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ミラクの果てしない旅 ~千年後の後始末~  作者: 橘 珠水
第三章 グリニカ王国編
83/89

83.助けてくれたその人は

再び、マーナ視点です。

 長い白髪と白鬚を靡かせながら、人の形をとったボワサンは、するすると先を歩く。周囲は吹き飛ばされそうなほど風が荒れ狂っているというのに、この老人の周囲だけそよ風しか吹いていないかのようだ。

 その後ろに続く私は突風に吹き飛ばされそうになりよろめきながらも、いなくなったオークルの姿を探していた。けれど、巫女の館に続く道端の木陰にも、道沿いに立っている家の軒下にも、彼の姿はどこにもなかった。

「……まったくもう、どこに行ったのよ」

 焦ってそんなことを呟きながら歩いているけれど、本当は彼がどこに行ったかなんて分かっている。きっと、彼はこの先の砂浜にいるフレイユの所へ行ったのだ。

 まだ龍は海の上空にいるというのに、水が苦手だという猫姿のオークルに何ができるというのだろう。以前から、私が魔物に遭遇した時にもあの小さな身体で体当たりをかましたりと無茶な行動をしていたけれど、まさかここまで馬鹿だとは思わなかった。

 まるで地面に着くか着かないかの位置を浮いて移動しているかのようなボワサンを小走りで追いかけていると、不意に身も竦むような龍の咆哮が聞こえてきて、次の瞬間、海上から眩い光が差した。

「うきゃっ!」

 咄嗟に目を閉じたものの目が眩み、小石に躓いて手足を擦りむいてしまった。

 あれは、以前フレイユが、ククロの森に向かう途中、襲ってきた蝙蝠を撃退したのと同じ光だ。でも、あの光が放たれたのは、砂浜からじゃなくて海の上からだったのような……。

 その場に座り込んで、擦りむいてしまった掌や膝を摩りながら首を傾げる。

 視力が回復するまで待って顔を上げると、すでにボワサンはずっと先まで進んでいた。あの光を見ても、目が眩まなかっただなんて、さすが神蛇族の長だったという方だけはある。

 その時、空気が鳴るような不気味な音がしたかと思うと、ズン、と地響きをたてて龍の巨体が浜辺に舞い降りた。

「……ひっ」

 間近で見る龍はあまりにも巨大過ぎ、見ているだけで気が遠くなりそうな威圧的な空気を放っていた。捲れ上がった唇から覗く、ズラリと並んだ鋭い牙。鈍い灰色の鱗は、厚い雲に遮られた陽光の元でさえも、極彩色のきらめきを放っている。

 これは明らかに、魔族や魔物の類じゃない。そのことは見ているだけで分かる。けれど、龍の目は明らかに狂気を帯びた光をまとっていて、その異様さに鳥肌が立った。

 ドォン! と凄まじい音を立てて、いきなり浜辺の近くに建っている家が潰れた。振り下ろされた龍の尾で、呆気なく破壊されてしまったのだ。

 浜辺に立つ漁師達の家は、小さくて粗末な木造のものが多い。それでも、時に襲って来る嵐に備えて、頑丈に補強されている。それが、尾の一撃だけであっという間に崩れて瓦礫と化していく。

 その破壊力の凄まじさに、恐怖のあまり立ち尽くす私の目の前で、龍の尾は次々と家を薙ぎ倒していく。龍の長い身体のうち、頭がある方の三分の二は全く動いていないのに、残る三分の一が好き勝手に跳ねて気まぐれな破壊行動を続けている。

 その尾が、いきなり角度を変えてこっちへ向かってきたかと思うと、私が立ち尽くしているすぐ傍の家に振り下ろされた。

 耳が潰れるかと思うほどの轟音と破壊音、降り注いで来る瓦礫に、目の前が真っ暗になった。



「大丈夫か?」

 どこかで聞いたことのあるような、けれど初めて聞く声がすぐ傍から聞こえる。

「……え、……ええ」

 目を開け、自分が地面に突っ伏している現状を把握しながら、ゆっくりと顔を上げる。すると、頭上からギシギシと何かが軋む音がした。

 ふと見上げると、自分の真上に太い家の梁と屋根がある。それは、翳された筋肉質の腕によって支えられ、不気味に揺れて軋んでいた。

「えっ?」

 倒壊した家の一部が自分の方に崩れかかってきて、それを誰かが受け止めてくれているのだと気付いて、慌てて起き上がろうとする。けれど、恐ろしい目に遭って腰が抜けたのか、全く動くことができない。

「動けないのか? どっか痛めたか?」

 妙に慣れ慣れしくて、でも深い響きのあるその声に、思わず心臓がドキリと跳ねる。

 慌てて首を横に振ると、ホッと安堵したような溜息が落ちてきて、それから頭上で更にメリメリと音が響いた。家の破片が落ちてきて身を竦めたけれど、どうやらその人物が受け止めていた家の残骸を持ち上げて、危なくない場所に下ろした音だったようだ。

「ほら、立てよ」

 目の前に差し出された手を追って見上げると、そこには見たこともない青年が立っている。赤みの掛かった金色の髪を肩より少し長めに伸ばしていて、色白で細身なのに軟弱に見えないほど引き締まった体躯の、ちょっときつめの綺麗な顔立ちをした青年。

「あ、あの、助けてくれてありがとうございました」

 そう言いながら差し出された手を握ると、その手を引かれてひょいっと立たされた。その瞬間に腰が砕けて座り込みそうになるところを、もう一方の手で素早く抱えられる。

「何だよ、お前。随分と他人行儀だな」

 そう言いながら、その人は私の膝裏に手を添えると、あっという間に抱きかかえて近くの柔らかそうな草地に下ろしてくれた。

「あの、すみません。何から何まで……」

「別に。それよりお前、何でこんなところまでのこのこ出てきてやがるんだ。巫女の館に避難してろって言われてただろう?」

 見ず知らずの青年に眉を吊り上げられてそう叱られ、何でそんなこと知ってるんだろうと肩を竦めながら俯く。

「逃げた猫を探しに来たんです」

「…………は?」

 愕然とした声が落ちてきた。そりゃあ、呆れるだろう。あんな巨大な龍が村を破壊している最中、猫を探しに外に出てくるなんて、何も知らない他人からしたら馬鹿としか思えないだろう。でも。

「そりゃあ、猫の為に安全な所から出てくるなんて頭おかしいと思われるかも知れませんけど、私にとっては、そのくらいとっても大事な猫なんです!」

 草地に座り込みながら青年を睨み上げると、彼は絶句した後、困ったように指先で頬を掻いた。

「……あのさ。もしかしてお前、俺が誰だか気付いてないのか?」

「…………は?」

 目を瞬かせる私の目の前で、青年は自分の頭に両手をやり、癖のように飛び跳ねている側頭部の髪を左右それぞれ引っ張った。

「ほら。これが見えねぇのか?」

 そう言われてよく見てみれば、髪と同じ色をしたそれは、髪ではなくて耳だった。猫とか犬とかと同じ、三角形をした獣の耳だ。

「……う、……そ、…………オークル?」

 呻くように呟くと、青年が白い歯を見せてニッと笑った。すると、普通の人間と比べるとやや立派な犬歯が覗く。

「何で、そんな姿に」

「そんな姿って何だ。これが俺の本来の姿だぞ」

 不機嫌そうに腕組みをしながらこっちを見下ろしてくる青年は、あの愛らしい猫だったとは到底思えない。いや、声は変わってしまったものの、口調だけを聞いていればまさにそのものだったけれど。

 私の可愛いオークルは、一体どこに行ってしまったんだろう……。

 遠い目をしながら、元の姿に戻れたのがよほど嬉しいのか、長い尾を振りながら自分の身体を触ったり、その場で飛び跳ねたりしている青年を見て溜息を吐く。

 それにしても、元の姿に戻れず原因も分からないとボワサンにも言われていたのに、何故今このタイミングで本来の姿に戻れたのだろう。

 けれど、そんな疑問に耽っている間はなかった。龍の尾が私達の上空を薙いで、砕かれた家の破片が飛んできた。私を庇うように立ち塞がったオークルが、それを素手で弾き飛ばす。

「おい。ここは危ない。巫女の館に戻れ」

 オークルに助け起こされて立ちあがろうとするものの、足の力が抜けてしまってすぐ座り込んでしまう。

「ったく、世話が焼けるな」

「あなたも一緒に戻るのよ、オークル」

「ああ? 何を言ってやがるんだ。俺はフレイユを助けに行くんだよ」

 オークルは、金色の目を細めて浜辺よりもずっと向こうに目を凝らす。

「あいつらは、海に流されちまった。船に乗ってはいるが、海からは魔物の匂いがプンプンする」

 ぎゅっと拳を握り締めたオークルの腕に筋肉が盛り上がるのが、掴んだ袖の上からでも分かる。

「でも、私はあなたのことを頼むってフレイユに言われているのよ」

「それは、俺があの猫の姿だった時の話だろう? いいから、早く戻れよ!」

 私をその場に置いて走り去ろうとするオークルの足に縋って引き留めようとするけれど、呆気なく振り解かれてしまう。

 と。

 オークルの後ろ姿がぼやけたと思った瞬間、一気にその姿が縮んで、あっという間に猫の姿に戻ってしまった。

「…………え?」

「…………は?」

 立ち止まったオークルが、愕然とした表情でこっちを振り返る。

「「何で……」」

 異口同音にそう呟いた時、眩い光が周囲を包み込み、またも目の前が真っ白になった。 


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