亡命作戦
病院のベッドでぐったりと横たわるカルディナは二度と夜会に出るものかと心に誓った。
口にした飲み物にアルコールの他、薬物が含まれていた可能性があることから問答無用で胃の中を洗われ、その苦しさにいっそ殺してくれとさえ思った。
現在、聴取に応じたフォルクスの供述を元に、飲み物を運んだ給仕係を拘束してその背後を洗っているので、黒幕が明らかになるのは時間の問題だが―――。
(やっぱ、クロスオルベって敵が多いな…)
仰向けに体勢を変えつつ溜息を零した。
黒幕の検討がついている分、自身が背負ったクロスオルベの名が嫌に重く感じてならなかった。
「失礼…、カルディナ、具合はどうだい?」
ノックも適当に病室に入ってきたヴォクシスは、差し入れにと機械工学の雑誌を持ってきてくれた。
様子見の為、明後日まで入院となったので暇潰しにとの心遣いである。
「もう夜会は懲り懲りです…」
堪らず弱音を吐いた。
そんな娘にヴォクシスは苦笑い。
大きな掌で労うように、疲れの色濃い頬を撫でた。
「折角のお洒落が台無しになってしまったね…」
「だからデビュタントなんてしなくて良いって言ったんです…!」
子供っぽく頬を膨らませ、彼女は不貞腐れながら文句を零した。
アルコールを摂取してしまった影響なのか、何だか甘ったれたい気分で無性に人肌も恋しい―――。
(大佐の手、温かいな…)
そう漠然と思い、気付けば懐いた猫のように充てがわれた手に頬擦りしていた。
肌を滑る温もりの安心感に笑みが零れ、次第に微睡んだ。
「………。…もしかして酔っ払ってる?」
その指摘に俄に我に返った。
かぁっと顔が熱くなり、あまりの恥ずかしさに身体を翻して枕の影に顔面を埋めた。
(やってしまった!養父とは言え、上官に…!まして王族に甘えるなど…!!)
ジワジワと現実を自覚し、猛烈に後悔した。
「…忘れてください…今のは……記憶から消してください…っ…!」
か細く嘆願し、熱くなる頭を手で隠した。
恥ずかし過ぎて顔が見れない。
穴があったら入りたい。
「ははっ、そんな恥ずかしがらなくても…」
穏やかに笑う声に頭を覆う手を擦られ、その優しさに一層恥ずかしさが増した。
「もう面会時間お終いだから、これで僕は行っちゃうけど、必要なものがあったら通信端末に入れてね。明日迎えに来るから、ゆっくり休みなさい」
そう告げたヴォクシスは念を押すようにポンポンと娘の頭を撫で、静かに病室を去らんと背中を向けた。
「…ありがとうございます…っ…」
顔は上げられなかったが、カルディナはその背に向けて何とかお礼だけは告げた。
そんな声に彼は不敵に笑い、静かに手を振って病室を後にした。
病室のドアを閉めて間もなく、ヴォクシスはニヤける口元を掌で隠しつつ、初めて目にしたカルディナの甘えを噛み締めた。
(可愛いなぁ…)
声には出さぬものの、内心は全くの親バカである。
「ハインブリッツ大佐!」
部下である士官の唐突な呼び声に、緩み切った己の顔を正すべく軽く咳払い。
目頭を押さえ、気持ちを切り替えた。
「大佐、報告上がりました。やはりエグラン伯の差金で間違いありません」
報告書と共に告げられた言葉に、その表情が固く締まった。
王位継承順位第三位のディアス王子を支持しているエグラン伯爵が、カルディナを敵視し始めていることは既に報告に上がっている。
クロスオルベ家の末裔であり、奪還作戦の英雄となった彼女の栄光は、養父であるヴォクシスの名にも泊を付けた。
既に政界では上位のディアス王子よりも彼を推す声が高まっている次第で、クロスオルベ侯爵家の復権に伴い、その勢いは王位継承権第二位のアルファルド王子にも迫る状況となった。
近い将来、現国王ヴェーゼル一世が逝去し、シルビアが国王となれば王太子の座を巡って少なからず政争があることは避けられない状況ではあったが、此度の件はそれに一石を投じる結果となった。
「これでディアス王子の王位剥奪は決定でしょう。奪還作戦の英雄であるシャンティス少佐に手を出した罰ですね…!」
喜々と部下はそう告げたが、ヴォクシスとしては嬉しくない現実であった。
奪還作戦から間もなくして、アルファルド王子に漸く後継ぎとなる双子が生まれた。
この国では王家の血筋の維持を目的に継承権第五位までは自らの意思ではその権威を放棄出来ない法律となっている。
双子の誕生により漸く王権を手放せる筈だったのだが―――…。
着々と進めて来た計画の頓挫に、愁いの溜息を零したのは言うまでもなかった。
翌々日、ヴォクシスから聞かされた一報は退院準備をしていたカルディナの度肝を抜いた。
自身を狙った夜会のアルコール混入事件は、ディアス王子の後援者であるエグラン伯爵が手引したものだと判明。
それだけなら予想していたのだが、この件を重く見た国王の命により、エグラン伯爵家には全財産の没収と爵位剥奪が言い渡された。
またディアス王子も家臣の監督不届きとしてその責任を問われ、王位剥奪の上で帝国に面する国境地域への左遷が決定。
少なくても三年は王都に戻ることが禁じられ、受け持っていた仕事も国境警備隊の一兵士へと降格。王子にとっては最も屈辱的と言える罰を与えられた。
「国を救った英雄に恥を掻かせ、一歩間違えば死に至らしめ兼ねない犯行に及んだのだから当然の罰だよね」
そう嗤って話すヴォクシスは、悪魔のような笑みを浮かべていた。
「大佐、絶対一枚噛んでますよね…」
心の声をそのまま口に出したのは信頼の証であり、不安の表れである。
度々目にはしていたが、悪魔と称される養父の恐ろしさは底知れなかった。
「可愛い娘の為なら、僕はいくらでも悪魔になるよ?」
笑顔と一緒に告げられた一言に、途端に背筋が寒くなった。
前々から自身が危害を受けた時、彼から加害者へ下される制裁がえげつないのは知っていたが、近頃そんな養父の過保護に拍車が掛かっている気がしてならない。
「そう言えば、フリード・ビジェットはどうなりました?」
荷物を担ぎつつ、気に掛けていたことを訊ねた。
目の前でぶっ倒れた手前、酷く心配を掛けただろうし、何より迅速に対応してくれたお礼も言いたかった。
「正しくはフォルクス・バルシェンテね。彼ならキャスティナ妃と一緒にまだ王城にいるよ?今、保護してる。今週一杯は居るんじゃないかな」
その返答に耳を疑った。
一瞬にしてありとあらゆる推測が頭を駆け巡った。
「まさか、あいつも一服盛られて…!?妃殿下は無事なんですか!?」
青褪めながら思わず問い質した。
「嗚呼、違う違う。二人は無事だよ?実は元からキャスティナ妃を亡命させる予定ではあってね…」
更に衝撃的な告白だった。
詳しく聞いてみれば、今回の祝宴の後フォルクスは警護部隊に見せかけて率いてきた戦闘翼肢部隊――彼が隊長を務めるバンデット隊と共にキャスティナ妃を第三国に亡命させ、自身は皇帝の目を欺く為、影武者を連れて帝国に戻るつもりだったらしい。
密かにこの亡命作戦を助力していた王国としては、今回の件を受けて国内のいざこざに巻き込んだお詫びとして、密かにフォルクスも皇妃と共に保護した次第である。
「取り敢えず今、先方に彼の受け入れも頼んでいる所。キャスティナ殿下は我々が成し遂げようとしている大義に無くてはならないからね…」
言葉を続けつつ、ヴォクシスはそっと一通の封書を手渡した。
随分と仰々しい大判封筒で、封蝋には王家の刻印がなされていた。
「退院早々に申し訳ないんだけど任務の通達。島への帰省は先になりそうだね…」
大層気不味そうに告げられつつ、徐ろに開いた書面を覗いたカルディナは衝撃のあまり言葉を失った。
いくつもの署名と国璽がなされたその書面は、キャスティナ妃亡命作戦における護衛任務の任命書であった。
「今回の亡命作戦を機に、我々は帝国を崩壊させるつもりだ。君にも協力してもらうことになる…」
付け足された陸軍大佐としてのヴォクシスの言葉に、カルディナは思わず顔を引き攣らせた。
「つまりは革命ってことですか…」
「平たく言ってしまえばね」
不敵な笑みを浮かべて彼は簡単に言ってのけたが、現実はあまりにも壮大かつ過酷であった。




