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コズミック・ドリフター⑤奈落の監獄(監獄ユートピア “タルタロス・ピット”)  作者: naomikoryo


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第二話:異邦人のための檻

リラの指が止まらない。

モニターの海に、無人小惑星M―77のデータが沈んでいく。

軌道要素。

周辺宙域の通信量。

流通ログ。

星間管理局の監視網。

そのどれもが、微妙に“空白”を抱えている。


「……ねえよな、普通」


陸がぼそりと言う。

自分で言って、自分の声が乾いているのに気づく。


「普通は、ない」


リラは即答した。

言い切り方が、やけにきっぱりしている。

不安を切り捨てるための言葉みたいに。


部屋の換気ファンが唸り、薄い油の匂いが漂う。

アルカディア・ネクサスの夜は今日も眠らず、壁の向こうの通りからは、遠くに笑い声とエンジン音が混ざって聞こえる。

その喧騒が、逆にこの部屋の静けさを強調していた。


準備はあっという間だった。

リラが必要物資をリスト化し、足りないものは闇市の即配に回す。

陸は呼ばれた通りに荷物をまとめ、防護服の点検をし、右腕のチップ周りの皮膚感覚を確かめる。

跳躍の前にやることが、いつの間にかルーティンになっていた。

怖さは消えない。

でも、怖いまま動けるようになった。

それが成長なのか、麻痺なのか、陸にはまだ分からない。


そして出発の直前。

リラはコンソールの電源を落とし、振り返らずに言った。


「いいか」


声が低い。

いつもの“仕事の声”だ。


「着いたら周囲の確認を最優先」

「私は通信状況を見る」

「不自然があったら、その場で撤退」


陸は頷いた。


「撤退の座標は?」


「ここ」


リラは隠れ家の座標を、陸の端末に飛ばす。

帰り道の鍵を先に握らせる。

情報屋らしい用心。

それが逆に、今回の“危険”の濃さを知らせてくる。


「……行くぞ」


陸はリラの手を取った。

いつもみたいに抱える必要はない。

この星では酸の雨も重力差もない。

ただ、手だけでいい。

彼女がここにいると分かるように。


リラは一瞬だけ、握られた手に視線を落とす。

それから何も言わずに、指を絡め返した。


その小さな力が、陸の腹を据えさせた。


目を閉じる。

M―77。

無人小惑星。

放棄された研究施設。

神々の涙。

冷たい金属の匂い。

真空の静けさ。

砂ではなく、粉塵。

光は弱い。

重力は低い。

身体が少し浮く感覚。


イメージが組み上がる。

右腕の内側が、熱を持つ。

青白い光が二人を包んだ。


世界が、裏返る。


――次の瞬間。


陸は、息を吸って凍りついた。


砂の感触がない。

潮の香りもない。

ネオンの匂いもない。


足裏にあるのは、冷たい金属。

湿り気のない、磨かれすぎた床。

部屋は狭い。

四方を同じ材質の壁が囲み、天井には白い光のラインが走っている。

研究施設?

いや、違う。

研究施設の“入口”というより、何かを入れるための箱だ。


「……ッ」


リラが息を呑む音がした。

陸は反射的に彼女の肩を引き寄せ、壁際へ寄る。

逃げ道を探す。


ない。

扉が見当たらない。

継ぎ目のない壁。

空調の音すらしない。

静寂が、耳を押す。


「……マズい」


陸が呟いた瞬間、右腕がじくり、と痛んだ。

チップが熱を持ち、しかし光らない。

いつもの“応え”がない。


「跳べない……?」


陸は必死に意識を沈める。

隠れ家の座標。

アルカディアの匂い。

帰還のイメージ。

力を引き出す。


――反応が、ない。


代わりに、耳の奥で低い振動音が鳴った。

空気ではなく骨に響くような、嫌な音。

身体の芯にまとわりつく。


リラが歯噛みした。


「抑制フィールド……」


その言葉が落ちた瞬間、壁の一面が黒く変わった。

モニター。

そこに、白い輪郭の映像が映る。


椅子に座る男。

整った黒髪。

端正な顔。

肌は不自然なほど白い。

笑みは柔らかいのに、目が笑っていない。

背後に見えるのは、幾何学模様のような巨大な装置群。

あれが、フィールドの制御装置なのだと分かる。


男はゆっくりと口を開いた。


「ようこそ」


声が滑らかで、優しい。

聞く者を安心させるために調整された音。

それが逆に、陸の胃を冷たくした。


「歓迎しますよ。星渡りの異邦人」


陸の心臓が一拍遅れた。

言葉が、狙い撃ちだ。

自分に向けた名前。

予言の言葉。


「……誰だ」


陸は声を絞り出す。

リラは一歩前へ出た。

画面を睨み、鋭く言う。


「名乗れ」


男は微笑んだまま、軽く頭を下げる。


「カシウス」


それだけ。

姓も、肩書きもない。

名乗りが“足りない”のに、なぜか十分に感じる。

この男にとって、こちらに説明する義務などないという態度が透けるからだ。


「クロノス・オーダー上級執行官」


続いて、その言葉を自分で付け足した。

まるで親切のふりをして。


リラの拳が、かすかに震えた。

陸はその震えを見て、背中に汗が滲む。


「……なるほど」


リラが吐き捨てる。

「亡霊が、とうとう顔を見せたか」


カシウスは笑った。


「亡霊とは酷い」

「我々は歴史の秩序を守っています」

「あなたのような人が“秩序”を嫌うのは、理解できますが」


その視線が、陸に移る。

画面越しなのに、まるで直接触れられたみたいに、皮膚が粟立つ。


「あなたは希少です」

「この銀河に、あなたほど“歪み”をもたらす存在はいない」


歪み。

陸の中で怒りが立ち上がる。

自分はただ帰りたいだけだ。

望んで来たわけじゃない。

それなのに、勝手に意味づけされる。


「ふざけんな」


陸は一歩前へ出た。

抑制フィールドのせいで、いつもの万能感はない。

それでも、拳だけは握れる。


「俺は――」


言いかけた言葉が、喉で止まった。

リラが陸の袖を引いたからではない。

頭の奥を、細い針で突かれたみたいな痛みが走ったからだ。


カシウスの視線が、リラへ滑る。

そして声色が、ほんの僅かに変わる。

甘さが消え、鋼みたいな冷たさが混じる。


「……そして、あなた」


「裏切り者の末裔」


リラの顔から血の気が引いた。

それでも、彼女は目を逸らさない。

紫紺の瞳が、怒りと憎しみで濃くなる。

だけど、陸には分かる。

その下に、恐怖がある。

過去に触れられた時の、どうしようもない恐怖が。


「……黙れ」


リラの声は低い。

音が削られて、刃みたいになっている。


「私の血を語るな」


カシウスは肩を竦めた。


「語る必要はありません」

「あなた自身が、その証拠です」


モニターの横に、情報が浮かぶ。

リラの顔写真。

識別コード。

出生記録の断片。

まるで彼女の人生が、管理台帳の一枚に過ぎないみたいに並べられていく。


陸の中で、何かが切れた。

リラを“データ”にするな。

その怒りは、ウロボロスで殴られた時の怒りよりも純粋だった。


「やめろ!」


陸は画面へ叫ぶ。

叩き割るみたいに拳を振り上げる。

けれど、拳は壁を叩いただけで鈍い音を立てる。

壁は傷一つつかない。

まるで、最初から勝負になっていない。


カシウスは穏やかに言った。


「落ち着いてください」

「私はあなた方を殺すつもりはありません」


「嘘だろ」


陸が吐き捨てる。


カシウスは、ため息のように微笑む。


「本当です」

「我々は破壊ではなく、回収を目的としています」

「価値あるものは、壊しません」


価値。

また、値踏みの言葉。

アルカディアの値札より、ずっと冷たい値札。


「……何が目的だ」


リラが言った。

声が震えていない。

怖くても、震えを殺せる。

それが彼女の強さだ。


カシウスは少しだけ首を傾げる。


「目的は“保全”」

「混沌から歴史を守る」

「あなた方の行動が、どれほどの影響を持つか」


「あなたは理解していない」


その言葉が、陸の胸を刺す。

理解したくない。

でも、理解しないままでは殺される。


カシウスの背後で、装置が淡く光った。

振動音が強くなる。

陸の右腕が熱を持つのに、光が出ない。

封じられている。

完全に。


「今から、あなた方は移送されます」


カシウスが告げる。


「ここはM―77ではありません」

「正確に言えば、M―77宙域の監禁施設」

「そして次にあなた方が目を覚ます場所は――」


一拍。

その間が、やけに丁寧だ。

恐怖を味わわせるための間。


「タルタロス・ピット」


リラが目を細める。


「監獄ユートピア……」


陸は喉が鳴る。

監獄。

ユートピア。

言葉が矛盾しているのに、なぜかしっくり来る。

この銀河は、そういう矛盾で動いている。

笑顔で奴隷を管理し、楽園で搾取を隠し、秩序の名で自由を奪う。


「……ふざけんな!」


陸は叫ぶ。

叫ぶしかない。

ここで負けたら終わりだ。

そう思って、必死に右腕へ意識を集中させる。

隠れ家。

リラ。

帰りたい。

守りたい。

イメージを重ねる。


その瞬間。


頭が、ぐらりと揺れた。

視界が滲む。

耳鳴りが膨らみ、世界が遠ざかる。


「陸!」


リラが叫んだ。

その声が、薄い膜越しに聞こえる。


床から微かな霧が立ち上り、二人の足元を這う。

麻酔ガス。

甘い匂いがした。

セレネの花の香りとは違う。

脳を溶かす、化学の甘さ。


陸は膝をつき、呼吸を止めようとする。

でも肺が勝手に吸ってしまう。

身体が言うことを聞かない。


「くっ……!」


リラはフードを引き、口元を押さえた。

けれど遅い。

既に吸っている。

彼女の身体が揺れた。


カシウスは、最後まで優しい声で言った。


「安心してください」

「あなた方には、役割があります」


役割。

まただ。

決めつける。

奪う。

値札を貼る。


陸の視界の端で、リラが歯を食いしばっているのが見えた。

怒りに耐える顔。

その横顔が、陸の胸を焼いた。


(守るって言っただろ)

(相棒だって言っただろ)


言葉にできない。

舌が重い。

視界が黒く落ちていく。


それでも陸は、最後の力でリラの手を探し、掴んだ。

指先が触れた瞬間、彼女の指が、同じように握り返す。

それだけで、少しだけ世界が繋がった。


暗闇の底へ落ちる直前。

陸は、カシウスの目を見た気がした。

あの目は、優しくなかった。

冷たいのに、熱を持っていた。

信仰の熱。

正義の熱。

いちばん危ない種類の熱。


(……俺たちは)

(どこに連れていかれる)


答えは、もう分かっている。


タルタロス・ピット。

奈落。


陸の意識は、その名と一緒に沈んでいった。

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