15
「久しぶりだな。ようやく跡を継ぐ気になったのか?」
「そんなわけないです。こんな食い扶持にも困りそうな道場を継いだところでどうしようもないですから」
「抜かしよって。仕事も碌に続かなかったそうではないか。母親が愚痴っておったぞ」
「それとこれとは話が別です。それにもうこれからどうするかは決まっていますよ」
「ふむ……」
俺の目の前に座る老人。
篩水流抜刀術師範代で、幼い俺に剣術を教えた師は心を見透かす様にこちらを見ている。
齢86にして未だ衰えないその迫力には、この歳になっても蛇に見込まれた蛙のように一種の恐怖を覚える。
「まあ、よい。それで今日は何の用で来た?」
「精神を鍛えたくて、剣を習いに来ました」
「……嘘──いや、それもあるが、本当の理由が別にある。そういったところか」
「…………」
図星を指されて言葉が詰まる。
ただ目をそらさないだけで精一杯。
師範代が視線を外すまで生きた心地がしなかった。
「全く……数奇な運命よな」
独り言のように呟くその声に思わず首を捻る。
「男は誰しもが一度は冒険に憧れを持つもの。しかし、お前までもがその魅力にとりつかれてしまうとは思わなんだ……」
遠い昔を思い出すように師範代がぽつりぽつりと語り続ける。
回顧の念。
わずかばかりの後悔。
血が滾るほどの興奮。
そして哀愁。
その感情が手に取るように分かる。
「覚悟は──聞くまでもないか。久しぶりに血反吐を吐くまで揉んでやろう」
「よろしくお願いします!」
そして俺は再び剣を握った。
あれから四半日は経っただろうか。
来たときはまだ昼だったはずなのに、既に日が沈もうとしていた。
「やはり筋だけはいいな。後はこれからの精進次第といったところか」
激しい打ち合いを長時間した後にも関わらず、顔色一つ変えない師範代は床に倒れ込んだ俺を見下ろしている。
「ありがとう……ございました」
力を振り絞らないと礼すら言えない俺とは大違い。
「しばらくは動かんでいい。少し独り言を言うが気にせずに休んでおれ」
師範代は宙を睨んだまま。
俺は俺で寝そべったまま天井を見上げていた。
「あれはまだ私が20になったばかりのことだった。その頃の私は父の跡を継ぐ以外の選択肢を与えられず、内心嫌がりながらも厳しい扱きに耐えておった。そんなとき、1通の手紙が届き、私の人生が大きく変わった。今となってはただ夢を見ていただけだった……そう思うこともある。異世界で冒険をしたことがあるなんて口がさけても他人には言えないだろう」
その言葉にハッとする。
数奇な運命。
そう言った言葉の重みが今になって効いてくる気がした。
「その世界での私はただ剣を振るうだけだった。結局、学もなく、それ以外に何もできない私にはそれしか選択肢がなかった。それでも、仲間ができ、必要とされることはあの時の私には嬉しいものだった」
師範代は深呼吸をすると再び語り始める。
「しかし、そんな生活も長くは続かなかった。新たな大地へと続くダンジョンで仲間の半数を失った。それから先は音もなく崩れていくだけ。圧倒的な力を前にあるものは戦意を喪失し、あるものは諦めきれずに死に急ぎ、あるものは元の世界へ戻ることを決めた。かくいう私もこの世界へ逃げ帰ることを選んだ。とんだ臆病者はその後争いもない世界で剣技を身につけ、その選択をずっと憂いている」
そこまで話すと師範代はおもむろに立ち上がる。
そのまま道場を出ていって数分後、巻物を持って戻ってきた。
「これをお前に託そう。私が再度あの地に戻る日を夢見て、半世紀以上の時を費やして完成させた篩水流抜刀術の真髄。きっと役にたつだろう」
「師範代──」
「皆まで言うな。それと……必ず戻ってこい」
「はい!」
「どうやら老体にはきつい特訓だったようだな。私は戻って休む。お前も体力が回復したらいるべき場所に戻るがいい」
言葉の1つもかけられず、ただ見送るだけの背中には今まで感じていた覇気はもうなかった。
それはまるで役目を終えた老兵のようで、その想いを引き継いだ重みだけがここに残った。
そんな風に感じられて。
「必ず戻ってくるさ」
そう、誰もいない道場で人知れず誓った。




