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(2)

 皇帝陛下は、二日前より体調を崩して寝込んでいることになっていた。

 これまでも、人格の入れ替わりを隠すために、体調不良の名目で引きこもることが多かったから、周囲が不審に思うことはない。

 ただ今回は、傷が癒えるまで十日程度はかかる見込みのため、表向きには、かなりの重病にしてあるようだ。

 その証拠に、夜食として用意されたのは、固形物のないスープと柔らかなパンのみだった。


 まだ睡眠薬の影響が残っているのか、頭がくらくらするし、胃のあたりもずっしり重い。

 フレデリクはなんとかスープを飲み干し、小さなパンをひとつ食べた後、左脇腹の傷をかばいながらソファーに横になった。

 ふぅと大きく息をつく。


「で? これほどの大怪我に見合う収穫はあったんだろうな? ……いてて」


 二日前の深夜に起きた事件については、食事を摂りながら、ゲラルトから一通りの話を聞いた。

 エルナをこの部屋に匿ったり、彼女に皇帝の秘密を明かしたことはゲラルトの独断だったが、こうする他はなかったと納得する。


 問題は、フォルカーがこれほどの危険を犯した理由だ。


 彼はずっと、十年前に自分を襲った男、つまり当時の皇帝を殺害し、フリードリヒ皇子に大怪我を負わせた犯人の足取りを追っていた。

 湖で遭遇したエドガルドと名乗る男は、左目に傷があり、黒髪で浅黒い肌の異国風の風貌だった。

 フォルカーはその特徴的な人相と名前を手がかりに、捜索を進めていたはずだ。


「エドガルドの隠れ家と思われる建物を、探り当てたそうです。そこで、顔を隠した男と乱闘になったと言っていました。よほど悔しかったのか、詳細は口をつぐんでいましたが」

「あいつにこんな傷をつけられたんだから、相当な手練れってことだろ? エドガルド本人だったのか?」


 フレデリクが忌々しそうに、左脇腹を撫でた。


 フォルカーに直接会うことは不可能だが、彼がかなりの実力者であることは、同じ身体の中にいる者として感じ取っていた。

 研ぎ澄まされた刃を懐に隠し持っているような、ざわざわした不穏な感覚と同時に、彼がいれば大丈夫だという心強さがある。

 その彼が、ここまでズタボロにされたのだ。

 相手は、並大抵の男ではないだろう。


「フォルカーはエドガルドに間違いないと言ってました。強烈な殺気や身のこなし、声が一緒だったと」

「そうか……。こちらの正体は、相手に知られているんだろうか」

「それはどうでしょうか。暗闇でお互い顔を隠していたそうですが、フォルカーが気づいたように、相手が何か悟っても不思議はないですね。彼らは湖で一度、やりあっていますから」

「エドガルドは忍び込んだ相手が皇帝だと分かっていて、あえて逃した可能性もあるな」

「まさか」

「獲物はまるまると太らせてから仕留めるに限るって、言っていたのだろう? つまり、皇帝を暗殺しろという指令が出るまでは、その命には値段がつかないんだよ」


 だとすると、敵はフォルカー相手に手加減したということになる。


「……もしかすると」


 考えようでは、相手に正体が知られていたことで、命拾いをしたのかもしれない。

 そうでなければ、今頃自分は、自分の知らぬ間にこの世から消えていただろう。


 誰にも知られない暗い場所に無残に打ち捨てられた、身体という物体。

 強い傷の痛みが、自身の死のイメージを引き寄せる。

 さすがに背筋がぞくりと冷えたが、それをゲラルトに悟られぬよう、痛みをこらえる表情に隠した。


「その隠れ家は、もう調査したのか」

「ええ。当然、もぬけの殻でしたよ。手がかりになるようなものは、何一つ見つかりませんでした」


 ゲラルトはそこまで話した後、深刻そうに声をひそめる。


「ですが、フォルカーがその隠れ家に踏み込んだ時には、『大いなる青』の原石が入った箱があったそうです」

「なんだって!」


 フレデリクが驚きのあまり勢いよく身を起こしかけ、直後、苦悶の表情を浮かべてソファーに倒れこんだ。

 痛みは激しかったが、それが引くのを待つのがもどかしく、脂汗を浮かべながらとぎれとぎれに問い詰める。


「くっ……。な……ん、で、そんなもの、が? しかも、原石だと?」

「そうです。原石です。その原石がこれくらいの箱いっぱいに入っていたそうです」


 ゲラルトは手で箱の大きさを示した。

 縦横は肩幅ぐらいの大きさ、高さはその半分ぐらいだ。

 こんな箱にいっぱいの量なら、数ヶ月分の産出量に匹敵する。


「以前、宝飾工長のオーレンドルフ侯爵が何か言っていたよな?」


 それは、最近、採掘工が疲弊し、過労で倒れる者まで出ているという話だった。

 宝飾工の元に入ってくる原石の量は変わらないというから、それだけの量が横流しされているとしたら、採掘工の負担が大きくなるのは当然だ。


「あの時に調べてみましたが、帳簿上は何も問題はなかったんですよ。倒れたという採掘工にすら、たどり着けなくて……。父上や兄上にもそれとなく聞いてみたのですが、だめでしたね」

「カルヴィーン卿と採掘工長は、もともと否定していたからな。しかし、どこかに抜け道があるのは間違いない」

「そうですね。また、調べてみます」


 ブラウヒューゲル皇国でしか産出しない『大いなる青』とその加工品は、この国の経済を支える最も重要な産業だ。

 採掘場は兵士によって常時監視され、採掘工は作業後に必ず身体検査を受ける。

 採掘されたすべての原石は、採掘日時と採掘者、品質やサイズなどが事細かに台帳に記載され、宝飾品として加工された後も、採掘時の記録に遡ることができるほどだ。

 それほど厳重な管理をしているのだから、本来なら横流しなど不可能。

 よほどの大物が関わり、組織ぐるみで隠蔽しない限りは——。


「先代皇帝の暗殺。今後、フリードリヒが暗殺される懸念。『大いなる青』の横領。これら三つの件は、つながるのか?」

「少なくとも同じ男、エドガルドが関わってることは間違いないですよね」

「そうだな。しかし、皇帝の暗殺はまだ分かるが、『大いなる青』の方は解せんな。そんなに大量の原石をどうするつもりなんだ」

「あの石を加工するには高度な技術が必要ですから、原石のままでは、あまり価値が……しっ!」


 隣の寝室からかすかな物音が聞こえ、ゲラルトが口元に人差し指を当てた。

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