38.助けたお礼に
えええっ!?
呆然と立ち尽くしたまま、私は燃え上がる白い炎を見つめていた。
……これって、もしかして私がやったの?
「うわっちちち!」
悲鳴を上げながら、オークルが白い炎の中から必死の形相で飛び出してきた。
「お、……おま、……馬鹿か」
ゼーゼーと荒い息を吐きながら、恨みがましい目で私を睨んできたオークルの目が、すうっと細まる。
そして、バッタリと地面に横倒しになってしまった。
「オークル!」
慌てて駆け寄って抱き上げると、オークルから漂ってくる毛が焦げる異臭が、ツンと鼻を突いた。
「うそ。私、オークルまで焼いちゃったの? ……ごめんなさい。しっかりして、ねえ、オークル。目を開けて」
呼びかけながら揺すっても、目を閉じてぐったりとしたオークルは何の反応も示さない。
白い炎は、だんだんと小さくなっていく。その中で唸り声を上げながら暴れていた魔物は、次第に動きを止め、炎が収まるころには真っ黒な炭の塊になっていた。
不思議なことに、炎は近くにあった木や落ち葉に燃え移ることはなく、森が火事になることはなかった。
ひょっとして……。
私は、腰のベルトに戻した白蛇の杖を見下ろした。
クロスさんが魔族に襲われ、私が気を失っている時、ミラクや近所の人が、二階の物置部屋の窓から白い炎が吹き上がるのを見たという話を聞いた。
でも、家の窓ガラスが割れただけで、どこも焼けていなかった。私が負った背中の火傷は、あの魔族が現れた時に起きた爆風が原因だったし、誰がいつ何のためにその白い炎を出現させたのかが謎のままだったんだけど。
その白い炎は、この白蛇の杖が原因だったんだ。
クロスさんやあの魔族は知っていたのだろうけれど、両者ともいなくなったので分からなかった。でも、あの魔族に襲われそうになって、気を失う寸前に、私がこの杖で無意識に魔法を使っていたんでしょうね。
そして、そんなことを知らずに、私は小さな火の玉しか発生させられないと思い込んで、オークルがいるのに魔物に向かって魔法を使ってしまった。
私を助けに、こんな森の奥まで来てくれたのに……。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
胸がズキンと痛んで、涙がボロボロ零れていく。
死んでもいい、なんて思っていたこんな人間を助けに来て、逆に死んでしまうなんて……。
「すまないと思うなら、俺に協力してくれるな?」
「うん。協力するわ、どんなことでも。だから、目を開けてちょうだい」
「その言葉、忘れるなよ」
……あれ?
抱きかかえて頬ずりしながら泣いていた私の頬に、ぐにっ、と肉球が押し当てられた。
「ふに?」
涙で滲む目を何度も瞬かせると、パッチリとした目を開けたオークルが、猫のくせにニヤリと笑っている。
「オークル? 大丈夫なの?」
「ああ。熱かったけど、火傷はしなかったみたいだな」
「でも、焦げた臭いが……」
「あの魔物の焼けた毛がくっついてたんだろ? それより、さっきの言葉、絶対に忘れんなよ」
え? ……ひょっとして、騙された?
「随分と卑怯なのね、神獣族のくせに」
「何とでも言え。俺は、フレイユのようなお坊ちゃんとは違うんだ」
私の腕からポン、と地面に飛び降りたオークルは、本当に何でもなさそうに軽やかに歩いている。
なんだか釈然としないけれど、熱い思いをさせたのは間違いない。オークルの言う協力というのがどんな内容なのか、話だけでも聞いてあげるとしますか。
「で、協力って、何をすればいいの?」
「見ての通り、俺はこんな姿になっちまった。ここまで来るには何とかなったが、神獣族の里へ戻るにはハッキリ言って厳しい」
「えっ。元々そんな姿なんじゃないの?」
目を瞬かせると、オークルは背中の毛を逆立てた。
「ンなわけないだろ。あのガードンとか言う奴にやられて、気が付いたらこんな眷属の下っ端みたいな姿になっちまってたんだ!」
怒りを吐き出すように怒鳴ったオークルは、気をとりなしたように話題を元に戻した。
「で、フレイユの奴に追いつくまで、俺と一緒についてきて欲しい」
「はああああ?」
何言ってくれてんのよ、この猫。いや、神獣族。
「冗談じゃないわ。私にだって生活ってものがあるのよ? そんなに長期間、仕事を休むわけにもいかないし」
「へえ。死にそうな顔しながら森の中をウロウロするのがそんなに大事な事なのか?」
的確なオークルの指摘に、うっ、と言葉に詰まってしまう。
見てたのね、仕事中の私の様子を。
「へっ、まあいいさ。人間なんて、所詮口だけで約束なんか守らねえ奴らさ」
「まっ、随分な言い草ね。騙したのはそっちでしょ?」
「騙した? 何だ。助けに来た礼をしてくれるのかと思ったが、俺がお前のせいで怪我でもしなけりゃ、何もしてくれないのか」
いちいち、オークルの言葉が私の心を抉る。
あんな小さな身体で、私を助ける為にあんな凶暴な魔物に突進してくれたオークル。怪我がなかったからといって、彼に何もお返しをしなくていいわけがない。
そして、オークルの言葉を分かってあげられる人間は、何故か私だけなのよね。
「……ごめん。ちょっと考えさせて」
それなのに、すぐに答えを出せない私って、何て情けないんだろう。
オークルは、そんな私を横目に、フンと鼻で笑って歩き出す。
「日が暮れる前に、森から出るぞ。まだこの森の奥のほうから、嫌な臭いがしてくるからな」
「何? 嫌な臭いって。ひょっとして、魔物……?」
肯定もしないけれど否定もしないオークルは、軽やかに岩を飛び越えながら緩い斜面を登っていく。私は慌てて、その後を必死で追いかけた。
「君は、一体何を考えているのかね」
翌日、私は宮廷魔法使いの長ラフカ様に呼び出されていた。
「ククロの森で迷子になって、国王軍の兵に捜索されるとは。魔法戦闘部隊のいい面汚しだ」
私は黙って低く頭を下げた。
あの後、オークルについて森を出た頃には、辺りはすっかり薄闇に覆われていて、松明を手にした兵士が大勢森の中をうろついていた。任務中に行方不明になった私を捜索してくれていたと知った時には、冷や汗で全身ずぶ濡れになるかと思うくらい恐縮した。
国王軍を率いていたまだ若い騎士隊長は、恐縮する私にそれはそれは騎士様らしく紳士に対応してくれ、無事に帰ったことを喜んでくれた。
けれど、同じ魔法戦闘部隊のメンバーは、聞えよがしに陰口を叩いていたから、ラフカ様にも厳しいことを言われるだろうな、と覚悟はしていた。
そして、その予感は的中してしまったみたい。
「魔物を倒すどころか、味方の兵士に迷惑をかけるとは。全く、こんな役に立たない人物を推薦するとは、クロス殿も目が曇っていたのか。それとも、それほど彼に特別扱いされていたのかね」
下卑た憶測を語ったラフカ様に、カチンと私の頭の中で何かが音を立てた。
私の至らないところを攻撃するのはまだいい。でも、クロスさんを悪く言うなんて許せない。
「元々、戦闘に関係のない部署に配属する、という約束を果たしていただけなかったのは、そちらです」
「何だと?」
ギラリとした目で睨みつけられて、萎えそうになる心を叱咤する。
「魔物討伐に関わる魔法使いしか採用しないと最初から言ってくださっていれば、クロスさんは私を宮廷魔法使いに推薦なんかしませんでした」
「ほう! そこまで言うのなら、今ここで辞表を書く覚悟はあるのかね」
できないだろう、と高を括っているラフカ様の目の前で、私は懐から取り出した封書を机に叩きつけた。
「只今をもって、宮廷魔法使いの職を返上させていただきます!」




