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自作小説倶楽部 第13冊/2016年下半期(第73-78集)  作者: 自作小説倶楽部
第75集(2016年9月)/「かげろう」&「風」
21/43

07 らてぃあ 著  かげろう 『カゲロウの思い出』

 あれは僕がまだ子供でやっと中学2年の秋の出来事だった。


 灯り始めた街頭の光の中、カゲロウの姿を追っていた視界に人影が掠めた。目を戻すと公園のベンチに人がうつむいて座っていた。若い女性らしい。と思いながら、改めてその姿を観察してしまったのはその人が花柄のスカートに不釣り合いな金属製の杖を握り、全身に疲労を滲ませて背中を丸めていたからだ。

「大丈夫ですか? 」

 恐る恐る声をかけると女は顔を上げて初めて僕の存在に気が付いたようだった。化粧気のない顔は顔色こそ悪いが同じ団地に住む高校生のお姉さんと大して変わらない歳に見えた。

 問いに答えないまま左手の甲で無造作に額の汗を拭って、スカートのポケットから折れ曲がった紙切れを取り出し、僕に差し出した。

「ここ、知ってる? 」

 突き付けられた紙にはすぐ近くの住所が書かれていた。

 大体の方向を指差すと女は杖を握り治し、立ち上がり、歩きかけて振り向いた。はなから案内させるつもりらしい。僕は諦めて虫取り網を片手に歩く女の横に並んだ。ちゅうがくでクラスでも背の低い方の僕は女の肩までしか背が無い。女は汗をかきながらも無表情で、しかし左足を引きずり全身を不安定に揺らしながら歩く。

「本当に大丈夫?交番で休ませてもらおうか? 」

 公園の端にある交番のお巡りさんは顔見知りだ。

「やめてよ。すぐそこまで行くだけだから。そしたらすぐ帰る」

「もしかして、お姉さんはお母さんに会いに行くの?」

「何でそんなふうに思うのよ」

 険しい目で睨まれて僕は口をつぐむ。祖母の〈よそはよそ、うちはうち〉という言葉が脳裏に浮かぶ。

 そうだ。僕より歳上の人間が、3年前の僕と同じことをするはず無いじゃないか。

 しかし、歩き疲れてへとへとになりながらも大人の目を避けて歩き続けた幼い自分の幻は容易に消えない。

「僕は治郎。お姉さんの名前は? 」

 女は少し迷ったようだが「ミカゲ」とぼそりと答えた。

 目的の家は表通りから離れた角地の中古住宅だった。向かい側の塀の高い家の陰になって薄暗い陰気な家だ。ミカゲは不思議そうな顔で家を眺め表札を確認する。

「ここ、誰の家? 」

「あんたわかってたんじゃないの?あたしの母親の家よ。初めて来るけど」

「やっぱり、親が離婚したんだ」

「違う。あたしが親を捨てたのよ」

 母親の家を眺めながら道の反対側の塀にもたれて唇をゆがめる。

「あたし、隣町の施設に住んでるの。病院の施設。母親がわざとらしく引越したって手紙をよこすから見に来たの」

「お母さんは家の中で待ってるの? 」

「あたしが来ることは内緒よ。顔も見たくない。3年くらい前に会った時、二度と来るなって追い帰した。あたしの病気に気が付かずに何もしないで、小学校の先生がやっとおかしいって言ってくれた。それまで母さんは怠けてるだのなんの怒ってばかり。あたしが施設に入るのをあっさり許したのだって病気の娘が恥ずかしいからよ。あたしね。長くは生きられないってお医者様に言われてるの。だから残りの一生で絶対に母親を許さないって決めてる」

「でも、」

 掛けるべき言葉は何も見つからなかった。祖父母にも周囲の人間にも何度も忠告されながら憎み合うことを止めなかった僕の両親のような人間もいる。会いに行った我が子を追い帰した母を恨んでいないと言えば嘘になる。

 僕は意を決して目の前の家の門に歩み寄った。そのまま呼び鈴を押す。

「何するのよ」

 ミカゲは僕を止めようとして。よろけて、態勢を立て直す。玄関の奥に音が響くのを聞いて逃げようとしたが身体が動かなかった。

 二人とも夕闇の静寂の中、しばし耳を澄ましていた。


 家の中からは何も気配がなかった。留守だったようだ。

「何するのよ」

 その後、ミカゲは目を潤ませて僕を三発ひっぱたいて、大通りでタクシーを拾わせた。

「覚えてらっしゃい」

 暗くなってから家に帰ると祖父にこっぴどく叱られた。


 散々だった一日を僕はまだ、覚えている。そしてミカゲに会ったら何を言うべきか、言葉を探している。

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