開宴前の憂い
本来は休日である筈の朝、カルディナはセルシオンを引き連れて軍服姿で王室宮殿に赴いた。
案内役のメイドさんに付いて行き、通されたその部屋は本来、貴賓の為の客室で、中では既に王室御用達ブティックから派遣されたデザイナーとスタイリストがシルビアと共に運び込まれていた衣装の確認に勤しんでいた。
「失礼します。カルディナ・シャンティス少佐、入室します」
王太子を前にして、軍式の挨拶を行う。
礼節のある挨拶の仕方をこれしか知らないので、許容してもらいたいと思ったが―――。
「まずは軽く、レディとしてのお勉強をしましょうか」
とのご命令であった。
そこからは怒涛だった。
淑女に必要な所作感覚を掴む為、さっさと軍服を脱がされ、動きやすいカジュアルなフレアワンピースを着せられた。
履き慣れないヒールの靴で部屋の中を何周も歩かされ、午前中だというのに既に足が痛くなった。
靴擦れになりかけた踵に絆創膏を貼って地味な痛みに耐えつつ、カーテシーの正しいやり方やドレスでの座り方、各種グラスやカップの持ち方など細々と叩き込まれた。
「覚えが早くて素晴らしいわ。ダンスのステップも基本的なのやってみる?」
一通りの所作に対してそんな一言による合格を貰ったが、同時に提案された追加レッスンは丁重にお断りした。
そろそろ腹拵えを済ませて、支度に入らなければならない時刻である。
上質な櫛が香油を塗った髪を梳き、頬を撫でる化粧筆がこそばゆい。
誰かの手を借りて身支度をするのなんて幼児期以来で、気持ちがムズムズした。
「あらあら、中々じゃない!」
出来上がった姿にシルビアは満足げである。
こちらが風呂場で髪や肌の手入れを入念にされている間、準備を済ませた彼女は上品なダイヤの装飾品に生成りの清楚なスレンダーラインドレスを着用。
対して、カルディナはというと―――…。
「あの…、これは…」
ストッキングを履いているとはいえ、膝が見えるミニ丈の裾に戸惑いを隠せなかった。
瞳の色に合わせた青みの強いエメラルドグリーンに染め上げたシルクに、純白のシフォン生地を重ね、歩く度にフワリと揺れるフィッシュテールドレスは妖艶さと愛らしさに満ち溢れていた。
「まるで妖精ですわ!」
「素敵ですぅ!」
デザイナーもスタイリストも感激の様子であるが、当のカルディナは困惑していた。
(どうしよう…、拳銃どうやって隠そう…)
部屋の片隅に置いた仕事用の鞄を見つめ、考えを巡らせる。
実を言うと、前日に大佐から密かに武装しておくように言われていた。
詳しくは聞けなかったが、諜報部より不穏な動きがあるとの連絡があって式典中は警備隊と共に警戒に当たれとの通達だった。
公的な催しなので、てっきり自身もロングスカートだろうと思い込んでいた為、思わぬ事態である。
「あっ、そうか…!」
ふと閃き、声を上げた。
急いで鞄に仕舞っていた箱を取り出し、中に詰めていたセルシオンの蝶型の器を手に取った。
城内の喧騒から離れた整然とした庭園の一角、礼装軍服を纏ったヴォクシスは一人、隠れるように煙草を蒸かしていた。
式典が始まれば暫く吸えないので、今の内にと一服している次第である。
間もなく始まる大伯父の即位記念式典は、戦時下にある今、国民にとっては細やかな息抜きである一方、貴族連中にとっては生き残りを掛けた正念場であった。
御年八十五を迎えたヴェーゼル国王は近頃、高齢故に体調が優れないことが増え、王太子シルビアが代理として実質的な王の役割を担っている。
しかし、シルビア自身も還暦を過ぎた身であり、その息子達に王冠を譲る日は遠くない。
現状として継承権第二位のシルビアの長男アルファルド王子が次の王太子の最有力候補だが、結婚してから十年近いというのに妻のミラ妃との間には未だ世継ぎが生まれていない。
双方に健康上の問題はないそうなので単なる神の意地悪だとは思うが、王家の血統の存続を危ぶむ者達の間では、ミラ妃を廃して新たな若い妃を据えようと画策する者もおり、未だ独り身のディアス王子に鞍替えを始めた勢力も見受けられている。
(今日の祝宴では何もなければ、良いのだけどねぇ)
燃え尽きた煙草をシガーケースに仕舞いつつ、杞憂に溜め息を零す。
一昨日、諜報部より貴族連中の過激派がミラ妃暗殺を計画しているとの良からぬ情報が入った。
帝国の息が掛かっているかは調査中だが、今日の式典に妃も出席することから警戒するようにとの上からの指示である。
ミラ妃は国民からの人気も高く、もしも暗殺されたとなれば国内情勢が揺らぎ、混乱は避けられない。
「…面倒は帝国だけにして貰いたいねぇ…」
そんな心の声を漏らしつつ、綺羅びやかな明かりを灯したメインホールへと彼は歩み始めた。
メインホールに入る直前、すぐ隣の控室にバディを迎えに行くと、何やらざわめく声が聞こえてきた。
何かトラブルかと駆け込んだヴォクシスは、その姿を見つけて息を呑んだ。
白銀の蝶が翅を休める蒼翠を纏い、一輪の可憐な蕾が壁際で佇んでいた。
その足元では、そんな蕾に近付くなとばかりに犬に扮したセルシオンが睨みを利かせている。
「あっ…、ハインブリッツ大佐…!」
困り顔の彼女はこちらに気付き、周囲を気に掛けながら歩み寄る。
セルシオンはその傍らにピッタリと寄り添い、眼の前に来るやキビキビと着座した。
「すまない、待たせたね」
そんな一言を添えつつ、何やら不機嫌そうなセルシオンを撫でる。
そんなこちらの様子を見ながら、周囲にいた名家の令嬢令息達は訝しげに何かを囁いていた。
「あの、本当にすみませんでした!」
部屋を出る際、カルディナは室内にいた全員に深々と頭を下げた。
どうしたのかと訊ねてみれば、セルシオンが原因だったらしい。
「フフッ…成程。それで全員、カルディナに近付けなかったのか…」
メインホールの片隅、訳を聞いたヴォクシスは額を押さえて失笑した。
恐縮する彼女曰く控室での待機中、セルシオンに興味を持った令嬢令息等が声を掛けてきたそうなのだが、セルシオンは彼等が主人に危害を加えると思ったらしく、吠えるわ牙は剥くわで大暴れ。
一時警備隊も様子を見に来る騒ぎとなり、結果、誰も彼女に近寄れなくなったらしい。
「ところでそのドレスのって、もしかして?」
通り掛かった給仕より、ヴォクシスはソフトドリンクを両手に受け取り、その片方をカルディナに差し出しながら確認として訊ねる。
一見、洒落た飾りのようにシルク生地に止まる蝶々だが―――。
「武装せよとの仰せでしたので…」
ニコリと微笑み、カルディナは裾を抓んでみせる。
そして、厳かに王太子仕込の華麗なカーテシーを披露した。
「本日は宜しくお願い致します、お父様?」
告げられた皮肉めいた挨拶に、ヴォクシスは肩を竦めながらも不敵な微笑みを返した。




