36.喋る猫の探し者
「こんな時間に、一体何をやっているのかね?」
そう不意に声を掛けられて、私は尻餅をついた姿勢のまま、首だけを捻って振り向いた。
そこには、寝間着に上着を引っ掛けただけのマルスさんが、険しい顔で立っている。
「あ、あの……」
猫が人間の言葉を喋って飛びついて来たんです、なんて言ったら、どう思われるかしら、と逡巡していると、マルスさんは私のローブの胸の辺りに爪を立ててしがみついている猫を見つけて、ますます顔を顰めた。
「その猫か。さっきから、ニャーニャーと喧しかったのは」
「え?」
「まさか、飼ってる訳じゃないだろうね」
私は慌てて激しく首を横に振った。
「ま、まさか。パトリックの小屋の辺りから声が聞こえたので、さっき様子を見に出てきたところなんです」
「ならいいよ。野良猫なんだろう? さっさと庭から追い出しておいてくれ。犬はいいが、猫は嫌いなんだ」
吐き捨てるように言うと、マルスさんは重そうな体を揺らしながら管理人室へと戻って行った。
……ニャーニャーと喧しかった?
マルスさんの姿が庭から消えると、自分にしがみ付いている猫を見下ろす。
やっぱり、マルスさんには、この猫の声が普通の鳴き声に聞こえていたのね。
琥珀色の綺麗な目をした猫は、その辺で見かける野良猫より毛が長く量も多くて、よく見れば手足もどっしりと太い。
「お前、俺の声が理解できるのか?」
またマルスさんを刺激して、庭から追い出されたくはないらしく、猫は囁くような声でそう言いながら、食い入るように私を見つめてくる。
「そう、ね。あなたは、人間の言葉を話しているようね。マルスさんには、ただの猫の声に聞こえたようだけど」
そう答えると、猫の爪がますますローブに食い込んでいく。
「よかった。ちょっと、俺に協力してくれないか?」
「……は?」
「人を探している。いや、厳密には人じゃないが、人みたいに見える奴だ。この街まで来ているはずなんだ」
「ちょ、何を言って……」
興奮し始めたのか、声が大きくなりかけている猫の口元を押えると、私はキョロキョロと周囲を見回した。
この寮には、この中庭に面しているだけで十数室の部屋があって、その全てが宮廷魔法使いに貸し出されている。
あまり顔を合わせることのない人たちばかりだけれど一応同僚だから、猫と会話しているところを見られて、変な人認定をされたくはない。
「待って。ここじゃなんだから、私の部屋に行きましょう」
そう言うと、口を押えられて暴れていた猫が、ピタッと動きを止めた。
「その代わり、大きな声を上げないでよ。パトリックでさえ許してもらえないのに、あなたを部屋に入れたなんて知れたら、マルスさんに何て言われるか」
「分かったよ」
ようやく私のローブから爪を抜いた猫は、庭の芝生の上に降り立つと、柔らかい体をしならせて伸びをした。
そんな仕草を見た限りでは、珍しい毛並の猫だな、としか思えない。でも、世界中のどこを探しても、人間の喋る猫なんてこの世には存在するはずがない。
……ということは、神獣族の眷属なのかしら。
神話に出てくる神獣族には、言葉を操り神力まで使う獣の眷属がいた。彼らは、主である神獣族に忠実に仕えていた。それが神族大戦で地底に下り、魔物になってしまったのだという。
フレイユみたいに、地上のどこかに隠れて、今まで生き延びていたのかも知れないわね。
喋る猫をローブの下に隠すように抱えて廊下を進み、自分の部屋へ戻る。
ローブの下から顔を出した猫は、私の手から飛び降りると、まだ何も言っていないのに、勝手にベッドの上に飛び乗って丸くなった。
「ああ、久しぶりのベッドだ……」
気持ちよさそうに目を細め、大きな欠伸をする。
「あの、どうでもいいけど、そこは私のベッドなんですが」
「ケッ、いいじゃねぇか。けち臭いな」
「ちょっと。あんまり大きい声を出さないでよ」
そう言って睨みつけても、猫は全く意に介さない様子で、暢気に毛づくろいなんか始めてしまった。
しまった。部屋になんか連れて来なければよかったわ。
いっそのこと、窓を開けてそこから放り出してしまおうか。うん、そうしましょう。
そう決めて、一度腰かけた椅子から立ち上がった私がいざそれを実行しようとした時、猫は感慨深そうな声で話し始めた。
「それにしても、お前には俺の言葉が理解できるなんて不思議だな」
「そ、そうね……」
そんな風に真正面からしみじみと言われてしまったら、窓から放り出すなんて非道な真似、できなくなってしまうじゃないの。
「何でだろうな。こんな姿になっちまってから、俺の言葉を理解してくれる人間なんかいなかったのに」
そうね。どうしてなのか、私にもさっぱり訳が分からない。
「で、あなたは誰? 人を探しているって言ってたけど」
「人じゃねぇよ。 人じゃねぇんだが、人と同じ見た目をしている奴だ」
じゃあ、いっそのこと人でいいじゃないのよ。
「そいつは、白い髪に赤い瞳の、ゾッとするくらい綺麗な顔をした男だ。普段は、ローブを着て、フードで顔を隠している」
……は?
私は目を瞬かせて、口をあんぐり開けた。
今、この猫が言った特徴を全て備えた男と、ついこの間まで一緒に暮らしていたじゃないの?
「それって、フレイユ?」
「!! なんで、お前があいつのこと知ってんだ!!」
「だから大きな声を出さないでよ!」
思わず叫んでしまってから、慌てて自分の口を押える。
猫はベッドの上に立ち上がり、背を丸めて毛を逆立てた。
ちょっと待って。なんで戦闘モードなの?
「……えっと。確か、フレイユは旅の途中で一緒に旅をしてきた幼馴染を失ったとか言っていたわ。名前は確か……」
「オークル」
「そうそう。……って、ええっ? まさか、あなたがそうなの?」
「何が失っただよ、あいつめ。俺は生きてるってんだ」
琥珀色の目をギラギラ光らせながら、猫ことオークルは再び私に向かって飛びかかってきた。
二度目だから、私はワタワタしながらも、何とか尻餅をつかずにオークルを抱き留めることができた。
「おい。あいつはどこにいる? あいつのところへ連れて行け」
「そんなの無理よ」
「何だと?」
「だって、フレイユは神獣族の秘宝を持って、里へ向かって旅立ったもの」
「な……」
オークルは、キョトンとした表情になって、目を瞬かせた。そんな顔をすると、そこいらの猫とは比べものにならないくらい愛らしい。よく貴族や富豪の家で飼われている愛玩用の猫か、それ以上にかわいい。
「……それ、本当か?」
「本当よ。ククロの森で、神獣王妃様の魂が守っていてくださったの。ガードンとかいう魔族に襲われたりもしたけれど、クロスさんが異空間に封じてくれて、フレイユは無事に宝珠を手に入れたわ」
その後、クロスさんは別の魔族に襲われて行方不明になり、ミラクはそのクロスさんを探してフレイユと共に旅に出てしまった。
あのクロスさんを襲った魔族の言葉から察するに、両者の間に何か因縁があったらしいことは分かった。復讐のため、あの魔族はクロスさんを異空間に封じ込めようとしていた。
なぜ、あの魔族は封じられていた異空間から出ることができたのか。ガードンを封じたことで、封印に何らかの綻びができたんじゃないかしら。
だとしたら、フレイユに関わったことで、私たちの長閑で平和な日常が奪われてしまったんじゃないの?
でも、ミラクやフレイユに、その考えを伝えることはできなかった。
ミラクが、フレイユを慕っていることは見ているだけで分かる。
だから、余計なことを言って、ミラクを傷つけたくはなかった。ただでさえ、私よりも関係の深かったクロスさんを目の前で失って、深く傷ついているというのに。
大人しくロザーナで一緒にクロスさんの帰りを待っていて欲しかったのに、最終的に旅立つことを黙認してしまったのも、ミラクとあれ以上衝突して、傷つけるのが嫌だったからだわ。
「どうした?」
腕の中で、オークルが上目づかいに見上げてくる。
「ううん、何でもないわ。という訳で、フレイユはもうローザラントにはいないの。お役に立てなくてごめんなさいね。じゃあ」
私は窓辺に近寄ると、窓を開けてオークルを外へ逃がした。というより、放り投げたと言ったほうがいい。
「おい、ちょっと待て……」
猫はまだ何か言っていたようだけれど、私は窓を閉めてカーテンを引いた。
神獣族とか魔族とか、もう関わるのはごめんだわ。彼らに関わったら、私はまた何かを失うことになってしまいそうな気がするから。




