三人の『皇帝』(1)
どろどろした重い眠りに苛まれ、ようやく意識が正体を持ち始めた。
くそっ。
また、あいつら……。
寝覚めが悪いのはいつものことだ。
どうせまた、充分な睡眠が取れていないのだ。
特定できない相手を漠然と罵りつつ、横向きに寝返りを打った途端、左脇腹に激痛が走った。
「うっ……。くっっ」
身体を二つに折り曲げ、手足をこわばらせて痛みに耐える。
そのままじっとしているうちに、痛みはゆっくりと遠ざかっていった。
なんだ、これは。
打撲や擦り傷程度なら日常茶飯事だが、今日はいつもと様子が違う。
嫌な予感に、痛みを感じた場所にそろそろと手を伸ばすと、腹部に包帯がぐるぐると巻かれていた。
試しにそっと体をねじってみると、同じ場所に強い痛みを感じた。
肩や背中にも違和感があるから、おそらくそこも怪我をしているだろう。
この身体にこれほどの害を与える存在は、あの男だけだ。
「ったく、フォルカーのやつ。今度は何をしでかしてくれたんだ」
決して顔を合わせることのない相手を罵る。
下手に動くと傷に響くから、右手で腹部を庇いながら、慎重に身を起こした。
鈍い痛みを伴うくらくらする頭を支えようと額に手を当てると、そこにも包帯が巻かれている。
「ここもかよ」
うんざりしながら深いため息を一つついた時、天蓋のカーテンの合わせ目の隙間に人影が見えて、ぎょっとした。
一瞬ゲラルトかと思ったが、あの男がこんな風に主のベッドに乗りかかるはずがない。
人影の背景が、蝋燭の炎の色に淡く染まっている。
その逆光に、細い肩が微かに上下しているのが見える。
目をこらすと、腕と頭をベッドの端に乗せて若い女が眠っていた。
長い茶色の髪が、遠慮がちにシーツの上にこぼれている。
うつ伏せになっているから顔は見えないが、誰であるかは予想はつく。
あの娘だ。
「くそっ。一体どうなっているんだ。俺の知らないうちに、またやっかいなことになっているじゃないか」
ゲラルトの姿が見えなかったから、彼を呼びつけようと枕元のベルに手を伸ばす。
この身体が重傷を負っているのだから、彼は必ず近くにいるはずだ。
しかし、ベルに手が触れる前に思いとどまった。
おそらく彼女は、自分——いや、フリードリヒの看病をしていたはずだ。
どれくらいの期間か分からないが、一途な彼女のことだから、きっと、献身的に看病をしていたにちがいない。
疲れ切って眠ってしまったというところだろう。
そんな娘を、ベルを鳴らして起こしてしまうのは忍びなかった。
ベッドをきしませないように気をつけながら、そっと彼女に近づいてみる。
間近から覗き込んでみても、やはり顔は見えなかった。
「ん……、フリ……ッツ……」
彼女がわずかに身じろぎすると、首筋にきらりと光るものが見えた。
使用人のドレスを身につけた娘にはふさわしくない、金色に輝く繊細な鎖だ。
この鎖の端に、青い石を抱いた金細工の薔薇の飾りが下がっているはずだ。
「あんたも、大変なものに巻き込まれたもんだな」
そう呟くと、彼女のなめらかな髪をそっと撫でた。
町のパン職人だった彼女を、強引に城に召し上げたのは自分の指示だ。
つい先日も、彼女の仕事ぶりや周囲の安全についての報告を受けたばかりだ。
彼女の置かれている状況は、本人には知らせていない。
彼女がフリッツと呼ぶ青年の正体も、明かしていなかった。
その彼女がこの部屋にいるということは、全てを知ってしまったということだろう。
もう後戻りできないほど、こちらの事情に関わってしまったのだ。
今の身体の状態を鑑みても、事態は深刻であるはずだ。
しかし、何が起きてこうなったのか、全く分からないことに腹が立つ。
フォルカーが、何か重大な事態を引き起こしたことは間違いない。
傷の痛みの強さから、怪我を負ってから日は浅いようだが、フリードリヒは今の状況を知っているのだろうか。
彼女とはもう会ったのだろうか。
「あの職務怠慢野郎。主の世話もせずに、何さぼってやがる」
姿の見えない側近に小声で毒づいていると、微かにドアが開く物音が聞こえた。
「おや?」
ゲラルトも彼女が眠っていることに気づいたらしく、足早に近づいてくる。
そして、カーテンの隙間から中を覗き込んで、びくりとなった。
「我……が……? あぁ、なんだ、フレデリクですか」
ベッドの上に身を起こし、腕組みをして睨みつけてくる相手に、ゲラルトが明らかに落胆した様子を見せた。
「なんだ、じゃないだろ? どういうことか説明してもらおうか」
フレデリクが、ベッドに頭を乗せて眠り込んでいる娘を指差し、ひそめた声で問い詰める。
「……はい。では、彼女を起こしてはなんなので、隣に行きましょうか。歩けそうですか?」
「なんとかな」
フレデリクはゲラルトの手を借りながら、ゆっくりとベッドを降りた。
腹筋に力を入れると、脇腹に激痛が走る。天蓋の支柱につかまって苦痛をやりすごしながら、ゲラルトに命じる。
「その娘を、ベッドに入れてやれ。このままでは風邪をひく」
「ええっ。我が君のベッドに、彼女を寝かせるんですか?」
「皇帝から『青を抱く薔薇』を与えられた娘だ。同じベッドを使うことに、何の問題がある? 今なら俺の温もりで暖かいしな」
フレデリクがにやりと笑う。
「はぁ……。なんか、その言い方、変態っぽいですね」
「何を言う。だいたい、彼女が風邪をひいたら、叱られるのはお前だぞ」
「それは、そうですね。では……申し訳ありません、我が君」
ゲラルトはフレデリクの顔を見ながら、今ここにいない主に申し訳なさそうに詫びを入れた。
よほど疲れているのか、ゲラルトが抱え上げてベッドに運んでも、エルナは目を覚ますことはなかった。




