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コズミック・ドリフター⑤奈落の監獄(監獄ユートピア “タルタロス・ピット”)  作者: naomikoryo


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第五話:三本の矢

労働区画の朝は、サイレンの音で始まった。

朝と呼べるものが、この奈落にあるのかは分からない。

光は同じ薄さのまま。

空気は同じ冷たさのまま。

ただ、囚人たちの身体だけが、音で“次の地獄”を知る。


扉が開き、看守の声が落ちる。


「出ろ」


陸は立ち上がった。

腹のあざが、動くたびに痛む。

頬の腫れが、熱を持っている。

それでも足を止めない。

止めたら終わりだと、もう分かっている。


廊下へ出ると、他の独房の扉も次々と開いていく。

出てくる囚人たちの目は、昨日よりも少しだけ死んでいる。

疲労と諦めが、人の形を削っていく。


(目を閉じるな)


ザインの言葉が耳の奥で鳴った。

陸はまばたきを意識的に減らした。

視線を泳がせない。

周囲を見て、覚えて、数える。


列は長い。

首輪が擦れる音が、蛇の群れみたいに連なっていく。

時折、誰かがふらつく。

そのたび看守が器具を押し当て、首輪が光り、悲鳴が短く消える。

痛みで整列させる。

痛みで生活を回す。

それがこの場所の効率だ。


巨大なエアロックを抜けると、空気が変わった。

湿り気が消え、代わりに乾いた粉塵が喉に刺さる。

天井が高い。

いや、天井というより、地下の空洞みたいな空間。

壁一面に走るレール。

吊り下げられた作業灯。

遠くで火花が散り、金属を削る耳障りな音が重なっている。


労働区画。

タルタロス・ピットの胃袋。


囚人たちは班に分けられ、工具を渡される。

工具と呼ぶにはあまりにも粗末な、刃の欠けたカッター。

錆びたレンチ。

規格の合っていないボルト。

それらで何をさせるかと言えば、廃棄された設備の解体だ。

古いパイプを外し、金属板を剥がし、配線を引きちぎる。

危険物質の警告表示があっても関係ない。

囚人が病んだところで、代わりはいくらでもいる。


陸は工具を受け取ると、周囲を見回した。

目立たず。

でも目を閉じず。


少し離れた位置に、赤毛が見えた。

ザインだ。

看守に一瞥されても平然としている。

首輪が喉元に食い込んでいるのに、あの男の姿勢は崩れない。

痛みを無視できるのか。

それとも痛みを“燃料”に変えているのか。


ザインが、ちらりと陸を見た。

目だけで合図を投げる。

近づくな。

今はまだ。

そう言っている。


陸は頷かず、視線を逸らして作業に入ったふりをした。

この監獄のルールは、会話を盗む。

視線すら盗む。

監視はどこにでもある。


作業は単純で、そして地獄だった。

金属板を剥がす。

指先が切れる。

血が出る。

痛みで顔を歪めると、首輪が熱を持つ。

“甘えるな”と言わんばかりに。

陸は唇を噛み、無表情を作った。

痛みを表に出すな。

弱さは嗅がれる。


時間がどれくらい経った頃だろう。

看守の視線が、一瞬だけ別の方向へ逸れた。

上空のドローンが、巡回ルートの端へ移る。

その“隙”を狙って、赤毛が動いた。


ザインは、工具を落としたふりをして陸の近くまで来た。

歩き方が自然すぎて、偶然の接触にしか見えない。

近づいてきた瞬間、低い声が落ちる。


「……右の第三レール」


陸は動かないまま、耳だけで聞く。


「そこで、目を合わせるな」


「でも、聞け」


陸の喉が鳴った。

言われた通り、視線を向けずに耳を澄ます。

右の第三レール。

作業灯の影。

そこに、囚人たちが密かに集まっている気配がある。

声が、かすかに聞こえる。


「……今日だ」

「……もう限界だ」

「……食料の配分が減った」

「……昨日、死んだ」


囚人たちが、壊れかけた声で話している。

怒りというより、飢えに近い声。

飢えと恐怖が混ざると、人は暴れる。


ザインが続けた。


「暴れる準備してる」


陸の胸が硬くなる。


「……暴動?」


陸が思わず口を動かしかけて、首輪がじり、と熱を持った。

陸は言葉を飲み込む。


ザインは、工具を拾うふりをしながら言う。


「そうだ」

「こいつらは、もう折れねえところまで折れてる」

「後は、火をつけるだけだ」


火。

セレネのロビーで歌が火になった時みたいに。

でもここでの火は、歌ではない。

血だ。

骨だ。

怒号だ。


陸は胃が冷えるのを感じた。


「……そんなことしたら」


「する」


ザインが即答した。

迷いがない。


「しねえと出られねえ」


陸の指が、工具を握る手に力を入れた。

目の前の金属板が震える。

怖い。

でも、ここで立ち止まったら何も変わらない。

リラは隔離されている。

自分の力も封じられている。

“普通”のやり方では詰んでいる。


(じゃあ)

(どうする)


陸の中で、答えが形になる前に、ザインが言った。


「お前の役目がいる」


陸は息を呑む。


「役目?」


「お前は跳べねえ」

「でも、跳べる“穴”はある」


穴。

抑制の穴。

一瞬だけ弱まる瞬間。


「この施設は、全部が一枚岩じゃねえ」


ザインは、視線を動かさずに続ける。


「労働区画の奥に動力炉がある」

「抑制フィールドの電源も、そこを噛んでる」


「……壊せってのか」


陸が言いかけて、また言葉を飲み込む。

首輪が熱を持つ。

この首輪は、反抗の言葉にも反応する。


ザインが鼻で笑った。


「壊すのは俺じゃねえ」


「壊すのは、“システム”だ」


意味が分からず、陸は僅かに眉をひそめた。


ザインは工具を置き、作業に戻るふりをしながら言った。


「この監獄は完璧じゃない」

「囚人を働かせて回してる以上、現場に現場の穴がある」

「穴を知ってる奴がいる」


陸の背中に、ぞくりとした感覚が走った。

穴を知ってる奴。

この監獄の内側を見ている奴。


「……誰だよ」


ザインは、ほんの一瞬だけ目を細めた。


「情報屋」


陸の心臓が跳ねた。


「リラ?」


「違う」


ザインは即答した。

声に苛立ちが混じる。

違う。

今のは危険な言葉だ。

リラの名を出すのは。


ザインは声をさらに落とす。


「“情報屋”って呼ばれてる女が、もう一人いる」


陸は息を止めた。

別の情報屋。

つまり、この監獄で生き残っている、頭の切れる存在。

そして、穴を知っている存在。


「……そいつに会えば」


陸が言いかけると、ザインが遮る。


「会えるかどうかは運だ」


「だが、暴動が起きれば」


「隔離区画の扉が開く」


陸の背筋が凍った。

隔離区画。

そこにリラがいる可能性が高い。

暴動が、リラへ繋がる道になる。


「……リラを」


陸が口を動かす。

声にしない。

心の中で言う。


(助けられる)


ザインはまるで陸の心を読んだみたいに、ぽつりと言った。


「助けたいなら」


「動け」


「ただし」


「一人で英雄気取りはするな」


陸は歯を食いしばった。

英雄気取り。

セレネで言われたのと同じ。

でも今回は違う。

正義感で突っ込むわけじゃない。

生きるためだ。

相棒を取り戻すためだ。


その時、看守の怒号が響いた。

遠く。

第三レールの辺り。


「何をしている!」


次の瞬間、短い悲鳴。

そして、床に何かが叩きつけられる鈍い音。


囚人たちの空気が、一斉に変わった。

動いた。

彼らの中で、最後の糸が切れる音がした。


誰かが叫ぶ。


「もうやめだ!」


別の誰かが叫ぶ。


「殺せ!」


火花が散る。

工具が振り上げられ、金属と金属がぶつかる。

看守の装甲に刃が当たり、鈍い音が鳴る。

看守は即座にスタンガンを撃つ。

囚人が痙攣して倒れる。


その瞬間、また別の囚人が襲いかかる。

飢えた獣の群れ。

数が、武器になる。


警告音が鳴った。

天井の灯りが赤く点滅する。

ドローンが一斉に降下し、サイトを合わせる。

赤い点が、床に踊る。


地獄が、地獄を上書きする。


陸は足が震えるのを感じた。

怖い。

死ぬ。

簡単に死ぬ。

ここで。


その震えを、ザインの声が叩き潰した。


「――行くぞ」


振り返ると、ザインが立っていた。

目が、燃えている。

金色の瞳の奥で、戦いが始まっている。


陸は息を吸った。

火の匂い。

血の匂い。

金属の匂い。

タルタロス・ピットの匂い。


そして、自分の胸の奥の匂い。

恐怖と決意が混ざった匂い。


(やる)


陸は自分に言い聞かせる。

一人じゃない。

相棒がいる。

今は見えない場所に。

だから、ここで折れるわけにはいかない。


ザインが囚人の波へ突っ込んだ。

首輪が光る。

痛みが走るはずなのに、彼は止まらない。

むしろ加速する。

痛みを燃料に変えて。

拳で道を切り開く。


陸はその背中を見て、喉が鳴った。

恐ろしくて、頼もしい背中。

ヘパイストスの地下迷宮で見た背中。

今度は、こちらが追いかける番だ。


陸は走り出した。

首輪が熱を持ち、皮膚が痛む。

だが、止まらない。

痛みがあるということは、生きているということだ。

生きていれば、変えられる。


暴動の中で、三本の矢が揃う準備が始まる。

ザインの力。

そしてまだ見ぬ“鍵”。

そして、封じられたままの陸の跳躍。


それを束ねる矢羽が必要だ。

その矢羽の名前を、陸は心の中で呼んだ。


(リラ)


(待ってろ)


(今、行く)

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