9話 料理は救い
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「じゃあ、晩酌を再開しよう。僕はチーズ入りのだし巻き卵をもう一度作るのと、ついでに軟骨の唐揚げも揚げてくるね」
「うむ」
僕はお笑いの個人事務所には不釣り合いなほど、充実したキッチンに立つ。
僕を溺愛している母が、料理をする僕のために作った、僕だけの城だ。
「よし!」
いつものように、母お気に入りのメーカーの冷凍なんこつを揚げ、同時並行でだし巻きを作る準備をする。
だし巻きの出汁は僕のお手製。昆布をメインにした、鰹と昆布の合わせだし。
この出汁はよく使うので、いつも冷蔵庫にストックしておいてある。
ふと、背後から視線を感じた。
「ふふふ、いつ見ても手際がいいな。流石はこの私の息子だ」
どうやら用もないのに、母がふらっと覗きに来たようだ。
何故か目がギンギラギンに血走っているが……
まあ、この世界の女性としてはよくある反応だ。
僕の香りをかぎすぎて、ちょっと頭のネジが飛んだのだろう。
僕の作業を眺めながら、母は僕の頭を優しく撫でた。
母は僕から触れられると死ぬが、自分から触れる分には大丈夫なタイプだ。
「(あっぶねー。また母を殺すところだった)」
「ん?なにか言ったか?」
実はこの時、母に褒められて口角が上がりそうになっていた。
ぐっとお腹に力を入れて、真顔を貫きながら答える。
「いや、なんでもないよ。じゃ、作るね。油が跳ねるかもだから、気を付けてね」
母は僕の1段階目の笑顔ですら、まともに受け取ることができない。どんな女性だろうが最低限1段階目の笑顔なら、別にどうってことないのに。
……ああ、1段階目っていうのはね、僕の笑顔には4段階あって……いや、このことは今はいいや。だし巻き作りに集中しなきゃだからね。
「……息子が珍しく力強い目をしている。ああ、なんて凛々しいんだろうか。これが、ギャップ萌えというやつか。愚かな有象無象の塵芥共の戯言だと斬り伏せていたが……ああ、いい。実にいい。このまま後ろからめちゃくちゃに揉みしだいて――」
母が何かブツブツ言っていたが、集中していた僕には全く聞こえていなかった。
◆
「はい、お母さん、召し上がれ」
「うむ。流石はこの私の息子だ」
何故か母の頬が紅潮しているが、気にしない。何度も言うが、その程度はこの世界ではよくあることなので。
「せっかくだし、乾杯しようか。まあ、僕はお酒を飲めないんだけどね」
僕の年齢は23歳だ。年齢的には大丈夫ではあるが、僕はアルコールに極端に弱い体質なのだ。
「「乾杯」」
母はあったかい清酒、僕は甘いカフェオレ。
乾杯することで、大人の仲間入りできたみたいで、ちょっと嬉しい。
「ふふふ、この私は幸せものだなあ……息子の手作り料理が食べられるなんて、世界広しといえども、この私くらいだろう」
まあ、確かにこの世界の男は、基本的に料理なんてしない。ていうか、ほとんど何もしない。
わがままを訴えながら、女性に横柄な態度をとるか、徹底的に女性を怖がり、引きこもるかの2択だ。
男女比が偏っていて、男性が大事にされすぎた弊害だろう。
10人に一人は男がいるんだから、僕のように料理を振る舞う男だって、探せばどこかにはいるはずなんだが……
うん、びっくりするくらいそんな人の情報を聞いたことがないが……いる……よね?
「そんな、大げさだよ。それに、わがまま言って調理科のある私立高校に入らせてもらったんだから、それくらいはさせてよ」
一応こんな僕でも、調理師免許を取得している。
本来そこまで難しい取得難易度ではないが、基本的に何をやらしてもダメな僕にとっては、なかなか高いハードルだ。
それでも、意地でも取得した。
僕にとって料理は「救い」だからだ。
弁当屋のおばあさんや、先生のような「あったかい料理」を作りたい。
僕の中でその気持ちは、かなり強いものだったらしい。
「それにしても、よくこんな時間から飲み食いができるね」
僕は虚弱なので、胃も強くない。こんな時間に食べたら、確実に次の日に苦しむことになるだろう。
「今日は特にたくさん働いたからな。ふふふ、凡愚共に大爆笑する機会を与えてやった。流石はこの私だ」
「……お母さんはもうちょっと相方さんに感謝すべきだと思うよ?」
ぶっちゃけて言うと、お母さんは笑わせるより、「笑われる」ことの方が多い人だ。
不遜な態度、浮世離れした思考。自分は一切間違っていないと信じ込む、意思の強さ。
そして、遺伝子研究の第一人者であり、まごうことなき天才だったのにもかかわらず、息子の微笑み一つで芸人にまでなってしまうという、重度のムスコンキャラ。
そんな母の性格をネタに取り入れ、うまく漫才の形にまとめたのが、相方さんだ。
ネタ作りの99パーセントを相方さんが担当していて、こんな母を愛されキャラにしてくれた、ありがたい人でもある。
そんな有能な相方さんのお陰で、今ではかなりテレビにも出ている。
お笑いコンビ「大帝国」といえば、今や世間に浸透しきったと言ってもいいだろう。
「この私がある程度成功したのは、この私自身の実力と、できた息子のサポートのおかげだ。決して! 断じて! あいつのおかげではない!」
母が語気を強める。酔いがいい感じに回ってきた証拠だ。
こうは言うが、母は相方さんが嫌いな訳ではない。
そもそも、相方さんをお笑いの世界に誘ったのも母からだしね。
母いわく、「こういう感情表現が豊かな人材は、有象無象の肉塊共には受けが良いだろう」とのことらしいが……
そもそもコミュ力の低い母には、気兼ねなく誘える知り合いがその人しかいなかったというのが真実な気がしている。
それでもこんな言い分なのは、ただ僕に相方さんを好いてほしくないから。いわゆる、ジェラシーだ。
「もう酔いが回ったの?」
酔っ払うと、母はこういう風に、誰に対してもジェラッちゃうから……
「悠久はこの私だけを好いていればいいんだ。相方のことなど見るな。分かったな?」
「僕の話、聞いてないし……」
一つ。小さくため息を付く。いつの世も酔っ払いが面倒なのは、変わらないらしい。
「はあー……」
「すうぅぅぅぅー……」
「ねえ、当たり前のように、僕のため息、吸わないでよ」
「相方のことなど見るな」
「……聞いてない」
そもそも僕、母の相方さんの書くネタ、すごく好きなんだよなあ。
漫才というもので初めて笑ったの、相方さんだからさ。
ということで……
母のその言葉に、僕はそっと視線をそらした。




