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ロレーヌが俺の方を向いた。
双頭の四つの瞳が、殺意をむき出しにして睨みつけてくる。
翼が一度大きくはためいた。
次の瞬間、ロレーヌの巨体が恐ろしい速度でこちらへ突進してくるが俺とロレーヌの間を何かがとんでもない速度で通過した。
空気の壁を突き破るような衝撃波が一拍遅れて赫竜の翼を叩き、俺は体を伏せて鱗にしがみつく。
ロレーヌは停止せざるを得なかった。
突進の軌道を、その何かが真横から断ち切ったのだ。
突き抜けた先、大空で大爆発が起きた。
衝撃波が同心円状に広がり、雲を内側から引き裂いていく。
爆発の余波で小雨が降り始め、雲の中に潜んでいた巨大な顔が雲もろとも霧散して消え去った。
裂けた雲の向こう側から、綺麗な青空が覗いた。
一撃で天候すら変える攻撃。
聞いたことがない威力だった。
これがたった一人の探索者の力なのか。
最強と自負していても何ら疑問はない。
「じゃあな、最強にやられてこいよ」
俺はそう言うと、赫竜の首筋を叩いて全力で離脱させた。
ロレーヌから距離を取る。ここから先は俺の戦場ではない。
「アキィィィィ!!」
双頭が吠えた。
逃げる俺に向けて、二つの口に溜めたブレスを立て続けに放ってくる。
炎の塊が連射され、空を黒い線で汚していく。
だが、赫竜の速度はロレーヌのブレスの射程を上回っていた。
炎の塊は俺に届くことなく、次々と空中で拡散して消えていった。
俺が離脱するのを確認した直後だった。
海面が爆ぜた。
水龍が、海の底からロレーヌへ向かって一直線に跳び上がってきたのだ。
巨大な顎がロレーヌの胴体に食らいつき、そのまま海中へ引きずり込む。
ロレーヌは海面に激突し、途方もない水柱が天を衝いた。
黒い双頭の竜であるロレーヌは、俺たち人間よりも遥かに大きい。
しかし、水龍の体躯はその何倍も巨大だった。
蛇のような長い胴体が海面を叩くたびに、周囲の海が山のように隆起する。
二体は海中へと潜っていった。
姿は見えない。
だが、水龍のうねりが生む水流が海を根本から掻き乱しており、青空が広がっているにもかかわらず海面は大荒れだった。
俺に近づいてきた灰流鳥三匹に、全員が分かれて乗っていた。
ヒナと社長。捻れとミル。そして最後の一匹には管理所の老人と草薙。
草薙は両腕がないまま、片腕を潰されている老人の無事な方の腕に支えられて灰流鳥の背にしがみついている。
「こいつはワシが責任持つ」
老人はそう言って草薙の体を押さえていた。
裏切ったのだろうが、見たところ特に被害もないため、俺にとって草薙の事などどうでもよかった。
それよりも気になることがある。
「これって時間制限とかないですよね?」
俺は社長に問いかけた。
まず考えるべきは自分の遺物と同じように、強力な効果には時間制限がつきものだということだ。
黒薔薇の騎士団も守護者も簒奪者も、全てに666秒の壁がある。
あの規格外の力にも、同じ制約があるのではないか。
「よくわからん」
社長も水龍の詳細は把握していないようだった。
眼下でうねる海を見下ろす。
水面下で何が起きているのかは判然としないが、時折海中で何かが炸裂するように水が弾け、衝撃波が波紋となって広がっていくのが見える。
その時だった。
海面が割れ、空中にロレーヌの体が投げ出された。
海中から叩き上げられたのだ。
濡れた黒い鱗から海水が滴り、双頭がもがくように首を振る。
その投げ出されたロレーヌに、海中からブレスが直撃した。
水龍の一撃。
先ほど雲を吹き飛ばしたのと同質の、あの規格外の威力。
大爆発が空を揺るがした。
朝焼けの光の中で、傷だらけのロレーヌの姿が露わになる。
黒い鱗があちこちで剥がれ落ち、二つの首のうち片方は角が折れていた。
翼の膜にも大きな裂傷が走っている。
しかし、ここまでしてもまだ致命傷にならないのか。
ロレーヌは空中で体勢を立て直し、翼を広げて滞空していた。
その時、眼下の海面に変化が起きた。
「なんか人型になっていってますが、これ強化ですよね?」
俺は海面に立つように現れた影を見下ろして言った。
水を纏った巨大な龍の姿が、急速に凝縮されていく。
あの規格外の体躯が縮み、人間の形へと収束していった。
海面に立っていたのは、水龍の面影を残した異形だった。
青い鱗が首から肩にかけて浮かび上がり、額の両側から短い角が生えている。
半透明の水が全身を薄く覆い、その下に人間の筋肉と龍の鱗が入り混じった半龍人の姿があった。
「強化なわけないぞ」
社長の声は硬かった。
その一言を聞いた瞬間、俺は赫竜の首筋を強く叩いて急降下させた。
あの巨大な龍の形態を維持できなくなったということ。
社長が「よくわからん」と言った時間制限か、あるいは別の制約か。
どちらにしろ、あの規格外の力は長くは保たなかった。
水龍ならばどう考えるか。
次の一撃で勝負を決めにかかるはずだ。
俺も加勢する。
海面に立つ水龍は、どこからか現れた三又戟を右手に構えていた。
海水が渦を巻くようにして槍の穂先へと集まり、凝縮されていく。
槍の周囲の空気が震え、水圧だけで周囲の海面が大きく窪んだ。
槍投げの姿勢。
水龍は空中のロレーヌへ向けて、その槍を振りかぶった。
俺がすべきことは一つだ。
ロレーヌを回避させないこと。
あの槍が放たれる瞬間に、ロレーヌの動きを止める。
ほんの一瞬でいい。
俺は赫竜の背から飛び降りた。
落下しながら、赫竜に最後の命令を送る。
ロレーヌへ特攻しろ。
簒奪者よりは弱いだろう。
だが、赫竜の体格はロレーヌとそれほど差がない。
一瞬だけ足止めできればそれでいい。
赫竜は命令に従い、全速力でロレーヌへ突進した。
黒薔薇の花びらを撒き散らしながら突っ込んでくる赫竜を、ロレーヌは双頭の片方で迎撃しようとした。
だがもう片方の首が赫竜の体を避けようとした瞬間、赫竜の翼がロレーヌの胴体に絡みつく。
一瞬だけ、ロレーヌの動きが止まった。
狙い通りだ。
水龍の手から槍が放たれた。
槍がロレーヌへ迫るが虚空で見えない壁のようなものに衝突した。
ロレーヌの防御か。
壮大な火花が撒き散らされ、空気が裂ける音が連続して弾ける。
槍は止まらない。
火花を散らしながら、防壁を削り、抉り、一寸ずつ突き進んでいく。
その間に赫竜はロレーヌの双頭に噛みつかれ、抉り殺された。
二つの顎が赫竜の首と胴を同時に噛み砕き、黒薔薇の花びらが血飛沫のように散った。
光の粒子となって消えていく赫竜の残骸の向こうで、ロレーヌの顔が勝利を確信して歪む。
赫竜が稼いだ一瞬で、槍はロレーヌの防壁を半分以上貫いていたがロレーヌは体を捻った。
槍の軌道に対して体を斜めにずらし、防壁越しに槍の穂先を逸らしにかかる。
軌道が変わった。
ロレーヌの体を貫くはずだった槍が、僅かに角度を変え、背後の虚空へと抜けていく。
「アハハハハ! 勝った! 私の! 勝ちだ!!」
血だらけで傷だらけの竜が、それでも笑っていた。
双頭の口が限界まで開き、勝利の叫びを上げている。
最後の一撃が届かなかった。
俺は海へと落ちていく中で、それを見ていた。
空気が顔を叩き、水面が迫ってくる。
だが、その視界の端に、一つの影が映った。
ロレーヌの背後。
全身から薄く火が立ち上る人影が、空中からロレーヌへ向けて迫っていた。
遠いはずなのに、確かに聞こえたような気がした。
「狂化」
呟いたミルの首元から一瞬見えたネックレス。
朝日を受けて鈍く光ったその金属を、俺は覚えていた。
昔、俺がオークションへ売りに出した遺物だ。
効果は短時間身体能力を二倍相当にする。
探索者としての初期に手に入れ、身体能力の上がらない俺には意味がないと判断して手放した遺物。
それが巡り巡って、第五階位のミルの首にかかっていた。
第五階位の身体能力が、二倍になる。
ミルは軌道のそれた水龍の槍に向かって空中で体を伸ばし、その柄を両手で掴んだ。
掴めた。
魔法を保持することができるミルの特性。
俺はそれを思い出した。
保持できるのは、自らの魔法に限らないのか。
槍の勢いは規格外だった。
ミルの体が槍に引きずられ、ロレーヌから遠ざかる方向へと飛んでいく。
軌道は既に逸れている。このままではロレーヌには届かない。
ミルが叫んだ。
その叫びに応えるように、ミルの周囲に捻じれた炎が出現した。
捻れの炎だ。
精密な誘導。
猿の魔物との戦いで、死体の森の隙間を縫って魔物の急所だけを撃ち抜いたあの精度。
捻れの炎がミルの体と槍の軌道を包み込み、進行方向を誘導していく。
槍はミルを引きずったまま、大きな弧を描き、ロレーヌへと戻っていく。
ロレーヌが息も絶え絶えで振り返った時には、もう遅く槍はその体を貫いた。
水龍の全ての力が込められた一撃が、ミルの腕を通じて、捻れの炎に導かれて、ロレーヌの胸の中心へ突き刺さる。
双頭の口が開いたまま、止まった。
勝利の笑みを浮かべていたはずの顔が、驚愕に凍りついている。
俺は海面に落ちる直前にそれを見た。
水龍が鎮めた海の上に、日が差し舞い上がった飛沫が光を受けて虹を架ける。
その虹を断ち切るようにして、槍に貫かれたロレーヌの体が孤島へと吹き飛ばされていくのを、俺は落下しながら見ていた。
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