界を塗り替える〜  作者: ペンは休み休みもて(ペンもて)
産廃の血は嗤わない

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10/23

第10話 次の一手 【2028年夏・新馬戦後】



 澪がスマホを持ったまま事務所に入ってきた時、駿はソファに寝転がってエナジードリンクを飲んでいた。パソコンの画面では新馬戦の映像が流れている。たぶん今日だけで何十回目かだ。生産的かどうかと言われると微妙なラインだけど、本人は全く気にしていない。


「矢崎先生から、次走の相談をしたいって」


「ですね。僕もそろそろ連絡しようと思ってたとこです」


「……いつから」


「新馬戦の直線入った瞬間くらいから、なんとなく」


 澪は一瞬止まった。直線入った瞬間ってフルークまだ最後方だったよね。なんとなく、じゃないでしょそれ。でもこの人に「なんとなく」の根拠を聞いても「なんとなくです」しか返ってこないのは二年で学習済みなので黙っておく。


「折り返しますか」


「直接行きましょう。フルークの顔も見たいし」


「今日ですか」


「今日がいいです」


 今日の予定が三つある。全部リスケできないことはないけど、この人は一回「行きましょう」と言ったら絶対行く。わかった、と言う前にもうカレンダーアプリを開いていた。


ーーーー


 栗東の矢崎厩舎に着いたのは昼過ぎで、橋本が馬房の掃除をしていた。


「先生は奥にいます」


 手を止めずに言った。それだけ言った。この人はいつもそれだけ言う。


 矢崎は坂路の入り口の近くに立って、一頭の馬がゆっくり歩いているのを眺めていた。こっちが来ても振り返らない。馬を見てる時の矢崎はそういう人なのを駿はもう知っていたけど、澪はまだちょっとドキドキする。怒ってるわけじゃないのはわかってるけど。


「来ましたか。早いですねえ、ハハッ」


 ようやく振り返った。


「電話より早い方がいいかと思いまして」


「それはそうだ。まあ立ち話もなんですから、中に入りましょうか」


 事務所は調教のタイム表と馬の写真で壁が埋まっていた。インスタントのお茶が出てきた。澪はありがとうございます、と言って飲んだ。お茶の味はした。


「フルーク、今日の調教はどうでしたか」と駿が聞いた。


「いいですよ。新馬戦明けにしては落ち着いてる。橋本が言うには、納得してる顔だって」矢崎は椅子にどかりと座った。「あの馬、普段あれだけ暴れるのに、走った後は妙に静かになるんですよね」


「納得したんだと思います、たぶん」


「何に」


「走るのが自分の仕事だってことに」


 矢崎はしばらく駿を見た。新馬戦の前と後で、この人の駿への返し方が変わったなと澪は思っている。笑いながら流すことが減って、一回咀嚼してから答えるようになった。駿はたぶん気づいていない。いつも通りエナジードリンクを飲みながら話しているから。


「……そうかもしれないですね」矢崎は言った。「次走の話をしましょうか。天海さんはどう考えてます」


「秋の2歳重賞に行きたいです。東京の芝1600m、10月の」


「アルテミスSですね」矢崎は腕を組んだ。「普通は一度叩いてから向かうローテーションなんですが」


「叩き台はいらないと思っています」


「なぜですか」


「あの馬、本番でしか本気出さない気がして。前哨戦を使ったら前哨戦の走りをするだけな気がするんですよね」


 矢崎がちょっと笑った。


「神宮さんも似たようなことを言ってましたよ。あいつは競馬を知ってる、って」


「フルークがですか」


「そう。自分がどこで出し切ればいいか、わかってる馬だって」矢崎は腕を組んだまましばらく黙った。「……わかりました。アルテミスSで行きましょう。ただ一つだけ聞いていいですか」


「はい」


「その判断、どこから来てるんですか。データですか、それとも勘ですか」


 駿はエナジードリンクを置いた。


「見ればわかります」


 矢崎はハハッと笑った。今度はいつもの大きな笑い方だった。「そうですか。まあそれでいい。私もそういう人間ですから」


 澪はタブレットに「アルテミスS・東京・10月・1600m」と打ち込んだ。打ち込みながら思った。


 「見ればわかります」で納得する世界がある。この業界の人たちはどうやらそういう生き物らしい。メモしておこう。あとで検索する。


ーーーー


 エデンに戻ったのは夕方で、鉄路が事務所で管理表を見ていた。


「アルテミスSに決まりました」と駿が言うと、「そうですか」とだけ言った。


「反対しないんですか」


「天海さんが決めたなら反対しません。ただ」鉄路はペンを置いた。「一つ報告があります。ノースフィールドが今年の2歳牝馬を一頭、アルテミスSに向けて動いているという話が入ってきました」


 駿の顔が、少しだけ変わった。


「どんな馬ですか」


「父はキングカメハメハ系の新種牡馬、母は欧州のG1馬です。今年のセレクトセールで2億2000万円で落札されています」鉄路は淡々と続けた。「新馬戦を4馬身差で圧勝しています。現時点でこの世代の2歳牝馬では最高評価と見て間違いない。アルテミスSが本番なら、ぶつかる可能性は高い」


 澪はとりあえず検索した。動画が出てきたので見た。


 ……4馬身差って、なに。


 え、これフルークと戦うの。やべぇんだけど。天海さんが「全然」って顔してたのが急に怖くなってきた。フルークが強いのはわかってる、わかってるけど、相手2億2000万って何。フルークは1000万だよ。22倍だよ。数字の暴力すぎる。


「馬名は」と駿が言った。


「シュテルンリヒト。ドイツ語で、星の光、という意味だそうです」


 沈黙があった。


 澪はスマホを持ったまま、なんとなく「ヴァイスフルーク 意味」と打ち込んだ。白い飛翔、と出た。それからシュテルンリヒト。星の光。


 向こうもドイツ語で来た。しかも星の光って、なんかかっこいい。


 こっちは白い飛翔。白い飛翔の方がかっこいいと思うけど、それは贔屓目かもしれない。


「2億2000万ですか」駿は言った。「フルークの22倍ですね」


「怖くないんですか」


「全然」


 その「全然」がいつもと少し違う響きだった。怖くないんじゃなくて、怖いとか怖くないとかいう話じゃない、みたいな。うまく言葉にできないけど、この二年でそれくらいはわかるようになっていた。


 大和が壁際から言った。さっきからノートパソコンを開いたまま黙っていたので存在を忘れかけていた。


「新馬戦のタイムを補正値で見ると現時点で2歳牝馬のトップ水準で血統的なスタミナも問題なく東京1600mなら距離も合うのでデータ的には現時点でフルークより上の評価になります、ただ」


 大和は一度止まって眼鏡を直した。


「フルークの新馬戦の上がり32.0は補正値に乗りません。既存のモデルに当てはまらない数字なので、データ上はまだ存在していないことになっています」


 駿はにこっとした。


「じゃあ10月に、データに教えてあげないといけないですね」


 大和は何も言わなかった。でもノートパソコンに何かを打ち込み始めた。たぶん新しいモデルを作ろうとしている。この人はそういう人だ。


 鉄路がコーヒーを飲みながら言った。


「白い飛翔と、星の光ですか」


「向こうも気が利いてますよね」と駿は言った。「ドイツ語で来るとは思ってなかった」


「偶然じゃないかもしれません。ノースフィールドの人間が、フルークの馬名の意味を調べた可能性はある」


 駿はしばらく考えてから、エナジードリンクを一口飲んだ。


「だったら楽しみですね」


 鉄路は「はぁ」と言った。


 澪はこの「はぁ」が最近すこしわかるようになってきた。呆れてるんじゃなくて、この人なりの「しょうがないな、ついていくか」なんだと思う。馬の世界に三十年いる人間が、この牧場にいる理由が、この「はぁ」一音に全部入ってる気がする。


 気がするだけかもしれないけど。

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