唯でやられてなるものか
皇宮の奥にある紅玉宮は、これまで皇帝の寵愛を人一倍に受けていたキャスティナ妃の住まいであった。
その人柄を示すような清廉な部屋の片隅、白い天蓋に囲われた寝台とコンソールの隙間で身を潜めるように、カルディナは蹲っていた。
機械油で汚れた軍服は剥ぎ取られ、代わりが届くまでとキャスティナ妃のものだったネグリジェを着せられた。
サイズが合っていない為ドレス状態であるが、捕虜となったことを思い知らされる足枷を見ずに済むのはせめてもの心の救いだった。
傍らではセルシオンが行儀良くお座りをして主を慰めるように寄り添い続けていた。
「…失礼しますわ」
ノックを携え、そんな声が聞こえた。
顔を上げれば、困り顔のイーシスと数名の侍女が佇んでいた。
怯えたようにカルディナは身構えながら立ち上がり、そんな彼女を守るようにセルシオンは翼を広げて立ちはだかった。
「三時間後にランギーニ陛下がお会いしたいと所望されています。支度を整えましょう」
そう告げたイーシスはコンソールの上に持ち寄ったドレスを置き、化粧品などを入れた道具箱を開いた。
いそいそと準備に取り掛かる彼女等に、カルディナは戸惑い立ち尽くした。
薄々皇帝に会うことになると思っていたが、持ち寄られたドレスや装飾品の上等さを見るに、まるで妃のような扱いである。
―――まさか、このまま皇妃として召し上げられてしまうのではないか。
そんな貞操の危機さえ頭を過ぎった。
「………、キャスティナは上手く逃げ切れたかしら?」
唐突にイーシスの口からそんな問いが零れた。
どう返すべきかカルディナは言葉に迷った。
恐らくは革命のこともセリカ皇女から聞き及んでいる筈である。
「今はカローラス王国で賓客として饗されています…」
悩んだ末、正直に答えた。
「…良かった…逃げ切ったのね……」
そんな呟きを零しながらイーシスは自嘲気味に微笑み、ブラシを手に取った。
そっと肩を抱いてドレッサーの前へとカルディナを誘った彼女は、沈黙の中で乱れた髪を梳き始めた。
「イーシス様は…その…、ずっと、皇宮に…、いらっしゃった…ですか…?」
恐る恐る、言葉を選びながら訊ねた。
セリカ皇女と共に帝国に渡ってから彼女の事は、王国では生きているということしか分かっていなかった。
帝国内の社交界にも全く顔を出さず、深窓の姫君とさえ言われていた。
「ええ…。もう二十年以上、外に出たことがありません。私は兄ほど有能ではないので…、出来損ないの私が外に出ることは陛下がお許しになりませんでした…」
その返答にカルディナは息を呑んだ。
不意に手を止めたイーシスは、徐ろに部屋中央に置かれたテーブルの方へと目を向けた。
「この宮の持ち主であったキャスティナは私にとって唯一の友人でした…。年が近かったこともあって、話し相手にと陛下も面会をお許しくださって…。ここで、よくお茶をしていました」
ポツリポツリと零れる言葉を聞きながら、カルディナは彼女の置かれていた状況を悟り、憤りに拳を握った。
この二十年あまりイーシスは皇宮に幽閉され、飼い殺しにされていたらしい。
自ら出来損ないと言った事から推測するに、何かしら皇帝の不興を買ってしまったのだろう。
「どうか気をつけて…。陛下はお母様以外の女人には厳しい方です。特に言葉には注意を払ってください…」
警告を放ちながらイーシスは視線を戻し、慣れた手付きで髪を結い始めた。
その様にカルディナはこれまで聞いていた皇帝の情報を擦り合わせ、ある結論に至った。
「………。皇帝はやはり君主の器ではありませんね」
その呟きにイーシスは怯えたように、ビクリと肩を揺らして手を止めた。
「…その反応から察するに、皇帝からかなりの虐待を受けましたね?推測するに、ランギーニに何か物申した事により逆鱗に触れたと…」
「やめてっ!私が悪いのです!陛下は間違ってなど…!」
耐え兼ねたように声を荒らげる彼女に、侍女達は何事かと振り返った。
その視線にカルディナは毅然と手を翳し、そのままにと指示。
静寂の中、徐ろに腰掛けていたスツールから立ち上がって振り返り、怯えるイーシスの両手を握った。
「キャスティナ妃からも貴女と同じような反応を見受けました。はっきり言います。何があったかは知りませんが貴女は悪くありません。悪いのは暴力や暴言で貴女を捻じ伏せ、恐怖という鎖に繋いだ人間です」
淡々と、しかしハッキリとした言葉で言い聞かせた。
彼女の怯え方には覚えがあった。
蔑まれ、虐げられることに慣れ、心を閉ざして覇気を失った瞳の色―――。
まるで、セルシオンが動き出す前の自分の姿だった。
「私は必ず自力でここを出ます。どうか待っていてください。必ず貴女をこの檻から解き放ちます」
気付けば、そう断言していた。
何処から来た自信かは分からないけれど、そうしなければと心が動いていた。
作りかけの三つ編みを解き、コンソールにあった真紅のリボンを掴み取る。
慣れた手付きで結んだ雑なポニーテールは、カルディナにとって決意と覚悟の現れだった。
帝国兵に連行されながらも、その足取りは堂々として横切る者達の視線を奪った。
薔薇の如く華やかなドレスに包まれながら手足には逃亡を防ぐ枷が嵌められ、そうでありながら、真っ直ぐに前を向く様は覇気を纏っていた。
足元にはセルシオンが忠犬のようにカルディナの歩幅に合わせて寄り添っていた。
「このまま真っ直ぐに進みなさい」
皇宮の中央にて地獄の門を彷彿とさせる黒い扉を開き、警護に当たった帝国兵は足を止めた。
この先には皇帝の信頼を得た、十二人の人物しか入ることを赦されない玉座があるとイーシスが話していた。
さながら魔王に会いに行く気分である。
緊張の中ゴクリと生唾を飲み、歩みを進める。
窓のない薄暗い長い上り階段を進んで行くと、現れた異質なほどに白い扉の前で、神官の様な出で立ちのアクアスが待っていた。
「へぇ、ドレスも似合うんだね」
何処か皮肉めいた呟きを零しながら彼は白の扉を開き、内から差し込んだ強い日差しに思わず目を細めた。
目が慣れる間もなく強引に背を押され、光の強さに複数の人影と輪郭しか分からない玉座の前へと立たされた。
「崇高なる万物の語り部よ、よくぞ参った」
低く重みのある声が光の中で玉座より立ち上がり、その姿が神々しく歩み寄る。
なんとまあ、上手く出来た場所だろう。
思わずここの設計士に拍手を贈りたくなった。
この土地特有の真昼の強い日差しを利用し、その存在を神の如く演出している。
「サニアス帝国皇帝ランギーニ殿にご挨拶申し上げます。私の名はカルディナ・ド・シャンティス・クロスオルベ侯爵。カローラス王国陸軍少佐にしてクロスオルベ侯爵家当主に在る者です」
頭を下げることなく、威圧するように堂々と名乗った。
慇懃なれど皇帝を敢えて陛下と呼ばないことで自身は対等だと示した。
玉座を取り囲うようにこの場に立ち会ったアクアス含む十一人の忠臣が案の定ざわめく。
見知った顔は全部で四人。
玉座を中央に、右にはセリカ皇女、左にはデュークス総統とソリオン皇子、そして背後にはアクアス―――。
セリカ皇女の隣に並び、強張った顔で人形のように佇む三人の美女は、キャスティナに続く第二、第三、第四の皇妃だろう。
反対にソリオン皇子の隣に続いている御仁が着用する軍服を見るに、彼等は帝国軍の各大将であることが推測出来た。
「単刀直入に伺います。貴殿等の目的とは如何に?何故、王国を執拗に害し、私を付け狙ったのか問いたい…!」
質問をぶつけながら、この場にいる人間の顔を頭に刻む。
逆光でハッキリしない皇帝の顔には特に目を凝らした。
「捕らえられて尚、鋭い眼光を宿すとは随分と威勢の良い娘だな…。良いだろう、まずはその問いに答えてやろう…」
漸く慣れてきた瞳の中、不敵に微笑むその姿が歩み寄り明確に視界に映る。
年相応の銀髪に細身で骨ばった鋭い顔付きである。
兄妹とあって目鼻はセリカ皇女に似ていて、その眼光は底知れない野心に溢れていた。
「我等の目的は魂授結晶による神の創造だ。究極兵器デュアリオンを完成させ、その圧倒的武力で世界を捻じ伏せる。力の差が歴然ならば歯向かう者などおらんからな。我等サニアスタはその神の繰り手となり、世界の管理者となるのだ…!」
眼前にて威風堂々告げゆく皇帝に、忠臣等は満足気に何処か恍惚とした様子で拍手を送る。
その姿は最早、洗脳に近しい物があった。
「馬鹿馬鹿しい…」
異様な歓喜に包まれる中、ボソリとカルディナは言葉を漏らした。
皇帝はピクリと眉間を歪めた。
「そんな恐怖に支配された世界を誰が望んでいると言うのっ?そもそもセルシオンはこの世界の美しさを伝える為に創られた…!デュアリオンだって本来は戦いの道具なんかじゃなかった…!貴方達のような邪な人間がデュアリオンを穢したのよ!」
皇帝に躙り寄り、怒れる想いを放った。
透かさず傍らのアクアスに肩を押さえられたが、毛嫌うように振り払った。
唯、弱々しく怯えるだけだと思われたくなかった。
もう一年前までの力のない子供じゃない―――、クロスオルベ家の末裔として、先祖の叡智の結晶を守り抜かんと立ち向かった。
「…どうやら立場が分かっておらんようだな?」
そう呟かれると同時だった。
腹部に衝撃が走り、カルディナは突き飛ばされるように後ろに倒れ込んだ。
皇帝は手にした宝杖を翳しており、それで殴られたのだと分かった。
日頃から訓練していたお陰で瞬間的に受け身を取れたが、そうで無ければ骨を折られ、気を失っていただろう。
警戒していたセルシオンだが、突然の事に護る隙がなかった。
慌てふためきながら倒れたままのカルディナに駆け寄った。
「アクアス、お前にこの娘を預ける。二度と歯向かわぬよう教育しろ」
「御意に」
主人への危害に傍らのセルシオンが近付くなとばかりに唸る中、アクアスは更に痛め付けんと腰元から鞭を手に取る。
「さて、お仕置きの時間だよ?」
嬉々とした台詞を放ち、鞭を持つ腕が高く掲げられる。
強い日差しに照らされ、その腰元にある拳銃がキラリと光った。
―――今だ!
この瞬間を待っていた。
「セルシオン!」
名を呼ぶと同時に相棒の身がパンッと弾け、煙幕のように無数の花弁が玉座を覆い尽くした。
一瞬にして、視界を奪われた彼等は纏わり付く花弁に身動きが取れず、その隙にカルディナは目星を付けていたアクアスの拳銃を強奪。
セルシオンも崩した身を利用して、彼等から奪える武器を軒並み奪った。
この場の強過ぎる陽の光も味方し、白い花弁に乱反射する強烈な光はフラッシュのように彼等の目を眩ませた。
「くっ!図ったな!」
漸く、戻ってきた視界に皇帝は喚いたが、その時には既にカルディナは歩き難いヒールの靴だけを残して消え去っていた。




