ジルとヴァル ⑥
月日が過ぎて、族長襲名式から数日後。
中枢の一室に、大きな衣装箱が運び込まれていた。
「こちらが、ヴァルア様の族長衣装です。」
職員が蓋を開ける。中から現れたのは、白を基調にした正式な族長衣装だった。光属性を示す白に、炎を思わせる深い赤が差し込まれている。派手すぎない装飾。それでも、細部には族長としての威厳を感じさせる刺繍や金具が施されていた。
ヴァルアは付き添っていたルミナとシヴェリアの三人で衣装を眺める。
「……重そう。」
「第一声がそれなの?」
シヴェリアが苦笑する。
「だって動きにくそうじゃん。」
「族長衣装なのだから、多少は仕方ありませんよ。」
ルミナが衣装を広げてヴァルアの身体に合わせるように衣装を持ち上げる。
「今日は採寸も兼ねて、着付け方を確認しておきましょう。」
ルミナがそう言い、シヴェリアも頷く。三人で衣装を確認しながら、襟の位置や帯の結び方を決めていく。
「ここは少し詰めた方が綺麗ね。」
「そうね。ヴァルアは割と華奢だから、こっちの方が動きやすいかも。」
「動けるならなんでもいい。」
「それだと族長としての見栄えが……。」
興味がなさそうなヴァルアを無視して二人が黙々と作業を進めていた。やり取りを続けているうちに、ルミナがふとヴァルアの髪へ視線を向けた。
「髪はどうしましょう。」
「髪?」
「ええ。せっかくの正装ですもの。普段のように下ろしたままではなく、しっかり結った方がいいと思うの。」
ヴァルアは自分の銀髪を一束つまむ。
「…これじゃダメなのか…?」
「族長として人前に立つのだから、結った方がいいわね。」
「……面倒。」
シヴェリアが呆れたように笑う。
「あなた、本当にこういうことに興味がないのね。」
ヴァルアはしばらく自分の髪を眺めていた。
そして、何でもないことのように言った。
「そしたら、ジルにやってもらうわ。」
「…………え?」
ルミナの手が止まった。予想外の人物の名前にシヴェリアも瞬きをする。
「ジルベルト様に?」
「そう。」
ヴァルアは当然のように頷く。
「時々、私の髪で遊んでたし。結構得意そう。」
二人の間に沈黙が落ちた。ヴァルアはその反応を不思議そうに見る。
「何?」
「いえ……。」
ルミナが慎重に言葉を選ぶ。
「ヴァルアは、ジルベルト様に髪を結ってもらったことがあるのですか?」
「あるけど。」
「……何度くらい?」
「いや、髪を結われた数なんて数えないだろ…暇なときに勝手に触ってくるんだよ。三つ編みとか、変な結び方とか。」
「変な……。」
ことの異常さに気がついておらず、繰り返される質問に不不審がるヴァルアを見るとシヴェリアが遠い目をする。ヴァルアは衣装の袖を確認しながら続けたら、
「ある程度いじくると満足してどっかに行くし、髪くらい好きにすればいいだろ。」
ルミナとシヴェリアは顔を見合わせた。二人の知るジルベルトは、中枢でも地位の高い立場にいる人物だ。異性の髪の毛を簡単にいじるような人物には全く見えない。しかしそのジルベルトがが、傭兵団でヴァルアの髪で遊んでいると。全く想像が追いつかなかった。ヴァルアはそんな二人を気にすることなく、手のひらの上に通信蝶を顕現した。
「じゃ、聞いてみるわ。」
「今ですか!?」
「今聞けば早いだろ。」
おろおろする二人をよそに、ヴァルアは通信蝶へ魔力を流す。小さな蝶が淡い光をまとい、ふわりと宙へ浮かんだ。
「おいジル。」
あまりにも雑な呼びかけだった。通信蝶が羽ばたく。しばらくして、蝶の向こうから声が返ってくる。
『なんだ?』
「今度族長の衣装のお披露目式があるんだけどさ。」
『あぁ、衣装届いたのか。俺もその式参加するぞ?』
「その時の髪の毛、ジルに結ってもらうことにしたわ。」
『…は?俺が?聞いてないんだが。』
「まぁ今決めたからな。」
あまりにも横暴な決定に通信蝶の先から長い長いため息が聞こえた。
『………まぁ、別にいいけど。』
「じゃ、決まりだな。また時間とかは連絡するわ。」
『了解。』
それだけの会話。通信が切れてヴァルアは何事もなかったかのように通信蝶をふわりと消した。シヴェリアとルミナはしばらく言葉が出なかった。やがてシヴェリアがぽつりと呟く。
「……本当にジルベルト様に頼んだのね……。」
「ジルベルト様ってあんな風にお話しされるのね。」
普段は雲の上の人物であるジルベルトが会話するところなど見る機会は全くない。そんな人物を通信蝶で雑に呼び出したヴァルアにルミナが困ったように笑う。
「髪とか細かいの、あいつ好きだからな。」
シヴェリアは額を押さえる。
「あなたたち、本当にどういう関係なの……。」
「仕事仲間。」
ルミナとシヴェリアは、同時にため息をついた。
族長衣装のお披露目を兼ねた、正式な着付けの日。
中枢庁舎の奥にある支度室では、普段では考えられない光景が広がっていた
「うわ、肩凝る……重たい…。」
ヴァルアが白と赤の正装の襟を引っ張る。慣れない衣装に先ほどから文句しか言わない状態だ。
「これほんとに必要?」
「族長ですから。」
ルミナが苦笑しながら答えた。シヴェリアも頷く。
「諦めなさい。」
ヴァルアは鏡の前でむすっとしている。いつもの動きやすい装束ではなく、正式な族長衣装。銀髪も整えられ、毛先の赤がよく映えていた。だが本人だけが全く落ち着いていない。
「逃げたい。」
「逃がしません。」
ルミナが笑顔で即答する。その時、扉が開いた。
「おいヴァル、そろそろ髪を——」
入ってきたのはジルベルトだった。中枢の正装をまとった彼を見た瞬間、シヴェリアとルミナは反射的に背筋を伸ばす。内心、本当に来た、と二人は思っていた。
「ジルベルト様。」
「おはようございます。」
丁寧な挨拶。だがヴァルアだけが鏡越しに手を振った。
「おー、ジル。ちょうどよかった。」
ジルベルトは当然のようにヴァルアの後ろに移動して頷く。
「じゃ、さっさと髪を整えるか。」
そう言って近づこうとした瞬間。
ヴァルアが突然正装の上着を脱ぎ始め、ジルベルトに差し出す。
「ちょ、待っ——!」
シヴェリアが顔を真っ赤にする。ルミナも慌てて視線を逸らした。
「ヴァルア!? 何をしているの!?」
「ん? 着替え。髪触るとき邪魔だろ?」
本気で不思議そうな顔だった。
「ジルベルト様もいらっしゃるのよ!?」
「だから?」
ヴァルアは平然としている。傭兵団では男所帯の中で育ち、着替えを気にしたことがない。傭兵団入団初期こそ驚いていたジルベルトも今では日常になってしまったヴァルアの着替えに慣れてしまい、いつも通り上着を受け取ろうとしていた。動揺するルミナとシヴェリアの反応を見てジルベルトも数秒固まり、額を押さえた。
「……そうか。」
深いため息。
「ここ、傭兵団じゃなかった。」
そしてくるりと背を向ける。
「五分後に戻る。」
「え、なんで出てくんだよ。」
「普通は出てくんだよ…。」
ジルベルトは肩をすくめたまま扉の外へ退散する。扉が閉まった後、支度室には気まずい沈黙が落ちた。ルミナがそっと呟く。
「ヴァルア、普段からああなの……?」
シヴェリアが遠い目をした。
「ジルベルト様、本当に慣れていらっしゃるのね……。」
ヴァルアだけが首を傾げていた。
「何が変なんだ?」
二人は同時にため息をついた。
⸻
数分後。
扉が再びノックされる。
「入るぞ。」
今度こそジルベルトが戻ってきた。ヴァルアはすでに着替えを終えており、椅子へ座っている。ジルベルトは後ろへ回り、慣れた手つきで銀髪をまとめていく。さらり、と髪が揺れる。
「いつも言うが、動くなよ。」
「はいはい。」
完全にいつもの調子だった。
シヴェリアとルミナは、その距離感に内心ひやひやしていた。いつも見ている光景だが、中枢でも最上位に近い立場の男へ、ここまで遠慮なく話す者を見たことがない。だがジルベルト本人は全く気にしていない様子だった。
「そういえば。」
櫛を動かしながら彼がぽつりと漏らす。
「昔こいつ、その辺に置いてあったハサミで髪切ろうとしててな。」
「えっ。」
ルミナが固まる。シヴェリアも目を丸くした。
「まさか自分で……?」
ヴァルアがむっとする。
「切れれば同じだろ。」
「全然違う。」
ジルベルトが即座に返す。
「宿舎で団長と話してたら『ハサミ借りる』って来てな。嫌な予感して追いかけたら、ざく切りにしようとしてた。」
ルミナが口元を押さえる。シヴェリアが青ざめた。
「ざ、ざく切り……?」
ジルベルトは肩をすくめた。
「あと数秒遅かったら前髪が悲惨なことになってたよなぁ。」
ヴァルアは不満げに眉間に皺を寄せる。
「別に短くなっても困らない。」
「困るだろ。お前、自分の顔面の価値を理解しろ。」
シヴェリアとルミナが同時に固まった。さらりと言われた台詞の破壊力が大きすぎた。ヴァルアは「はぁ?」と顔をしかめる。
「気持ち悪いこと言うな。」
「事実だ。」
ぽん、と最後に髪を整え、ジルベルトが一歩下がる。
「よし、できた。」
ヴァルアが鏡を見る。
整えられた銀髪が族長の装束によく映えていた。シヴェリアは思わず息を呑む。
「綺麗……。」
ルミナも小さく頷いた。
ヴァルアだけが居心地悪そうに肩をすくめる。
「なんか落ち着かない。」
ジルベルトの視線が、ヴァルアの耳元で揺れる赤いピアスへ落ちた。出会った頃に贈ったものだった。あの頃は、これ一つをつけるだけでも大騒ぎだった。今はその赤い魔石が、族長の装束の中でも変わらず彼女の耳元にある。
「……よし。」
ジルベルトは小さく笑い、懐から細長い箱を取り出した。
「仕上げだ。」
「まだなんかあるのかよ?」
不服そうなヴァルアを無視してジルベルトは箱を開ける。中には、炎を閉じ込めたような深紅の魔石を中心に、銀細工で羽根を模した髪飾りが収められていた。光を受けるたび、赤い魔石が内側から燃えるように輝く。それを横から見ていたシヴェリアとルミナが同時に息を止める。
(これ……。)
(まさか……。)
ジルベルトは何でもないことのように髪飾りを手に取ると、ヴァルアの銀髪へそっと差し込んだ。赤い魔石が毛先の赤と重なり、まるで最初からそこにあったかのように馴染む。鏡の中のヴァルアが目を丸くした。
「想像通り、似合うな。」
ジルベルトが満足そうに頷く。
「可愛い妹分へ、お兄様からプレゼントだ。」
さらりと言われた一言に、シヴェリアとルミナが固まった。
「お、お兄様……?」
ルミナが思わず復唱する。
ヴァルアは即座に顔をしかめた。
「気持ち悪い。急に兄ぶるな。」
いつもの調子で言い返す。
だがヴァルアの指先は、無意識に髪飾りへ触れていた。
ひんやりとした銀細工。中心の魔石だけが、体温を持つように温かい。
「……高そう。」
「気のせいだ。」
ジルベルトの即答にシヴェリアとルミナは内心で全力否定した。
(気のせいではありません。)
(王都でも滅多に見ない工房の意匠……。)
だがジルベルトは素知らぬ顔で櫛を片付けている。
ヴァルアは鏡を見つめたまま、小さく呟いた。
「……ありがと。」
あまりにも珍しい素直な礼だった。
ジルベルトが一瞬だけ目を丸くする。そして、ふっと目を細めた。
「どういたしまして。」
鏡の中には、族長の正装をまとい、深紅の髪飾りをつけたヴァルアが映っている。
七歳で傭兵団へ入団したぼろぼろの少女。
自分の装飾に無頓着、十五歳になってもハサミで一本で髪を切ろうとしていた少女。
その全部を知っているジルベルトだけが、静かに胸の奥で思った。
——本当に、綺麗になったな。




