保安隊海へ行く 38
黒い燕尾服の初老のホテルマンが静かに椅子を引いて誠が腰掛けるのを待っていた。こういう席にはトンと弱い誠が、愛想笑いを浮かべながら席に着く。
「神前曹長。もっとリラックスなさっても結構ですのよ」
そんな要の言葉を聴くと一同が下を向いて笑いをこらえている。誠は笑いを押し殺すと、正面の要を見つめた。いつもの『がらっぱち』と言った調子が抜けると、その胡州四大公家の跡取り娘と言う彼女の生まれにふさわしい淑女の姿がそこに現れていた。
ドアが開き、ワインを乗せたカートを押すソムリエが二人とパン等を運ぶ人々が入ってくる。誠は生でソムリエと言うものを初めて見たので、少しばかり緊張しながらその様子を見ていた。要の隣に立った彼は静かに要に向かってワインの銘柄と今日の料理との相性について語りかける。
『何語を話しているんだ?』
誠は専門用語が入り乱れる二人の会話を聞きながら戸惑っていた。それはカウラやアイシャも同じようで、少しばかり退屈したように、給仕によって目の前のテーブルが食事をする場らしい雰囲気になっていく様を見つめていた。ソムリエは静かにカートの上に並んだワインの中から白ワインを取り出すと栓を抜いた。
いくつも並んでいるグラスの中で、一番大きなグラスに静かにワインを注いで行く。誠、カウラ、アイシャは借りてきた猫の様に呆然のその有様を見続ける。
「皆さんよろしくて?」
要が白い手袋のせいで華奢に見える手でグラスを持つとそれを掲げた。
「それでは乾杯!」
アイシャがそう言ってぐいとグラスをあおる。
「アイシャさん!ワインは香りと味を楽しむものですのよ、そんなに急いで飲まれてはこのひとつの……」
「要ちゃんさあ。いい加減そのお嬢様言葉やめてよ。危うく噴出すところだったじゃないの!」
隣のテーブルの島田達は完全に好き勝手やっているのがわかるだけに、アイシャのその言葉は誠には助け舟になった。
「そうかよ!ああそうですねえ!アタシにゃあ向きませんよ!」
これまでの姫君らしい言動から、いつもの要に戻る。ただし、話す言葉はいつもの要でも、その落ち着いた物腰は相変わらず大公令嬢のそれであった。
「誠!とりあえずパンでも食ってな。初めてなんだろ?こういう食事は。まあ何事も経験と言う奴さ。場数を踏めば自然と慣れる」
言葉はすっかりいつもの要に戻っていた。静かに前菜に手をつけるところなどとのギャップが気になるが、確かに目の前にいるのは要だと思えて少し安心している自分に気づいた誠だった。
「そう言うものですか……」
そう言うと誠は進められるままにミカンほどの大きさのあまり見たことの無いようなパンをかじり始めた。
「場数を踏むねえ。それって『これからも私と付き合ってくれ』ってこと。どう?誠ちゃん。お嬢様から告白された感想は」
アイシャの言葉を聞いて自分の言った言葉の意味を再確認して要が目を伏せた。
「ありえない話はしない方が良い」
珍しくカウラが毒のある調子で言葉を口にした。
「べっべっ、別にそんな意味はねえよ!ただ叔父貴の知り合いとかが来た時にだなあ、マナーとか雰囲気に慣れるように指導してやっているわけで……」
「それじゃあ私達も必要よね、そんな経験。お願いするわ、お嬢様」
皮肉をこめた笑みを口元に浮かべるとアイシャはワインを飲み干した。




