88.王都ロマンサ
ニケアを発って次の街ナポロへ辿り着き、そこで一泊してグリニカ王国の王都ロマンサへ辻馬車に揺られること二日。
その途中、時折街道に飛び出してくる猪とか鹿のような魔物を、その都度棍棒を持った体格のいい辻馬車の馭者のおじさんが馭者台から飛び降り、殴りつけて倒す。ロンバルディア大陸と比べて辻馬車の運賃がえらく高いと思っていたけれど、なるほど、こんな理由があったんだな。
勿論、黙って見ている訳にもいかなかったので、私とフレイユ、マーナも加勢に入った。不特定多数の人の目があるところで封邪の剣を使うわけにはいかなったので、私はニケアの次の街で手頃な剣を買ってそれで戦った。フレイユは魔法使いを装って神力を使い、マーナはボワサンの力を借りずに小さな火の玉の魔法を使って戦っていた。
馭者のおじさんは、私達のお蔭で魔物を相手にする手間がずいぶん省けて馬車の進み具合も早かったと喜んでくれて、三割くらい運賃を安くしてくれた。
それにしても、さすがはサブリアナ大陸。聞いていた通り、本当に普通に魔物が現れる。ロンバルディア大陸で野兎や野犬を見かけるように、山や森の中だけでなく、街道沿いにも普通にいる。そして、人間を見て逃げる奴もいれば、目の色を変えて襲ってくる奴もいる。
王都ロマンサからは隣接する国へ主要街道が伸びていて、そのうちの一つは魔法都市ウィザーストンに通じている。
ナーシャの占いの結果、物見の鏡に縋ることにした私達は、一路ウィザーストンを目指していた。フレイユとオークルの目的地である神獣族の里も、ウィザーストンを通過した先にあるらしいから、まだまだ彼らとは一緒に旅をすることになりそうだ。
ロマンサに入ると、そこは一国の王都にしては寂れた印象の街だった。これなら、ニケアやナポロの方がまだ活気があって華やかだ。建物や街自体は大きくて立派なのに、往来を行き来する人の数が少なく、街の人達の顔に覇気がない。
「以前、ここに立ち寄った時には、もっと活気のある街だったような気がするけど」
マーナも不思議そうに首を傾げながら、宿屋の二階の窓から往来を眺めていた。
と。
「前言撤回。何だか賑やかなことになってきたわよ」
言葉の内容とは裏腹に、マーナはうんざりした表情を浮かべている。
確かに、窓の外が騒がしくなってきたな、と窓枠から身を乗り出してみると、眼下の往来で柄の悪そうな体格のいい大人が三人、少年を殴ったり蹴ったりしているのが見えた。
周囲にいる人達も、酔っ払ってけしかけるように叫ぶか、関わり合いになりたくないとばかりに視線を反らす人ばかりだ。
「……っの!」
考えるよりも先に、私は窓枠についた手を軸にして、二階の窓から外に飛び降りていた。
「ちょっと! 弱い物虐めはやめなさいよっ!」
「ああ? なんだこのクソガキは」
「ひょっとして、こいつの仲間か? 生意気な奴だ。まとめて痛い目に遭わせてやる」
荒くれ者達は、地面に倒れて動かない少年から、標的を私に変えた。
と、その時、不意に足元で声がした。
「おい。加勢してやる」
見れば、そこには毛を逆立てたオークルがいた。あれ? いつの間に飛び降りてきたんだろう。
トスカナ村で一度元の姿に戻れたというオークルは、あれから何をどうしても元の姿に戻ることはできずにいた。元の姿に戻れない原因も、何故一度だけ元の姿に戻れたのかも分からなくて、あれ以来ずっと元気がなかったのだ。
「もしかして、憂さ晴らし?」
「人聞きが悪いな。……まあ、そんなところか」
「おい、クソガキ。暢気に猫に話しかけてんじゃねぇよ!」
丸太の様に太い腕が振り下ろされてくる。それをひらりと避けた私は、その腕の上を蹴ってさらに跳躍すると、男の頭に回し蹴りを食らわせた。
呻き声を上げて、朽ち木の様に倒れる男を踏み越えて、呆気に取られている別の男を殴りつける。たった一発横っ面に拳を叩き込んだだけで、そいつは傍の露店に頭から突っ込んで動かなくなった。
「うぎゃあああっ!」
悲鳴が上がって振り向くと、額から顎にかけて爪でバリバリに引っ掻かれた男が、オークルを肩に乗っけたまま、顔を押さえて走り回っている。オークルは、時々自分を捕まえようとする男の手を巧みに避けながら、さらに手や腕にも引っ掻き傷を増やしている。
……仕方ないにしても、神獣族の戦い方にしてはしょぼい。これじゃ、本当に猫そのものだよね。
「ち、畜生! 覚えてろよ!」
オークルだけに言った訳じゃないだろうけれど、男達は捨て台詞を吐いて逃げていく。体格だけは立派だけれど、自分が敵いそうにない相手に立ち向かっていくような気概は持っていなかったみたいだ。ま、こんな小柄な少年を寄って集って足蹴にするような奴らだから、碌でもない奴らだってことは察しがついていたけどね。
「大丈夫? しっかりしなさい」
ちゃんと宿屋の階段を下りて玄関から表に出てきたマーナとフレイユが、少年を介抱している。けれど、気を失った少年はくったりとして目を開ける気配もない。
「あの、この子がどこの家の子だか知りませんか?」
マーナが、遠巻きに事態を見守っていた野次馬たちに声をかけたけれど、誰もが視線を反らし、波が引くように去っていく。
「……ええっ、何なの? 無視?」
呆気に取られている私達に声を掛けてくれたのは、宿屋の御主人だった。
「その子は、三日ほど前からこの辺をうろついているんだよ。確か、グシャナから来たって言っていたかな」
「うろついてって、迷子?」
「いや、家出らしい。まだ子供なのに、大胆にもこの辺にたむろしている柄の悪い奴らに話しかけて回っていたもんで、いつかこうなるんじゃないかと心配していたんだが、その通りになってしまったな」
可哀想に思っているどころか、寧ろ少年に対して憤慨した様子で、宿屋の主人は腰に手を当てた。
「そうそう。あんた達、世話を焼くのは勝手だが、この子を宿の部屋に泊めるなら、もう一人分料金をいただくよ」
そう言い残して、宿屋の主人も早々にカウンターの奥へ消えてしまった。
私達は、あまりに非情なこの街の人達の態度に、ただただ呆気に取られていた。
でも、このままこの少年を往来に放置しておく訳にはいかないので、カウンターで声を掛け、もう一人分料金を追加して、自分たちの部屋に運び込んだ。勿論、私が負ぶって二階の部屋に運んだんだけど。
それにしても、この街の人も宿屋の主人も冷た過ぎる。何だか、困っている人を助けてあげようという心の余裕みたいなものがない。
せめて、ここがマリエル商会系列の宿屋だったら、特別会員証の威力も発揮できて、もっと対応もよかったと思うんだけど。でも、残念ながら王都に五件ある系列店は全て満室で、仕方なく下町に近いこの辺りで一番大きめのこの宿に決めるしかなかったのだった。
私と身長も体格もほとんど変わらない小柄な少年が目を覚ましたのは、私達が交代で看病しながら順番に宿の食堂で食事を終えた後だった。
虚ろな目で天井を見つめていたかと思ったら、ハッと目を見開いて飛び起き、傷が痛んだのか腕やお腹を押さえながら呻き声をあげた。
「ちょっと。急に動いちゃ駄目だよ。怪我をしているんだから」
そう声を掛けながら横にならせようとすると、キッと睨みつけられた。……は? 何で? 私達、あんたを助けてあげたんだけど。
ふくれっ面の私を押しのけるようにして、マーナが少年と目線の高さを合わせるように身を屈める。
「あなたは、この宿の外で、大人達に囲まれて暴行を受けていたの。覚えているかしら」
すると、少年は口元を歪めて吐き捨てるように言った。
「余計なことするなよ……!」
「はあっ!? 何言ってんの?」
思わず手を伸ばして襟首を掴んでやろうとしたところを、フレイユに背後から羽交い絞めにされた。
「ちょっと、放してよフレイユ! この恩知らずに一言言ってやらなきゃ……」
「言うだけならばそうすればいいでしょう。ただし、怪我人に手出しは無用です」
そんな私達の遣り取りを横目で見た少年は、馬鹿にしたように溜息を吐いてそっぽを向いた。あー、腹が立つ!
「あのねえ。例え余計なことだったとしても、あの乱暴なやつらを倒してあんたを助けて、宿代まで出してここで介抱してあげているのは私達なんだから。何か言うことはないの?」
あーあ、こんな恩着せがましいこと、助けた側のこっちから言いたくはないのに。でも、こいつの態度があまりにも非常識だから、つい感謝の言葉を請求するようなことを言ってしまった。
すると、少年は目を瞬かせると、室内に視線を走らせた。
「どいつが……?」
「え?」
「どいつが、あいつらを倒したんだ?」
これまでになく食らいついてくるような視線に、マーナが私を振り返る。
「あ、私だけど」
「……は?」
正直に答えると、少年は眉を顰めて、馬鹿にするなと言いたげに顔を歪めた。
「いや、本当なんだけど。それと、この猫ね」
別のベッドで丸くなっているオークルを指さすと、少年は自分に掛けられていた布団を剥ぎ取って飛び起きようとした。そして、傷の痛みに呻きながらも、怒りに満ちた目でこっちを睨みつけてくる。
「お前。こっちが子供だからって、揶揄うのもいい加減にしろよ!」
「は? 揶揄ってなんかいないよ。あんたこそ、さっきから言いがかりばっかりじゃない。名乗りもしないで、失礼なことばっかり言って」
「お前があいつらを倒したなんて嘘に決まっているだろうが!」
「気を失って見ていなかっただけのくせに、失礼しちゃう。それなら、これならどう?」
私はフレイユの手を振りほどいて少年に近づくと、ベッドに飛び乗り、身構える隙も与えずに少年の首根っこと腰の辺りを掴んで高々と持ち上げた。
「うわあああっ!」
さっきまでの威勢のよさはどこへやら、情けない悲鳴を上げて手足をばたつかせる少年に構うことなく、私は少年を持ち上げたままベッドから降り、そのまま窓辺へと歩いて行った。
「ねえ。あんまり生意気だから、いっそ元通りの場所へ戻してあげようか」
「わっ、ばかっ、やめろっ、お前、窓から放り投げるつもりじゃないだろうなっ!」
半泣きになりながら、途切れ途切れの声で抗議してくる少年に、ニヤリと笑いながら返す。
「あっ、そうかあ。ここから投げたら、いちいち階段を降りなくても済むもんなぁ」
「うわあああっ。分かった! お前があいつらを倒したって信じる! 信じるから、許してくれ……」
泣きべそをかきながらの訴えを聞いて、少年を元のベッドの上に戻してあげると、少年はよほど怖かったのか膝を抱えながら袖口で涙を拭い、啜りあげている。
「ミラク、やり過ぎ」
逆に私の方がマーナに睨まれてしまった。
ええー。何か、釈然としないんですけどー。




