47.突然の逃亡劇
「間違いなく、そいつはミリアブルだな」
裏の顔はともかく、庭師に過ぎないグレエムさんが、何の臆面もなくミリアブルのことを呼び捨てにした。
しかも、“そいつ”扱いだ。
いくらここが庭師の休憩小屋で、ここには仲間しかいないからって、そんなこと言って大丈夫なんだろうか。
だって、ミリアブルは一応王女の夫なんだし、今ではこの国で一番の権力者なんだよ?
そんな私の心配を余所に、グレエムさんの言葉遣いはますます荒くなっていく。
「あいつは、元々図体はでかいが、気の弱くて人のいいお坊ちゃんだったんだ。エリーザ王女と結婚したばかりの頃は、それはそれは王女を宝物みたいに大切にして、幸せそうに笑ってやがった。それが、今はあのザマだぜ」
グレエムさんのまとう空気が、段々と不穏なものになっていく。
この雰囲気って、下町のオジサンオバサンが、血もつながらない近所の若い子の噂話をしている時に似ている。とんでもない奴だ、困ったもんだ、なんてプリプリ怒りながらも、無関心ではいられないって感じ。
要は、厳しいことを言いつつ、心の中では心配で仕方ないってことなんだよね。
「エリーザ王女は、ミリアブルの言いなりになっているとお聞きしましたが」
フレイユがそう訊ねると、ダン! とグレエムさんの拳がテーブルの上に落ち、昼食の皿やコップ、スプーン等が耳障りな音を立てて跳ね上がった。
「あいつめ、どんな手を使ったか知らんが、王女どころか貴族たちを次々に従わせてやがるんだ。で、最終的にあいつが何をしたいのか、分かるか?」
鋭い眼光を向けられて、私は目を瞬かせ、首を横に振る。
「……ちっ。おいおい、緊張感の欠片もねぇなぁ」
そんな文句を言われたって、分からないものは分からないんだから。
「いいか? 今、サレドニアの次期国王はヒルメス殿下だ。行方知れずになっていても、それは変わりない。そして、もし仮に、ヒルメス殿下がお亡くなりになった場合、次期国王の座は第一王女であるエリーザ王女だ。それは分かるな?」
そう問われて、私は素直に頷く。
「だが、エリーザ王女が国王になると、その夫であるミリアブルは政治にかかわることが出来なくなる。この国の法律でそう定められているからだ」
「なるほど、王位継承権のない夫が、国王と同等、あるいはそれ以上の権力を手にしないようにという予防策ですね」
フレイユが納得したように呟き、グレエムさんはそれを聞いて大きく頷く。
「まさに、その通りだ。そして、その法を変えるには、貴族会議を開き、全貴族の過半数以上の賛成を得る必要がある。国王陛下が亡くなる前にな」
ポン、と私は手を打った。
「そうか。ヒルメス殿下は行方不明になっているから王位を継承できないことにしたとして、エリーザ王女が国王になっちゃうと自分が政治に関われなくなるから、それまでに法を変えたいんだね」
「ほほう。よく理解したな」
偉いぞ、と言わんばかりに、グレエムさんじゃ巨大な手で頭をワシワシと撫でてきた。
そのくらい、私でも理解できるよ。
でも、貴族を従わせているって、あれって何か術をかけているよね?
さっき目にした、ミリアブルと接触した後、明らかに様子がおかしくなった中年貴族を思い出して、私は何だか寒気を覚えた。
「あいつの目的は、エリーザ王女を女王の座に据えて、実質的に自分が権力を握ることだ。それまでに、何らかの手を打たなけりゃならん」
太い腕を組んで、荒々しく息まくグレエムさんは、下町によくいる責任感の強いオジサンみたいだった。
そうは言っても、一国の浮沈に関わることだから、事の重大さには雲泥の差があるんだけどね。
「やっぱり、フレイユが言ってた通り、ミリアブルの目的はサレドニアの支配者になることなのかな」
午後からの作業は、離宮に程近い庭園の整備だった。
ここは、午前中の庭園と比べると、全くと言っていいほど人の気配がない。
近くに他の庭師がいないことを確認して、私はフレイユにそう囁いた。
「そうでしょうね」
「でもさ。それって、何とかって協定に違反してるよね? なのに、何で地母神様はミリアブルを放置してるの?」
そもそも、魔族が地上に干渉することが禁止されているのなら、ガードンもソルバーンも、それにクロスを襲ったあのトカゲの王様も、地母神様に退治されているはずじゃないの?
私の問いに何も答えないフレイユは、深刻そうに何か考え込んでいるような表情だった。
「ミラク……」
じっと答えを待っていると、ようやく吐き出すように私の名前を呟いたフレイユは、困ったように息を吐き出した。
「これは、私の憶測でしかありません。ですから、間違っている可能性もあります。それでもいいですか?」
「いいよ。フレイユが考えていることを聞かせて」
そんな風に断らなくてもいいのに、と思いながら頷くと、フレイユは意を決したように口を開いた。
「これまでの経緯を振り返って、私はこう考えました。地母神様は、すでに魔族を抑えるだけのお力を失ってしまわれたのではないか、と」
「え……」
ゾクッと背筋に寒気が走った。
「じゃあ、人間は魔族や魔物から、自分達の身は自分達で守らなきゃいけないってこと?」
「おそらく、そういうことでしょう」
目を伏せるフレイユに、私は思わず掴みかかった。
「だってさ。人間は、天界とか地底が本当にあることだって知らないんだよ? 魔物の存在は知っていても、それとは比べものにならないくらい強い、元神族だった魔族なんかがいるなんて、全然知らないんだから」
それなのに、神様は守ってくれないなんて。
地底の瘴気に当てられただけで、命の危険に晒されるくらい、人間は弱い生き物なのに。
「落ち着いてください、ミラク。『魔族』だと知っているかは別として、ファビリア帝国では人間が魔族を倒しています。それに、あなたもリムルラントでソルバーンを倒したではありませんか」
言い知れない不安に包まれていた私は、フレイユにそう言われて、少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。
「そうか。……そうだよね。ミリアブルも、私たちが倒せばいいんだよね」
手を後ろに回して、箒に偽装して背負っている封邪の剣に触れる。
ひょっとしたら、この剣の持ち主だったハディは、人知れず魔族と戦っていたのかも知れない。
だったら、私はハディの遺志を引き継ぐ。クロスを探しながら、ハディに代わってこの地上を魔族の陰謀から守るんだ。
そう意気込んだ時だった。
ガシャガシャと音を立てながら、鎧を着こんだ衛兵たちがこっちへ向かってくる。
何かあったのかな?
そう思ったのは一瞬のことだった。
「いたぞ、あいつらだ」
彼らの目は、明らかに私たちを捉えている。
うぇっ。私達……?
ヤバイと思った時には、私たちは咄嗟に植木の陰に回り込んで全力で駆け出していた。
「追え!」
まだ距離はあるけれど、そう怒鳴る衛兵の声に心臓が口から飛び出しそうになった。
何でバレたの……?
全力疾走しながらそう視線を送れば、フレイユが苦い表情になった。
「恐らく、あの時には、ミリアブルに気付かれていたでしょう」
その言葉を聞いて、ハッとする。
あの庭園ですれ違った時に、気付かれていたんだ。
「私が瘴気を感じ取れるように、魔族も私が神獣族だと分かる何かを感じ取ることができるのでしょう」
確かに、私でもフレイユは他の人間とは違う神聖な雰囲気があるって、何となく分かるもん。
だとしたら、何故あの時襲ってこなかったのか。
多分、理由は私達と同じだ。あの時、あの庭園には私達以外にも大勢の人間がいた。その中で、自分が魔族だと知られるような行動を取ることはできなかったんだ、きっと。
追いかけてきている人数の衛兵なら、私とフレイユとでどうにでもなる。でも、ここは王宮だ。戦っている間に、向こうの味方はどんどん増えていくのは明らかだから、逃げるしかない。
逃げると言っても、走る先には鬱蒼とした木立がある。その先にチラッと見えている建物は離宮だ。
建物の中に逃げ込むのは得策じゃない。出入り口を固められてしまったら、逃げ場がなくなるからだ。
けれど、どこに何があるか分からない王宮の中で、追手から身を隠すためには、その離宮の中に逃げ込むしかない私たちだった。




