ノブレスオブリージュ
パンッと弾けるように響いた音に、その場に居合わせた誰もが呆気に取られた。
「私がそれを望んでいるとでも!?」
ジンジンと痛む掌を挙げたまま帝国第一皇妃キャスティナは、動じることもなく立ち尽くすフォルクスに怒鳴りつけた。
「貴女を自由に出来るのならば、私の命など軽いものです」
そう告げた彼だったが、主人の掌が再び振り上げられた。
「お止めください」
その声と共に背後から腕を掴まれた。
霞む視界に映る人影をキャスティナは思わず睨んだ。
「これは私と彼の問題です。ハインブリッツ大佐、口を挟まないでくださる?」
威厳と苛立ちを纏わせた声を浴びせるも、腕を掴む機械仕掛けの手は動じなかった。
「恐れながら、彼はこの作戦の現場司令官に任命されています。あまり痛め付けられては困ります」
淡々とした口調に口元を歪めながらも、キャスティナは静かに腕を下ろした。
「フォルクス、私は認めませんから…」
そう吐き捨てた彼女は侍女の手も借りず、白杖一つで怒り任せに部屋を出て行った。
一礼も早々に侍女は後を追って退出し、静まり返った室内を気不味さが支配した。
「黙っていたのは悪手だったねぇ」
静寂を破り、ヴォクシスは軍服の内ポケットからハンカチを取りつつ溜息を零した。
怒りのままに思いっきり引っ叩かれたフォルクスの頬は、ジワジワと赤く腫れて出していた。
「言ったところで反対されるのは目に見えていましたから…」
そう言葉を返しつつ、彼は差し出されたハンカチに手を翳して結構だと示した。
主人の怒りは尤も―――。
けれど、これが最善策だった。
「君こそ本当に良いのかい?遺してきた部下もいるだろう?」
その問い掛けに思わず嘲笑った。
「部下と呼べる者は帝国には残っていません。帝国での私はあくまで敗戦奴隷ですから…。今更、悪名を重ねた所で痛くも痒くもありません」
自棄的な笑みを浮かべ、そう言い捨てた彼は主人の温もりを確かめるようにそっと頬に手を充てがった。
久しぶりの王城内第二格納庫には、セルシオンの戦闘用ボディが組み立てられた状態で鎮座していた。
その影に隠れるようにいつも使っていた丸椅子に腰掛け、カルディナは届いたばかりの作戦変更の書類に目を通した。
(…亡命先をルノレトに切り替えたのね……)
変更内容を確認しつつ、手帳を取り出して今後の予定を書き込んだ。
幸い通信制教室の手続きが取れたので、学業への影響は回避出来そうだが、検討していた島への帰省は断念せざるを得なかった。
出来るだけ早く、手元に届いた実父の遺灰を散骨したかったが、こうなっては任務が終わるまで王城にある礼拝堂で預かって貰う手続きを取るしかなかった。
正直、今時点でも広くはない宿舎に寂しく置き去りにしているので申し訳無い思いである。
「…よっしと!セル、ちょっと行くよ!」
書き終わった諸々の申請書類を小脇に抱え、足元で昼寝をしていた狼姿のセルシオンに呼び掛けた。
ムクリと起きた相棒のリードを手に取り、鼻歌交じりに格納庫から続く廊下を小走りで進んでいく。
そんな折だった。
「お待ちくださいませ!殿下!」
そんな声が響くと同時に、横から飛び出した御仁とぶつかった。
中々の衝撃に野太い悲鳴を上げつつ、軍事訓練で習得した身のこなしで受け身を取り、抱き締めるようにその方を受け止めた。
「…はぁ吃驚。セル、ありがとう」
盛大に転けた御仁に押し潰されつつ、頭を打たないように後頭部を背中で受け止めてくれた相棒に感謝を告げた。
お互いに怪我はしなかったが、脇に挟んでいた書類をばら撒いてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
ガバっと起きたその方はこちらを見て案の定、目を丸くした。
カルディナとしてはその姿が見えた瞬間、誰かは把握したが挨拶する間も避ける間も無かった。
「お怪我はありませんか?キャスティナ殿下」
苦笑いで訊ねながら、頭を起こしてセルシオンを頭の下から脱出させた。
遅れて駆け付けた侍女に手伝ってもらいつつお互いに体を起こし、急いでばら撒いた書類を掻き集めた。
「ごめんなさい、痛かったでしょう?」
書類確認をしていると申し訳無さそうにキャスティナは訊ねた。
「このくらいは痛い内に入りません。それよりもお急ぎだったのでは?お止めしてしまって申し訳ありません、どうぞお先にお進みくださいませ」
「あ…、いえ。急いでいた訳では…」
頭を下げつつ道を開けたカルディナに対し、キャスティナと侍女は酷く困った顔をした。
王城内にある庭園にて、カルディナは皇妃キャスティナとガゼボの下で話をした。
今後の革命に至るまでの作戦内容を聞かされて怒っていたと言う妃に、詳しく事情を聞いてみたのだが―――。
「そりゃ怒りますね…」
思わず俯くキャスティナに賛同した。
彼女の怒りの原因としては亡命作戦については聞き及んでいたものの、その後に計画されていた革命については一切を伏せられていた事にあった。
カルディナも初耳ではあったが、フォルクスを筆頭とする帝国革命軍――バンデット隊は旧アルデンシア公国の公女であるキャスティナを広告塔に、かつて世界に蔓延した翼肢病が帝国によってばら撒かれた生物兵器であることを告発。加えて、これまで彼女やフォルクスが受けた屈辱を暴露した上で世間を敵に回させ、各地に派遣した同胞が民を焚き付けて暴動を起こし、帝国首都を制圧する計画であった。
「確かに、そんなことすれば怪我人だけでは済まないですね…」
中々に過激な作戦に、カルディナは堪らず苦い顔をした。
身の安全を守る為の亡命作戦は致し方無いにしても、多くの犠牲を伴う革命の顔にされるとあっては堪ったものではない。
何も知らずに生活している帝国民からの恨みを買うことは間違いないだろう―――。
「唯のうのうと生きていることが罪だとするならば私も同罪です。無辜の民を犠牲にしてまで成し遂げる大義など偽善に他なりません」
溢れる怒りに拳を握る彼女に、カルディナはどう言葉を返すべきか躊躇った。
その想いは解る気がしたが―――。
「………、私は誰かを犠牲にしてまで自由を欲してはいません。己の身の上を左程不幸とも感じてはいませんし…」
不意に溢れたキャスティナの想いに、カルディナは彼女へと視線を向けた。
彼女は庭園の中央で勢い良く水を噴き上げる噴水を何処か虚ろに見つめていた。
「確かにランギーニ陛下に乱暴されたのは事実です。しかし、あの方は人が言うほど歪んでいる訳では無いのです…。サニアス帝国という巨大な国を統治するに、私では計り知れない重圧を感じている筈…。行き場のない想いに苛まれるが故に…」
「それは違うと思います」
ピシャリと言い放ったカルディナの一声に、キャスティナは驚いたように視線を合わせた。
「どんな理由が有れど暴力は悪です。お訊ねしますが、殿下は皇帝から逃げたくて亡命するのではないのですか?」
「いいえ。私は陛下と話がしたくて…」
「話がしたいなら面と向かってお話は出来ないのですか?」
その問いにキャスティナはハッとさせられた。
「妃であるにも関わらず、直に意思や意見も言えず気に食わないからと暴力を振るわれるのであれば、皇帝は君主の器ではありません。バルシェンテ殿が革命を決起したのは、自身が悪いと暗示を掛けている貴女を護り、その考え方に固執しているご自身に気付いて欲しいからでは?貴女を護り、貴女と同じように虐げられる人を助けたいと思うから危険を犯してまで戦おうとしているのではないのですかっ?」
畳み掛けるように、カルディナは言葉を続けた。
正直、腹の底では怒っていた。
自分さえ我慢すれば良いのだと思っているこの人は甘えていると感じた。
妃という立場なら誤った倫を進む皇帝に、待ったを掛けることも出来る筈―――、その権利であり義務がある筈だと問いたかった。
自ら、世を正す為に立ち上がらねばならない立場にある筈だと―――…。
「………、貴女は強いのね…」
自嘲気味に肩を竦めるキャスティナに、カルディナは困ったように溜息を零した。
沢山の傷痕を付けた小さな両手に視線を落とし、ギュッとその掌を握った。
「私は強くありません…。強くないのに私は王国陸軍少佐でクロスオルベ侯爵なんです。強くなきゃいけない立場になってしまって…、…だから、その分の責務を全うしたいんです。戦いもせず負けたくないんです…!」
まるでカルディナ自身に言い聞かせるように告げられていく言葉に、キャスティナは静かにその宝石のような瞳を輝かせた。
その視界は霞んでいる筈なのに、碧の瞳に宿る強い覚悟の意志がはっきりと見えた気がした。
「………、位高ければ徳高きを要する…ノブレス・オブリージュということかしら?」
十五歳らしからぬ精悍な横顔にキャスティナは真剣な眼差しで訊ねた。
すると、カルディナは急にあどけない顔をして肩を竦め、困ったように眉を下げた。
「そんな立派なもんじゃないです。唯、皆の期待に応えたいだけと言うか…」
そう言葉を濁した彼女は、すっくと腰掛けていたベンチから立ち上がった。
瞬間、吹き抜けた微風に靡く銅色の髪が蒼天を駆ける鷹の羽のように艶めいた。
「殿下、どうかバルシェンテ殿とちゃんと話してみてください。人って面と向かって言葉をぶつけないと伝わらないことの方が多いですから…」
最後にそう告げて、カルディナは少し離れた木陰からこちらを見守る姿をビシリと指し示した。
「お話は以上です!バルシェンテ特務大佐殿!出番です!ヴォクシス大佐は書類作成にお付き合い願います!!」
突飛な大声に隠れていた両名は吃驚。
おずおずと姿を現した二人は、気不味そうにトコトコと歩み寄った。
「気付いてたのかよ…」
「あれだけ熱烈な視線送ってれば気付きます。ヴォクシス大佐、ここの記入お願いします」
フォルクスには塩辛い態度で返しつつ、ヴォクシスに手早く不備のある書類を渡していく。
「…それと皆さんお昼まだですよね?護衛任務に当たってコミュニケーションは大切なので友好を深めましょう…!ついでにアルデンシア公国が開発した機械翼肢について詳しくお話を伺いたく!」
キラリと目を光らせつつ、カルディナは提案。
大人びているものの、やっぱり中身は好奇心旺盛な十五歳だとその場の誰もが苦笑した。




