表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自作小説倶楽部 第13冊/2016年下半期(第73-78集)  作者: 自作小説倶楽部
第77集(2016年11月)/「文化」&「樹木」
35/43

08 雪波 著  樹木 『問い』

「わたしどうなっちゃうんだろうなぁ」

 諦めたような笑みと、不安に震える声をナンを食べながら聞き流す。そして二人でため息をつく。新しくできたインド料理屋は、まだ人が少ない。今までの人生で一番美味しいナンは、バターが薄っすらと表面に浮かび、裏はカリッと香ばしい。小麦粉のもったりとした重さはなく、思った以上に軽かった。私は辛い物は苦手だから、ナンばかりをちぎっては口に入れた。

「これ、どう思う?」

 テーブルの上に投げ置かれた薬の袋には、【アリセプト】と書いてある。

「ああ」

 そういえば、父が飲んでいる薬と同じだ。

「わたし、やっぱりアレなのかな」

「医者はまだ、診断くだしてないんだろう?」

「ええ。でも左が、い、い、ほら、い。そう、委縮してるって。でも、時計も読めるのよ? も、物忘れだって、そんなに無いし……言葉だけ」

 彼女はまだ60手前なのに、アルツハイマーなのかもしれない。父と同じなら、じきに彼女は別人のようになるだろう。

「わたしどうなっちゃうんだろうなぁ」

「そんな、医者にも分からないこと、わからないよ……とりあえず、ちゃんと薬を飲めとしか……」

 私はもう、彼女の目を見ながら話すことはできない。不倫の代償なのか。後悔というより後ろめたさが、背中をひたひたと撫で上げる。彼女を放さず、孤独にさせたのは私だ。

「地元に帰るのか?」

「ううん、無理よ。母だって、アレだし。お兄ちゃんももう……うちは家族バラバラだからさ」

 妻と別れて彼女と一緒になると言い続けた30年。もし私が彼女をもっと早くに開放していれば、こんな時に頼れる子供を持てただろうに。そもそも、どうして私は、この女に執着したんだろう。今気づいたが、結局大事なのは、自分の家族だ。そう思うと、目の前にいる女が急に不気味に感じた。

「わたしどうなっちゃうんだろうなぁ」

 再びため息をつく彼女が厄介な荷物になった。

「そろそろ出ようか」

 私はさっさと立ち上がり、会計を済ませた。

「あれ~、オキャクさん~、チッカリー食べてないね~。美味しいのにね~」

 店のインド人が釣銭を渡しながら非難がましい事を言う。

「チキンは嫌いなんだ」

 店を出ると、寒さに身が固くなったが、手をつなぐことはしない。街路樹を見上げながら歩いた。何本も、無言で街路樹を数えた。どの木も葉が落ちて、枝分かれした先がスカスカとしていて寒々しい。アルツハイマーの脳のイメージは、こんな枯れ木だろうか。いや、春になったって彼女は瑞々しさを取り戻して、青々とした葉を茂らせることはないんだ。自然とため息が漏れた。

 そのため息に反応したように、彼女が私のコートの袖をそっとつまんだ。目が合った。逃げたい。

 だが、私は逃げないんだろう。きっと。

     了

第77集(11月号)はこれで打ち止め。第78集でお会いしましょう。ご高覧ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ