第69話 食前酒
「……ちっ、やってくれたな」
深い闇の中、パンデモンが不機嫌そうに吐き捨てた。
無機質な石造りの通路。壁面には微かに光る苔が生え、青白い光を放っている。
「……ようこそ、俺の迷宮へ」
空間全体に響くような、不気味で低い声。
間違いなくこの空間の主、箱の魔王だ。
「別に殺す気はない。俺の役割は時間稼ぎだ。まぁ、楽しんでくれ」
それだけ言い残すと、奴の声は聞こえなくなった。
さて、状況を整理しよう。
俺たちが落とされたのは、おそらく箱の魔王が展開した固有空間、おそらくはスキルに由来するものだろう。
ある意味では、ヤツの腹の中とも言える。
「これやっべえな、 コウ様が留守の間に町を半壊させられたら、今度こそ見限られるぜ!」
パンデモンが空中で激しく身振り手振りを添えて叫ぶ。
だがその声を気にせずに、俺は静かに思考を巡らせていた。
……駄目だ、考えてもなにも始まらない。
「ジュード、当たって砕けろだ!」
パンデモンの声に押され背負っていた鎌を取り出す。
壊れてくれ、その思いを込めて壁に振り下ろす。
……っ!硬った!
「うわ~痛そう」
まあ、魔王の迷宮なら壁壊して終わりにはならないか。
しかし、この鎌もオリハルコン製なのだがな。
「やっぱ迷宮の出口を見つけるしかないよな」
そう、結局はそうなる。
しかしこの場合における出口とはなんだ?
謎解きか?それとも巨大な迷路なのか?
いや、それ以上に気になるのは……
「だが……問題は地上だ」
パンデモンの声が低くなる。
「上には『喰の魔王』とやらが残っている。それに、あの勇者候補も……」
ーーーーーーーー
ジュードが迷宮の攻略をしている頃、地上は……
「さあ、どうぞお好きなように挑んでください。私はあなた方の全てを受け入れます」
地上は地獄のような様相を呈していた。
正確には、まだ多少の建物の損壊とモエギの怪我だけではあるが、それでも魔王という存在によって圧倒的な恐怖が渦巻いていた。
『喰の魔王』サスカチェワン・コブツノゼミは、優雅に微笑む。
その瞳は知的であるが、奥では冷酷な食欲がギラギラと揺らめいていた。
「さあ!美しい魂の輝きを見せてください!」
喰の魔王が軽く手を振ると、空中から不気味な咀嚼音が響く。
異形の口のようなものが周囲の建物を喰らい飲み込んだ。
「くっ……!」
血を流しながら前に躍り出たのは――勇者候補序列第三位、『光輝』のメルル。
その隣には、どこか飄々とした雰囲気を崩さない絵描き、ゴンベエ・ナナシノが立っている。
「不快だわ……」
メルルは黄金色の光を纏うレイピアを構え、吐き捨てるように言った。
「魔王……悪趣味な角を生やした化け物が。町を荒らすだけでなく、こんな街で豚みたいに肥え太ろうなんて」
メルルの構えは、踏み込みに重きを置く低い体勢。
それは、初速による最高の威力を実現する構えだった。
「あらあら、言葉遣いが荒いお嬢さんですこと」
魔王は優雅にくすりと笑った。
それは軽蔑でも侮辱でもない、ただ純粋に可笑しいものを笑う表情。
「私はただ食欲を満たす為だけにいるのではありません。ここにいる戦士たちは、私が味わうための『極上の食材』鍛え上げられた肉体、絶望に染まる魂……それらが織りなす極上のハーモニーこそが、至高の美食なのですから!」
「黙れ!!」
メルルの身体から爆発的な光の魔力が溢れ出す。
勇者候補『光輝』の威圧感が周囲の空気を震わせる。
「魔物は殺す。一匹残らず、跡形もなく消し去る……必ず!」
メルルが地を蹴った。一瞬で魔王の懐へと潜り込み、光を纏ったレイピアを閃かせる。
「光輝術・突!」
メルルの戦闘方法は、その光魔法としなやかな肉体に由来する剣術である。
狂気的な努力によって育まれたそれらは、勇者候補随一の圧倒的な加速に変換され、魔物を貫く一つの光となった。
並大抵の魔物ではその速さに追い付けず、魔王幹部ですら避けるのは困難。
元・魔王幹部のハクですら、その様子を見て冷や汗を流していた。
しかし──
「お粗末ですわね」
魔王は動じない。彼女が指先を鳴らすと、空間に「口」が出現し、メルルの光の斬撃を丸ごと呑み込んだ。
ゴクリ、と空間が何かを飲み込む音が響く。
「なっ……!? 私の突きを喰らったの!?」
「ええ、極上の光属性の魔力……少し大味ですが、歯ごたえは悪くありませんわ」
角が妖しく光り、口元になめらかな舌を這わせる。
「ですが、主菜の前に前菜ばかり召し上がるのも無礼でしょう。そろそろ、あなたという極上の肉を頂きます!」
次の瞬間、魔王の背後から無数の顎が出現し、メルルへと襲いかかった。空気を噛み砕く凄まじい音が四方八方から押し寄せる。
が、その全てが一つの矢によって貫かれた。
「大丈夫ですか?」
屋根の上で、不安げな獣耳が揺れる。
獣人少女モエギは、多数の打撲傷を負いながらも立ち上がり、弓矢を持っていた。
「やはり、ただの獣人ではありませんね。ん~、どちらから先に頂こうか迷います」
魔王は舌なめずりしながらモエギとメルルを交互に見る。
しかし、メルルは舌打ちしてモエギに不快そうな目線を向けた
「魔物風情が、私を助けたつもり?あれぐらいどうとでもなったけど」
「あ、余計なことしちゃいましたか?すみません」
「……ムカつく」
その時、傍観者に徹していたゴンベエ・ナナシノが声を上げた。
「メルルちゃん、大丈夫〜? 相手は魔王様だし、さすがにソロ攻略は危険じゃね?」
呑気な声をかけながら、ゴンベエがキャンバスと筆を抱えて滑り込んできた。
「邪魔しないで、遊んでいる暇なんてないわ! あの化け物を殺すのよ!」
「はいはい、分かってるって。でもさ、あっちの怪我人たちも巻き込まれそうだよ? ちょっと庇ってあげたら?」
ゴンベエが指差した先には、モモカとベルが体を寄せ合っている。
メルルはその光景を一瞥し、冷酷な瞳で吐き捨てた。
「ハッ……魔物なんてどうなったっていいわ。どうせ後で私が全部掃除するんだから。むしろ魔物が魔物に喰われるなら手間が省けるというものよ!」
「……なるほどねぇ」
ゴンベエは不気味な笑みを浮かべ、筆をくるりと回した。
「君の正義は、どこまでも澄み切っていて、どこまでも冷たいなぁ」
ゴンベエの呟きに返事をする者はいない。
メルルは再び全身に光を滾らせ、魔王に向かって跳躍した。
同時に、モエギが矢を放ち、ハクも動く。
「素晴らしい!貴女方の命の輝き、もっと近くで見せてくださいませ!」
魔王は両手を広げ、巨大な『喰の領域』を展開する。全方位から襲い来る顎が、メルルの肉体を噛み砕かんと迫る。
「私の……私の正義は敗けない! お兄様を、家族を奪った魔物どもを、一匹残らず滅ぼすまでは!!」
復讐と絶望に彩られた光の刃が、信念を宿した矢が、狂気の美食家たる魔王の顎が激突する。
攻撃の応酬が医務部前広場を激しく狂わせ、衝撃波が町を揺らす。
その激しい激戦の最中、ハクは走りながら分析する。
「この町からご退場願います」
魔王に届く導線を見極め、足のバネだけで上に跳んだ。
兎耳をピンと立て、右足に魔力を集約する。
「月兎降蹴」
『瞬脚のハク』それが魔王幹部であった頃の彼女の異名。
兎特有の発達した足、同族の中でも優れた魔力、そして戦いを勝ち抜いてきた実力。
彼女の力は、魔王にすら届きうるものであった。が──
「弱い」
一蹴。魔王はただ腕を横に振った、それだけで、ハクは吹き飛んだ。
「貴女、今私に立ち向かっている中で最も弱いですよ。不意を突く知力と度胸は称賛しますがね」
攻撃の手が止む、彼女らはハクの攻撃が届きうると半ば確信していた。
しかし、それは過信であった。魔王とは、かくも強い者だったのか。
「ハクさん……」
「ご安心を、死んではいませんよ。まだこの戦いを味わいたいのです」
喰の魔王は薄ら笑いを浮かべ、舌なめずりする。
戦いにすらなっていない。ただ遊ばれている、モエギは本能で理解した。
「……頂点捕食者」
モエギは震える声で言う。どの生物よりも上で、天敵がおらず、己が成したい事を成したいままに成す、それこそが頂点捕食者という存在だった。
「そう、私は頂点捕食者。しかしただ欲望を貪る獣ではありません。私は素晴らしき食材であり、戦士でもある皆様と、全ての愛おしき生命に敬意を持っています。理性ある魔物なのです」
それは強者の余裕である、そして慈悲であり恐怖でもある。
対してモエギは獣人である。種族自体が弱く、彼女自身もまたそれを跳ね返す力が無い。
故に、恐怖を克服出来なかった。
「……」
「おや、終いですか?」
メルルは動かない。魔王の底が見えない、勝てるか分からない。
いっそ撤退して勇者様に報告しようか、魔物の町なら捨てても問題ないだろう。そう考えていた。
魔王は潜在的恐怖を呼び起こす存在。
それと戦うことは並大抵の人には不可能である。
では、元魔王であるならばどうだろうか?
「……テメェ、うちの町で随分好き勝手暴れてくれたな」
土煙の中、ハクを支える一つの影が出る。
ヌイコ・ジュラグ、戦闘の音を聞きつけ吹き飛ばされたハクを受け止めていたのだ。
「子供たちに算数を教えている途中だったのに、お前のせいで自習になっちまったじゃねえか」
「……貴方はまさか、力の魔王様では?」
「元だがな。今は教師だよ」
ヌイコが一歩前に出る。
「ぶん殴る前に聞いてやる、何が目的だ?」
「知の魔王様の命令により、この町の王に会いに来ました。それと、ついでに少々暴れてこいと」
「あのジジイが黒幕か。王は不在だ、今は大陸の北東辺りにいる」
「王様なのに、ですか?」
「色々事情があるんだよ。お前だって領地ほっぽりだして来てるじゃねえか」
「うふふ、確かにそうですね」
蛇の様に鋭く目を細め、ヌイコを見極める。
戦いの気配を感じヌイコは構えをとった。
しかし喰の魔王は興味を失ったように魔力を無くす。
「いいでしょう、日を改めます」
魔王は箱を取り出し開ける、するとそこにはもう一人の魔王がいた。
「……なんだ」
「王は不在のようです、帰りましょう」
「はあ?じゃあ何のためにここまで暴れたんだお前は」
「つまみ食い、です」
「ったくホント意味分かんねえ、俺はもう館に帰る。報酬は必ず送れよ」
「ええ、最高級の食材を贈呈いたします」
魔王は箱を閉じ、捨てる。空き箱の中にはもう何の存在も確認できなかった。
……しばらくして、ジュードとパンデモンが穴から飛び出した。
「……脱出できた?いや、強制退出か?」
「一人も食べられなかったのは残念ですが、それもまた良い体験です。
私、焦らしプレイも好きなんです」
「て、テメエ、出禁だ出禁!二度と来るな!」
「あら、残念」
喰の魔王が手の中で宝石を光らせる。
「では皆様、機会があればまたお会いしましょう。その時は、今よりも美味しく仕上がっていることを期待していますわ」
喰の魔王が消え、後には静けさだけが残る。
周辺の建物はほぼ損壊、怪我人多数、そして応戦した者は魔王らに成されるがままだった。
「最悪」ジュードは心の中でそう思った。最悪の中でもまだマシな部類ではあるが、それは魔王らがただ遊んでいたからに過ぎない。
その事実こそが、己の脆弱さを知る証明だった。
メルルとゴンベエは町を出て森を歩いている。
あんな事があったのだ、町に留まるのは危険であり、報告に戻るのが最優先と考えてのことだろう。
「魔物の町に、二体の魔王、報告書は1ページじゃ収まらないよね」
「……」
「まあ俺はメルルちゃんに雇われた身だしどうでもいいけど」
「……」
「メルルちゃーん?」
「……魔物は悪、魔物は悪、お兄様を殺した、家族を殺した、許さない、許されない、絶対に殺す、絶対に……」
メルルはボソボソと呪詛を呟く。
彼女が廃人にならなかったのは「魔物は悪」という正義を妄信しているからに過ぎない。
故に、その心はどこまでも純粋である。
「あーあ、こりゃ聞こえてないや」
メルルは半ば動かされるように歩く。
ゴンベエはしばらくその光景を見送った後、通信機器の小型水晶を取り出した。
「……報告を」
「問題が起きたので予定より早く退却した、詳細はメルルが報告する」
「メルルの様子は?」
「なんつーか、怨恨が凄い。アンタらの見立てどうり、傀儡にするのは簡単だろうね」
「決して余計な事はするな。お前の命を握っているのは我々だ」
「へいへい、分かってますよ」
通信が切断される。
「魔物の町に、人間の王、その主がコウか」
ゴンベエの口から笑みが漏れる、手で抑えようとしても身体が動いてしまう。
「会ってみたいなぁ」
傍観者、ゴンベエ・ナナシノはフードを脱ぐ。
その下から現れるのは、醜悪な「転生者殺し」文詩黒 陽太郎。
「もし面白いヤツなら、殺してみたい」




