第71話 邂逅、甘美なるモノ
静寂が、荒れ果てた森を包み込んでいた。
アメリが去った闇の奥を、僕はただじっと見つめていた。
無意識に握りしめた拳の爪が、手のひらに食い込む。
「……コウ」
マナの声にハッと振り返り、視線を足元へと落とす。
破砕された土と切り刻まれた樹木。
そして、二人が消えた暗闇の切れ目――底の知れない漆黒の崖が、ぽっくりと口を開けていた。
「ムサシ……タリア……!」
崖の淵に膝をつき、深い闇の底を見下ろす。
今すぐにでも飛び降りて救出に向かいたい。
だが、同時にアメリを止めなければいけない。
追うか、助けるか。ムサシならどうする?
「……大丈夫だ」
「え……?」
マナが僕を見る。
「ムサシなら……ムサシなら、絶対にタリアを守り抜いて戻ってくる。あいつは僕の従者で、最強の剣士だからな」
心に強く言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
去り際にアメリが見せたあの冷徹な瞳と、スクロールで読み取った異常なステータス。
アメリの身に何が起きているのか、まだ分からない。
だが、このまま立ち止まるわけにはいかない。
「マナ、僕たちは先に進もう」
「でも、二人を置いていくの!? ムサシたちを探さないで!?」
「探しに行く時間はないし、この暗闇で手当たり次第に降りるのは危険すぎる。それに……ムサシなら、僕たちがどこに向かうか分かるはずだ」
僕は息を整え、意を決して言葉を続けた。
「必ず追いついてくる。だから僕らは、アメリを止めなきゃいけないんだ」
マナは悔しそうに唇を噛み締め、それから大きく息を吐いて深く頷いた。
「……分かったわよ。アンタがそこまで信じるなら、私も信じるわ」
―――
冷たい風が、頬に当たる。
身体中が痛い、ここは……俺に何が起きたんだ?
「……うぅ……ここは?」
「ムサシ! ああ、生きててよかった」
右手を見ると、固くしがみつく幼い手。
その先には、タリアの顔があった。
「あの時……妾をかばって、気絶して、心配したのじゃぞ」
そうだ、思い出した。
アメリの攻撃に吹き飛ばされた時、俺はタリアを抱き抱えながら落ちたのだ。
見たところ、タリアは無事だ。俺も動くのに支障はない。
「主様……あとマナはどこだ?」
「上じゃ、しかし……」
タリアの目線につられて上を見る。
どこまでも広がる暗黒、これでは確認のしようがない。
「どうする? このまま待つか?」
待つか、動くか、主様ならばどうする?
「俺たちがここに留まることは主様の本意ではない。行くぞ」
「では……妾たちは、アメリを追って向かうのか?」
「そうだ、主様は必ずアメリと対峙する。あの凶悪な魔力の痕跡を追っていけばたどり着けるはずだ」
俺は立ち上がって、軽く状況を確認する。
この程度の怪我ならポーションで治る、つまり無傷に等しい。
「もう歩けるのか?」
「時間が惜しい、今すぐにでも行動しなくては」
「しかし、こんな夜更けに動くなど……」
「少しだけだ。安全な場所まで」
タリアを腕に抱いて歩く。するとタリアは信じられないと言わんばかりに大きく目を見開いた。
「貴様……これは何の真似じゃ?」
「お前は仲間とはいえ非戦闘員、つまり護衛対象だ。これぐらい密着した方が安全だろ?」
「は、恥ずかしい。降ろせ、降ろすのじゃ!」
俺の胸に手を当て、拒絶の意志を示すタリア。
しかたなく降ろしてやると、ズカズカと前を進んでいった。
「おい、離れるなよ」
「うるさい」
何が彼女を怒らせてしまったのだろうか。
分からない、主様なら分かるのだろうか?
「いいから聞け」
下手に甘い言葉を言うよりも、俺なりに真っすぐ伝えよう。
そう思って、タリアの肩に手を置く。
「俺の傍にいろ、絶対に守る」
「……っ!」
タリアの顔が急激に赤くなる。
そして、半歩だけ彼女の方から近づいた。
「わ、分かった。離れない」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「うむ、頼りにしておる。それと、その、ありがとう」
―――
アメリの嵐のような襲撃から数時間。
僕とマナは少し開けた大樹の根本に身を寄せ、小さな焚き火を興していた。
「寒いわね……」
マナが腕を抱えて小さく身震いした。
夜が深まるにつれ、風は冷たさを増している。
「この森、こんなに冷えるのか」
「ここまで冷え込むのは異常よ。アメリの魔力が影響しているのかしら」
「上着だけじゃ足りないな、何かない?」
「……あれも使いましょうか」
マナは荷物袋を漁り、液体の入った小瓶を取り出した。
「これ……お酒?」
「ええ、度数の高い蒸留酒よ。血行が良くなって体が温まるわ」
「僕、未成年なんだけど……」
「この世界じゃもう立派な大人でしょ、私も貴方も」
マナは木製コップにお酒を注ぎ、僕に手渡す。
「……一杯だけなら、大丈夫よね」
「え? 何が?」
「いえ、何でもないわ。それより乾杯しましょう、無事を祈って」
そして、軽くコップを合わせて乾杯をした。
「みんなの無事を祈って」
「……アンタの言うみんなって、どこまで?」
「ムサシとタリア、アメリ、あと町にいる皆も含めて」
「欲張りね」
「もちろん、君にも」
「ええ、どうも」
少し口をつけると、カッと喉と胃が熱くなるような強い刺激が走った。
マナも一口飲むと、その顔が驚愕の色に変わった。
「むぐ……っ! か、からい……! 喉が焼けるかと思ったわ……!」
「お酒ってこんな辛いの?!」
「これ、かなり強いわね。ゆっくり飲みましょう」
涙目になりながら咳き込むマナ。
僕たちは無言でちびちびとお酒を味わうように飲んだ。
半分くらい飲んでマナを見ると、彼女の頬に赤みが差し始めていた。
「……でも、ほんとに暖かくなってきたかも」
そう言って、マナはもう一口、今度は少し大きめに酒を含んだ。
「一気に飲んだら酔うんじゃない?」
「平気よこれくらい! 私を子供扱いしないで……っ」
強がりを言ったものの、マナの瞳がとろんと潤み、頭をふらふらと揺らし始める。
完全にお酒に呑まれている。
「あ、ちょっとマズいかも……」
「言わんこっちゃない。ほら、横になって」
「嫌。……ねぇ、体貸して」
マナはぐにゃりと力を抜き、僕の腕にぽてんと頭を預けてきた。
ほのかにお酒の匂いと、柔らかい体温が伝わってくる。
「ふふ、あったかい。もっと近づいていい?」
「酔ってる?」
「こんなの酔った内に入らないわよ。ほら、おかわりいる?」
猫なで声で、マナは囁くように言う。
お互いのコップ一杯に注ぎ入れると、マナは自分のお酒をグイっと飲み干した。
「はぁ~最高! やっぱお酒は生命の水よね!」
「酔ってるでしょ」
「も~いいじゃない細かいことは、辛い現実なんか忘れて、今は楽しみましょ!」
完全に酔っぱらってる。
マナ、お酒に弱いのか。いや、弱いというかとんでもなく弱い。
「ねぇ~コウ~」
ヘラヘラと笑いながら、マナが腕をつつく。
「アンタ、好きな人いる?」
「は、はぁ?! いきなりなに言い出すんだよ!」
「いいからいいから、教えなさいよ~」
なんなんだ藪から棒に。
性格変わってないか? まさかこれが酒の力?
「……別に、いないけど」
「へぇ~いないんだ~……ふーん」
マナの雰囲気が変わる。
口元は笑って、しかし目だけは真剣に僕を見ている。
「じゃあさ、私なんかどう?」
「マナ、冗談が過ぎるよ。もう寝たほうがいい」
「本気って言ったら?」
「……は?」
「私、自分で言うのもアレだけど、優良物件よ。料理とか洗濯とか、家事は大抵出来るし、魔法大学のエリートで顔も結構いい方だし」
「ホントに自分から言うことじゃないな」
「あと、一途だから浮気とか絶対しないし、いい女でしょ?」
「はいはい、いい女だねー、もう寝ようねー」
「ちょっと~その反応なに~? ねぇ~コウ~」
腕を絡ませて、甘く誘惑してくるマナ。
シラフの彼女に見せたら赤面して発狂する光景だろうな。
「はい、ここまで」
マナの肩を掴んで、そっと距離を取る。
すると、彼女はキョトンとした顔を見せた。
「え?」
「おふざけはここでお終い」
「……断るってこと?」
「まぁ、そうだね。でも君は優秀だし、きっと僕なんかより良い人が――」
「ベル」
「……っ!」
「やっぱり、アイツがいいんだ」
マナの表情から温度が無くなる。
顔は赤いままだが、明らかに雰囲気が変わった。
「な、なんでベルの話が出るんだよ」
「アイツのことが好きなんでしょ? 具体的にどこが好きなの? 顔? 魔法? 知識? 歌?」
「いやー、ベルがアレとかソレとかじゃなくてその……」
「ハッキリ言ってよ、私よりベルなんでしょ?」
「いや、マナもベルもお互いに良いところあるし、優劣をつけるとかそういうのは……」
「アンタ、本当に優しい人よね。悪い意味で」
「……」
「ねぇ、ベルにあって私に足りないのって何?」
マナと目を合わせる。
彼女の目には、大粒の涙が溜まっていた。
「マナ、泣いてるの?」
「は?……泣いてないし、これは、違うから」
「ご、ごめんね?」
「それ、何に対して謝ってるの?」
「あ、その……」
「もう、なんなのよ。気が利くのに鈍感で、決断力があるのに優柔不断で、優しいのに優しくなくて……アンタなんなの?」
「なんなのと言われても……」
「もう分かんない、アンタのこと。なんで、アンタみたいなの好きになったの?」
「マナ、それって……」
「うるさい! もう分かんない! なんも分かんないわよ! うぇーーん!」
マナが僕の胸の中で泣き続ける。
しばらくすると、彼女は泣き疲れたのか、寝てしまった。
「……マナ」
マナにそっと上着を掛けて寝かせる。
彼女が起きたとき、なんと言えばいいのか分からない。
しかし、一つだけ言えることがある。
酒は飲んでも飲まれるな。忘れないようにしよう。




