66.サレドニアを後にして
このお話から、ミラク視点に戻ります。
国境を越えてエルドーラ軍が侵攻してきた、と聞いた時、ひょっとしたらこれにも魔族が関わっているかも知れない、という考えが過った。
だから、怪我が回復して動けるようになったら、サレドニア軍に従軍してエルドーラ軍に潜入しようか、なんてフレイユと密かに話し合っていたんだ。
フレイユの神力で私の怪我はある程度治癒されていると思っていたんだけれど、実はその神力は怪我自体を治すものじゃなく、痛みや出血を一時的に止めるものだったらしい。
そうだよね。でなきゃ、ロザーナで初めて出会った時、フレイユが怪我をしたまま歩いているなんてことはなかったはずだから。
それでも、私の怪我は王宮の医師が目を見張るほど回復が早く、普通の人ならひと月は動けないというところを、一週間ほどでベッドから出て歩き回れるようになった。
その頃になると、エルドーラ軍は国境地帯一帯を制圧してしまったんだけど、その後、そこから先へは侵攻してこなくなっていた。今は、ようやく混乱から立ち直って編成されたサレドニア軍と、睨み合いの状態が続いている。
リムルラントからはヒルメス殿下が戻ってきて、王宮でカルロス王と再会した。そして、ようやく意識を取り戻したエリーザ王女にはジュリア王女が付き添って、精神的に支えてあげているらしい。
そうそう、ヒルメス殿下と共に王宮へやってきたマリエルが、私を見舞いついでにこんなことを教えてくれた。
「エルドーラの王城にも、サレドニアと同じように魔族が入り込んでいたらしい。でも、すでに旅の魔法使いによって倒されたそうだ」
「へえぇ、凄い魔法使いがいるんだね」
実際、封邪の剣という、地底勢力に致命的な一撃をお見舞いできる武器がなければ、私達だってビリジアンを倒せたかどうか分からない。それなのに、魔族を一人で倒しただなんて、この世の中には本当に凄い人がいるんだね。
そして、凄い魔法使いと言えば、まず思い浮かぶのがクロスのことだ。
まさかと思いつつ、期待を込めてマリエルに訊ねる。
「ねぇ、その魔法使いってどんな人? まさか、黒髪で背の高い男の人とか……」
「いや、とっても賢い猫を連れた、小柄で若い女魔法使いだそうだよ」
「ふーん、そうなんだ……」
クロスじゃなかったのか、と内心がっかりしながらも、平静を装って返事を返す。
でも、エルドーラの魔族が倒されたのだから、これで安心してサブリアナ大陸へ渡れる。
「サレドニアの港は、エルドーラとの戦争がどう転ぶか見定めてからの開港になるらしい。それに比べると、リムルラントの港は数日中にも閉鎖が解けるようだ。ヒルメス殿下を無事送り届けたことだし、私は早急にリムルラントへ戻るが、君たちも一緒に来るかい?」
マリエルにそう言われて、私達は顔を見合わせると、大きく首を縦に振った。
正直、私はまだ動けるようになったばかりなので、徒歩での旅に不安を感じていたから、マリエルと一緒に馬車でリムルラントまで戻れるのは願ったり叶ったりだ。
マリエルは、先だっての港の火事による船舶の焼失と、突如主が行方不明になった挙句に不祥事が発覚して潰れたソルバーン商会の後始末で大変忙しいらしく、彼に合わせての旅立ちはとても慌ただしかった。
まず、カルロス王の元へ出国の挨拶に伺う。
カルロス王は、まだ礼らしい礼もしていないのに、と私達を引き留めようとしていたけれど、私達の旅の目的を知ると、国宝である古代地図を模写したものをくれた。
それには、この世界の陸地と海、そしてその各地にかつてあったという神々の都市の場所、つまり今で言うところの神々の遺跡の場所が示されてあった。
「そなたの養い親がどこかの遺跡の付近に落とされたというのであれば、その地図が役に立つのではないか?」
「はい。ありがとうございます」
「いや、礼を言うのはこちらの方じゃ。そなたらがいなければ、私もあと数日のうちに病で死に、ヒルメスやジュリアは王宮へ戻れず、エリーザはいいように操られたままで、この国は滅んでおったかも知れん。本当に助かった」
実際、カルロス王の病気は、故意に瘴気を当てられ続けたことによるものらしく、今では随分と健康を取り戻しているようだ。
後継者のヒルメス殿下はまだ若過ぎるし、頼りなさすぎる。だから、もっと長生きして貰わないと。
口には出さなかったけれど、カルロス王の傍らに立つヒルメス殿下をちらりと見てそう思った私の気持ちが伝わっちゃったのかも知れない。
ヒルメス殿下は少し不機嫌そうな顔をして近づいてくると、私にすっと手を差し出した。
「次に会う時には、もっと強くなっているからな。その時には、また手合せをしてくれ」
「はい。喜んで」
握手に応じてその手を握ると、固い肉刺の感触が掌に伝わってきた。
あ、私がいなくなった後も、ずっと真面目に剣の鍛錬を積んでいたんだ。
そう思って思わず笑みをこぼすと、ヒルメス殿下もそれに応じるように笑みを浮かべた。
きっと、もうサレドニアは大丈夫だ。
そして、もう一人。王宮を出ようとしたところを、出来れば会わずに去ろうと思っていた人に見つかってしまった。
「なんじゃ。もう出て行くのか?」
キラキラした王女らしい衣装に身を包んだジュリア王女は、泰然と私達の前に立ち塞がった。
「遠慮せず、もっとゆっくりしていけばよいのじゃ。それとも、お父上様がお前たちを追い出そうとでもしたというのか?」
「めっ、滅相もない」
「ならば、何の心配もない。エルドーラとの戦いがひと段落つくまでのんびりここで過ごして、サレドニア中を見て回ればよいではないか」
困った。そんな悠長なことをしていたら、いつまで経ってもサブリアナ大陸には渡れない。
でも、この王女様には、何を言ってもこんな調子で丸め込まれてしまう。
困惑している私達を助けてくれたのはマリエルだった。
「王女殿下。この者達は、先を急ぐ旅の途中なのでございます。どうか、早々に王宮を去るご無礼をお許しください」
そう言ってジュリア王女の前に膝をつき、恭しく手を取ってそっと手の甲に口付ける。
すると、ジュリア王女の白い肌が、みるみるうちに真っ赤に染まっていった。
「……う、……分かった。く、苦しゅうない。元気でな」
真っ赤になった顔を俯かせ、プルプルと小刻みに震えながら、ジュリア王女はよろよろと自室の方向へ歩き始めた。
「な、何だったんだ……」
ジュリア王女の後を慌てて追いかけていく女官達を見送りながら呟くと、マリエルはクスッと笑った。
「相変わらず可愛い反応をするね、ジュリア王女は」
「え?」
「実は、私はこの国の王族の端に名を連ねる者でね。訳あって父がリムルラントで暮らすことになり、私も商人として身を立てることになったんだが、昔から縁あってこの王宮に出入りすることもあった。王女達やヒルメス殿下も、幼い頃からの顔見知りなんだよ」
「なるほど。それで、ヒルメス殿下を匿っていたんですね」
そう言ったフレイユに、マリエルは頷く。
「父の代から色々と確執はあったようだけれど、カルロス王は私に色々と便宜を図ってくれた。今のマリエル商会がここまでの規模になったのも、そのお蔭だと思っている。だから、ほんのお礼のつもりだ」
でも、そのお蔭でサレドニアは王位継承者を失わずに済んだ。そして、私達はマリエルの繋いだ縁を辿って、魔族ビリジアンを倒すことができたんだ。
リムルラントへ戻って数日後。
サブリアナ大陸へ渡る旅の準備も整い、明日はやっと客船の一等船室でゆったり船旅を満喫するぞー! と意気込んでいた私達を訪ねて来た人がいた。
何でも、エルドーラの王城に入り込んでいた魔族を倒した凄い魔法使いらしい。
「何で、私達に会いに来たの?」
マリエルの執務室で待っているというその人に会いに行く間、私とフレイユは顔を見合わせて首を捻った。
「やっぱり、向こうも魔族を倒した私達がどんな凄い人なのか、見てみたくなったんじゃない?」
「ならば、きっとミラクを見て驚きますよ」
なんて笑いながら執務室の扉を開いた私達は、そこで待っていた人を見て驚きの余り声もなく立ち尽くした。
「……ミラク、フレイユ。よかったぁ、やっと会えた……」
すとん、とその場に座り込んでホロホロと涙を流しているのは、ローザラントの王都ロザーナで宮廷魔法使いをしているはずのマーナだった。




