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3 雪うさぎは知っている

「リサ……ッ!」


 ――――ドアを開けたのはクラインだった。

 包帯姿に外套を羽織っただけの彼は、白い息を吐いて室内に踏み込んでくる。

 そして、床に横たわるリサラに近寄って、その嫋やかな肢体を抱き上げた。


「良かった、無事で……」


 数刻前に診療所で目を覚ましたクラインは、起き抜けにすぐ、医師が止めるのも聞かず、冷たい空気を裂いて一目散に家へ駆け付けた。

 ……自分が眠っている間に、『追っ手』が愛する妻の処へ行っていないか、気が気ではなかったからだ。


 だがそれは杞憂で済んだらしい。


 逸早く『追っ手』の存在に気付き、人目につかぬ場所で皆殺しにしておいて良かったと、クラインは怪我をして倒れた日のことを思い出す。


 あの日はリサラには急な仕事と偽り、追っ手達を『始末』しに行っていたのだが、複数相手で手古摺ってしまった。それでも、命に関わる傷をつけられてもなお、一人残らず斬り伏せた判断は正しかったようだ。

 もし一人でも逃していたら、情報がすぐに回り自分が目覚めぬ間に、新たな刺客がリサラに向けられていたかもしれない。


 そんなことを考えながら、クラインは優しい手つきで、腕の中の彼女の前髪を払う。

 露わになった顔は青褪め、唇は色を失っていた。


「リサ……」


 そんな妻の様子に、クラインはぎゅっと眉を寄せる。


 『追っ手』の脅威は免れたが――――また『今年』も、彼女は遠い過去の記憶を思い出してしまったらしい。



●●●



 クラインがリサラに伝えた『下級貴族の次男で諸国を回る旅をしていたクラインが、偶々、盗賊に襲われ倒れていたリサラを保護した』という話は、半分が嘘で半分が本当だ。


 確かにクラインは、元はとある大国の貴族の息子だった。だが貴族としての生活に嫌気がさし、家のことは腹違いの義兄に任せて、十代で生家とは関係を経ち、自由気ままな一人旅に乗り出したのだ。


 そしてあらゆる場所を巡り、その旅の最中に辿り着いたのが――――万年雪に閉ざされた極小さな国だった。


 道中で獣に襲われ深手を負っていたクラインは、その国の外れの村に入ったところで力尽き、心優しい老夫婦に助けられた。そしてその夫婦に連れられ、『癒しの歌』とやらを歌う『聖女』のいる神殿に赴き、そこで初めてクラインはリサラと会ったのだ。


 これが、正しい二人の出会い。


 澄み切った歌声と共に傷や痛みが薄れていくことに驚きつつも、それ以上にクラインは、凛と佇み美しい旋律を奏でるリサラの姿に、一瞬で心を奪われた。


 貴族であった時代に、自分の周りにいた着飾った女たちとも。

 旅の途中で交流のあった、素朴な町娘たちとも違う。


 訪れた民衆に向ける、慈悲深い微笑み。

 遠くからでも光輝く清廉な立ち姿。

 何処までも清らかで美しく、高潔な彼女に――――クラインは溺れるように『恋』に落ちたのだ。


 傷が完璧に癒えたあとも、彼は老夫婦の家に置いてもらい、この国に留まった。

 そして夫婦の店で働きながらも、リサラに会うためだけに足繁く神殿に通い、日々その想いを募らせていった。


 ――――やがて時は経ち。

 クラインがこの国に住まうようになって数年。

 その頃には老夫婦は亡くなり、余所者であったはずのクラインはすっかり周囲からの信頼を得て、栄誉ある『神殿の警護兵』の地位を獲得していた。


 彼が並みならぬ努力で、その職を手に入れた理由は一つ。

 すべては、少しでも愛する彼女の傍にいるためだ。


 遠目で見るだけで話すことも出来ない『聖女』を相手に、燻らせたクラインの恋心は、時を刻んでも色褪せることなく、変わらず彼の身を焼いていた。


 相手は『神の化身』と称され、国民たちが妄信的に崇める存在だ。

 幼子が月に向って届かぬ手を伸ばすように。鳥が高く飛んでも太陽には辿り着けぬように。

 クラインは己の彼女への狂おしいほどの想いが、決して叶わぬものであることは理解していた。


 それでも例え、想いが実ることは愚か、彼女の瞳に自分が映ることさえ永久に無かったとしても。いずれ、二十歳になった彼女が『神帰りの儀』を受けに塔へ送られ、二度と目にすることも出来なくなるとは知っていても。

 彼はどんな形だろうと、僅かな時間でもいいから、傍で彼女を守れる存在でありたかった。


 神殿勤めの兵と相成ったクラインの仕事は、毎日変わり映えのしないものであったが、恋慕う彼女の近くに居れるというだけで、彼は満足していた。

 しかし、リサラを目にする機会が増えたことで、クラインは不意にあることに気付く。


 ――――時折、彼女は酷く寂しそうな瞳で、此処ではない何処か遠くを見つめるのだ。


 それはずっと彼女を見てきたクラインにしか分からない、とても些細なことだったが、彼はその瞳に込められた意味が、どうしても気になって仕方がなかった。


 だが、その答えもすぐに分かる。

 きっかけは、神殿に迷い込んで来た一匹の『野うさぎ』だった。


 怪我をし弱っていたその小さな生き物を、リサラは自分の歌で治した。そして開け放った神殿の大窓から、野うさぎを外の世界へと返した……という事があった。

 クラインは偶々、神殿内部の見回りをしていて、彼女がうさぎを野に放つ瞬間を目撃したのだ。


 そこで、悟ってしまった。


 リサラは雪の上を飛び跳ね去って行く、野うさぎの姿を長く目で追っていた。

 その瞳に宿る感情は…………『羨望』だ。

 彼女は自由に外の世界を駆けるその生き物に、憧れの眼差しを向けていた。


 極めつけ、本人も無自覚であろう一言を――――『私も此処ではない、何処かを飛び回ることが出来たらいいのに』と零していたのも、クラインは耳聡く聞いてしまった。


 『聖女』であるリサラは、この神殿の中以外の世界を知らない。

 神の化身だと祭り上げられて、彼女は結局のところ、此処に閉じ込められているにすぎないのだ。


 ――――同じだ、とクラインは思った。

 貴族であった時代、堪らない閉塞感に襲われて、窓の外に広がる遠い世界を夢見た自分と。だからクラインは、最愛の母親が病死してすぐに、身分を捨てて旅に出た。

 いや、そんな自分よりさらに、彼女は狭い世界で生き続けている。そしてこの先も……塔に幽閉される彼女に、『自由』なんて言葉は未来永劫、訪れはしないだろう。


 

 リサラに、彼女の知らない外の世界を見せてあげたい――――そのとき、クラインは強くそう思った。



 そして彼は、ただ『焦がれ続けるだけの自分』を止めた。

 彼女を攫って、いつか遠い世界へと連れて行く。そのための計画を立てることにしたのだ。


 クラインが最初に企てた策は、『神帰りの儀』を利用することだった。

 塔で儀式を執り行う数名の中には、一名だけ『神殿の警護兵』も選ばれることになっている。

 そこで塔の場所や周辺の状況を把握し、ほとぼりがさめた頃に彼女を攫いに行く、という簡単な計画だ。『聖女』でなくなった彼女を塔から逃がすくらいなら、自分一人でも可能であろうと、クラインは判断した。


 その考えに至ってからは、クラインはあれ程来ないことを願った、リサラが二十歳を迎える日が、一日でも早く訪れることを祈った。


 ――――リサラを連れて、行ってみたい場所がたくさんある。

 彼女に見せたい世界中の美しい景色も、聞かせたい異国の音楽も、触れさせたいまだ見ぬ生命の息吹も。

 たくさん、たくさん彼女に教えてあげたかった。

 そして様々な地を一緒に巡ったあとは、何処かでひっそり二人で穏やかに過ごしたい。


 それが……クラインが新しく抱いた、愛するリサラと共にいる夢の未来であった。



 ――――――またそう決めた日から毎日欠かさず、クラインは仕事の隙間を縫って、手作りの『雪うさぎ』を彼女の部屋の窓辺に置きに行った。


 これは、彼の亡くなった母親が教えてくれた『おまじない』だ。彼女は、凍てつく季節に降る雪に触れるのが、とても好きだったのだ。


『母様は何故、お身体に悪いと止めても聞かず、寒い中でそのような雪の塊を作るのですか?』

『クライン、これは雪うさぎ、というのですよ。これを作るのは願掛け……いえ、おまじないのようなものです。私がまた来年も、貴方と雪を見れるように、これを作りながらお祈りしているのですよ。この雪うさぎの目に使う赤い実は、貴方の瞳によく似ています。母はこれを作り窓辺に置いておくと、不思議と元気が出るのです』


 ……クラインの母は、女にだらしない父親が、正妻が居るのに関わらず手を出した元使用人であった。肩身の狭い生活での心労が祟り、病気になってもう長くはないと医者に告げられ、最後はあっけなくクラインを置いて逝ってしまった。


 思えば彼女も『自由』から切り離され、あの見た目は豪奢でも、汚いものが渦巻く屋敷に閉じ込められているようなものだったと、クラインは今さらながら思う。


 自分は母を、あそこから自由にさせてあげることは出来なかった。

 だけど今度こそ。

 高潔で美しく、慈悲に溢れた『聖女』の名に恥じぬ御心を持ちながらも……ただ一人の人間として、広い世界を夢見るリサラの想いを、クラインは叶えたかった。


 『俺が必ず、君を自由な世界へ連れ出してみせる』


 そんな願いを込めて彼は毎日、拙い雪うさぎを作ってリサラに贈り続けたのだ。




 そうして日々は過ぎ――――リサラが塔に送られる日が、いよいよ数日後に迫ったある日。

 クラインを大きく揺るがす事が、二つ同時に起こった。


 まず一つ目は、リサラから雪うさぎ越しに、自分に興味を示す手紙を貰ったことだ。

 いつも通り彼女が務めを行っている昼間に、昨晩置いた雪うさぎを回収しにいけば、その緑の葉のところに小さな紙が挿さっていた。


 内容は、雪うさぎを贈ったことへの礼。それと、もうすぐ己が神殿から姿を消すこと。そして最後に、自分の名前が知りたいというものだった。

 

 それを読んだ時のクラインの全身に走った歓喜が、如何ほどのものかは想像に難くない。

 初めて彼女が、自分を認識してくれたのだ。

 これを好機としてとらえ、前もって計画も伝えてしまおう。自分の名前は勿論、積年の想いもこの先の思惑も、すべて紙に認めてしたためて渡してしまえばいい。


 そう考え、神殿内部に設けられた自室にて、意気揚々とクラインは筆を取った。 しかしそこで、大神官様から呼び出しがかかってしまう。なんでも、儀式に関する詳しい内容を伝えたいとのことだ。

 仕方なくクラインは、大神官を始め、数名の神官が待つ神殿の奥まった部屋に赴いた。


 ここからが、二つ目の彼を揺らした出来事。


 クラインはそこで…………一本の剣を授けられた。


『これは?』


 大神官から手渡された剣は、深い青の鞘に凝った銀細工の、如何にも特別に造られた代物だった。

 そっと鞘から少し抜いてみれば、刀身に薄らと『女神象』を模った紋様が刻まれている。


 これを渡される意図を計り兼ねているクラインに、大神官は何でもないような声音で告げた。


 ――――――その剣で、お前が聖女様の首を斬り落とせ、と。


『なっ!?』

 

 クラインは大いに動揺した。

 当然だ。まず言われた意味が分からない。


『貴殿には、神帰りの儀の真実を伝えよう。二十歳になった聖女様は塔で、また次の聖女様の誕生のために、その『力』を神へと返す……それはつまり、聖女様の御魂ごと、神の許へと送るという意味だ。儀式の最後に、聖女様の首から流れる清らかな血で塔の祭壇を満たし、ようやく儀は完了する。選ばれた神殿の警護兵である貴殿には、その剣で一番の大役を果たして欲しいのだ』

『な、なにを言って……』


 綺麗な言葉を並びたててはいるが、それは単に…………儀式の最後に『聖女を殺すこと』こそが、神帰りの儀の一番の目的ということだ。


 そして目の前の最高神官は、リサラを殺す役目を負うのが、クラインの仕事であると告げている。


『一人の聖女が二十歳を超えてもなお生き、力を持ち続ければ、その聖女がやがて国を滅ぼす存在となる。この儀を滞りなく行うことで、この国はずっと神の加護を受けてきた。貴殿を含め私たちには、国を守る大きな使命がある』

『ですが! 聖女様っ……リサラ様には、儀を終えた元聖女は塔で余生を過ごすのが習わしだと、そう教えたのでしょう!? そ、それは、リサラ様を騙して殺すということになるのでは……!』

『それも古くからの掟として、聖女にはそう伝えよと定められている。すべてはこの国に受け継がれてきた、守るべき仕来たりに基づいてのことだ』


 その掟やら仕来たりやら、くだらない信仰のために――――お前たちは殺すのか。

 今まで国のためにすべてを捧げ、聖女として在り続けたリサラを、また『国のために』と簡単に。


 『ふざけるな』と、クラインは掴みかかってやりたかった。


 だが何を言っても無駄だと瞬時に悟り、彼は押し黙る。

 神官たちはリサラの命を騙して奪うことを、ただの『行うべき事項』としてしか捉えていないのだ。国に恩恵を与えてきた彼女を殺すことに、彼らは疑問すら抱かない。


 この国に来て数年。クラインはここにきてようやく、この国に巣食う『闇』の深さを目の当たりにした。


 受け取った剣を震える手で握り締め、彼はおぼろげな足取りで自室へと戻った。

 最後に大神官から、『貴殿は陽が沈む頃には先に、一名の神官と塔へ向かってもらう。私を入れた残りの神官や従者は、あとから聖女様をそちらへお連れする手筈だ。貴殿には、塔に行く準備を進めておいて欲しい』とも告げられたが、それにクラインは返事をできたかも曖昧だ。


 自室の床に座り込み、剣を抱えながら彼は考える。

 自分がリサラの命を奪うことなど、出来るはずがない――――それなら、取る手段は一つしかなかった。


 覚悟を決めたクラインは、剣を置いて立ち上がった。そしてふと、リサラに送る手紙を書くために、用意した紙と筆を見咎める。

 思考の渦に浸かり、いつのまにか時刻は夜。今からでは、長い手紙を書くことは難しい。何よりクラインの計画は、大幅に変更になってしまった。


 どうするべきかと思案した末、クラインは紙に自分の名だけを記した。小さな黄ばんだ紙に、彼女が尋ねてくれた質問に答えるため、『クライン・ニクス』と。

 そしていつもと同様に雪うさぎを作り、名を書いた紙を葉の辺りに挿して、彼女の部屋の窓辺に置いた。


 これが、クラインがリサラへ想いを込めて贈った、最後の『雪うさぎ』だった。




 ――――――そして、運命の日がやってくる。

 

 大神官の言葉通り、クラインは一人の神官と先に塔へと向かい……道中で、紋様の入ったあの剣を奮い、その神官を切り殺した。

 そしてリサラたちが来るのを待ち構え、程なくしてやってきた馬車を襲った。リサラ以外は皆斬り伏せて、彼女を連れて逃げるために馬だけは生かしておいた。


 馬を木に繋いでいるうちに、リサラには逃げられたが、雪山に慣れぬ女の足ではそう遠くまではいけまい。クラインは焦ることなく、ゆっくりと雪を踏んで彼女を追い掛けた。


 すぐに倒れているリサラを発見し近づけば、彼女は意識を失う前に――――『たすけて、クラインさま』と、数日前に手紙で教えたばかりの自分の名を呼んだ。


 クラインはそれに『助けてあげるよ、リサ』と答え、彼女の脇に屈み込んで剣をしまった。彼女の暖かい息を確認し、確かに自分の傍に『生きた彼女』がいることに幸福を感じながらも、クラインは様々な感情を織り交ぜた一筋の涙を流し、リサラを抱え上げた。


 そして彼は足早に来た道を戻り、気を失ったリサラを抱え馬で山を越え、最初に着いた町の宿屋に駆け込んだ。


 そこで目を覚ましたリサラは、襲われたショックからか記憶を失くしていて、これ幸いと、クラインは彼女に『嘘』をついた。


 『助けてくださった、貴方のお名前は何ですか?』と、何も知らずあどけない表情で問い掛けてきたリサラに、クラインは彼女と自由な世界で生き直すために、手紙でしか名乗れなかった名をもう一度、今度は自らの口で彼女に告げた。


『俺の名前はクライン・ニクス。君の事情は分からないけど、ひとまずよろしくな……リサ』



●●●



 抱き上げたリサラをベッドに寝かせ、クラインは息をついた。

 ふと、僅かに開いた窓の隙間から、冷たい空気が入り込んでいることに気づき、そっと音を立てずに窓を閉める。


 彼女は寒い季節になると毎年、この窓辺に『雪うさぎ』があるとはしゃぎ、自分に見せてくるが。


 ――――クラインには彼女の言う『雪うさぎ』など、一度も見えたことはなかった。


 彼女は恐らく、遠い過去の記憶を見ている。

 そしてそう言い出した頃から、徐々に彼女は、昔の喪った記憶を思い出してしまうのだ。


 だけど彼女の思い出の中だけでは、真実には辿り着けない。

 すべての真相を知るのはクラインだけであり、彼が彼女にすべてを明かさない限り、リサラは真実を知ることは出来ないのである。


 そしてクラインは永遠に、真相など教えるつもりはなかった。


 記憶の奔流に堪えられず、こうして倒れたリサラが目を覚ませば、また彼女は過去のことは一切忘れた状態になる。

 そこからまた何食わぬ顔で、クラインはリサラと理想の夫婦としての暮らしを続けるのだ。


 真実を告げないことが、リサラの幸せのためだから。


 布団の上に腰掛け、リサラの寝顔を見つめながらも、嫌なことが頭に浮かんだクラインは、チッと舌を打った。


 リサラを殺し損ねたことであの国には今、本当に新たな聖女が生まれず、守り神の存在を喪った状態になっているらしい。

 それで、国は酷い混乱に陥っているとか。


 クラインが大怪我を負いながらも始末した『追っ手』たちは、あの国からリサラを探しに来たやつらだ。

 連れ戻し、殺すために。

 今からでも国を守るために、儀式を遂行しようという考えだろう。


 心底、馬鹿馬鹿しい話だと、クラインは鼻を鳴らす。


 リサラが生きていたからといって、彼女が国を滅ぼす存在になるわけではない。

 奴等は『国を守る聖女がいない』という状況に恐れ、悪しき風習に囚われたまま、勝手に混乱の末に滅んでいくだろう。


 さっさとあんな、歪んだ信仰でしか成り立たぬ国など、滅び朽ち果ててしまえとクラインは思う。


 夢であった彼女を連れての旅をした二年間は、場所を転々とすることで、追っ手を巻く意味もあった。

 そろそろ諦めたかと思ったところで、この地に居着いて穏やかに過ごしていたのに。まだ奴らが彼女を探していて、居場所もバレてしまっては、もう此処にはいられない。

 また追っ手を差し向けられる前に、リサラが起きたら適当な理由をつけて場所を移らねば。


 憂鬱だが仕方ないなと、クラインはリサラの頭を一撫でしてから立ち上がった。そうとなれば、のんびりしていられない。


 早くあの狂った国の連中が、諦めるか滅びるかすればいいものを……そう考えながらもう一度、クラインは窓の方に視線をやった。

 相変わらずそこには、昔作った雪うさぎなど見えなかったが。

 窓ガラスに映る自分の顔に、クラインは唇を歪めて笑った。


 狂っているのは、あの国だけではない。

 ――――愛する人を偽り続け、多くの人間が滅び行く国と共に消えて行こうと、彼女だけ居ればいいと思う自分も充分、狂った人間だ。


 リサラに対して抱くこの感情は、最早『恋』などと綺麗な言葉で称されるものではない。

 この醜い感情に名をつけるとしたら――――――恐らく『狂気』がふさわしい。


「まだそこにいるのか? 雪うさぎ」


 クラインは気まぐれに、彼女の記憶の中に住む、見えない雪うさぎに声をかけた。


 真実を知っているのはクラインと、あとそう――――――雪うさぎだけは、リサラの思いも、クラインの行動も考えも、すべてを知っているだろう。


 だからクラインは、そっと口許に一指し指をたて、『内緒』の格好をとった。『知っていても、黙っていてくれよ』と、そんな意味を込めて。


「……愛しているよ、リサ」


 静かに呟いて、クラインは部屋をあとにした。起きた彼女に、笑顔で話しかける準備をしながら。




 その後、夫婦がどのように過ごし、果たしてそれが正しい二人の『幸せ』の形であったかどうかは、また雪うさぎだけが―――――知っている。

この作品は、「共通プロローグ企画」参加作品です。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

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